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私がカントリーを始めるきっかけになった2人だ。忘れもしない銀座6丁目泰明小学校の前に「ジロー」という喫茶店があった。1階が喫茶で広々とした空間があり、2階はレストランでチターの潮風を誘う生演奏の音が流れていた。1階と2階の間には、らせん階段だ。下から見上げるたびに西欧の香りがした。その度に2階に引き寄せられた。 1階でカントリーの商売の話になり、原田実さん宮城久弥さんの2人は「土建屋さんかな」「カントリーだから、そんな大金ないよ」「そうじゃないカントリーミュージックですよ」「カントリークラブのゴルフじゃないの」それだけの知識の始まりだ。何でもいいライブハウスがやりたかった。 当然、原田実さん宮城久弥さんは私にとってただのおじさんでしかなかった。確か、片山智織さんもいた感じがする。このメンバーに歌手の泉エリさんとのスタート。店は20名ほど座れるカウンターだけのウナギの寝床のような店内である。ステージらしきスペースもなく、みんな工夫しながらよく我慢してやってくれた。スティールギターは置けないから、膝に乗せて弾くドブローでマイクも無かった。

原田実さんと宮城久弥さんとの出会いでカントリーミュージックを知る。

私がカントリーを始めるきっかけになった2人だ。忘れもしない銀座6丁目泰明小学校の前に「ジロー」という喫茶店があった。

1階が喫茶で広々とした空間があり、2階はレストランでチターの潮風を誘う生演奏の音が流れていた。1階と2階の間には、らせん階段だ。下から見上げるたびに西欧の香りがした。その度に2階に引き寄せられた。
1階でカントリーの商売の話になり、原田実さん宮城久弥さんの2人は「土建屋さんかな」「カントリーだから、そんな大金ないよ」「そうじゃないカントリーミュージックですよ」「カントリークラブのゴルフじゃないの」それだけの知識の始まりだ。何でもいいライブハウスがやりたかった。
当然、原田実さん宮城久弥さんは私にとってただのおじさんでしかなかった。確か、片山智織さんもいた感じがする。

このメンバーに歌手の泉エリさんとのスタート。店は20名ほど座れるカウンターだけのウナギの寝床のような店内である。ステージらしきスペースもなく、みんな工夫しながらよく我慢してやってくれた。スティールギターは置けないから、膝に乗せて弾くドブローでマイクも無かった。

津軽なまりで歌う工藤勉さん。詩人でもあり歌手の高野圭吾さんは、私の幼い頃の銀巴里で歌っていた。
それからずっと後に黒田美治さん、寺本圭一さんのスマートな生き方を知った。
残念なことにタクト、アシベの時代を知らない。和歌山の清らかに流れる日高川で育ち、ましてや銀座なんて「どこの国じゃ」なんて思ったくらいだ。

とにかくカウンターを切ろう。のこぎり、ハンマー・・・朝から持ち出しステージ造りだ。大工仕事はお任せコンコン、夜更けまで楽しい時間だ。

どうしてもドラムのスペースが取れない、いいやトイレのドアの前でいいか。
お客様、ステージ中はトイレ辛抱してくだされ。私がドラマーよ。
そんな状態で1年。
寺本圭一さんから「ドラム歌いやすいね」っと耳打ちされた。

またのこぎり、ハンマーのおでましだ。ドラムスが今の位置に変わった。
これでお客様にご迷惑かけないで済む。除々にステージらしくマスクもいいのが入った。
「原田実さん・宮城久弥さんの、演奏と伴奏で歌える店」であっという間に全国区になった。新聞、雑誌など、住田良能さん(産経新聞社長)ありがとう。

今更、皆さんに原田実さんはどんな人物だったか話すことはないだろう。
とにかく、日本の戦後のアメリカンミュージックのカントリー界をリードしたことは間違いない。よく小坂一也さんも小林亜星さん、堀威夫さん、田辺昭知さんも原田さんをよく訪ねてこられた。
「原田さんってすごいんだ」「バカ!まだ分からないのか」とお叱りがきそうだ。

常に何気なく、お洒落でスティールギターを前に腰かけて、「どうだ!」と言わんばかりな態度である。
本場でもスティールギタープレイヤーは常に弦を見ながら、要するに下を向いて地味だ。
カントリー界の神様、カントリーに全く興味の無かった男が、初めて楽器を握りその世界の魔力に魅かれていった。

さあ、原田さんのスティールギターがセットできた。ダブルヘッドで随分年季の入った原田さんの魂が入った。まるで原田さんの顔に見えた。なんて重い2人がかりだ。

「この椅子全部いらないと思うが」との意見がでた。私は銀座の客層から立って飲むのは無理と考えたが大半は撤去であった。気の弱い私はしたがった。そうすると店内も広くなり人も多く入る。ま~いいか・・・・案の定、椅子はすぐに入れた。

昔むかしある日階段を飛ぶように降りてくる人がいた。「あ!原田さん今夜はやる気だな」安堵した。

ファーストステージ目はさすが「世界の原田」健在。私はベースギターだ。耳元ではスティールの弦と弦が擦れ合って心地よい金属音、「バーッ」と指ピックが人間技とは思えない早さで「シャーシャーシャー」と擦れ合う音が快感であった。私の両手は意識なしで動いていた。

今夜は原田ファンも大満足、原田さんの職人技で1年ごまかされる。何か嫌な予感がする。
次のステージが始まった。前のステージの余韻が残っている。原田さんも疲れたのかオロナミンCドリンクを取り出して飲んでいた。
さあ!始めよう。ステージは軽快なスティール演奏で始まった。だが原田さんの様子が変だぞ。もう顔見なくても分かる。さっき飲んだドリンクがやられた。もう遅い。敵もヤル「おぬしも悪じゃのー」実はオロナミンドリンクにウイスキーを入れるとは考えたなぁ。関心あるのみ。

昔むかしある日、階段を一段一段訴えて降りてくる人がいた。
「あ!分かりました。宮城さんに連絡。今、風呂に入っているから。」すぐ駆けつけてくれる。という助かった。また借り作ったなぁ。
119番、銀座6丁目のバンジョーです。ガチャン分かった。
スイスイ赤信号、世の中、私が中心、気持ちよか。

原田実さん亡くなられてもう14年になろう。最後にお香典係をやらせていただきました。
葬儀委員長が小坂一也さんでしたね。その1年後、小坂さんも亡くなられました。原田さんには身をもって生きる楽しさを教わった。まだ人生の借りがたくさんあると思っている。

宮城久弥さん、原田実さんとは水と油

2人ともビックスターである。ボーカルではジミー時田さん、大野義夫さん、寺本圭一さんの御三家・プレーヤーだけで有名になるのが大変だ。原田実さん、宮城久弥さんは名奏者であろう。
寺本さんも宮城さんによく仕事頼むのは、お洒落で立っているだけで絵ずらがいいと言う。
宮城久弥を評して「良い子、悪い子、普通の子」の良い子にあたるかな。
どうしても原田実さんと対比してしまう。それじゃみんな良い子になってしまうじゃあ~りませんか。

カントリーには宮城さんのフィドルが欲しい。私もお客様が入る前に宮城さんにフィドルを弾いてもらうことがある。つくづくお客様が幸せだなぁと感じる。
お客様にはレコード通りのイントロと演奏をやってあげないと。歌に入るタイミングが分からない方もいる。
時代は変わったのか、ここ数年前からテープを録る宮城さんを見る。困っている宮城さんを見る。本場のナッシュビルでもハンクウイリアムスの曲すら知らないミュージシャンもいる。しかし、宮城久弥さんは努力し続けた。

思いもよらず昨年6月宮城久弥さんは死んじまった。死んだことすら知らず、真面目な宮城さん、テープ聴いているのか。

宮城さんとはいろんな所で演奏していただいた。アメリカを含めいろんな所に行っていただいた。まだ私の旅は終わってはいない。