連載

 

メダカと私     (連載―150)

♪おたまじゃくしは蛙の子・・・・

妻が友達からメダカを頂いてきた。メダカって飼ったことがないから

飼い方もわからない。田舎育ちなのに、幼い頃、小川で見たことがあったが♪メダカは・・・の子とは聞かない。メダカの兄弟は川の中大きくなったら、何になるんだろう?

 便利なものでインターネットでメダカを調べたら1年から2年の寿命で餌とか水の交換とか知った。お腹を空かしたら共食いもするようだ。餌も赤ちゃん用もあった。

 水道の水には塩素があるから、前の日に汲み置いた水を使った。

へえー 水道の水って1日置けば塩素が抜けるようだ。水の交換は

三分の一を目安に変えるようだ。神経質に育てないようにしたい。

 大変!バケツをひっくり返して5,6匹亡くした、申し訳ない。

 ♪メダカの学校は川の中、そっと覗いてみてごらん、そっと覗いてみてごらん、みんなでお遊戯しているよ。

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おばあちゃんの呪文(じゅもん)  (連載―149)

おばあちゃんは、いつも誰かに話かげるように呪文を唱えていた。

 母が5歳の時に、おじいちゃんを亡くしたらしい。だから頑固で強い強いおばあちゃんに見えた。むしろ怖かった。

 お線香の煙が神様の食べ物とロウソクの炎と話をしたり、傍で木魚(もくぎょう)を叩く私は、おばあちゃんの呪文を聞いていた。

 父母は5人の子供を抱え日々奮闘していた。和歌山の山奥の田舎で細々と米を作ったり家族が食べられる野菜も作っていた。父は地元の発電所に勤め、兼業農家であった。

 もう古い私の話など面倒だろうが聞いてやって下さい。読んだ後は自動的に消滅してもらってもいい。

 父は手枕で寝ている丸くなった後ろ姿。母は私が幼い頃、ゆれる吊り橋の上からはってみた男たちに負けじと石をかついでいた母の姿は忘れない。

 東北地震の時、いち早く駆けつけてくれた長男の姿、頼りになった。屋根のペンキ塗りに忘れていた地下足袋を持参してくれた。何も言うことはない。遠くの勤め先から近くに引っ越してくれた。その気持ちはうれしかった。

 長女が内壁の張替に神経をすり減らす思いで、ペンキぬりに夜遅くまで頑張った。もうご苦労さんと言いたいが更に白い壁紙を張ってくれた。細部まで完璧に張ってくれた。途中、投げ出したくなる心境だったろう。特に出窓の部分には根気が入ったろう。結婚も控えていたのに最後の親孝行がこんなに大変だったとは思わなかったろう。私だったらあきらめただろう。壁紙張りを一生忘れたかっただろうな。

 長女は神経質で感覚で物事をとらえているところは私と似ている。結婚相手、結婚式、結婚式場にしろ人にはあたえられたタイミングがある。誰からとも言えない生まれつき長女が持ち合わしているものがある。大切にしてほしい。

 次男の車が家に前に現れた。あれ~次男の車だと思ったら、わが家でバーベキューが出来るように庭の改装に来たのだが、私が3日前から妻とバラのトゲに刺されながら夏の暑さにも負けずやっていた。残すは庭のレンガ敷だ。

 昔、誰に教わったのかレンガ敷のことは知っていた。土を同じ高さにならして、砂をその上に敷きレンガを隙間なく敷いていく。

砂は雨に強い、甲子園でも雨だとグランドに砂をまく 砂はすべりどめに良い、列車のレールとレールの間に砂をちらすと急な坂道もスイスイ・・・。砂は小粒だ、小さな小穴に入り、小さなずれを直してくれる。砂は人生を教えてくれた。

昔、わが家のレンガ敷きの時、砂を知らなかったら苦労もしただろう。雨が降ってレンガがずれ、土が表面に出てまた敷なおしだった。

このような古い人の知識は現在の方に引き継がなくてもいいとも思ったが、考え直そう。

別に難しい話はするつもりはないが、中国のウイグル族のことが気になったので、インターネットで調べてみた。約1000万人の人口でイスラム教を信じているらしい。中国と言えば仏教と想像するのだがイスラム教となれば歴史をさかのぼらないと理解できない。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と同じ神様で同じ聖地を持ち、昔から聖地の奪い合いで戦った。その点日本は神様仏様と仲良くやってきた。

ウイグル族を知る為には今から千年程前の十字軍までさかのぼらないと理解できないような気がする。

古い歴史は面倒だし知らなくても生活に影響されないし誰かが上手くやってくれる。

 

 私には子供3人とこのハゲ―!に付き合ってくれている妻。この世で大切な方たち、和歌山からたった一人で出てきたのに嫁2人と婿1人と孫2人、なぜだか皆、不出来な私をカバーしてくれている。

おばあちゃんが呪文のように言っていた。

「人は騙すことは出来ても自分を騙すことはできない。だから、人が見ていようと見てなかろうと自分に正直に生きること」

 おばあちゃんの呪文は、半世紀前のことだが、今も私の脳裏に残っている。そして私に考える心の余裕をくれた。

 

人には好き嫌いがどうしても生理的にもでてくる。

知識は自分を知ること、相手を理解するためにあり、決して

相手を排除するものに使ってはならないのだろう。

私が生きている昭和・平成・令和・・・は短い時かも知れない。いつか世代交代が訪れるだろうがみんなの幸せを祈っている。

                            相台万朗

                          2020,8・14

 

 

おばあちゃんの般若心経   (連載―148)

ここはうちだよ。違う帰ると信じてくれない。2ヶ月ほど前に足の骨を折って今日退院してきたばかり、おばあちゃんはいくら言ってもここはうちじゃないから帰ると、きかない。16歳の私はあれこれ説明するがわからない。だって、いつも寝ている仏間に仏様も神様もお祭りしているだろうに信じてくれない。

 今だったら、もう今日は遅いから明日帰ろうね。と言えるのに、ひたすら説明していた。おばあちゃんは、私の母が5才の時、おじいちゃんを亡くしたらしい。だから強い強い頑固なおばあちゃんでした。

 おばあちゃんの傍で木魚(もくぎょう)を叩いていた。ロウソクとお線香をあげ待っているとおばあちゃんが横に来てお経をあげる。お線香の煙は仏様が召し上がるもので、ロウソクの火は仏様がお話するという。

 お経は目の前に置いてあったが、暗唱していた。私が見ても何だか漢字みたいでチン分カンぷんであった。いつも早起きをして近くのお堂に米を供え、小高い山のお薬師様にお参りに行って塩とお米と水で清めてお経を唱えるのが日課であった。よく言われていた他人の土地をまたがらないようにとね。

 まだ、田舎では土葬だった。子供の頃の私は御葬式が大好きで情報が入ってはよく見に行っていた。お坊さんの座る漆の椅子とかシンバルの細かに触れる音とか静寂な儀式が好きだった。変なおじさんどころか変な子供だった。

 月に一度行われるご詠歌の集まりもおばあちゃんの代理を務めた。みんなお年寄りの集まりで、私も可愛がられ必ず参加した。

 そのうち、村の寄合にも大人の仲間に入れていただいた。

  17才の時、おばあちゃんが寿命なのか、私は手をとり、脈をとっていた。徐々に遠ざかっていく,最期にポツット消えた。場の空気が真空になり宇宙を感じた。おばあちゃんは別の世界にいってしもうた。

 18才の時、東京に行く運命だったので行くことにした。成人になってしばらくしておふくろが亡くなった。兄の話だと内の宗派を初めて知った。仏教だと知っていたが宗派があるなどとは知らんかった。

和歌山の高野山の宿坊に泊まった時、早朝のお勤めの時、自然とお経が私の口から出た。呪文のようで難しいお経を覚えていた。

 考えによっては頭が良いと自分では思った。おばあちゃんに教わったことがあった。①人は騙すことは出来ても自分を騙すことはできない。だから、人が見ていようと見てなかろうと自分に正直に生きること。報いは自分に出なくても、子供にか誰かに必ずあらわれこの世で清算される.②形あるものは必ず壊れるもの永遠にはもたない。③観念、理念というものは不変であり、この世は空だ。

 こんなこと理解できる筈ないけど今になって少しはわかりだした。おばあちゃんには般若心経が必要だったのだろう。

 

メンフィスと言えばプレスリー    (連載―147)

街なみも年々綺麗になるわBereStreetではB、B、King’s BluesClubで黒人のBluesを聞き、路面電車に乗った驚いたのは混み合っているのにワンマン運転手は乗車する時に誰かが運賃を払わなかったのをきちんと見ていた。

 それでこの街を信用できた。にわか誕生日に女性がある店で盛り上がった。

 昼間はグレースランドに行ってプレスリーの自宅など見学した。プレスリーの街であった。プレスリーが最初にレコーディングしたサンスタジオもいって来た。

 

 

いま、戦国時代かも   (連載―146)

テレビでは明智光秀をやっていた。私は高野山の奥の院につながる山道を歩いていると、明智光秀の石碑を見つけた。誰も気が付かないと通り過ぎるだろう。幼い頃、光秀を悪役のように思っていたので、このようなところにほうりだされているのは仕方ないのか。

 信長が人を見て明智光秀を使いこなしたら光秀も生きたのに私も生意気になったものよ。尾張の大うつけと言われていた信長も本能寺で終わりか。光秀も天下人になれる機会もあったが、最期は情けない百姓の竹槍に刺されて亡くなったと聞く。(諸説はあろう)

 戦国時代は意地やプライドの世界,あやまって済む時代じゃない。それでなくても気にくわなければ腹を切らされる。

 近代法治国家も戦国の世と同じ、利口に忖度をしていかなくてはならない。

 関が原の戦いに勝った徳川家康も手柄をあげた家臣に褒美の工面をしたのだろうがそれはそれは大変だったろう。お察しする。

 国民の義務である選挙の1票の権利を手に入れるのに長年かかった。国会議員は国民の代弁者あるように言っていたのにいつの間にか大名や将軍になっている。

 人がやることだから好き嫌いはできる、理屈ではない。国民は権利を行使するには選挙の1票しか手段がない。党になっても将軍はひねりつぶす術を知っている。

大衆はあなたが何ができる俺たちには待てないと。思っている方もいる。将軍は国民が選挙に無関心の方が都合がいい。別に!

選挙と宗教のことを封印していたが、ここ1年知能指数がほとんどない残り少ない脳を使っている。

ごめんね、明智光秀の石碑は今は高野山に立派にたたれているらしい。あの古さだと私の幼い頃からの気がする。

 

有名人と無名人同じ空気を吸っている  (連載―145)

小学生の頃、テレビ画面に釘ズケになった時代劇を見ていた。

記憶では徳川家を継ぐ天一坊が偽ものか本物かの跡継ぎ問題が話題になっていた。

 突然、天一坊が目の前で歌っている。ウソだろうと遠い昔の有名人が同じ空気を吸っていた。これが有名人との出会いの始まりだった。

寺田農様だった。寺田さんも覚えていないだろう、大人の欲の狭間で演じていた。強烈な印象が脳裏に残っていた。

 銀座にいるとよく有名人と会う。「あの女を俺に譲ればこれをやる。」とか生々しいことも聞く。何だと思った方が英語やフランス語で話しかけている。こちとらもわかった振りをすることだってあった。18歳の頃までにろくに本一冊も読んだことのない私も毛穴が立つことばかり。有名人かぶれも、かぶれていられない。

 私の上司に日高なみというシャンソン歌手がいた。それはそれは強い有名人だった。あの強さと自信はどこから来るのだろう。

万人が右を向いているのに、左を向いていた。ははー!気づいていないのかもと思ったが、強い女でいるためには弱みを見せないことだと、あえて優しさに封をした。厚化粧した純粋な女であったと理解していた。

 世の急な流れに流されているのをわかっているのに、もういいかと流されたこともあった。無名人の私は有名人の先を歩くには、まだまだ時間がかかりそうだ。

 

 

臣籍降下(しんせきこうか)って何?  (連載―144)

平将門が平家なのかという疑問がした。

たいらまさかど、のが付くから天皇から名前を頂いたに違いない、平将門のルーツを見ると確かに天皇の血筋に間違いはない。

 アレー?平清盛、源頼朝も同じ線上にある。ここで、臣籍降下がでてきた。武士は、田畑を守る用心棒とか盗賊かと思っていたが、武士にも、れっきとしたプライドも歴史をお持ちなんだとわかった。

 天皇を引き継ぐには天皇の実子がなるんだろうが、もし天皇に実子をない場合、途切れてしまう、そのため天皇は子供を増やし兄弟の子にも天皇に引き継ぐ資格を与えたため平安時代、貴族が増えた。税金も思うように取れなくなり財政もひっぱくして、貴族を減らすのに、将来、天皇になる資格のない皇族をただの平民に戻すわけにはいかないから天皇家の血筋を持たせた名前をつけた。平、源、菅原、橘、のが付く名前(うじ)がそのようだ。平氏、源氏も元は同じ身内から出た者ですが戦うことはないと思うが、どうおもいます?

 臣籍降下とは薄情な仕打ち、臣は、しもべの籍を降下されたものは世間の荒波にもまれ、食って食わしていかなくてはならないし甘いことは言ってられない。

 臣籍降下をこの前に知ったんだから、別にどうでもいいことだろうが私に生きる色をつけてくれた。まだ俺は未熟だな。

 

銀座カントリー天国(カン天)  (連載―143)

昔、イカ天(いかしたバンド天国)というテレビ番組があった。私はカンテンが大好きでだった。とっさにカン天を思い出して始めた。長年このホールを使わせていただいた。もう60年は銀座の街を見続けてきて古くもなった。 

 東京ガスの持ち物で取り壊すらしい。銀座から離れたくないし、私の充電としてカン天をとりあえず中止にさせていただいた。

 復活を願っているが、まだ諦めてはいない。

 

ウエスタンバンジョー 半世紀、私を育ててくれた。   (連載ー142)

3年程前に銀座から、姉にも引導を渡して身をひいた。それはそれは大変な芝居でした。

 姉はシャンソン歌手でプチシャンソン・マヴィーの店長、私はウエスタンバンジョーの店長。2店とも40年近く銀座でお店をやらしていただいたが、止めるのも大変だった。2人とも脳梗塞で後遺症が残った。

 日高なみはきつい強い女でした。あの強さはどこから来るのだろう。強さは弱さを見せないことだ。反面、弱さも純粋で人3ばいだ。

 原田実と宮城久彌は油と水であったがお二人の人間模様は万華鏡のようだった。まさか、私より早く亡くなるとは本人も気づかなかったようだ。

 人生をしぶとくもろく生きていた。せっかく育てていただいた命は大切にして、絶滅危惧種と言われているカントリーの灯を赤々とするのが私のお役目のようだ。

 

 

徳川家康が1600年に関ヶ原の戦いで勝って、1615年の大阪夏の陣まで豊臣秀吉を滅ぼさなかった。

なーんでだ?   (連載ー141)

1603年から第15代徳川慶喜までの264年間にわたる江戸幕府を通じ、征夷大将軍の職を世襲した家系である。徳川将軍家の長男が将軍職を世襲する原則であったが、既に早世していたり、実子がいなかったりで養子を迎えて家系をつなぐこともあった。

 2代将軍の秀忠はその元服時に、まだ徳川幕府が成立しておらず、当時の天下人である豊臣秀吉から「秀」を字を賜ったものであった。

 徳川家康は好きなタイプではないが、何故か?ホトトギス鳴くまで待とうホトトギス。私はせっかちなタイプな方である。

 徳川家の鬼門は家康が寝むっておられる日光の方角らしい。

静岡の駿府と富士山を結ぶ先は遠く日光になるという。これが徳川家の鬼門になるという。今の世に鬼門とか言ったらバカにされるが、家康はあえて鬼門にわが身を置いて徳川家の安泰を守ったのだろう。

 さて、私も2年程前から馴染めなかった歴史を見直そうと考えた。年号を覚えるのは鬼門なので、せめて、時代の流れを人物にとらえた。

徳川家康は関が原の戦いに勝ち、その勢いで豊臣秀吉も滅ぼせばいいのに14年間も秀吉を滅ぼさなかった。なーんでだ?

にわか歴史学者の私は想像した。確か当時、秀吉は関白の位だったが、家康は力で秀吉より上の位を手に入れるのは出来たとしてもプライドが許さなかったのか。天下人であった秀吉の力を読んでいたのだろう。そしてまだ、幼かった秀吉の子供。秀吉も豊臣家の安泰を願っていた。

徳川家康、戦国時代明日はわが身、ホトトギス鳴くまで待とうホトトギス。

世の中は、豪風雨・コロナ・地震と次から次に押し寄せてきている難題、過去にも何百万人も犠牲になった感染もあったと聞く。そんなことも知らなかったのか、人は乗り越えてきた。今もみんな辛うじて頑張っておられる。私は泥の中から人が抜け出す姿を見ている。

 

何年か昔に作詞してあった。  (連載ー140)

        悲しい空
1、空がこんなに悲しく見えるのは私だけなのか
 空に浮かぶ綿菓子のようなあの雲が牙をむいて
 街に覆いかぶさってくる 今ならみんなこれを
 信用するだろう
  
  まさかあの雲が人をのみこみ平然と浮いている
   空がこんなに悲しく見えるのは、私だけなのか

2、空が怒っているのか真っ黒な雲が降りてきて
 屋根に電柱に懸命にしがみつきその雲から逃れ
 ようとしている 今ならこれをみんな目撃して
 いるだろう
  
  まさかあの雲が人をのみこみ平然と浮いている
   空がこんなに悲しく見えるのは、私だけなのか

3、空にエンジン音を響き渡るヘリコブターにも救
 助ヘリと報道ヘリの音の区別もルートもわかって
 くるだろう音の叫びが 今ならみんなこれがわか
 ってくれるだろう
  
  まさかあの雲が人をのみこみ平然と浮いている
   空がこんなに悲しく見えるのは、私だけなのか

 

 

灰色の雲が東に   (連載ー139)

灰色の雲が北に東に向かって流れている。東の空、西の空、南の空も長年住んでるとわかって来る。飛行機が羽田空港を離陸して、私の上空に來る時には時間差で音が聞こえる。どの木の間を通れば北海道方面だし、多少カラフルに見える飛行機は海外のようだ。

 東北大地震では、ヘリコブターの音が自衛隊のものか、報道のものか区別もついた。飛びコースもちがうようだ。

 今年も黒い雲が、西の空に大量の雨を降らし多くの命を抱えて、何くわる顔色で、もう白い雲となって東にながれていた。

アナウンスでは想像になかったとか、過去に経験したことがないとかの表現で雨の災害を伝えていた。今年は出来るだけ命を守れる選択とか伝えていた。

 私も幼い頃、住んでいた所は山と川と一本道だった。山から水が溢れ落ち、川は怖いほど波打って雑木も流れていた。これでは避難場所もない。

伝える側も命がけだ。去年は台風で大変だったから、今年から水害や地震に対応した保険に入った。

 今年はコロナウイルスもあり、3密で対応に四苦八苦だろう。他人事のようだが明日はわが身。誰しも自分だけは大丈夫と思いたいが明日はわが身。

 

和歌山県の空虚です。  (連載―138)

案外、私は神経質でバリケードなところもあり、人をよく見ていると妻に言ったら、どこを見てるやらとあっさり排除された。

 後で知ったが我が家は浄土宗らしいので、幼い頃、おばあちゃんの傍で木魚を叩いていて自然に覚えた般若心経とは違うらしい。難しいことは知らないから死んだおばあちゃんに聞いてもらいたい。

  ・・  ・・・・・     ・・・・・・

空虚涅槃 三世諸仏依 般若波羅蜜多

くうきょうねはん さんぜしょうぶつえ はんにゃはらみた

 

日は東に出、日は西に没む。何万年も昔から同じことの繰り返し。

左の胸に、手を添えれば鼓動を感じる。気が付けば同じ鼓動、誰も命令も

してないのに心臓が動いている。もう一人誰かがいるようで気持ちが悪い。

 

新コロナは密接・密集・密閉の3密を禁止されている。本来、人間に必要

なことなのにあえて禁じられている。和歌山県の高野山を開いた空海さん

も身密・口密・意密の3密を理想としたがなかなか生きながらえて仏になれ

って言われてもなれるわけない。私みたいな凡人は長い修行して教わらな

いと仏になれないし、それもわからん。空虚だ。

 

空虚を知って、新密を知る。(空虚)

 

Go ahead  どうぞお先に   (連載―137)

なんで2,3番じゃいけないの

今年も計算能力に関して日本のコンピュータが世界のトップにかがやいたようである。

日本が食べ続けるためには世界のトップであり続けなければならないし、これが

幸せの源泉のようだと思っていた。

 夢の新幹線、夢のリニア―でこれからもすべてが光速化される。50年前東京、大阪間を3時間になって、友とゆっくり酒でもかわそうと思っていたが、夢を見る余裕もなくひたすら経済の部品の一部として、家庭を振り返ることすらなくお父さんは頑張って来た。クタビレ果て今度は忖度でもしょう。夫婦は共稼ぎでないと暮らしていけないし、何百億稼いでいる人もそれだけのようだ。どこかでベロ出して生きているだろうと思う私もそれだけのようだ。

 昔、ウィルスが人間を滅ぼす映画もあったようだが、そんなばがなと思っていたが、もろくもうすっぺらな幸せに、私は人間は新しい生活感を作り上げていかないともたないだろうと危機感だ。

 人間は難題を解決していくだろうが、日本にも「お先にどうぞ」。英語のも「Go ahead」という言葉があるように自分より他人を思いやる心を思い出していただきたい。

ひいては自分に跳ね返ってくるだろうと忖度はしないことだ。

 都会は刺激的だし人間は集まりたくなる。田舎暮らしは生活に器用じゃないと

こんな筈じゃなかったと思われるだろう。私も東京に憧れて50年前に和歌山から

稼ぎに来ましたが、68歳のどうでもいい年になって、「どうぞお先に」などと言ってみたい。

 

一度、深呼吸しよう。  (連載―136)

私の親父は3男で、親父の兄が宗教界で偉い人とは知らず、田舎のお寺のお坊さんが緊張気味でお経を唱えていてわかった。

 福井の永平寺に行った時、若い修行僧が下方僧に手厳しいことを言っていた。その目付きには愛情を感じなかった。

 68歳になっている私は、もう一度、弘法大師空海を知ろうと試みた。和歌山県出身で高野山にも3回行けた。奥の院に空海さんがいらっしゃるとのこと、今も、お坊さんが毎日お食事をお供えなさっているようだ。香川県善通寺市の出身で地方豪族の家に生まれた。宗教は金持ち貴族のもので中央貴族の出世のためのさきに幸せはないと彼は思っていた。私もそう思った。真言宗の開祖、空海は3密を理想とした。

真言宗では身密(しんみつ)・意密(いみつ)・口密(くみつ)の3密のかだら・いしき・くちをほとけ様と同じに揃えることによって生きたまま仏になれるという即身成仏できるとされた。それまでは長い修行して悟りの境地になることで成仏できた。のだが3密については私から説明できんからYoutubuで真言宗で検索してほしい。

皆様に質問でーす。

 即身成仏なのに、49日の法要、13回忌とか、なぜ法要をしなければならないの?

関係ないか。新コロナのワクチンも来春には間に合いそうという情報だがそれまでご苦労ですが生き抜いてください。宇宙の時間からは一瞬だ。問題はその後でも考えよう立場が違えどもみんな困っている。一度深呼吸しよう。

 

私の三途の川(さんずのかわ)  (連載ー135)

 あくまでも私だけの物語。

死んだらこの川を渡ってあの世に行くらしい。橋を渡る途と深い急流を渡る途と浅瀬を渡る途があるようだ。こんな情報を得ていた。

車窓から見えるみどりの木々が綺麗だ、もしかしてこの車は救急車なのか私が横たわっていた。しばらく走ったのか随分郊外に来たようだ。着いたのか大きな建物が見えた。段差を感じ乍ら建物の裏手にまわったようだ。横たわったまま車から降ろされ地下のようであった。まっすぐな通路の左側にはガスボンベが大量に保管されていた。左に曲がる寸前、右の小部屋に白い馬が横たわっていた、たぶん死んでいるに違いない。今度は2階に上る階段が右手に見えた。下から見上げると大勢の人が大部屋らしきところに待っている様子だった。

やばい、焼き殺される。携帯電話を取って妻に電話した。俺を焼き殺すつもりなのかと、じっさい電話したらしい。ずいぶんひどい話だ。

向こう岸までずいぶんあった。中洲まで、深くて乳首までの浅瀬だ。中洲からは深くなっていた。小石が先の見えない灰色の深さにまで敷き占められ、足を取られるとズズズーと引き込まれる感じだ。

よし、愛犬のジョン君のリード引っ張るがびくとも動かない。(ラブラドール、レッドリバー体重43キロ)急に愛犬の登場に訳などないが一緒に川を渡ろうとした。いくら引っ張っても動かないので川を引き返した。以上が三途の川の物語でした。

目を覚ましたら、病院のベットの上だった。お隣のベット方に話したら、私も兄が向こう岸でこっちに来るじゃないとすごい剣幕で怒るもので引き返したと話されていた。

冷静に見て、川の中を覗いた光景は幼い頃の体験。大きな建物はテネシー州のナッシュビル病院かもしれない。不思議な体験でもないようだ。

後日談、お医者から水泳を奨められたので、近くのスイミング倶楽部に見学に行った。プールの脇で見てると、みんなが歩いて迫ってきた。怖くて帰った。

 

(インターネットで)

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徳川5代将軍綱吉が「生類みの令」出した。

           そんな綱吉が身近にいた。  (連載ー134)

 子供が授からなかったので、占いだと、殺生はしないようにと釘をさされ、どんな生きものをも大切にしなければならない。と言われ、そこで綱吉は「生類みの令」を出したらしい。

 戌年だったので犬将軍とも言われた。人間にもお年寄りや子供を捨てないように言っていた。つまり生きものすべてを可愛がるように法律をだしたのだが天下の悪法だったのか?

 大地震も富士山の噴火、京都の大火と世間は荒廃していた。武士による切り捨て御免もこの当時に起こった。動物を過剰に保護して20年にわたり100回以上も発令された。

病気の息子の為にすずめの肝を食べさすのに、吹き矢でですずめを殺した父親は子供と一緒に処刑されたらしいがだんだんとエスカレートしていってのだろうか、させられたのか。

私も綱吉に似た身近な人に仕えていたが、よーく似ていた。糞真面目で世間知らずで信じるものには素直なところもあった。

機嫌のいい時を見て話さないとブチ切れる。苛立ちがわかると引かなければならない。そんな側用人の私がいた。

どんな方も人は亡くなられて、すぐ忘れられる。世は、はかないものだ。綱吉はバカ将軍だったのだろうか。50,60,70、は守りなんだろうと言われるが私には守るものさえない。

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ニューオーリンズ   (連載―133)

 今夜どこで食べよう

ニューオーリンズは3回目で、ミシシッピーの船着場近くの空き地で地図を広げて今夜どこで食べようかと思案中だった。こんなこと添乗員に任せておきたいのだがそうもいかない。

初老の夫婦が話しかけてきた、地元の方らしい。私もジェスチャー交じりの英語で何とか意思疎通ができた。

それだったら、あのレストランがいいと教えてくれた。人のよさそうなご夫婦のご紹介の店に向かった。外から見る限りでは客層も良さそうだし、雰囲気も良さそうだ。店内に入っても空気が良さそうだし予約した。

 皆も気に入ってくれたようだし酒もほどよく楽しくやっていた。

ところが、私の後ろに背後霊を感じた。恐ろしいから前のお客様に聞いたら女性が立っているという。

恐る恐る後ろを振り向くと品のいいご年配の女性が立っていた。

 日本人がこんなに話に興じ楽しく食事をしているのを初めてみる。と感激なさったようだ。私はてっきり叱られることと覚悟してたが女性の笑顔に酒もおいしくいただいた。

 

聖者の行進

 こんな風通しの馬小屋に寝泊まりしろと言われたら1時間で

死ぬだろう。かつて人が住んでいたところに見物に行った。

御葬式の時にレキシ―の明るい音楽が幸せの絶頂の曲をみんなで演奏しながら行進したとは私には信じられない。

みんないい人だった

 路面電車おり、みんなでお茶でも飲もうとあるレストランに入った。ドアをあけ、店内は薄暗かった。突然・突然、人が4,5人現れた。晴れていたので外にテーブルをセットしてくれた。美味しいコーヒーだった。

 プリザベイションホール

 Bourbon・stから少し路地を入ったところに鉄格子の窓に内は裸電球に長椅子と地べたにシートのようなものが敷いてあった馬小屋の雰囲気だ。

 私は、足を延ばして、5,6人の演奏を聴いた。バンジョープレイヤーが飴を食べていたので私にもくれた。

 演奏者の前にはチップの籠があった。演奏中だよ、それも演奏中だよ、リーダーとおぼしき人がチップを数えはじめて

今日のメンバー数に均等に分けている。こんなことってある。

私は、素晴らしい演奏と光景に魅せられた。

 

 

日劇ウエスタンカーニバル   (連載―132)

 何がウエスタンだよ! と思っていた。ロカビリーばかりでカントリーはやらないじゃないかよと思った。日本の音楽は西部劇のウエスタンからはじまり、カントリーといえば「ライフルと愛馬」のような曲だと思われていたのだろう。当初は、寺本圭一なども人気だったらしい。

カントリー、ジャズ、ロカビリー、特に新人の平尾昌晃、ミッキーカーチス、山下敬二郎らのロカビリー3人男は人気絶大だったらしい。エルビス・プレスリーも人気で、日本人の溜まりたまったアメリカンミュージックのオンパレードだったようだ。ロカビリーはのりがよくエネルギッシュで当時の女性に受けたのにちがいない。今のマリオンのところに日劇があった。一度中に入ったが狭い感じだった。

  アメリカに戦争に負けたのに憧れだったのだろう。私も銀座で38年間カントリーの店をやらしていただきました。一度、通リすがりの誰かに、また古いことやっていると聞こえた。

 カントリーは絶滅危惧種とまでは言わないが、どんなジャンヌにしろあぐらをかいていては消えていく。

スターをつくることだろう。昔、歌手から聞いたことが耳にのこっている。コピーだったら本物を聞けばいい。レコードでもいいといってのけた。どう思います?

 これは、カントリーじゃない。プレスリーも言われた。

何がカントリーかどう思います?

 また古いことやっていると言われた方がまだ生きておられたら、ぜひ聞いていただきたい私の人生を。

 

カントリーってゴルフ   (連載ー131)

 忘れもしない、銀座泰明小学校前のジローと言う喫茶店で原田実さんと宮城久彌さんとお会いした。

 カントリーをやりましょうって言うけど、ゴルフはそんなに上手くはないし運動神経も飛びぬけていい方じゃないし・・・

 そのカントリーじゃないらしい。アメリカの南部の白人の音楽らしい。そんな話からの始まりだった。私は和歌山の田舎村からパスポートもなく、今から50年前、大阪梅田から12時間も夜行列車にゆられて東京に来た。

 サラリーマンをやってた頃、姉の誘いで銀座に店をだした。話せば長くなるからやめよ。

 お二人のお名前は知らないが有名人のようだ。よし、アメリカに行ってみたくてはじめたようなものミュージックも耳ざわりもよかった。

 本場のテネシー州ナッシュビルに行くことにした。ベースマンの竹中祐史さんを誘った。グランドオールオプリに行ったが何が嬉しいのか竹中さんは、はしゃいでいた。

 その後、10回ほど行ったが竹さんの気持ちがわかった。随分、街も綺麗になったけど俺は怪しい街が好きだ。

 

 

人生楽ありゃ、苦もあるさ  (連載ー130)

私の小さな時、目をこすりながら、ハンコもらいたくて行った。ラジオから元気な声と音楽にのせてみんなでラジオ体操をした。夏休みの最後にノートやえんぴつをくれる。それが楽しみだった。

もう明るいひざしがさしていた。6時30分だ。ふと、ラジオのスイッチをひねったら♪あたらしい朝が来た、希望の朝がよろこびに胸をひらけ

大空あおげ・・・・とか懐かしい曲が流れてきた。

3年前、倒れて40年程姉と銀座で店をやっていた。止める時も店内をきれいに元のままの状態で家主に返さなければならない。なん百万もかけられないから深夜店が終わって自分で解体した。

人生楽ありゃ苦もあるさ、涙の後には虹も出る、歩いてゆくんだ しっかりと自分の道をふみしめて。どこかで聞いたある。

40前「もし私が外出していなかったら、母の話を聞き、自殺を思いとどまらせたかった」と悔やんでいた。遠い遠い田舎の母のことだった。

店をやっていると、天は私を試してくるのか、脳溢血や交通事故と何かと忙しい。今ごろ天国だと思うが天国でも楽はさせてくれないようだ。今回の新型コロナも読めない、みんな困っている。やせ我慢でもいいからみんなで喚こうよ。

悩んでもしょうがないみんな同じなんだから、いい格好しないでケセラセラなるようになるさ。こんな時面白いこと馬鹿げたことあったらメールして頂戴。聞くだけだケンドね

 

伊勢白石曳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深夜の我が家   (連載ー129)

 深夜トイレに行った、すると妻も下階のトイレに入る音がした。妻は胃の調子が良くないと薬を飲んでいた。そのままソファーをベット代わりに毛布をかけて寝ていた。テレビのスイッチを押すと山と雲と光の世界に引き込まれ、いつの間にか画面も変わり、モンゴルの世界一のレースに子供たちも参加するのだろう、馬の調教とかを広い広い草原でやつていた。

馬は力づくでやると走らない。馬と会話しながら共に走ってくれるようだ。大人は何も教えない。

モンゴルと言えば今から1500程前に2回に渡り、日本に襲撃に来たことを思い出した。鎌倉時代、元・高麗軍が対馬・壱岐を襲撃し、九州に上陸する。(文永の役)約4万

7年後、元・高麗軍に江南軍を加え再度襲来した。(弘安の役)約15万。

元は帆掛け船で来たので風をとらえる必要がある。日本では神風が吹いたと言われているが台風だろう。日本も平家と源氏の戦いでも、武士の力もつけてきたのだろう。幸い2回の襲撃にも打ち勝ち元を諦めさせた。今でも漁民の網に元の物と思わせるものがかかると言う。

ふと後ろから見る若いお嬢さんに気になり、昼間、らっきょうづくりに精を出していたのだろう部屋中、らっきょうのにおいだ。

足のふくらはぎをもんであげると寝たようだ。

 馬も人間も力づくでいうことをきかせても動いてはくれない。

そのことを言葉で言ってもわからない。

可愛い可愛い孫の嫁に、出来るだけ手をかけずに、目をはなすな。可愛い子には旅をさせろ。と言っている。親の愛情かもな。

 

(インターネットの画像)

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あうん  (連載―128) 

 もしもし、おはようーれわかつた? うんそうじゃないらしいよ。

なにあれなどと言うならボケっと生きているんじゃないよ!とね。よく死んだ姉に叱られた。

 「おはようございます。これからの子供たちが幸せな未来になるように、力を合わせて守っていきたいと思います。あと30年100歳目指して2050年までいきましょう! 子供が大きくなった姿を私たちと一緒に見届けていただけると嬉しいです。

 新型コロナが一日も早く終息してくれることを心から願います。。。」

これは、嫁からのメールです。

 来週から8ヶ月の我が子をあずけるというから、可愛い子には旅をさせなさい。私は68歳で成人するまで生きられないだろうがきっと大きく成長するだろう。と生意気にメールをしてあった。

 あうん」とは本当はこっちの方の意味なんだろう。若い嫁に教わった。

 

 

これは妻の手づくりです。(六地蔵)

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にわかジャーナリスト  (にわかシリーズ)  (連載―127)

 わーきれい! わー牛乳だ! わーイチゴだ!

私の2歳になる孫の言葉だ。イチゴ買ってこようというのだが、我が子に

甘いもの食べさせないように言われるのだが、わーイチゴだ!の言葉に感激してその気持ちを育ててやりたくてイチゴを買いたいのだが、孫の責任者に言われると従うしかない。

 孫が可愛いいのだが目に入れてもかわいがることはしていない。我が子にも嫁にも孫への愛情を注いでいることを言葉で表現している。長男と次男の夫婦にも孫にもそれぞれ愛情の言葉を意識的に変えている。愛情はすべて違いがあるから。これは差別でもない。

 ちょっと話が長くなるが、「宮武外骨」というお名前の方いた。これは本名です。と言うハンコも合ったらしい。私も「相台万朗」、これなんとお読みするんですかと聞かれる。

 「宮武外骨」は後に改名されたそうですが、89歳でお亡くなりになったようです。江戸時代から昭和とジャーナリストでトンチを売りに活躍した。何があったのか一人娘の死でぱったり世界から姿を消えた。奥様は早くに亡くされた。世の中は珍しい時はちやほやかまってくれるが、引きも早い。どう思います。

ある議員がある組織が発言力が強いから、その組織の応援の基盤をつぶした方がいいかなの一言で弱体化した。あとでその議員がちょっとやりすぎたな、笑って漏らしていた。どう思います。

 アメリカ人のチャップリンが昔、日本に来て帝国ホテルに宿泊した。時間差で免れた。どう思います。

ある知人の息子は難関のマスコミに入った。飲んでいてもどんな深夜でもでかけなければならない。これからもみにもまれて書くんだろう。どう思います。

ある新聞社の記者のOBが嘆く。現役の記者に記事の裏を取るようにと。 どう思います。

 

鳥濱トメ     (連載ー126)

昔々、鹿児島に知覧というところに、日本軍最大の特攻出撃基地があった。その知覧にトメさんの食堂があった。トメさんは436人の特攻隊員を見送られた。

終戦となり、まだ出撃されない残った隊員に掛けた言葉に「なぜ、生き残ったのか考えなさい。何かあなたに、しなければならないことがあって生かされたのだから。」  鳥濱トメ

私も、脳溢血になり意識不明にもなった。また交通事故で地球が爆発したかと思った。とっさに、神は、まだ私をお試しになられるのかと思った。

銀座で姉と40年程、店をやらせていただき姉は2年程前に死んだ。68歳になる私は生きる何かを見つけていた。

トメさんの言葉にズシン。生かされているんだろうとかっこよく生きたいがいろいろ後遺症もあるし、みんなに助けてもらって生きている。

 戦後、トメさんの食堂にアメリカ兵を預けられた。アメリカはあの子らの敵なのに、勝って誇りもしないまさしく特攻青年と同じだった。トメさんはお母さんだったのだろう。

知覧には親族などから送られてきたお金で石灯ろうがここかしこ立っているそうだが不足分はトメさんが負担したとか、こんな話もあったとさ。

(インターネットの画像)

 

トメ1トメ2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

にわか戦争体験者? (にわかシリーズ)     (連載―125)

  こんなものに閉じ込められるのは嫌だ! 私の感想。

コロナで家にいらっしゃる方に知って頂ければ幸いです。

亡くなられた前田武彦さんがもう少し戦争が延びていたら人間魚雷にのっていた。当時16歳だった彼が言っていた。もう覚悟は決めていたとも話しておられた。

潜水艦は海の中を深くもぐり、敵艦を見つけたら浅く浮上して、遠くから望遠鏡で距離とか敵艦の速さを計算して海の中から魚雷という爆発物を発射して敵の船を沈める。

小型特殊潜航艇・回天(天を回らし戦局を逆転させる)。私は人間魚雷と言っていた。潜水艦の甲板などに乗せ確実な方法で敵艦に爆弾を抱えて人間が一人か二人小型潜航艇に乗り、敵艦に体当たりをした。

私は戦後生まれの子供だったから話は聞いていた。何だって、中に入ったら外から鍵を閉められ中から開けられないだとそれじゃ死ぬしかないよね。恐ろしい、誰が考案したのかね?山口県、大分県、高知、和歌山と全国に基地があったようだ。

神風特攻隊もあった。飛行機に片道の燃料を入れて敵艦に体当たりできればいいか途中で大体撃ち落とされてしまう。

戦争が終わっていたが、鉄ものは高く売れた。こずかい稼ぎに集めて売った。日本も戦争体験者も私を含めほとんどいなくなっているが、世の中、戦争は黙って忍び寄って来るかもなあ。

(人間魚雷ってどんなものか写真がインターネットで見つけたから参考に)

回天2

 

 

 

 

にわか道路 (にわかシリーズ)  (連載―124)

1年じゅう厚化粧させられて、夏など熱くてたまらないし、冬は温いと思ったらひんやり冷たい。深呼吸したいのだが重くて腹呼吸もできやしない。

いつも靴やタイヤに踏みつけられ、たまにいいこともある。

 昔、銀座にいた頃、道路に段ボールを敷いて引きずって通り過ぎる初老の女性がいた。足の動きで胃陽が悪いだの性格までもわかると言っていた。ぱったりある足がみえなくなったと私に消息を聞く、どんなハイヒールで

何色のストッキング・・・? その方ね、亡くなられたみたいだよ。

 いらっしゃいませ!・・・・・・・ありがとうございました。

この人とはもうこの世で逢うのは最後かもしれない。「さようなら」と言うのも

おかしいし、初めて逢って、さようなら。と、じっと見つめることだってある。

 あーそうだ。「一期一会」 イチゴイチエと読むんだって。詳しくはわからないけど、井伊直弼が最初に使ったらしい。

 道路は私の和歌山の田舎へもつながっている。なんかあったら道路に聞く。ローラスケートでアスファルトで化粧した道を滑った時は感激した。

今は、水たまりの道は見ないけど、やっぱり、温もりのわかる薄化粧の道路がいいかな。

 

にわかコロナ革命  (にわかシリーズ) (連載―123)

運転できないし、明るい話題ないんだわ。ごめん!

革命とか言うと今どき、はやらないよね。何なの革命って遥か昔の出来事のようだ。

私も少し長く生きていると古さを感じさせられている。ゆるやかな革命と言えば明治維新だったと思う。知っているかな長州に(今の山口県)高杉晋作と言う人物がいた。彼は29歳で亡くなられて、薩長同盟も結ばれこれからと言う時にこの世を去られた。欧米がアジア各所を植民地支配の中に、ならば長州一国論も唱え未来を見据えておられた。

コロナ革命とか物騒な響きだが、起きていることは革命のようだ。懸命に難局を乗り越えようと知恵をしぼり、応援していらっしゃる人達に感謝したい。私も銀座から3年程前に去った。その当時のお客様からよかったねえ!とのメールをいただくがもし今もやっていたらと思うとあと一ケ月が限度だろう。それも多額の借金を抱えていただろう。

私は68歳の高齢者らしいが、パソコン、スマホをいかに使いこなせるか年齢に関係なく格差が広がっている。革命は人の犠牲でもあったが、コロナ革命も人の犠牲を背負っている。

人間の英知でコロナも終息されることだろうが、もう時代は変わっているに違いない。テレワークもやってみる価値がある。会社は高い家賃を払わなくても通勤費を払わなくてもその分社員に還元したほうが、やる気が出るかも。

コロナ革命は人間への優しさの警鐘であったり、孤独への警鐘かもしれない。家族ってなんだろう。

今、吉報がはいった、子供たちが私にランニングマシーンを買ってくれたようだ。

 

にわか宗教家  (連載ー122)  

どなたかこの子を助けてください。死んだ我が子を生まれかわらしてくださいと死んだ子を抱いて町中を歩いていた。

わかりました、私がなおしてあげましょう。ケシをもらっておいで、ただし、一度も死人を出したことのない家のものでなくてはならない。とある人がいった。女は,一軒一軒、町中探しても一度も死人を出したことのない家など何処にも見つかりません。わが子だけは死なないと思っていたが私の過ちでした。

ある人が言いました。生きてる子も尊いし、死んだ子も尊いものなんだと死は、生きるものの定めと、切々と説いた。

若いと元気よく病気など関係ないし、私だけは大丈夫と思いがちだが、若いと老いることはないと思うし、老いてみて死を知る。当たり前のことだがそれがわかれば私も苦労はしなかった。 中学の頃、近視の友人があんな大きい字が見えないなんてバカにしてたが、実際、自分が近視になったとき友人を理解できた。

手を合せただけで成仏できたらと思ったが、苦行して生死の境を見ないと己を見出せないと思っていたが、ギターの弦をきつく締めると切れてしまう。緩いと音がボケていい音に聞こえない。コロナは天がくれた試練だが、あっという間に 人間をも経済をも、もろくも変えようとしている。いづれこんな世界がくることはわかっていた。まさか!

3密はコロナの世界だけで終わって欲しい。早くの収束をねがっている。

 

にわか歴史学者  (連載―121)  

人類の誕生は400万年前と聞かされてきたが、何も変わっていない気がする。歴史は繰り返されるとも言われているから、60歳になって初めて旧石器時代から縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安・・・令和。と年号は勘弁してしてもらって、流れを見させていただいた。

 受験には関係ないから、研究者の主張と年表が合致しないことや、GHQ の影響で書き直されたりされた箇所があると言われればそうかなと自分を納得する部分もあった。こんなことを言える時代でよかった。

 一番苦手な歴史を学ぶのは一苦労だ。素直な頭は、なんの疑いもなく学んだ。68歳にもなって、恥ずかしながら、中学生の歴史の初歩から学んでいる。浮気心があるのか一つのものに集中しないこともあったが何とかわかって来た。

 日本の、世界の流れもわかってきたら面白くなってきた。ルーズベルト、スターリン、チャーチル、第二次大戦あと、世界は3人によって決められたらしい。今回のコロナウイルスは人間世界を根本的にかえていくだろう。歴史は繰り返されると言われてきたが、まったく新しい歴史がつくられるかもしれない。ウイルスによって人間が滅ぼされる想像もしなかった出来事のように、にわか歴史学者は思っている。

 

あんたはえらい   (連載ー120) 

  私の通っている病院のリハビリの先生に上沼さんとおっしゃるお人が要る。コロナで今は休んでいる私だが、ある知事が上沼恵美子さんから多額の御寄付を頂きましたと発表した。あの上沼さんだとは思わなかったが、最近、お料理番組でちょこっと太り気味だが、とっさに「あんたはえらい」とおもった。

 日本では、寄付の習慣がないから何言われるか反応を見たかったが、その後、何もおこらなかった。日本には金持ちはいないんだろうと思っていたが、私の金持ちの意味はこんな時に世の助けになれることができることだと思っている。私も脳溢血でコロナは怖い、身近に迫っているが予感がする。

早い収束を願っているが、晴れたあかつきには新しい人に出会えるから希望を持っている。

 出世しようが別荘を持とうが何の自慢にもならない。

何言われようが上沼恵美子さん「あんたはえらい」と感じた。

 

平 将門は平家なの?  (連載―119)    

1年前から、思っていて怠け者だから面倒だった。

平安時代も400年も長き時代、天皇と貴族と武士が入り乱れてややこしんだわ。鎌倉幕府を作った源頼朝が平家との戦いで参加してると思ったら、弟の義経が戦いの天才で頼朝が政治の天才とも知らず、弟を東北の平泉まで追って殺した。兄は平家との戦いに参加してなかった。このことを知ると弟に感謝してもいいのだが権力はそれさえも呑んでしまう。

後に、本人は落馬で亡くなる。妻の政子は北条家から来た。2回の蒙古の襲来に神風が吹いて追い払ったと言われるが、武士の力もついてきたからだろう。

 平安時代は東北が日本じゃなかった時代、平将門はどの位置にいたのか京の都からはあまりにも遠過ぎる。

平家源家のルーツ

 

 

  ケセラセラ  (連載―118)   

3年程前に銀座で店をやっていて、大病してやむなく閉店したのがよかったのか、その当時のお客様からメールを頂く。今となって閉店したのがタイミングがよかったのだろうがその当時涙も流した。

人の幸せはもろいものだ。世界は電化でIT化され便利にできている。人間の知恵もごくわずかな人に握られ幸せそうだ。

68歳の私に、まさか子供に言われたくないが昨年、海外に行った娘から呑気だと。外から日本を見ることが出来てわかったのだろう。

今回のコロナウイルスで今さら密接に人と向き合うのは良くないと言われなくても以前から実行しているのに。

私も店をやっていたら、すぐ何千万の借金だろう。ワクチンを待つまでもない。生きていたら、なんとかなるケセラセラだ。私は2回死にかけたがそのころの嫌な気持ちが今、生きる支えになっている。

 妻がいれば妻の為に生きるんだよ。ストレスとか口にだすもんじゃない。

守られるものは何倍も貴方を守ろうとしている。口には出さないけどね。

 

 

忖度と損得  (連載ー117)  

ソンタクとソントクの読み方が似ていることが気がかりで夜も寝られなかった。両者に「勘定」をつけても不自然ではない。

忖度の意味をインターネットで調べたら、すでに中国の古典『詩経』に使用されており、平安時代の『菅家後集』などにも存在が確認されている。明治期にも使用例があるが、しかし、この頃には、単に人の心を推測するという程度の意味しかなく、相手の気を配って何か行動するという意味合いはなかったという。

 いっぽう、損得の意味は、自分にとって損であるか得であるかを打算的判断するさま。利害指標として物事考えること。 と書いてあった。

 私も簿記を習ってきたので、両者に「勘定」をつけてみると忖度勘定、損得勘定とつけてみても内容はかわらないようだ。商売もそうだけど売上があれば現金が増える、仕入れがあれば現金が減る。貸借、車の両輪のごとく一致する。その売上と仕入の差額が利益だ。 この利益を生むために人は苦労する。

テレビショッピングでも5万円の物が3万になり、そこから更に1万円値引きした。私の見方は1万円で売ってもテレビ局への手数料や人件費払っても、まだ儲かっている。薄利多売なんだろうが、じゃー原価はいくらなんだろう。

 余計なお世話じゃー、ほっといて。

忖度の意味合いが明治期と違ってくるのは何故なのか考えてみたい。 

ソンタクとソントクの読み方が似ていることが気がかりで夜も寝られなかった。両者に「勘定」をつけても不自然ではない。

忖度の意味をインターネットで調べたら、すでに中国の古典『詩経』に使用されており、平安時代の『菅家後集』などにも存在が確認されている。明治期にも使用例があるが、しかし、この頃には、単に人の心を推測するという程度の意味しかなく、相手の気を配って何か行動するという意味合いはなかったという。

 いっぽう、損得の意味は、自分にとって損であるか得であるかを打算的判断するさま。利害指標として物事考えること。 と書いてあった。

 私も簿記を習ってきたので、両者に「勘定」をつけてみると忖度勘定、損得勘定とつけてみても内容はかわらないようだ。商売もそうだけど売上があれば現金が増える、仕入れがあれば現金が減る。貸借、車の両輪のごとく一致する。その売上と仕入の差額が利益だ。 この利益を生むために人は苦労する。

テレビショッピングでも5万円の物が3万になり、そこから更に1万円値引きした。私の見方は1万円で売ってもテレビ局への手数料や人件費払っても、まだ儲かっている。薄利多売なんだろうが、じゃー原価はいくらなんだろう。

 余計なお世話じゃー、ほっといて。

忖度の意味合いが明治期と違ってくるのは何故なのか考えてみたい。 

 

損得勘定

 

おうち時間  (連載―116)    

妻と二人だけの我が家、私はいつもStay home の時間だ。

コロナの影響で病院のリハビリは休みだ。

朝、4時に目を覚まして約30分ほどYoutubuで英会話の時間だ。

30分ほどパソコンの画面を見乍ら、流し英会話でやっています。

 その後、またYoutubuで一時間ほど歴史を見ています。何だか朝の時間をすごしています。

 脳溢血をやりまして、まったく歩けなかったのがルームランナーを買って歩く練習をしていたら、急に杖を突いて歩けるようになりました。ある時、車椅子で施設に行った時、帰り際に「お大事に」と言われた。のを機に車椅子を止めて、一人で歩けるようにリハビリをした。

英会話も歴史も同じことだと思っている。いまだに、後遺症がでることは、直る可能性があるということだ。症状が固まっていない証拠だ。先日、市のバスで駅まで一人で行ってみた。近くのバス停まで行くのに、二回も転びながらたどり着いた。自分でも不安だったがバスに乗れた。帰り、駅のバス停で待っていたら、初老の女性に声をかけられた。どうしたんですか?大丈夫。

脳溢血ね、あなたは良い方よ寝たきりの方が多いのよ。そんなこと言われるもんだからシャキッとバスに乗った。

 街に出るといろんなことを感じる。私のおうち時間はフリータイムに出来るのだが一時間単位で計画している。私の住む地域の人を集い寄合に貢献したい。コロナで計画も狂った。将来現役で地域の人に夢を見せたい。2,3日前から生き方も変えたし、おうち時間も変るだろう。

 

ぷんぷん・・・カレ-うどん (連載ー115)  

無駄な仕事してると、2階にある私の引き篭もりの部屋に階下からいい匂いがぷんぷん上ってくる。この匂いはおそらく我が家だ。

トントン・・・生き仏様にお供えです。

よかった、我が家で。カレーうどんダ。3人の子供が幼い頃、下校途中にぷんぷんいい匂いがしたらしい。帰るなりよかったこの匂いうちで、その気持ちもわかるような気がした。

おふくろの匂って大事だね。私の場合、家庭の匂い。仏様はお線香が匂い、いやカレーの匂いだろう。

脳溢血を心配してか、お茶がたっぷり付いてくる。ご馳走さまでした。

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「とまと」ハクショ  ん  (連載―114)  

我が家のちっぽけな花壇にトマトの苗植えたんだ。

プチトマトの苗と土を買ってきて、去年の土を入れ替えて、今年も孫とトマト狩りだ。わ―綺麗!って言ってもらいたい。それが聴きたくて妻と恒例のイベントだ。

 ふつう、手で取るのだが孫は口から先に食べる。手を使わない変わっている。茂みの中に頭を突っ込んで食べている。時には血を流している、どう思います?

 大人になって結婚式の時、うちの孫はかわってますので気ながく、みてやってくださいと言わなくてはならないかも。ワイワイガヤガヤそんな式がいいとも、ところで今から結婚式の心配している私だが、今年のトマト狩りも楽しみだよーん! 近くで見ている紫陽花の花が咲き誇ってからだ。

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「あうん」の呼吸  (連載―113)   

気の合ってる者同士が長年やっていると察してか次に何をしたいかわかるものだ。最近の忖度とは違う。

「あ」イウエオ、(いっさいの始まりを表す)   

ワ「うん」(いっさいの終わりを意味する)

 

つーカーとにている。昔、小津安二郎映画監督の作品に「あうん」の呼吸の映画を確かみた覚えがある。世の中,生活のための忖度は幅をきかせているが、「あうん」の呼吸を感じるコンビが出てきてほしい。

  仏様も、昔は、穏やかな目つきをしていたと思ったが、目をひんむいて鋭いまなだしで怖い。これは今昔かわっていない。人の世もかわっていないのだろう。

[a]unn

注:写真はYOUTUBUから

花  (連載―112〉  
じっと見てると花って綺麗だし、素直だ。こんな気分になったのは50年ぶりのような気がする。68歳になり、スマホを首にかけ早朝,はいながらふら付く身体を整えて、シャッターを切った。スマホってお利口さんなんだね、名前も知らなかった花も教えてくれる。
 けがれた心も清められる。朝から美人に会い恋をした。顔を真近によると花は無理して好きと赤ら顔だ。早起きは一文の得ってこのことか。
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一枚の少女の写真から  (連載ー111)  

不思議なめぐりあわせもあるもんだ。

頭の中の時代は、今の時代と少し前の時代とを分けて考えていた。今の時代は現代人に、少し前の時代からさかのぼる時代は私の冥途のみやげに持ってこいだ。

 突然、少女が弟を背負ったセピア色の写真をみた。古い写真と無視すればいいのに少女の笑顔が私のスケベ心に火をつけた。長崎原爆投下後にアメリカのカメラマンが撮った一枚の写真だ。少女のその後を知りたかった。一枚の写真といえば、少女が死んだ弟を背負った写真も気にかかる。

 へー!B29が鹿児島上空で味方と合流する筈が1時間待っても来ないから小倉に向かった。小倉の上空は雲がかかっていたので長崎に向かったようだ。これも一枚の写真からの情報だ。

よかった。少女はご健在でもう70歳後半らしい。ある若いレポーターと、ある教会であった。

腰は曲り、まだ少女の面影には期待していなかったがそこかしこ残っていた。よく生きていらしたレポーターも涙につつまれ膝を折り手を握っていた。

人に歴史あり、波乱万丈の人生を知らないと涙も出やしない。私も古代から近代史を学んで、ようやくからだが繋がった気がする。この世に知らないことが無数にある。せっかくこの世に生まれたのだから冥途のみやげに勧めたい。時代時代の人の考えを知ることで今の人を知ることができる。面倒だろうね興味がなければスルーしよう。

別れは幸せであればいい   (連載―110)  

私がこの世に生まれ、あなたとはそんなに時代が違わないと思うのだが私が油であなたが水をつくってしまったようだ。「仰げば尊し我が師の恩」今は教室に教壇もなく、師の意味さえもわからない。昔は、と来ると油の出番だ。つい比較するんだよな。と水は言う。

文部省が何年か前に意味をなさないものを整理したという。今は平等で先生と生徒の区別もないと言う。あのさ先生さ。昔だとぶん殴られていただろう。

子供は純粋だ.師の言うことを聞く。だから先生になられる方はいい先生であって欲しい。私の希望だ。今はいろいろあって先生方も大変だ。

時代はかわった。変わらないと生きていけないのだろう。マスコミは一部を取り上げて問題にしているが大衆もおもしろおかしく楽しんでいる。

 時代は油と水のように境がはっきりわかるものと気づいた。

私が小3の時、友人と騒いで机を壊してしまった。それを先生が刻々と机の生い立ちを話していただいた。今から村中一軒一軒まわって謝ってきなさいと言われた。いくら村だと言っても、今からだと明日一日はかかるだろうと思った。先生に何とか許していただこうと反省した。結局、廊下に立たされた。女性の先生だったが、今でもお名前を憶えているし、その時、先生の「机の生い立ち」のお話はしっかと覚えている。

今の世は、誰も悪くもないし便利にできている。スマホは私の未来のものと思っていたが、子供らに教えられ便利を楽しんでいる。

私がこの世を去る時、みんな夢があるか、みんな未来があるか、みんな幸せであって欲しい。

いつの世も誰もが耐えて生きている。

 

令和維新(連載―109)  

誰もが変化を嫌がる。今がどおってなく幸せなら、変化を起こす必要もない。あえて、無駄なことは避けようとするのが常のようだしごもっともだ。

平和難民、平和ボケ、日本人はどこへいってしまった。とよく聞いたが考えても仕方ないし明治維新のように坂本龍馬のような人物が出てきたら受けるだろうが長続きはしないだろう。

坂本龍馬は土佐藩を脱藩し、坂本家はとりつぶし、姉は責任をとる形で自決した。そんな危険をおかしてこの平和な世の中に誰がいるものか。

そんな世を見てか天は今回のように新型コロナウイルスで人を試される。人の命と経済、どちらが優先されるのか。いづれを選択しても人の命に係わってくるだろう。タイムラグはあるようだ。

コロナウイルスの薬もワクチンも開発されるだろうが、様々な人の心の変化や働き方の変化を短い時間だが生んでいる。2040年までは人は生きられるだろうがその後はないだろうと、もちろん私などこの世にはいない。心配していたが人は考えるだろうと思っていたが天が先にしかけてこられた。

難題だらけ、はやく、2021の世を見たいものだ。

 

人間ドラマと「武士道」  (連載ー108)  

私は戦後26年生まれの世間で言われている高齢者になっている。お亡くなりになった野村勝也さんの、昔、広島が優勝した江夏豊投手の21球のDVDを拝見し解説などを拝聴していると一球一球に意味があることを知った。

最近、プロ野球をみていないのだが野村勝也さんのデータ野球はあくまでもデータはデータにすぎないと思っていた私が甘かった。あの体の開き具合の見逃し方に次の球を予想をしていた。

そうだよな、プロの球の速さは信じられない。昔、草野球をやっていた頃、プロ野球の無名のテスト生だった方が遊びに来た。私が監督だったから、偉そうに彼に投げさせたら、球がのけぞって

バックネットに突き刺した。捕手が危ないので一球で交代した。

 プロの投手の球をよまないと打てないだろう。と身をもって実感した。みんな役者じゃ、江夏が投げているのにブルペンでは次の投手の投球練習

をベンチが見せつける。投手のプライドが傷つく、それを知ってか一塁手の衣笠が投手に駆け寄る。まさしく、人間ドラマだ。

 今回の、コロナは人命に係わり多くの方々が犠牲のなられている。他人事でないない。私が銀座で店をやっていたら。子供が1ヵ月結婚式が遅れていたら。私の人生が大きく変わっていたし子供らも変わっていたろう。

子供に言っている。家族(おまえ・妻・子供)を守るのはお前の責任。大きくなって(妻・子供たち)を守るのはもちろんお前の役割だ。ストレスなどと甘いこと言っていないで短い人生の肥やしと考えなさいともちろん己にも言い聞かせている。

 もう、みんなお亡くなりになったが大林宜彦監督が言われていた現在人は平和難民とか司馬遼太郎さんは日本人はどうしてこんな風になってしまったとかいっておられたが、ご高齢な方々も近頃の若いものは。とよく聞くがあまり聞いていてきもちいいものでもない。

 自分たちがそういう世界を結果的に作って来たのであるから、わかる言葉でわかり易く話すことかもしれない。

 例えば、よくつかわれ「武士道」なる言葉に。

武士さえも知らない人に、私も合ったことないが、武士が二本差しで長い刀と短い刀が2本脇に差しているが長い刀で人を切ると、その責任をとるために短い刀で自分の腹を切るように武士は2本差しをしているという。

 武士の始まりは、弥生時代に人が米をつくり定住し出して、いくつかの集落ができた。集落をおおきくするには他の集落と争って分捕らねばならない。自分の集落を守ることと戦うことに武士が出来た。

 平安時代の終わりごろ天皇家の平清盛と源頼朝らの骨肉の争いで武士が台頭してきて諸大名の国盗り合戦がおき戦国時代が長く武士の役目も江戸時代まで続いた。

 武士は働きによって領地を広めていった。鎌倉幕府は武士にてがらとしての領地がなかったから滅びたともいわれている。

 それが嫌で、織田信長、豊臣秀吉は、千利休をつかって茶の会などを開いて領地に変わるものを見出したと聞く。

 

ながれやま

コロナウイルスの一刻も早い

収束されることを願っています。  (連載―107)

 

                       

いい時も、悪い時もうまくいかないね。私も商売やっていましたから、家賃払わないと追い出されるし、従業員も家族だし、売り上げがストップするとすべてストップだ。

 商売ってするもんじゃない、休まる時などない。だけど、いい時もあるでしょう。と言われるがいつも心との葛藤で初心に戻すバネを鍛えておかなくてはならない。人を待つだけだと、今回のコロナの問題は直撃される。

 人の命に係わることだけに重大だ。私も10年前に脳溢血や交通事故で2度死にましたが妻の助けで商売を諦めずきりもりしてきましたが、今振り返れば諦めなかったことかもしれません。リハビリしていると私より若くてひどい方がおられた。上には上ときりがない。なるようになるさ。ケセラセラと言う気持ちも重要だ。悪かったわね俺はB型だよ。

 

時には昔の話をしよう。  (連載ー106)    

加藤登紀子さんの曲に「時には昔の話を」って聞いた。

私は、戦後26年生まれ。子供が40歳になる。ある時、子供の車からMy Wayが流れた。しかもディズニーの映像に挿入されていた。

 私は何気なく口ずさんでいると、お父さんこの曲知っているのすごい!

突然、褒められてもこの曲は小さい時からフランク・シナトラで聞いて、日本では布施明もよく歌っていた。

最近、私は歴史にハマってしまって面白い。歴史は暗記するものだと思って興味がなかった。飛鳥時代の聖徳太子から昭和の時代まで、人を見てきたが昔の人の方が興味がわく。なぜなんだろう。

「昔の話をしようよ」って言ってもどこまで坂上ればいいのだろう。さかのぼり過ぎて相手が頭をかしげていることだってある。

古い人はもういいから、新しい者にまかせてほしい。売り言葉に買い言葉のようだが、確かに私もそう思う時がある。昔のしがらみをしらなかったら、今すぐにでも何のわだかまりもなく握手できるのに、もう古い人は見ててほしいという叫びも理解できる。

 深夜、ラジオのスイッチをひねったら、4月10日に亡くなられた映画監督、大林宜彦さんのお声がしたので聞かせて頂いた。昨日は月に一度の診察の日で疲れて10時前には床に就いた。ラジオをつけっぱなしで寝たらしく、11時の時報を聞いた。まだこんな時間だとラジオのスイッチを消した。トイレに行こうと思って目をさましたのが深夜2時だつた。

 私は戦後26年生まれだ。自分では若いつもりが、巷ではオジジらしい。人間大林監督、ふところの深い方のように思われるが現代人は平和難民だ。

そんなこと言うもんだから現代人の私は目を覚ました。司馬遼太郎さんも日本人は消えた。ようなことを言われていたが本当に難民かなと言われたら夜も寝られない。

 私は、戦争は知らないのに新型コロナは戦争のような気がする。戦争は戦う目標の相手がいるが見えない。私の一人娘が、去年まで難民で日本に居たが、今はタイに行っている。お父さん甘いねだと私を説教をする。

 ある国の大統領がコロナで言うこと聞かない連中は射殺する。と豪語していたがこれも怖い気がする。

歴史を見ているとこんな時戦争が起きる。招集令状、昔は赤紙が夜静かに届けられるかもしれない。まさかだろうね。

人は今、即席につくられるものでもないし、過去の積み重ねから成り立っている。面倒だけど仕方がない。人類が2000年のあゆみだとすれば2000年の時の重みをおのおのが背負っている。古いも、新しいも、境は互いを事を知らないからだろう。

ステイと言う簡単だと思う英語が、日本人なんだからわかる言葉で話してほしいと怒る方もいる。

 

奈良公園の鹿  (連載ー105)  

 小学校の修学旅行で奈良に行った。猿沢の池、東大寺、春日大社には行ったがほとんど覚えていない。宿の布団とまくら、めし、窓から見える猿沢の池のような景色を微かに浮かぶ。

 大阪、奈良、京都をバス旅行だ。あ!奈良公園には鹿に餌をやったなあ。7年後、山猿が東京に来て、毎日がお祭り騒ぎで人混みの中で暮らして来た。東京に来て8年後に使い慣れた枕一つで妻と結婚してくれた。3人の子供たちと車で奈良経由で和歌山の田舎に向かった。

 猿沢の池に修学旅行の痕跡を見つけ出そうとしたが思い出せなかった。

おとうさん助けて―!あたりを見渡したら、子供たちが鹿に囲まれて、手には餌をもっていた。

 68歳の私は奈良の鹿はなぜ大事にされるのか?大うつけ者が知った。

春日大社の神様が、茨城県にある鹿島神宮の祭神が鹿に乗って来たと伝えられる。つまり、鹿は神の使い、それゆえ古くから手厚く保護されてきた。

 広島の厳島神社にも鹿がいるが関係ないという、鹿と神についての面白い話だ。68歳にして知った常識にまた一つ賢くなった。

 

死んだ兄からマスクの配達 (連載―104)  

ピンポーン! ハイ、どなたですか?

ゆうパックです。

 2ケースに、マスク100枚入っていた。宛名を見ると確かに私宛であり、死んだ兄からである。昨年、兄が死んだのに、兄が心配して天国から送ってくれたのだろうと喜んだ。みんな空色で綺麗だ。

 なんの疑問もなく収めた。夜になり妻にみせたら、妻も大事に兄からの贈り物と喜んで慎重に宛名のラベルをはずしていた。兄の名前を破かないようにである。昨日、姉が遠くまでマスクを買いに行くのだけどマスクが必要かどうか問い合わせがあったらしい。それで注文したのね。

 お姉さまがご主人の名前で送ってくれたらしい。死んだお兄さんもコロナウイルスが心配で天国でもいてもたってもいられない思いなんだろう。

兄の方角に手を合せた。

 テレビでも密接を避けるため、テレビ電話で対処しいたがどこかお葬式のようだ。外出できそうもないのでPCでも工夫して人と人との結びつきを取ろうとしている。AIがすべて人間をコントロールされる前に人間が自ら考える蘆でありたい。これが本来の人間の姿のような気がする。

 産業革命でAIでウイルスで異常気象で人間は試されている。ほとぼりが冷めれば経済優先で人間が試される。一刻も早く収束してもらいたいが人間が人間を必要としている。人間が人間を思いやる世界ってすばらしい。

 不自然だね。夜も寝ないで命がけで奮闘している方々のことを思うと何も言えない。

 

がん告知-余命は今月末だって。  (連載ー103)  

彼と週に一度は逢っていた。それも好きな歌手の追っかけである。

その歌手が歌う前には必ず~ちゃーんと掛け声をかける。

もう初老なのに追っかけらしい。冗談のつもりで見ていた。

 ある日、彼から打ち明けられた、実は大腸がんで余命がないという。

その余命は何時と医者から言われたと聞きなおしたら、今月と聞いた。

それにしても、彼には悲壮感を感じられなかった。

 彼は最初、便に血が混ぜったので、てっきりいつもの痔のせいと判断したらしい。

 もうあなたも余命がないのだから、好きな彼女のピアノ演奏で歌でも唄ってみるか?と持ち掛けたらのるきだ。私は前々から彼の声をかっていた。どうせ死ぬんだから私と命の契約を交そう。来年1年後に生きていたら契約の更新しよう。2,3、日後に実印を持ってくるように。

 なんと、彼の歌声は思いのほか素晴らしかった。この何年は何だったの、人の歌を聞くばかりだった。1年が経ち、更新も済ませた。2年も過ぎまだ生きていた。私の方がおかしくなってきたようだ。

 お見舞にも行ったが古い病院で病室も暗かった。本当に彼は彼女が好きそうだ。誰かが言っていた、人も好き好きだと。失礼なことを言われる方もいる。これも人も好き好きなんだろう。

 25年程前からのおっかけの実績がある。どういうわけか彼女の本心を彼が知った。彼も顔には出さないが落胆しているようにみえた。

 心配で病院に連絡したが彼は留守だった。個人情報の壁もあり、義理の弟ですがと話したら多少は話してくれた。癌の方も思わしくなく、今日から外出禁止だそうだ。

 彼は病院を黙って抜け出し、住いのビルの最上階から鳥になったらしい。義理のお姉さまからご連絡を頂きご遺体を引き取るらしい。

余計なことだが、兄ィ、兄ィ・・・といってくれていたので自分の事のように捉えていた。彼の余命を気にすることなく歌は奇跡を呼び起してくれた。

 

 彼がよく歌われていた曲だ。

朝日のあたる家(アニマルズ)

 

 

人生100年時代って   (連載ー102)  

 目がうつろで、こんにちわ!と言っても無反応。あれここは地球だよね。と思うほどの空間だった。ある施設に行った時のこと、「ここから出してください」と言われても。 ある時、車椅子だった私にお大事に、この一言が私を歩けるようにしてくれたこともあった。

「90歳何がめでたい」という本もある作家が書いておられたが、100歳の人が、かぞえるほどいなかったのに今は何万人もいるという。退職して、いい施設に入ることが目標なのか、この人たちから世間の愚痴をよく聞く。愚痴は愚痴で終わる。この方たちにも幼稚園の時もあったのだろう老人で産まれてくる筈もないが頭を整理しなおす時もある。そんなことほざいてる老人が私です。

最近、あの人がと思う方が何人かお亡くなりになった。「はかない」実に、はかない。たかが生きて100年、何を残せるか何をするのかと哲学的に考えた末、流山に住んで32年目、偶然でもなかろう私の故郷になっている。 お近くの奥様が倒れられたと聞いた時、好きだった歌を引き継ぎこの地域に広げようと思った。人生持ちつ持たれず、お互い手を取り合って流山・歌の森を6月から始める予定です。

脳溢血の後遺症だろうか指が自由に動かないのでリハビリしています。

人生100年って来ても気がつかないからいいのか。

カラオケって人間をダメにするのか、音程とリズムはさすが機械だから優秀だ。テレビ番組でも予算もあるだろうからカラオケですませたい。

 判定も機械がやってくれる。昨夜、気づいたのだが舞台美術とかセットとか照明に力点を置かれているから,音楽に肝心の演奏者がいない。

 だから、生の醍醐味が伝わってこない。譜面も揃えないといけないし大変だ。何万人の中から選ばれてもデビューさせたら下手くそなうたいてだったり、ガッカリだ。カラオケは素人でいい。歌もおしゃべりも人に歴史ありで生き様のようだ。

 

弱肉強食    (連載ー101)   

アフリカのジャングルの映像を見てると、弱肉強食が当たり前の世界でその日の食べ物にあえ付けないとお腹が空いてたまらない。肉食の動物は誰かを殺してその肉を生きるために食べている。

その日の肉にあえつけないことを考えて食いだめもする。子供がいれば子供の肉も確保しなくてならない。

 馬が出産したら、すぐ、仔馬を立たせて歩かせ走らせる。そうしないと敵に食べられてしまう。

人間も動物の一種だったのだろう。(反対!

子供は残酷だ、平気な顔をして残酷なことをいう。今でいう「いじめ」のようだ。同じ仲間の友達に会っていれば楽しいし安心する。ワルは、縄張りをひろげるために仲間を一人でも入れようとする。グループができれば親分ができる。また、親分同士が争う。

「人の不幸は蜜の味」と私も思うことがあるが、他人の成功話を聞いたって興味がない。私も野生動物なのかね。

 弱肉強食は今に始まったことでもない。生きとし生き物はすべて、生きるための、生活のためなんだろうと思ったところだ。

 世の中は、何かが具体的に発生しないと動かないし追及もしない。いじめは動物の世界では必要なんだろう。生きていくために親の先生の同じ集団のメンツもあり、自分への証明なんだろうか、成長していく上で必要なんだろう。いつまで経ってもなくならない。少年期には「いじめ」といい、大人になると、パワハラ、セクハラ、とか変わってくる。

 人間も動物である以上弱肉強食なんだろう。

 

母の死   (連載ー100)  

なんだか昔の話をしたってすいません。少しでも話のネタになればいいのだが余計なお世話かもしれないけど時代遅れだね。

スマホ、スマホっていうから、私もガラケーから今年変えたんだ。

なんと便利なこと、妻はその都度聞きに来るが、お互い目も悪くなり字を拡大しても見えない。スマホも人との交流のネタにしている。

40年前、自宅の電話が鳴った。田舎の親父からだ。母危篤の電話。

急ぎ母の居る病院に飛び込んだ。集中治療室で母に会った。意識は殆どなかった。かろうじて私の叫びは聞きとれたらしく手を握り返してくれた。

おふくろが病院で生死の境をさまよっていた時、よしお袋が生きる力があるなら助けていただこう。

昼でも木々で薄暗い小高い山の上のお薬師様、その薬師堂の裏手には昔のお墓があった。お化けでも出てきそうな怖い場所だ。

私の肩を背後からトントンと叩かれたような気がする。お線香に火をつけた。お線香の焚くことによって煙、香りを仏様が食べるのだ。とおばあちゃんが話していた。おばあちゃんの傍で耳から覚えた般若心経だけを頼りに手を合わせた。人って覚悟を決めれば、ひとり暗闇でもいられる。

その場に1時間はいたか。山を下り田舎の実家に帰ったら、親父からおふくろが死んだと聞かされた。成仏したことを悟った。

追伸

人は別れの時、手を振るのは、相手の魂を袖に引き寄せる。と聞いた。

 

「銀座」って   (連載ー99)   

もう銀座から引き揚げてきて4年になるか姉と40年程店をやらしていただきました。姉が2度目の脳梗塞を私が脳溢血になり仕方なく閉店しました。2店舗をたたむにあたり姉とは葛藤もありましたがけじめをつけました。

家康が、当時は未開の地で貧しい漁村だった所を自分の領地の首府たるに相応しい都市にしょうと大改造をした。太田道灌が作った江戸城の北側の小高い山(駿河台)を切り崩して海だった銀座を埋め立てた。

1612年徳川家の本拠地・駿府(静岡市)に置かれていた幕府の銀貨鋳造所を銀座に移した。「銀座」の誕生である。銀座は京都をモデルに網の目のように街なみをつくられた。

歴史が物語る、再三の大火、戦後の進駐軍の進行など、銀座は文明開化の象徴として街づくりをしていった。

 喧嘩と火事は江戸の華と言われたが火事が多かったようだ。あ! それで煉瓦造りの建物が多かったのか。耐震化のため煉瓦造りも壊され銀座の街の建物も変わった。

品格ある銀座人の心、立ち振る舞いは即席では出来ない。日本人の心や文化を培うところでもあり、決して失ってはならない心の街だ。柳と屋台が懐かしい。今は、見守るしかないようだ。

 

左利きは正しいか?  (連載ー98)   

ハンタイ! 

お茶碗は左手、箸は右手。

今、こんなこと言ったら笑われるのか。

♪私の私の彼は~左利き   (昭和のアイドル歌手が唄っていた)

 

最近テレビを見ててもう若者でもないレポーターがお茶碗を持つ手が右手。お箸を左手で持ち食べている。当初、不自然に感じた。今でも気になる。

あえて、左利きのタレントを指名しているみたいで、私の体のバランスが狂っているのかしっくりこない。今は、親もうるさく、ハンタイ箸は右手と厳しく言わないようだ。

 ほっといて頂戴と言いたいが反抗はできない親が怖かったし世の中が右利きが便利になっていた。いつから親がうるさく言わなくなったのだろう。

 別に、車を運転する時もスマホをコントロールするにも不自由はない。

字を書く時もスタンドは使う必要もなく部屋は明るい。

 てなことで右利きも左利きも両利きの選択も自由だ。なぜだか左利きの人の方が頭が良さそうだ。私の主観だ。

 

下り坂   (連載ー97)  

 富士山に7回も登山している友が、私を1年後に山頂に連れて行って、朝日を見せてやるといきがっていた。私も富士山には行きたくてその気になっていた。

 脳溢血で左半身不自由な身だったが歩いてみたかった。足も鍛えようと近くの公園のアップダウンを見つけて鍛えた。

 ところが、下り坂になるとバランスを崩して転びそうになった。もっと急な下り坂になると全体重が片足にかかり、支えきれなくなった。10メートル歩くのに四苦八苦した。1年後とはいえ無理と判断した。

 友人に下り坂の大変さを訴えて理解してくれた。10年前、立つことさえできなかった私が富士山に登りたいと思うほど回復した。

 普通、下り坂は楽のようだが、昔、中学の頃、駅伝マラソンで走っていた頃、最初は下り坂で快調に走っていたが、今度は平たんな道に変わった時、急に足に鉛の靴を履いたように一歩一歩走るのが重くなり、幸い沿道の声援でカバーされタスキを次の走者に渡せた。

 ルームランナーで毎日歩いていると急に歩けるようになった。後ろに転ばないように上り坂をイメージして歩く角度をかえた。杖の突く位置も考えた。下り坂は、今、苦労している。下り坂は楽なようだが上り坂の反対だもんな

 

「楢山節孝」(ならやまぶしこう)  (連載ー96) 

深沢七郎の短編小説。

幼いころ、村人の老人から姥捨て山の話を聞かされた。ここが「姥捨山」だと具体的に示された。

 え! 息子が年老いた70歳の母を背負い、母は息子の帰る道を迷わないように、枝を折って我が子の帰路の無事を祈ったと。

 

深沢の処女作とも知らず、日本全国の貧しい村の因習と思った。

山深い貧しい村の因習に従い、息子が70歳の年老いた母を背負い真冬の楢山に捨てにゆく物語らしい。

 「おっかあ、雪が降ってきたよう」

 

幼い頃、私は親父の代わりに大人たちにまざって山の樹の下刈りにいっていた。途中、老人からここが姥捨て山だよと場所を具体的に示された。本当だと思い山の入り口を恐る恐る覗いてみた。今に、その現場を知っている。

昔は、口減らしに貧しい村もあったんだと怖くもなった。

 

「楢山節孝」って深沢七郎の短編小説らしいが、これはおらが村の因習だと信じていた。

 こんなことが今の世には皆無だろうが母を思う心は何時の世もかわりはない。

 

我が家の千利休     (連載―95)    

 千利休ってもともと大阪・堺で魚屋をやっていたんだって、お名前も別名があるらしい。とと(魚)、懐かしい方言だ。とと食べなさい。

昨日リサイクル店に入った。湯のみがあったので950円で買った。

妻は折角だからまっ茶を入れてくれるらしい。袴に着変え二畳の茶室で入口をかがんで入った。坐禅を組むがごとく静かにすわった。茶室などあるわけない。これも妻の友人から高価な茶センをいただいたのを機に、にわか茶の会の世界にはいった。ようかんと一緒だと一段とお茶が泡が美味しかった。

 コップの持ち方からお茶のあじわい方を妻から教わった。床屋のひげそりに使うものみたいなものを使って、これまた、泡が美味しい。最後に泡をすすってもいいらしい。これで飲み終わったという合図らしい。

 樹木希林さんが部屋に入る時は左足から、畳のシリは絶対踏まないようにと厳しい顔で若い女優に教えていたのが印象的だった。

 「結構なお手前で」

我が家のちょっとした千利休であった。

 

内視鏡ゴッド・ハンド   (連載ー94)  

スマホで片手で器用に操っている。ハイ!提案です。

内視鏡を片手で大きなつまみと小さなつまみを巧みに操ることが出来れば

医学的なことは医者に任せて内視鏡で医学処理をする時、内視鏡技師の専門技師に任せればいいと思いますが。

 そうですねそれは良い考えだと思います。君はなぜそんなバカげた考えを考えたの? ある時、大腸の内視鏡検査をした時、私は大腸で有名な先生を指名した。痛い!内視鏡が腸の壁にあたったらしい。この先生は不器用なのかな? 痛い!やっぱり最初に内視鏡に慣れた先生を選べばよかった

 スマホで器用に操っている若者にお願いしたかったがもう遅い。

ゴット・ハンドの予備軍は多くなりそうだ。内視鏡の大会があれば世界中から内視鏡の達人が集まるだろう。

 

春   (連載ー93)   

舞姫が桜の花のように踊りだすのか東京では桜の開花宣言がなされた。さくらっていいよな、青いシートをひいてコンビニで買った焼き鳥やおにぎりや菓子類もひろげてワイワイ楽しい。疲れたらさくらの木の下で空を見上げれば、花びらの間から光がさしている。今日もお彼岸で車も混んでいるようだ。お彼岸って何?と聞く方もいる。私の子供じゃ、リリリ―ンお墓如何ですか?ガチャン、お墓を買うのは辞めよう、誰も来てくれないようだ。

 春を待ち構えていたのか、花が咲き、甘いかおりのいぶきを放ち、恋の花も咲き、幼いつぼみも開く季節なんだね。透き通った雪解け水は冬から春に変わる知らせなんだろう。♪春よこい、♪早くこい、歩き始めたみいちゃんが・・・・・

 暗い話題は明るくなるためのきざしだ。もう春がそこに来ているよ。今年もさくらの花が咲いている。

 

いじめ、いじめられ、どこまで生き延びられるか   

      (連載ー92)                        

無責任じゃのう。

まず、弱虫で、生い立ちが複雑で、いじめられて一人前になった人が世に多いと感じた。

 なぜなら、いじめられて、いじめている最中にふと相手の顔がやさしくみえる時がある。また、自分の今に気づく時もある。いじめられて、いじめて、もう死にたいと思う時も自分はどこまで生き延びられるかわかる。

 当たり前だが、若いと友達関係の範囲しか見えない。もう少し生き延びられたらといいのにと思う。

 いじめる役者の人、いじめられる役者の人、世の中に必要だとしたら、時間があれば役者をかわってみれば、そんな余裕があれば生き延びられるのになあ。

 中二の頃、家庭室の畳の間で、柔道を習っていた私は、私と同じ出来の悪い同級生を投げ続けていたが、投げても投げても起き上がって無邪気な顔をして泣くでもなくかかってきた。

 兄と喧嘩した時、私は泣いてかかっていたと兄はよく言う。

今も、同級生だった友人の顔は忘れない。

 和歌山から東京に来たが同窓会もでたことがない。卒業以来、友人とは会っていない。私の心はあの時の友人のままだ。

 

赤十字を作ったのは?   (連載ー91)  

 ハイ! ナイチンゲールです。

ブブー、違います。アンリ・リュナンだそうです。

 スイス生まれで。彼は32歳の青年実業家であった。1863年ジュネーブ当時ヨーロッパは戦争に明け暮れていた。彼は戦場に立ち敵味方の隔たりなく負傷しているものを、みな救護すべきだと呼びかけた。それまでになかった中立という概念も主張した。彼の提案にヨーロッパ各国の首脳たちは賛成があって、1863年、見事にジュネーブ会議にて赤十字を承認された。 

アンリ・リュナンはアフリカ・アルジェリアで事業を起こした26歳の青年実業家の誕生だったが、後に事業に失敗した。当時、経済第一主義で失敗は罪人扱いだ。赤十字は彼が作ったが彼の名前も調印式の写真にも彼は写っていなかった。その後、20年間の彼の思いは大きな種をまいた。

彼が発見されノーベル平和賞を授けた。

 学業の成績は良くなかったが、貧しい人の恵まれない戦争の悲惨さを感じたのだろう。親は子供にこれを食べさせたらいいのかと大事に育てているのに戦場では親の思いは届かない。

中立は敵と味方の間に立って、なにもかかわりたくないとかのことだろうが戦わざるして何か方法がないかと模索することだろうかね。

個人は微弱だね。みんな兄弟、兄弟なんだと我に送る。

 

私の妻は陽気妃  (連載ー90)  

私の妻は楊貴妃だ。

死ぬとき,心の残りをしたくないと思う今日この頃。いちどでいいから世界の三大美女とお願いしたい。これはあくまでも願望でおさめている。

おんなという言葉は差別用語らしい。文句言われる前に修正したい。世間では不倫は許されない。ひと昔、文化だとおっしゃる方もいたがどうしたのだろう。私なんぞ、その辺で無造作に散らばっているおんなであれば許されるのか

いいおんなはゆるされないと相場は決まっている。

私の妻は楊貴妃だなんて二字が違っているようだが陽気な女で楽しませてくれる。

少女に綺麗だね可愛いねなどと言ったらぶん殴られそうだが、わたしより綺麗な人いっぱいいるよと返された。

私の言っている綺麗は心の綺麗さを言っているんだよ。少女は笑顔を見せてくれた。

長く生きているとあんなに綺麗な人が歳を重ねているとみんな同じに見える。楊貴妃が陽気妃に変わっていれば綺麗さも際立ち花も咲く

 

こんなこと知らない方がいいのか?  (連載ー89)       

モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・カンは戦わずして征服していったが日本に2度軍勢を送った。1度目は3万人。2度めは13万人ほどの軍勢できたが、2度とも神風が吹いて海に沈んだがこれも台風が偶然だったと思うのだがチンギス・カンは日本侵略を断念した。

 日露戦争は英国に多額の資金を借りて、そしてアメリカの仲裁でポーツマス条約を結んでもらいこれ以上戦たかえなかったが何とか勝ったとされるが当時ロシアはロシア革命の最中だった。

 作家、司馬遼太郎さんの奥様が言っておられたが「俺、ノモウハン事件の事を書いたら命がないだろう」と言っておられたが、もう司馬遼太郎先生がお亡くなりになっている今、馬鹿な私が述べるのは卑怯かもしれない。

 坂の上の雲、坂本龍馬、西郷隆盛、の著者:司馬遼太郎先生がご存命中、私は「ノモウハン事件」のことを書いたら命がないだろう」っと奥様が言っておられたが、しっかと私の記憶にのこった。ノモウハンって何だか知らなかった。そしてなんで事件なのか聞きたかった。日本がロシアに勝ったとことで世界を震撼させた。日比谷公園で日本人もそこに集まった大衆もロシアに戦争に勝ったのだから領地や賠償金を取るべきだと主張したが大衆はホントのことは知らされていない。  

 日本の戦国時代はかつて領地を奪い、そして手柄をあげた家来に分け与えていた。

守りの戦争では相手の領地は手に入らず家来に褒美を与えることはできない。武士の不満も積み重なった。

 織田信長、豊臣秀吉は堺のとと屋(魚屋)であった。千利休を使って茶会などを開くなどしてお茶や湯のみなどに法外な価値をつりあげることに味を占め領土の以上の価値を持たせ家来たちに分け与えていた。。

 織田信長は本能寺で大量のものを焼き払ったらしい。秀吉も千利休には一目置いていたので、将来の危機意識なのか、石田三成に千利休の切腹を言い渡したらしい。

 私は脳溢血のお陰で字が書けなく物が二重に見えるもので耳から脳の本棚に納めなければならなくなった。これが私の普通だから普通にしている。

 戦争もやってみなくちゃわからないと決断されたふしもあったとしたら時代は仕方なく従うしかなかったろう。私は昭和26年の戦後生まれだが警察も米兵も親父も怖かった。

 

 

コロナと外骨(がいこつ)   (連載ー88)    

 本名なの、宮武外骨って初めて聞いた。

次の空欄に漢字二文字で埋めよ?

 我に財産なし

 我に子孫なし

 我に学識なし

 我に余年なし

 我に墳墓なし

 我に  なし                  

コロナで世の中はストップ状態になっている。他人事ではない。

デマでトイレットペーパーも店頭からなくなり、妻はどこにも売っていないと嘆く。昔、オイルショックの時も、ある店のトイレに山積されていたことを思い出す。大衆心理と言うか仕方ない、買っておかないと不安だ。

 東北大地震の時、学校の和式トイレに古い新聞紙が散乱していた。それをテレビでみて簡易トイレを買った。何事も普段から困らない程度の在庫を揃えていないとこれからも予想外のことが起こるかもね。(答:頭髪)

 「宮武外骨」ってスマホで検索したら参考になると思った。

 大衆心理で思い出した。昔、戦争をしない日本に、いくじなし、臆病者と投げ掛けた様なことがあって戦争に踏み切ったと聞いた大衆心理は時として牙をむくのか。

 

レイチェル・カーソンの「沈黙の春」  (連載ー87)  

1962年に、私が小学4年生の頃、よく白い粉を頭や服にふり掛けられていたのはDDTと聞いていたがノミ、ダニの駆除につかわれていた。

「それは奇妙な静けさだった、鳥たちはどこに行ってしまったのだろう、人々はいぶかしがり不安にかられた。裏庭のエサ箱は空っぽだった。やっと見つけた鳥も死にかけている。ブルブル震え飛ぶこともできない。春だと言うのにさえずりひとつ聞こえない。春の夜は鳥たちの鳴き声とともに明けていた。こまつぐみ、ねこまねどり、鳩、カケス、ほかの鳥たちも負けずに響きあっていた。だが今は何も聞こえない。あるのはあたりを覆う静けさだけ沈黙が流れる。」

後に、アメリカではDDTの農薬は使用禁止となった。

SILENT SPRING (RACHEL CARSON著)は農薬の化学物質の危険性を世に訴えた。

人間には危険を及ばないとわからずに白い粉をふり掛けられたがいつの世も専門家も有識者も上手く利用され、歴史も勝者の都合のよいものにつくりかえられることを念頭に置かなくてはならないだろう。

DDTの発明者もノーベル賞を受賞された。企業も莫大な開発費もかかっている。それを覆すのも大変だ。CARSONも医学的に証明するのも時間と費用が掛かるだろうし、人間の生命の尊厳にかかって来る。最期には人間にかかってくる。CARSDONは世界的な生物作家らしいが初めて聞いた名前だ。私には知らないことが多すぎる。だから一から知ることから始めよおっと。

 

花魁(おいらん)  (連載ー86)  

生まれた直後から老いははじまっている。

若いと老いを忘れている、老いて死を知る。

 豪邸、高級車、別荘、地位の高い人、有名人になるとなんでせせこましくなるのだろう。おだてられ祭り上げられるとなかなか下には降りてこれない。

江戸時代、吉原の遊女たちは貧しい農村から買われ全国から集められ27歳の年期が終わるまでもちろん性病もあるだろう。ごく一部の花魁は旦那に買われるだろうが大半は年期が終わってボロボロになって解放される運命のようだ。3回目から花魁に相手してくれるらしいが、例えば1回目を百万として、もうこの辺で高いと言っている方は花魁遊びはできない。

 だれもが好き好んで連れてこれたのではないのだろうが中には自分が頑張ったのだからとあぐらをかいている花魁もいるだろう。金があれば女にだけ仕送りでもできるような金でも渡せる余裕のある人物になりたい。遊女も人でアリンす。男も女も喜んで遊べればダメとはいえない。お金は人の心をはかる尺度のような気がする。

 

注:花魁(おいらん)

花魁が高げた履いて、少女に赤い着物を着せて花魁の行列はいっぽいっぽ旦那様をおむかいに行く。一度でいいから、男冥利を味わいたいものだ。

 

遊べやあそべ人が喜ぶ幸せな顔が見れるのなら。

 

ありがとう  (連載―85)   

ありがとう、いい響きだね! 3月11日は何の日だと聞いたら複雑だ。病院から退院してガソリンスタンドでガソリンを入れていた時,車内で感じたゆれが奥様のイタズラと勘違いしたあの地震だ。忘れもしない私たち夫婦の結婚記念日でもある。

今日は疲れたからすこし横になってインターネットでも聞いていたら、

鳥濱トメさんを知った。遥か57年ほど前、若い人たちにはもう戦争の話をしても私もわからないのに話だけでも聞いていただこう。もう敗戦も近い時、鹿児島の知覧に特攻隊の基地があった。トメさんは近くで食堂をしながら特攻隊員の母として多くを見送った。明日、極楽に旅立つ若者に貴重な卵丼をご馳走したり、トメさんのきものも、タンスもなくなり彼らの母として見送った。お母さん、「ありがとう」と最期の言葉を残して、トメさんを知って散っていった人たちに「ありがとう」の言葉を送りたい。いつの世も「ありがとう」の気持ちでいたいものだ。

追伸

飛行機の燃料がなくなってきたので、人間魚雷にかわった。

一度は入ったら、外から鍵がかけられ,内から開けられないと聞いて、ぞっとした。

飛行機も片道燃料で250キロ爆弾を抱えて、味方の援護もなくほとんど途中で墜落していったようだ。

鉄もなく木製の羽の飛行機だったと聞いた。韓国の方も志願させられたとか。

 

私の妻は楊貴妃  (連載ー84)

そんなばかな

楊貴妃に会ったこともないし床を一つにしたこともない。

そもそも楊貴妃って誰といわれるがここだけの話だが私の妻である。

 世に言われる絶世の美女で才女である。失礼、女性のお年をいうのはお許しいただいて、奈良時代に生まれた。

10歳の時に両親を無くし、叔父に引き取られ育てられた。

父は亡くなる前に一族の再興を願って死んで逝った。中国の玄宗皇帝に愛され、皇后は子供もなく追いやられ楊はただ一人皇帝に愛され独占した。楊は彼女の名前で貴妃は皇后の次にくる位でその下にはなん万人も女官がいた。長安と言えば日本からも遣唐使も訪れ模範とした大都だ。

 世界で一番大きいダイヤが欲しいとか言わないところが才女のところじゃ。皇帝の心をとらえた楊貴妃は一族の再興を願っていた。打算的な顔をみせたり可愛い顔を見せたり

女心はわからない。

皇帝は楊貴妃に気を取られる間に国も荒廃し、二人は長安から追いやられた。それを悲劇とみるかは二人しかわからない。

 玄宗皇帝と私は、俗にいう月とスッポンだが世界で一人あいした女性にかわりはない。私の妻は楊貴妃だ。肉まんという方もいる。ああー勘違い私の妻は肉まんであった。

楊貴妃はあまりの美しさに唐を破滅させたとして、いやいや玄宗皇帝の命令で首つりの刑にされた。

 

もう一度頑張りたい  (連載ー83)     

 私の人生には、二度あるような気がする。ただ、もう一度頑張りたいのだが同じことはないだろう。

 遥か昔、少女は天使のように旅立った。少女には一度もなかった人生だが、私は彼女の分までもう一度頑張りたい。

 それはスマートすぎると疑ってみた。宇宙の一部になった少女の顔は忘れない。

 皆は一度の人生に大切な「自分らしさ」を残そうと懸命だ。私の余命は考えたことはないが後百年はなさそうだ。

 過去、地球が爆発したような交通事故に遭遇し、脳溢血にもなり医者から命の恩を頂き2度の人生も頂いた。

 67歳の高齢者の私は一度の人生を使ったばかりだ。もう一度ある筈、困ったことに後遺症が残っているが、そんなこと言い出したらきりがない。青年のようにもう一度頑張りたい。

 

不便な生き方、便利な生き方。 (連載ー82)   

 不便になれていないから生きられない。

生きるために便利な生き方しか知らない。

不便を知らない。

 

 これです!と便利アイテムのご紹介される。アイディアはいいが怠け者が考え出した商品といいたいが産業になっている。私も一儲けしようと考えた商品はすでに商品化されている。細部に綿密に便利な商品が出回っている。不便を不便と感じなければ便利な商品は生まない。

 確かに、これがあればいちいち栗の皮をむかなくて済む。みかんの皮をむくのが面倒な人が増えてきてみかんの売れ行きが鈍っているとか聞く。

 ♪♫ 母さんが夜なべをして手袋編んでくれた・・・・と遠い国の歌のようだ。

母さんが包丁で一つ一つ栗の皮をむく姿を見て美味しい栗ご飯が出来上がる。アー!この香り家でよかった。

 遠足にマックのハンバーガーを持たせる親もいる。共稼ぎで忙しいのだろう。

 不便な生き方もいいもんだ。と古い人間のつぶやき。

  

学問の神様(1)  (連載ー81)   

京都市上京区にある菅原院天満宮、平安時代菅原家の屋敷があった場所という。道真はこの地に生まれ、菅原家は天から授かった子として育てられた。真面目で勉学に励んだ。

試験という試験はすべて一発でパスし、今でいう東大の学長の難解試験もパスした。道真は学者の道を突き進んだ。

学問の神様として京都の北野天満宮にお祭りされている。

若い受験生が道真にすがって手を合わせている姿に感銘を受ける。菅原道真のように真面目に勉学に励んでいただけるように願っている。

 

道真は次の有名な詩も残している。

「東風吹かば にほひおこせよ さくらの花 主なしとて 春を忘るな」

 

たとへ私がいなくても、さくらよ春になったら忘れないで咲いておくれよ。

 

学問の神様(2)  (連載ー80)  

私の学生時代、友人と3人で伊豆の堂ヶ島にナンパ旅行にいった。17歳の男子学生さんと隣り合わせた民宿で、討論となった。私たちは私立の大学で彼らは東大が唯一の大学であったのだろう。完全に馬鹿にされていた。

こんな人が役人になって日本をリードされてはたまったものじゃない。と我を忘れて思った。今にいう「忖度」という言葉もその頃は知らなかった。

 菅原道真も学者から、役人に政治の世界に入る必然的な運命だったのだろう。四国の讃岐(今の香川県)に左遷されて、初めて民の苦しい生活に触れ、人間になられたのだろう。また、道真は知りえないことにも触れ。上に立つ者は足元を知って国を治めることを感じ取ったのだろう。

宇多天皇との出会いでとんとん拍子で出世をし、行政改革を行ったがいつの世も出る釘は打たれるのか藤原時平によって九州の太宰府に再び左遷された。京都に残した家族との

永遠の別れとも知らず。

結局、藤原時平は差し迫った行政改革は道真が残した政策をそっくり引き継いだ。そのころ唐も国が乱れ、道真は遣唐使の廃止を提唱していた。これから日本独自の施策となった。

大宰府天満宮の飛さくらは有名らしいが道真が京都から大宰府に来た時に桜も道真のあとを追って舞い降りてきたという伝説もある。

あの時、伊豆であった若者に会いたいものだ。東大にいったと思うが、もう還暦も過ぎ孫もいるのだろうか。

 

余命半年目が今月だって   (連載ー79)  

 ところで、半年目はいつ来るんでしょう?

えー!それじゃ今月ですか。あなたが痔だとは前から聞かされていたがまさかガンとは知らなかった。それにしても悲壮感を感じなかった。

 歌が病にいいと聞いていたので試してみるといったら、のるきのようだ。保証はしないが余命半年と言われたのだからやってみるか。

 さっそく、命の契約書を作った。後日、自筆と実印で契約成立となった。1年後、来年9月末にあなたが生きていれば、契約更新としましょう。

 私の小さな音楽教室に入って頂いた。わだわだ、入って頂いたので授業料は無料だ。声はどすのきいた高音部がきれいだ。よく今まで歌わずに、いられたもんじゃと感心するほど美声だった。「あさひのあたる家」の歌がよかった。

 もう死ぬ筈が1年目の契約更新をして2年目の更新をすませた。あれ!

血色もよく、むしろ私の方が体調がよくないほうだ。彼は誰かに恋心を打ち明けたいようだ。人も好き好きと言うか好きらしい。本当に好きだったのに失恋した。

 病院に籍があったのでお見舞にいった。暗い部屋に彼がいた。後日、彼は鳥になったようにビルの上から空に舞った。

 彼は無宗教で身内もほとんどいなくひっそり葬儀をすませてようだ。

よく頑張りました。彼が横たわる上の雲の流れも変わりなく、車も人の動きも普段と変わりなく動いていた。

 

今から3百年前  (連載ー78)  

今の時代を300年後の人に、どう伝えるのだろうか、どう書かれるのだろうか。

日本人はさくらの花が好きなようだ。人生をさくらの花にたとえようとしているのか、日本人とさくらは合っている。

 私は67歳。古い人間の部に入るようだ。古い人間は黙っていてほしい、新しい人間にまかしてほしい。とよく聞く話だ。ごもっともと思うこともある。

過去を知ってるばかりにシガラミにとらわれ白紙に戻れなく、過去を知らない方が先に進めることだってある。もうやめてくれよ、過去のシガラミはわかったから、今、新しい者同士が先に進んでいるから口出しをしないでおくれ、そんなハガユイことだってあるよね。

 時代の曲がり角、飽和感の時で過去の歴史は・・・の人物の登場があったり、時代の変化に即応した出来事があった。

 コロナの出来事も時代の表れなのか始まったばかりの令和の時代の節目になるのだろう。

 世の中のことを思えば仕方なくて踊らされているように見えるが自分自身の生き方も定まらない。

過去の世であれば私も出家人になったのだろうがそう差し迫ってはいない。

良寛の詩に「冬夜長」を知った。いい詩だなあ。病院から退院して部屋にあった義父が屏風に書いてあった詩であった。

詩は煩悩であり、出家とは相反するものらしい。だから言ったでしょう、古い人間は・・・・。

 今の時代を、300年後の人にどう伝えればいいのだろう。そんな時代遅れの吞気なことを考えている奴です。

 

この世界に   (連載ー77) 

 この世界に来て67年になる。この世に、まだ学ぶことがあるみたいだ。長年使った枕一つ持って結婚した。今、3人の子供に新しい世界を教わっている。

 私のまわりの空間には目に見えない、いろんなものが飛び交っているようだ。そのものたちと心を交わしたいがその方法も教わっている。幸せになることに関して彼らは懸命だ。

 遅ればせながら、スマホという私にとって新しい物との出会いに、新しい者と古い者とを結びつけた。私にも孫も出来た。スマホに動画を送ってくれる。孫たち、海外に行った子供のしぐさに、遠い世界を思い出した。

感傷的にもなり、先の見えない未来に彼らはよく頑張っている。共稼ぎでね。

 LINEを使ってテレビ電話も使えるようになった。写真も動画も子供とタイミングを見てコミュニケーションをとっている。

私が生まれて日本は戦争もなく平和な時代を謳歌している。とても素晴らしいことだ。騙されないようにというテレビ番組も当たり前に放映されている。いやだなあ。と思っていつもチァンネルを変える。

高齢者も、若者の区別なく、もちろん日本人もいっこの地球人として扱われる時がもう来ていると思う。海の向こうの人に、海の向こうの人が教えている。こんなことが急速に進みつつある。日本人が消えるのかなあって思うこともある。私だけのようだね。

中国の漢が滅び、三国志の曹操と孔明の人物を思い出す。新型コロナの問題も地球は一つの感もする。

 

スマホと室町時代   (連載ー76)   

今、はやりのスマホにしたんだ。

そしたら、なれるまで大変だった。何が大変だって指が太いから「あ行」をタッチしているのに「か行」がでる。

 ガラケーを使い慣れたのかスマホは私には評判がよくない。

 へー! 室町時代ってあったんだ。足利尊氏から足利義昭まで15代の将軍もいた。京都に室町幕府を開いたのか金閣寺も銀閣寺も足利が建てた。みんな名前に義・・・がついて身内だ。時には、くじ引きで将軍を決めた時代もあった。

足利は栃木の足利学校に行ったことがあるが、私はそれだけの大うつけ(バカ者)ものだ。

 スマホに出会わなかったら室町時代のあの辺の140年は知らなかった。室町時代は3代将軍義満が京都の花の御所と呼ばれる邸宅で政治をおこなったことで室町と呼ばれるようになったとさ。金閣寺は足利義満が建てたようだ。

室町時代を知ったついでに鎌倉時代の北条政子さんの女の一生も知った。

 何かが変わることで、私に生き方を示してくれた。

布団の中で初めて聞いた志ん朝の落語が妙に残っている。

 

Boys be ambitious!  青年よ、大志を抱け!

Adults be ambitious!  大人よ、大志を抱け!     (連載ー75) 

明治政府は農業の専門の学校を作りたかった。1876年札幌に札幌農学校(現:北海道大学)の教頭として50歳のクラーク博士を招いた。アメリカの学校と兼務してたので、わずか在任期間は8ヶ月だった。

戊辰戦争、西南戦争と内乱の末、明治維新と時代も変わり日本の近代化へと、クラーク博士Boys be ambitious! の言葉と宗教的理想に燃えた教えに青年は影響された。当時、荒くれ青年に「紳士たれ」というのが言葉も残している。内村鑑三、新渡戸稲造などにも大きく影響している。

青年も大人も「大志」は自分がみつけるもの。

楽して大志を生まない。悩みがあるから大志が見える。

 

 

クラーク博士

 

つまらないものですが  (連載ー74)  

 「これ、つまらないものですが」お納めください。

日本人だけが通用する言葉である。ひかえめで奥ゆかしい日本語だ。

 つまらないものだったら持ってくるなと言われそうだ。日本人を表現するにはこの言葉があっている。一昔どころか私が生まれた当時から使っている。

何かを頂いた器にマッチを入れお返ししたり、ちょっとしたありがとうの気持ちを添える。。

言わなきゃ損損、お金を取らなきゃ損損、取れるところからとらなきゃ損損、と世の中がせち辛くなっているが日本人の奥ゆかしさを忘れない。世界にひろめたいことだ。

これ、できますか? 彼だったらできると思うよ。

絶対、自分のことは、こっちに置いといてほかの人のことを推薦することが多いと思うけど。自分が出来ても自分から出来ると言わない。ってことないですか。

 近ごろ、これが日本人の欠点だと指摘されるが、これを亡くしたら日本人の良さもないだろう。

言わなくてもわかるだろうと「あうん」の呼吸は夫婦間でさえも、まして他人がわからない。

アレさー!わかった? 人のアンテナを張っていれば、急に言われても対処できる。

 

うるう年  (連載ー73)  

 やったね! 1日得した気分だが2月29日、この日は妻の吊るし雛の展示を見に行く日だ。流山市の小林一茶の記念館で毎年開催されている。

 吊るし雛は江戸時代後期から伝わる伊豆稲取地方の風習のようだがみんな手作りで本当の着物や帯の生地を使っている。妻は3年生、これが好きなようだ。私はひたすら褒め役である。うるう年は私の目がうるう日でこの1日は子供たち、嫁、孫たちと、妻と手巻き寿しで1日のメインだ。

 今年もオリンピックの年でこの一日をうるうで暮らせそうだ。

 

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古い人間でしょうか。  (連載ー72)  

 あ!指が腐ってくる。隣にいた友達に、包丁にみだてた手で、私の指を切ってもらう。こんなことが誰に教わったのか幼い頃の習慣だった。大人になって人を、指さすんじゃないと注意された。

 指切りゲンマン、嘘ついたら針千本飲―ます。こんな歌もあった。

 約束と言えば、どこからどこまでと領域を考えたことがない。約束は文字に表されている部分のみが約束なのか。約束は相手に守らすためだけのほうべんなのか。

 世界には「約束」一つとっても環境によって違っている。日本人も外へ、外の人が内に入って来る。「味」も和洋ミックスすれば素敵な味になる。

 日本人は和を尊ぶあまり主張が苦手だ。個性がないと言われるがそこがいいとこだ。古い人間でしょうか。

 こんなことがあった。若い経営者が有名な経営者と握手を交わした。若い経営者は相手の手を空かさず、自分の肩に回された。

肩を組んだ形になった、絵柄は仲間だ。

「ありがとう」をつくるマシーンをかんがえよ

 

おばあちゃんの「般若心経」  (連載ー71)   

50年程前、おばあちゃんの手を握り脈を取っていたら徐々に遅くなり最期にポツンと消えそうで消えた。私も真空の世界にひきこまれたような一瞬を感じた。おばあちゃんとの別れだった。

夫を早くから亡くし女でひとりで子供を育てよく頑張った。

私に残してくれたことがあった。「般若心経」だったと今に思う。

よくお傍で木魚を叩いていたので般若心経は耳から覚えていた。

40年前、母が危篤であったとき、母の回復を願って、私は夜、ひとり山の上のお社に参った。すべて暗闇でお化けでもと一度覚悟をきめたら、怖くもなくなった。

 お社に着きローソクとお線香に火をつけ心経を何回も唱えた。おばあちゃんが言っていた。ローソクの火が会話をするって教えられた。ほんとだ、神様は般若心経を唱えている私とローソクが消えそうで再起したり、パチパチと音を立てたり話しかけてきた。そこには1時間ほどお参りして帰宅した。親父から母が死んだことを聞いた。

 あんなに死んだつもりで神様にお願いしたのに聞きとどけてくれないとは疑ったが苦しまないであの世にいったよ。と親父から聞くと安心した。

 おばあちゃんから教わった般若心経は私を救ってくれた。おばあちゃんに感謝したい。

 東北大地震の時、被災者がお墓に避難する。何をいってるんだ。お墓は亡くなった方が行く場所なのに避難場所とはならないだろう。後で知ったがお墓まで借金とりは追っかけて来ないだろう。

 おばあちゃんの般若心経の意味も知らないが、呪文のようであった。

 

私の愛称もジョン・マンジロー

 って言われていた。  (連載ー70)  

私の名前が万朗だったので友人から万次郎と言われたんだ。昔、高知の漁村の青年、本名:中濱満次郎、愛称:ジョン・マンジローらが遭難して満次郎含め4人がアメリカの捕鯨船に助けられ、その時代は日本は鎖国だったのでアメリカにむかった。他3人はハワイで降り,マンジローはアメリカに向かった。マンジローは船長に気に入られ養子としてアメリカの大学にも行かせてもらいとても頭もよかったようだ。

日本に帰る決断をしたのだがその費用もカリフォルニア州のゴールドラッシュで金鉱山を掘り当て大金を手にした。航海技術もあり、船を手に入れた。

ハワイの仲間3人は、お一人は死亡していて、お一人は結婚していた。残り一人を連れて日本に帰った。

日本は、以前、鎖国なので琉球に上陸して、薩摩藩、土佐藩と長崎では踏み絵も踏まされたようだ。

満次郎はその後、英語の通訳したり、ペリー浦賀に来た時に江戸城の重責の肩書で交渉にあたったようだ。日本人の外国語の弱さをカバーしたようだ。

 

陰陽師:安部晴明  (連載ー69)    

星占い、方角、呪い,けがれ、怨霊、藁人形、とかいわれたら怖い世界だ。

 もう亡くなられた人のことだ。昔、ある場所に行ったらその方がいた。

信じていないことに拒否反応が優先した。

 右の耳から左の耳にかけて何かが抜けるから、その時に若干の痛みを感じるから、すぐそれは消えるから気にしないように。と言われた。

 せっかく、この場所に来たんだから邪念を振りほどき真っ白い自分をためしてみた。

 右の耳が痛くなって来た、何かが左の耳に抜けた。ほんとだ抜けた。

バカな、にわかに信じられなかったが催眠術でもと思ったがすべて見えて冷静だ。一緒に来た友人は何も感じなかったらしい。

 わら人形も通信販売されている。気持ち悪い。今の世だから人気があるのか否定は出来ない。陰陽師:安部晴明は実在の人物のようだ。

 

他人の人生を体験することが

自分の人生を豊かにするのか、わかった。  (連載ー68)    

 室町幕府の第15代将軍、足利義昭はなんで世の中を流れを

見てるんだけど、みえなかったのだろう。

 将軍ともなれば、人を引き付けるものがある筈、権威で人を動かしたのか、権威はやさしいと人は動かないし権威とはならない。宇治から河内、堺、紀州の湯浅と都落ちする義昭は山賊にも襲われ将軍家としての大切なものも奪わた。

 かつて二条城でのきらびやかな生活を思い出したのだろう。あくまでも将軍、足利義昭を忘れなかった。15代といえば室町幕府が滅亡の最後の将軍となったのだがどこかで再興を狙っていたのに違いない。

 家来の明智光秀も秀吉にやられ、関白になった秀吉、関白と言えば将軍より上のくらい。山猿秀吉への将軍の権威を守ったのだろう。

 同じことが私の実姉と義昭がだぶった。歴史は年号を覚えるのも大切だけどその方の生き方なりその方の人生をも知ると涙さえこみあげてくる。

 

カラスの親子  (連載ー67)   

カ―カ―鳴くからカラスと呼ばれるのか知らないが、自宅の前の空き地の小さな森からガ―ガ―鳴き声が聞こえる。

カラスの子供が足を滑らせて木から落っこったらしい。

近くの家の屋根に真っ黒いものが覗いていた。あの子の親かもしれない、きっとそうだ。すくなくとも私も人の親をやっていたので、あのしぐさは親に間違いない。

 へー! 鳥だって木から落ちるんだ。下手に人間の手で触ったら、人間の匂いがついて、親は見放すかもしれない。昔、ウサギを飼っていた頃、親が子供を4匹産んだ。可愛くて手で触ったら、親は子供を踏みつけて見放した。その時の嫌な体験を思い出したので見守ることにした。

 翌朝、隣の家の庭にいた。幸い、ここのところ猫も見当たらない。3日ほど様子を妻と見ていた。ガ―ガ―鳴く声も聞こえなくなり、どうしたんだろうとあたりを探していたら、家の前の道を暢気に、ひょこヒョコ親子で歩いていた。よかった。

 

骨が伸びてくるって知らんかった   (連載ー66)   

私には、賞味期限切れの話が多い。皆様には馴染めないことだらけですいません。ジジィの話だと辛抱してください。

40年ほど前ですかね、今の帝国ホテルに隣接している宝塚のビルの8階だったか東宝演芸場によく落語を一人で聞きに行った。7階がスカラ座の映画館だった。

 SKD(松竹歌劇団)みんな足が綺麗だし見たかった。足と言えば、両足ひざ下がない水泳のアスリートだ。少女の頃ひざ下を切ったのだが骨が伸びてくるからもう20何回も切ったと話す。 へー! 骨が伸びてくるって1回切ればいいと思っていたのに。彼女は少女の頃から当り前に世の中を乗り越えて来て今も当り前に生きている。これが彼女の個性だと言われていた。彼女のご両親にも乾杯だね!

私も脳溢血で倒れて10年、集中しないと左手で持てないお茶碗、それをきずかせないようにまた集中。そんなことより、世の中には私よりハンディを抱えて生きていらっしゃる方が多いことに気づかされた。交通事故にも会い二度、三途の川とかにも行く事ができた。あれはいい不思議な経験だった。

妻は私のことを閻魔様と言う。私の部屋に妻がつくった6地蔵が置いてある。閻魔様は厳しいお顔をしていたが、6地蔵のお顔はおやさしい顔つきだった。

 

あそび   (連載ー65)  

車のハンドルにもあそびがあるから事故も起きない。

車のハンドルにあそびがないと角ばって進むまた直そうとハンドルを切り替えたら角ばりが大きくなり、もしかしたら事故でも起こるかもしれない。

 人の生き方も、考え方も適度なあそびが必要だ。

こんな小噺があったことを思い出した。

 

初代、林家三平の昔の小噺

父:「試験問題はどうだった? 

子:問題は易しかったけど、答えは難しかったよ。だから賢そうな 隣の人のを全部写したんだ。

父:よかったね。

子:良くはないんだよ、その人の名前まで写しちゃったんだ。

父:ところで、お前の受験番号? 

子: 35番。

合格掲示板には:1,3,34, 36,41・・・・

子:掲示板には35番はなかったんだよ

父:心配するんじゃない、まだ前後賞がある

 

何で左利きなの、なんでサウスポーじゃいけないの。 (連載ー64)

今ごろこんなこと言ったら、バカにされるだろう。

私の、私の彼は左利き♫っとアイドルが昔、歌っていた。

テレビの宣伝でも、箸を持つ手が左手が目立つ。いつも私の身体がよじれるほど不自然で見ていた。箸は右手、お茶碗は左手と母の声が聞こえる。おまけに箸の持ち方まで教わった。

 こんなこと言ったら誰からもシカトされるのに決まっている。スマホ持つ手もタッチする手もどっちでもかまわない。

 いつの日か、時代もかわり歳もかわり私のように不自然に感じる人もいないのだろう。

 何でこんなこと言わなくなったのだろうと寝る前にでも考えると時代の移り変わりもみえてくる。何でこんなこともわからなかったら想像するしかない。考えること想像することがいいんだよ。っとジジィがいっていた。

日本では車が左通行だ。道路を歩くとき、男は右側、女性は左。僕は右側、君は左側。これは決まっていない。

右目は左側が良く見える。

運転席が右の時は左通行の方の歩行者が良く見える。

 

釣り   (連載ー63)   

釣りと言えば私も幼い頃、田舎の日高川でよく釣りをした。初めに米ぬかを練って寄せをして、ハイを釣った。竹の笹に刺して持ち帰り天ぷらにして夕食のおかずにして食べた。

 今じゃ笑い話にすませられるが、昔、千葉に来て、子供たちと釣りに行くことにした。とりあえず竿も何も無いので釣具店に買いに行った。

店主が:バスですか? いや車で行く  バスですね? 車だよ。

しつこいね何回言っても聞きなおされた。車で行くのに決まっているのにすると、子供がお父さんバスって魚のことだよ。と教えてくれた。

川釣りはお父さんに任せろと思ったが、釣り堀ということらしい。釣り堀

は初めてだ。知らんが子供の方が詳しい。

朝から懸命に釣ったのにリリースしなくてはならないとは知らなかった。晩のおかずにと思ったのに一日の苦労が水の泡だ。がっかりした覚えがあった。釣りは狩と同じで生活がかかっている。レジャーじゃないことと思っていた。

 

東京山の手と下町  (連載ー62)   

ある山の手の娘さんの口から伺ったことに。その娘さんは、父親から「秋葉原から向こうに行かないように」と言われていたらしい。私は西の国だから、なんでそんな事を言うのか当初首をかしげた。

 おそらく、山の手と下町の区分を言っているのだろう。江戸は徳川家康がつくった町だ。江戸城から東側はカヤの生えた浅瀬の海だったようだ。こんなところに秀吉に追いやられた家康だったが江戸に大きな町を築いた。

西側に武家屋敷をつくり、東側は駿河の山の土を埋立て商人などの町をつくった。

 西側を山の手、東側を下町と言われた。銀座も下町だった。駿河台も昔は山だったのか。

 後に、標準語も山の手の武家の言葉を参考に作られたようだ。

「泣かぬなら、泣くまで待とうホトトギス」家康の言葉だが今の世にも通じるのかなあ。

 

新型コロナウイルス   (連載ー61) 

実際現場で対処いただいている方々に感謝とお疲れ様と言うほかご協力できなくてすいません。

 ウイルスが人類を滅ぼすという。という言葉が私の未開発の脳裏に浮かんだ。ごめんなさい、まったくのしろうおとが勝手なことを想像してしまいました。

 ウイルスは土を被せれば、海に浸せばいいだろう。ゼンセン病として扱えば事が済むんだろう。わからん世界に誰もの目が泳いでいるように見え意図的にも見えた。私の考え過ぎだろうか?

 まるで、猛毒でもまかれたように完全防備で顔さえ見えない。病院内でも映像でも見たが異様に見えた。

 旅先でも閑古鳥。経済も停滞。ウイルスの生存期間も定かでもなく変化もしている。このウイルスの生存期間が過ぎれば収束するとお考えなのか

 隔離を拒んだ方もいらしたが、現状を見た方の生身のお考えも伺いたい。かつても、戦争を知らない子供たちも意見を言ったら非国民とバッシングされるだろう。

 「一個の命は、地球よりも重い」と聞いたが、経済ファーストの世界には一個の意見も軽く扱われるし、考えることも失くされる。

 何事にも無関心、今日だけ無事に過ごせば満足、もう世界はそんな世であるみたいだ。

 嫌だなあ!文句だけ言っている自分。

 

つわものたちの夢のあと   (連載ー60)  

真言密教の聖地と言えば、1200年前に開いた空海の高野山は私の田舎の日高川の上流、日本三大美人の湯で知られている龍神温泉を経由して、紀州山の天辺を通るスカイラインを1時間で聖地に着く。途中には、平家の落人の村の標識もあった。

 かつて3度ほど来たことがある。その一度は宿坊に泊まり、朝早くお祈りと精進料理を頂いた。

 奥の院に通じる山道には、有名な武将の石碑が何万碑が立ちならぶ、新しきは松下幸之助(松下電器産業)の石碑もある。

 参道に、ひっそり明智光秀の石碑も可愛そうなほどひかえに建っていたが、今は立派に囲いのある石碑が建てられているようだ。

 秀吉に追われ、竹やぶにひそんでおられるところを農民の竹やりで死没なさったらしい。

光秀は、竹やりで刺され痛さの悲鳴が山道を通る度に聞こえそうだ。

 つわものたちは仲良くともいかないだろうが今も大いなる夢をみているにちがいない。

 宗派は問わないというから、亡き両親に会いに行くか。

 

らしい   (連載ー59)  

だいたい、アメリカの東三分の一はイギリスから。中心部はフランスのナポレオンから買った。西三分の一はメキシコとの戦争でテキサスとカリフォルニアを手にいれ。アラスカはロシアから買った。

カナダも手に入れたかったがイギリスの後ろ盾もあり戦争にまけた。

 ホワイトハウスは米英の戦争で外壁を残し焼けただれた。そこで白いペンキで外壁を塗ったことからホワイトハウスと呼ばれた。

 メキシコとの戦いでテキサスとカリフォルニアを手に入れたあと金を発見され風前のゴールドラッシュとなった。

 アメリカはさらに西へと進出して、ハワイ、ガァム、サイパン、フィリピンを手に入れた。

 

西のことば、東のことば   (連載ー58)   

 西の国に生まれた私は、西の言葉になじめなかったので、東の国に来た。そうじゃなくて、大阪に身内がいなかっただけ。

 友のほとんどが近畿地方にながれた。今、あらためて、西の国の言葉の深さに驚いている。アホ、ボケ、スカタンと機関銃のごとく繰り出される言葉と悪気のない皮肉たっぷりの言葉を生みだしたのは猿で有名な方かもしれない。西の国の言葉には東の国の人には絶対わからないニアンスの言葉が隠されている。

 アホ、ボケ、スカタンを教えてくれた、あるご夫婦が昨年お亡くなりになった。意外と素直に逝かれた。

 普段は東の国に馴染むように生きていたようだが、西の国に生まれた私だけに通用する夫婦であったようだ。西の国の人には絶対真似のできない武家の言葉がある。

西の国、東の国は商人と武士なんだろう。

 

5センチの事件  (載―57)  

いつか遥か遠い昔のこと。私が歌手だった実姉のマネージャーをしていた頃。伊豆高原でディナー・ショーを終え、さあ!皆様と二次会にとあるレストランに集まり、ほどよくのところで、あるお一人を送ろうと妻と車でお送りした。

もうお酒もだいぶ飲まれたのか、車の中は酒臭かった。その紳士は東京のある会社の会長らしく、この近くにご自宅を構えていらした。

昼間一度、行かしていただきましたが、確か、玄関の近くにりっぱなお庭が、玄関つづきで階段が十段程の階下にあった。

車を下り私と妻は、その方の両脇から抱えるように玄関に向かった。ずっしりと体格のいい方で重かった。

その方が足を踏み外されたのか状況判断がつかないが、空を飛ぶように飛んだ。

あ! 確か階下にりっぱな大石がいくつか禅とあったことを思い出した。

一瞬の事であった。私は覚悟をした。

大丈夫ですか? 大丈夫。

頭から血は流れてはいない。今話されたよなあ! 自問自答した。 

よかった。大石と大石の隙間の芝生に頭が落ちたらしい。5センチの隙間だ。大事をとって、救急車を呼んだ。もうこんな時間に診てくれる医者もいないだろう、ましてこんな田舎だ。

あきらめていたが、幸い、ある病院にお医者様がいらした。

 後日、その方も何事もなくご退院なさった。その時点で、実の姉に話

した。

今に思えば、あの方が、大石に頭でもぶつけられたら、と思うと生きた心地はしない。

 

まちがい電話  (連載ー56)    

 間違いました。とは言えずお元気ですか?

いや、妻が3年前に亡くなりまして。最期は、2日に一度の透析でした。

それはそれは、ご本人も大変でしたがあなたもよく看取られました。知らぬとはいえ大変失礼いたしました。

 私も家内もお二人のことは知っていました。奥様のぐあいが悪いことは知っていましたが、まさか、お亡くなりになったとはしらなかった。同姓同名の方がいらして、スマホに変えたばかりだった。昨夜も深夜風呂上がりで息子に電話を入れたらしい。間違ってテレビ電話だったらしい。

 奥様は私に知らせたかったのかねと言っていましたが、優しいご主人だからお迎えに来ることはないと思うよとこたえておいた。

 最近、私も午前中は体調悪いので、リハビリの後は床についている。まちがい電話をしないように、慣れないスマホの使い方のテキストを見ては息子に電話をしている。

 妻の、まちがい電話で知った大事な友と奥様の命を知った。

 

おかいさんとこんこ   (連載ー55)  

 お釜にいっぱいの水を入れ、番茶を茶袋にいれてお湯が沸騰したら茶袋をお釜の中に入れその後、米壱合を入れる。これは8人家族で食べていた分量だ。

最初は強火で米が上下に回転するほど煮炊かないと上手いサラサラのおかいさんは炊けない。とろとろ火になったら、さあーっと出来上がり。お米の芯が多少残して火をきる。あまり煮つめるとサラサラおかいさんは出来ない。  

この「おかいさん」は最初どこで生まれたというのか三重県の南部の漁業の町に生まれたとか言うけど我村には私の小さい頃からあった。

昔、おかいさんは和歌山の常食なっていた。奈良、大阪泉州地域、京都の一部地域では郷土食として食べられていたらしい。兵庫の一部地域でも「おかいさん」というそうだ。

平らな土地が無く山ばっかり、少しでも平らな土地があればみかんの樹を植えていた。有田みかんが有名だが山の天辺までだんだん畑があった

♪みかんの花が咲いてる。思い出の道丘の上。遥かに見える青い海、お舟がそっと浮かんでる♪ 山の上は日当たりがよくぽかぽか暖かい。

私の家ではちっぽけな田んぼがあった。御米も取れてて蔵にはたくさんのお米が貯蔵していたのにおばあちゃんが厳しく白いごはんを食べさせてくれなかった。そうだよね8人家族が3食食べていたら蔵の蓄えもあっという間になくなる。おばあちゃんが正しい。

お茶をすすっていた。この茶粥には酸っぱいコンコが合う。コンコってなんだと聞かれれば「たくわん」のことだ。酸っぱい大根のつけもののこと。紀州茶粥は「おかいさん」と呼んだ。さんと呼んだのだからお米が貴重だった。すぐお腹が空いた。コンコの言葉にふるさとを思い浮かべた。

おかいさんとコンコはおいしいいべスト3に入る私の故郷食だ。

 

会社も通勤も会議も仕事も何もかも変わる (連載ー54)  

AIのところでも書いたが、今やっている仕事が2年後に、あるかどうかもわからない。

 朝早く起きて満員電車に揺られ、通勤なんてごめんだね。怠け者の私が経営者だと即刻、通勤を止めさせ、交通費を社員に還元する。

 会議会議と忙しそうだが、自宅でも出来そうだ。本社の会議に出席できない人は、どこからでもアイディアがあれば匿名でも本社に送ればAIが会議の報告をしてくれる。東京本社の建物が社の象徴とか信用を表すのであれば、代替えも会議で考えればいろんなアイディアも出てくると思う。会社を訪ねるお客様の相手はどうすれば? それもテレビ電話に変わるだろう。わだわだ訪問する時間も惜しい。まとめに一度あえばじゅうぶんだ。

 地代も高い家賃も高い。その分社員に還元できれば、余裕も出来、アイディアも泉のごとく湧いてくるだろう。社員と言ったが社員という呼び名を変えよう。会社はアイディアとドリームを売る集団であり上下をつくる組織ではないことを経営者は腹を割って話す時だ。日本人は主張するのが苦手と言われているが、テレビドラマの相棒のように二人一組でチームを考えたらどうだろう。一番効率の良い攻め口は得られる。

もう会社も仕事も人も社会も急激に流動している。人間やめますか?

昔、こんな言葉があったことを思い出した。家庭を大事にする社会を目出したい。

 

街は変わる  (連載ー53)  

 「歌がうまいとアイドルじゃないと」と言う言葉が聞こえてきた。

衝撃的な言葉だ。

 テレビでも、若い子たちが私にしたら学芸会のようなことで盛り上がっている。すぐチャンネルを変える。今度はプロが歌を歌っていた。またチャンネルを変えた。

 近くの昔ながらの商店街が、ほんの300メートル先に新しい少し広い通りができたと思ったら、昔ながらの商店街が活気がなくなった。

 いやー商売って難しいと思った。新しい通リに車も何台か止められるスペースの店舗が建ちならんだ。

 その場所に店舗を出すのに、人が何時に何人通り、性別年齢とかの調査をしその地域が何を必要としているのか、一店舗の役割と他の店舗と競合しないか、調べ上げて店を出すのだろう。

 新しい通りはにぎわった。あれーおかしい。人通リが少なくなって来たと思ったら,一店、二店と閉店する店舗でてきた。

四,五日前子供と孫と三つ先の駅で待ち合わせた。私と妻は車で行くことにした、道がわからんのでカーナビに入れた。ところがすぐ着いた。こんなところに何千台も停められるパーキングもあり、便利で多種選択の出来る音楽もかかり明るいお店があった。それから孫たちとの待ち合わせはそこに決めた。

人ってすぐ裏切ると人聞き悪いがそんなものだね。

 新しい通リには、また新しい店舗が出来た。ここはダメかも? だけど

わからない、街は急激に変化する。新しいビルだと思っても古くなれば人は遠ざかる。

 

私の信仰  (連載ー52)   

これは、もしかして日本ではタブーの話かもしれない。

結婚式にはイエス様に誓いをたて。ハロウィンには仮装して楽しんでいる。クリスマスが終わると、さっと門松。元旦には明治神宮や成田山新勝寺などの神社や寺に初詣。合格祈願に学問の神様にお参りしたり。神社やお寺も駅の名前にもあるように全国に何万とあり、時あるごとにお参りしている。外国の方から見ると理解できないだろう。

 これらをみても日本の方々は、その時々に何かを信じ、幸せを呼んでいらっしゃる。私は、それでいいと思う。

お葬式には、お坊さんが来て、お経を唱えてくださる。

ある時、無宗教の方のお葬式に出たことがあったが、お坊さんもいなくお経もなく、何もなく短時間ですんだ。

 ある宗教のお葬式に出た時、唄で終わり重々しい雰囲気はなく、本当に亡くなられたのか疑った。

 ニューオーリンズに行った時、楽団付きで軽快なリズムで故人を見送っておられた。

宗教は、その国の支配者によって、いいように変えられた歴史もあり、人々の心をもてあそんだ怖さも感じる。日本には宗教というより信仰と言う言葉が合いそうだ。聖書が古事記なのかもしれない。

おばあちゃんから知った、神様仏様「おてんとう様」が私の信仰かもね。

 

捜索願  (連載ー51)  

車が、私の目の前に止まった。人が降りてきたと思ったら突然、私の似顔絵らしきコピーをみせられた。もしもし、この方は貴方ですね? ハイ、そうですが。

本部本部この方を確保しました。なにごとともしらずに事情がつかめないでいた。続いてパトカーが急行して来た。そうか! 1台目が覆面パトカーだ。

  駅から妻の運転で家まで帰るのが、いじっぱりな私は歩いて帰ることにした。普通なら10分で帰れるのが不自由な私の足で45分はかかる。途中、疲れて道すがりのベンチに座っていたら妻はなかなか帰ってこない私を探しまわったようだが仕方なく警察に捜索願いを出したようだ。

  もうしばらくして、みつからなかったら捜索範囲を拡大されそうだったらしい。全国指名手配にもなると大変、立派な有名人になるところだ。

 悪いことしないほうがいいよみんなフットワークいいから。

 

冬の夜長  (連載ー50)  

誰かが傍にいないとダメな人間のようだ。

誰? 私です。いち早く結婚することが生きる道と思い大事な妻と40年前に結婚した。3人の子供と2人目の孫もできた。一人娘も妻と相手のお母さんと結託して最近、結婚させた。

そこで一句:福がある、残りものには、訳がある

 野郎は、外国に赴任した。娘からは毎日のように妻に連絡がくるようだが、何とかやっているようだ。

 義理のお父さんの直筆の「冬の夜長」の詩の掛け軸がかかっていた。

冬は夜が長い。もう随分眠ったのか炭も消え、枕もとの灯も消え、外は冷たい雨が降っている、早く夜が明けないかな冬の夜が長いのはつらいものだ。

65歳から一から始めようと思って3年が過ぎ夜が長すぎる。死んだら飽きるほど寝てられるのに特に冬の夜が長すぎるのはつらい。

 

賞味期限切れ  (連載ー49)  

お湯が出てありがたいね。後ろから声がした。私はルームランナーで歩いていた。何気なく、聞き流して歩いていたら、冷たい水を知らなかったら、お湯のありがたさを感じないだろう。うるさいな。賞味期限切れの話をしてもうるさいよね。

 私は、賞味期限切れの食べ物は、目で見て、鼻で臭いをかぎ、舌で判断して食べられるかをきめる。

 賞味期限を設定した人は賢い。人間を信じていないのか、世間をよーく知ってるのだろう。

子供らは日付で判断している。冷蔵庫の中には賞味期限切のまだ食べられる物をかるく捨てている。もったいない。

そんなこと言ってると私が賞味期限切なのかもな。

 

日本人の手を合わす姿に心うたれる   (連載ー48)     

 あなたの宗派はと聞かれたら65歳にして、やっとわかった。それも兄が亡くなつてしかもお葬式の時にお坊さんに尋ねてわかった。おばあちゃんが木魚(もくぎょう)を叩いていてお経を唱えていたので仏様とわかっていたが宗派まではわかっていなかった。

 田舎には神棚も仏壇も隣り合わせでお祭りしていた。お社もお寺さんも高台にあった。昔はその地区のお役人様の給料はお米で支払われていた。災害とか、まさかのために高床のお社、お寺にお米を蓄えていたらしい。

 おばあちゃんには、何かにつけ、おてんとう様が見ているからといわれていた。あなたの宗教? 私はおてんとう様という。手を合せる姿に老若男女問わず、善人もたまたま悪人の差別なく日本人の心に沁み込んでいる。

 結婚式にはイエス様に誓いをたて。クリスマスが終わると、さっと門松。元旦には明治神宮や成田山新勝寺に初詣。受験の神様にお参りしたり。宗教とか哲学の観点からみると一環性がなく不思議だが、生まれも育ちも日本人の私の血には、おてんとう様と言う血が何千年もかけてからだじゅうに沁みていると思われる。

 ユダヤ教、キリスト教、には旧約聖書、新約聖書があるが、日本人には

古事記なのかもしれない。

 幼い頃から大人にかかわらず、様々な角度から人が合掌する姿には日本人ならではの歴史がある。それはお辞儀する姿にも、誰もが真似できない日本人の姿がある。

 あくまでも、私だけの信じるおてんとう様です。

 

大小  (連載ー47)    

 地球って、大きくなっているのか小さくなっているのか。大人って、おおきくなっているのか小さくなっているのかどっちなんだろう。

 世界一周って不可能なくらい地球は大きく感じた。大人は怪獣のように大きくそびえていた。だんだん大きさがちじこまってきた。

 私が大きくなり目線が違って見えるからちじこまってみえるのだろう。それにしても地球はちじこまる筈はない。

 アメリカに行けるなんて考えもしなかったのに行けた。最初にテネシーに着いた時はこれが最後の、みおさめだろうと思った。だんだん大人になるたびに地球もちじこまった。これも子供の頃と見える視野が広まったのに違いない。

 お近くの子供が可愛く小さく見えたのに、つい最近、親子で歩いているところに出くわした、あの可愛かった子供が親をはるかに追い越して大きくなっていた。

 あの子も見える景色もちがってみえるのだろうが親はいつまで経っても子供に見えるのだろう。

 地球の目、大人の目、子供の目の見える景色のちがいがあるんだ。

 

AI (Artificial Intelligence) 人工知能  (連載ー46)

人工知能に使われる未来がくる。もしかして、戦争の名を借りて抹殺されるかもと恐ろしい未来を感じている。

 遅れましたが、ついに私もスマホに変えました。と思ったら、スマホも時代遅れになりつつある。

両手で重い携帯無線機が出た時は驚いたが、今度は片手で持てる携帯電話が出てきた。しかもポケットに入る小さくて軽い。へーすごい! と思っていたらスマホが出てきた。

 世間では、スマホは害悪のように言われてきたが、今そんな声もどこえやら静まりかえり一人一台の必需品だ。まいったか! まいりました。テレビ電話もLINE 使えば海外にいる娘と顔色を見ながら会話ができるという。夢のテレビ電話だよ。

 Technologyの進歩は止められない。 Technologyは俺には私には関係ないし調べるの面倒だしまかせるわ。だってスマホとインターネットと繋がっているし情報は世界中から手元にある。指で軽く触れるだけでいいんだし、そういうけど、字が小さくて読めない。字を特大に変えた。

 AIというのは1950頃から第1次、第2次、第3次と、頭のいい人が考えているらしい。AIに

仕事を取られるとかお悩みの方が多い。AIの出来る仕事一覧と言う本も出たらしい。

隙間産業じゃないけど人間も一人ひとり生き残ることを考えねばなんねえ。

 運転手、医療従事者、銀行員・証券マン、コンビニの従事者、スポーツマン、テレビなどのプロジューサー、受付、・・・・あるわ、あるわ。

いたるところに、カメラが設置され浮気もできやしない。俺は無実だ。

 AIがAIを作ることだってできる。スマホの次は両手を使わなくてもいいものがでてくるだろう。もう頭のいい人間が国をあげて考えているのだし近い未来に頭を使わなくて済む時代がくるだろう。Technologyの進歩は止められない。今使えるうちに人間は考える蘆でありたい。

 

未来は、知ることかもしれん  (2)地動説   (連載ー45)  

地球はまるい。と聞いてるし人工衛星から見てもまるい。

コロンブスの当時は、北アメリカも南アメリカも地図上にはなかったのだから、ヨーロッパからインドにいくのだったら、アフリカ回りよりも反対まわりの方がいいと思うが、地球がまるいという説だが確証がない。もし反対まわりで落ちる恐れもある。コロンブスもよく冒険をした。着いたところがインドだと信じ込んだ。ところが、キューバに着いていた。

 アメリカ大陸はコロンブスが発見したのだが、間違ってインドだと思ったらしい。それで彼は尋ねた。あんた誰――インディアン。

 「アメリカ」の由来はイタリア人の探検家、アメリコ・ヴェスプッチさんだということだそうだ。

 

未来は、知ることかもしれん。(1)東南アジアの宗教  (連載ー44) 

ベトナム

ラオス

カンボジア    インドシナ半島(インドと中国)

タイ

ミャンマー

フィリピン

ブルネイ

マレーシア

シンガポール   

インドネシア      人口:2億5000万人」,島の数:1万3500島

東ティモール  インドネシアの右端の比較的新しい国

       

宗教:仏教・イスラム教・キリスト教

仏教:タイ・ミャンマー

イスラム教:インドネシア・マレーシア

キリスト教:フィリピン・東ティモール

インドから陸続きで仏教が伝わった。

中東から海を介してイスラム教が伝わった。(イスラム教の信者が一番多い国はインドネシアで人口の9割がイスラム教らしい。

大航海時代にキリスト教が伝わった。

私も最近知ったことばかりでえらそうに言えないが、そうらしい。

別に、今まで生きてきて不自由を感じなかったのでどうってことないようだ。

 娘がタイに行った。今まで私の目はアメリカにむいていたが、同じアジア人としてアジアを知ることだと気づいた。そして、娘のおかげで東南アジアを知ることができた。

 グローバルに考える前に足元を知ることだと気づかされた。

 

節分   (連載ー43)

「鬼は外、福は内」と節分は親父の役割だったが、婿養子の親父は無口だったので大きな声で言えなかった。

 「福は内」が先に言うのか「鬼は外」が先に言うのか、いずれにしても鬼は、寒いのに豆をぶつけられて外に追い出されるのは、たまったもんじゃない。正月には鬼も福の神もこたつでみかんでも一緒に食べながら仲良く過ごしたいものだ。鬼がいて福の神のありがたさも、福の神は鬼がいるから福のありがたさを知る。

 節分は、厄をはらって新年を迎える日本の風習の儀式となっている。

恵方巻を食べるのもよし恵方は鬼門を示すようだが福の神も鬼も一つ屋根の下で仲良く恵方巻を食べたいよね。

                                                   

ああ!かんちがい。  (連載ー42)   

 すいません、よろしいですか。

わたしですか、こまります。

 カメラをかかえた方が突然話しかけてきた。田舎から面接で原宿にきたばっかり、改札をでたばかりのことである。若いし多少容姿には自信をもっていた。

 すいません、ちょっと右に寄ってもらえますか。先にはモデルのような綺麗な女性がポーズを決めていた。ってことは私がじゃま。そうだよあなたがじゃま、ジャマ・ジャマ、ジャマ。大笑いに涙もでやしないが食べた物を出してしまった。このかんちがいのおんなは私の妻である。私は東の国の山の田舎者、あなたは西の国の田んぼの田舎者。朝から馬鹿笑いの我が家だった。

 

臨時ニュースを発表します。  (連載ー41)   

 今年の新着といえば、ガラケーがスマホに変わりました。長年お世話になった携帯電話を今流行りのスマホに2020年1月24日から変更になりました。

 私にとっては一大事です。説明に来た人も忙しそうだったので、早く帰らしたんだ。子供もお風呂に入れているらしく、気持ちがわかったので帰ってもらいました。ところが残された私は説明書から読まなければならない始末。「あ行」を指で軽く触れたのに、表示は「か行」とでる。おかしい、もう一度触れてみた、おかしい、そうか分かった。指を小指に変えて触れてみた。あ行が正しくでる。

 原因を述べよ“! 指が太いからだと判明した。今日から、あなたがかんだ小指の思い出よ。

 頭の回転が悪いから、なかなかうまくこなせない。ワイワイとか言ってもチンプンカンプン。

 なんだか無口になっていく自分が言われなければ分からない。あえて、周りに話題をつくって話しかけている。いろんな便利なアプリもあり、これを使いこなしたら周りは要らない、むしろ邪魔だろう。

 新幹線ひかりが出来た時、文明は人を幸せに変えてくれると喜び、大阪、東京間12時間もかかったそれが、3時間に短縮された。余裕が出来たのに人は幸せになっているかもわからない。AIがすべて機械のように人間をコントロールする世を選択するのであればそれでよし。

ある夫婦が急に会話をなくし、ひたすらスマホに向かっていた。しばらくして、旦那が亡くなり、奥様も1年後に亡くなられた。しぶとい夫婦だと思ったのに亡くなられた。

 夫婦には、私にはわからないものがあるんだろうが突然、会話が無くなったのに驚いた。スマホはテレビ電話もできるそうだ、子供に教わろう。

 

みずかけジジィ    (連載ー40)   

みずかけ地蔵って聞いたことあるけど「みずかけジジィ」は初めて聞く。晴れているのに、急に雨が降って来た。この状態をキツネの嫁入りと聞いていた。若い方は、キツネの嫁入りって聞いたことないよね。

 愛犬と散歩していたら、急に大粒な雨が降って来た。傘は持っていなかったがすぐ止むだろう。ところが、空を見上げると人がしゃくしを持って水をまいている。まるで花さか爺さんが花を咲かすように水をまいているではないか、何やってんの! 信じられないが私に向かって水をかけている。大声で怒りたいが、犬は水恋しさにしっぽを振っていた。夏だったからいいものの、冬だったらアオリ運転だね。

 あまりの振る舞いに笑うしかなかった。すごい剣幕で爺さんは犬と散歩する人を見ては腹を立てているようだ。救いはお婆さんが出てきて申し訳そうに謝っていた。

 先日、ジイさんの家をとうり過ぎた時、みずかけジィさんを思い出した。

 

65さい若人のこんさーと   (連載―39)

 数寄屋通で店をやっていた頃、看板を見て「また、古いことやっている」と捨て台詞のように消えていった人がいた。その時の思いを持ち続けて今夢実現できる。したい。

 ニューオーリンズのとある馬小屋のような裸電球の下で色黒な方たちが6,7人で奏でていた。80さい+3歳だろうか日本の女性がドラムを叩く破目になった。丸くなった背筋がシャキッと伸び、酒もタバコもイケるのにそんな女性にみえた。私もドラマーだが、その女性のとりこになっていた。音楽は人を変える。今夜も外泊だ。

 私の息子は、35年ローンで一軒家をかった。65さいからのスタートになるようだ。よかったよかった。

 

東洋の神秘の国  (連載ー38)    

 鷹が大きな羽根ひろげた、竜は横たわっているような日本列島。北海の海から沖縄の南国の海まで。

 東の黄金の国ジパングは金がとれた。佐渡の金山も行った。塩尻、塩原、とか海でもあったのだろうか、火山や温泉の湧くところに金が取れるらしい。

 海原に出るにも、関所もあり、お代官様の機嫌を損ねては神経を使う。

神の国、神風とか、生まれも育ちも日本人の私でさえも神秘な国である。他の国は一神教であったり、パワステでは長続きもしない。人は元気な時は病を忘れ、若い時は老いることを忘れる、老いて死を知る。生きることは辛い。とおりすがりの若い人に紙に書いた紙飛行機になんて書こうかね。

 

 一枚の写真、見方を変えると日本列島が姿をかわる。東洋の神秘な国のようだ。

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カレーライス  (連載ー37)  

 カレーライスは子供会のクリスマス時や時あるときは、いつも婦人会のお母さんたちが作ってくれた。一番の人気ものである。お腹が空いていたのでおかわりを一番にした。おふくろに10円だったか貰って、長方形の小さなケーキがあれば舞い上がった。

一度だっけ、おふくろいの誕生日にカレーライスと10円のケーキと戸棚にあった日本酒を添えて押入れに入れておふくろを祝った。これが私のおふくろへの最初で最後の祝い事だった。

カレーライスもカレーの素も3切れ入れた薄いらしいが玉ねぎとじゃがいもをいっぱい入れた。カレーは私の調理師の始まりだった。

いつの世も、おふくろの親父の思いはかわらない。言葉にならないが後ろ姿に書いてあった。

 

よかった!  (連載ー36)   

 このいい匂いうちでよかった。帰るなり子供たちがカレーを食べていた。すまない、私の話は賞味期限の切れた話かもしれない。

 今日は朝から、涙がでてくる。3人の子らは家から出て行き、その中の女の子一人がこんな筈はなかったのに、結婚をして、タイにいった。娘は20年程、都会の真ん中で親にも面倒をかけずに生きてきた。泣いて家に電話もあった。妻には世界でただ一人の愚痴の言える母だから、たとへ愚痴であろうと辛抱強く聞いてやってほしいとお願いした。

 3人とも所帯を持ち、私たち夫婦には2人の孫ができた。孫の成人まで見届けそうもないが、よかった!と言ってもらえる世であればいいが、若い方々には便利な世になっていようが、「この匂いうちでよかった」と言っていただける世になればいいと思っている。よけいなお世話かもしれないね。

 1300年前の奈良時代から人間は変わっていないように思う。スマホが便利さに私も来月からお世話になるが、ガラケーからの切り替えらしいが電話機能と娘と話すラインだけ利用しょうと思う。いろんな便利なアプリは、私の目と口と鼻と耳で情報をゲットするつもりだ。

 

 

はじまり:作詞  (連載ー35)     

1,    もし、会えるなら、あなたに会いたい。

暗いくらい深い海にいるなら、一人きりにさせるものか、今にでもとんでいきたい。

バカだなあ、信じられないがあなたに会えると思い、お墓に避難していた時もあった。今となっては、人生のほとんどが過去になってしまった。

過去は私とあなたが生きたあかし。もう過去には戻れないにしても、過去は二人の思い出に変わる

夜が明け、あさひに照らされ思い出はあなたとはじまる

 

2、 時として、海は私とあなたに嫉妬する。

普段は地平線のように波静かに装っていても、海の中は音も立てずに流れている。

  たわいもなく、打ち寄せる波があなたの甘いささやきのように私の心を揺さぶる、夜の海はすべてを覆い隠すのかあなたの面影も消していった。

過去は私とあなたが生きたあかし。もう過去には戻れないにしても、過去は二人の思い出に変わる

夜が明け、あさひに照らされ思い出はあなたとはじまる

 

 

過去は私とあなたが生きたあかし。もう過去には戻れないにしても、過去は二人の思い出に変わる

夜が明け、あさひに照らされ思い出はあなたとはじまる

 

道徳って (連載―34)  

「道徳」を広辞林で引くと、人間のふみ行うべき正しい道。またそれにかなう行為。とある。

 長年、優しくない上司のもとで暮らしてきたので、損得を考えれば即、手を引くのであるがその上司は時々垣間見せる中に優しさを見せ、あえて無用なことを言う。だから権力者は孤独だなあ。と思った。

 「初心忘るべからず」と言う言葉あるように、ふとこの言葉を思い出したおかげで孤独を知った。ず~と、初心忘るべからずは私の道徳になっている。私はこの初心に戻すバネを鍛えている。

どんなに世の中が変わっても、時代が変わっても私の初心の心は変ってはいなかった。何事にも謙虚にみることができればよりいい道、悲しみも、怒りも見えてくる。初心の耐用年数は永遠でもなく私の命とおなじかもしれない。

 

道徳って (連載ー33)       

 年少のころ、道徳の授業あったよ覚えている。あまり勉強をする時間がなかったので、算数とか理科とか意見が違うので嫌いだった。

 次は道徳の時間だやれやれ休めると思った。親の言うことを聞きなさいとかこんなことをしてはいけません。とか当たり前のことの復習だ。

当たり前の道徳は、今の時代でも通用するものもほとんどあるが、身近に、くわえたばこで歩いている方はいないし、ポイ捨てする人もいない、町にはゴミ、吸い殻も落ちていない。ゴミ箱がないのにみんな持ち帰っているのか。

居酒屋でも、たばこを吸われる方も見ない。ある方が海外で買ってきた大切な灰皿を店に預けていた。葉巻を吸われ、匂いを楽しまれていた。そこの店長はたばこは吸われない。今日から店内も禁煙にするという。お客様は、灰皿と二度と来ないと捨て台詞で出て行かれた。

商売は難しい、喜んで頂きなんぼの世界、我慢だね。どこで折り合いをつけるか。仁徳も多分にある。

まあ! いいか。

 

こどもって  (連載―32)   

 もう55年前にもなるんだろうか、私の成績は、ビリから数えた方が早い、エーイめんどくさい、ビリから3番目のほぼビリである。ある日、ビリから2番目の奴と畳の間のある家庭科の部屋で取っ組み合いのじゃれごとをしていた。

 そのうち、本気になってきた。私が投げても投げても這いあがってきて、私に投げられる。懸命にかかってくるそいつの顔が忘れられない。2歳年上の兄に蹴られても蹴られても泣きながら、かかっていった。

兄は、その当時の私の根性を知ってか、大人になっても頑張れ根性とは言わない。

 こどもは大人が見て残酷と思ってもそうは思っていないのかもしれない。投げても蹴られても人を知る、自分を知ることかもしれない。残念だが。

 私より出来の悪い2番目の奴が、どういうわけか漢字だけは何でも読めるし書ける。クラスの誰もが漢字に関して彼の右に出るものがいない。彼の自信に満ちた態度は忘れ様がない。

 嫉妬、浮気は大人の世界のように思うが、こどもは大人の顔色には敏感だ。大人よりも繊細かもしれない。生きるための手段をこどもなりに学んでいる。

 教育にしても、先生の本心などはすぐ読まれる。にわか学問すら察知される。こどもは評価が大切だから目先のことに標準を合わせてくる。

 何だか、ひにくれたこどもでありえない考え過ぎのようだ。

 

次の4つのテーマ(連載―31) 

2020年

 今年は、オリンピックの年だ。昭和39年の時、アジアで初めての開催に感激した。規則正しくメインスタジアムの前に来たら紅白のユニホームを着た日本選手団が右手を上げ、堂々と行進していた姿は目に焼き付いている。

 田舎で布切れに灯油を湿らせ、にわか聖火台をつくって点火した。なぜか嬉しかったし、こころが踊った。三宅(お父さん)選手の重量挙げ、アベベの素足で走ったマラソン。村では山の上にテレビアンテナ塔をつくってくれたので東京のオリンピックを見ることができた。東京、大阪間、超特急新幹線も開通した。何もかも生活も変わった。ローラーの手動しぼり機のついた洗濯機、電気釜、テレビなどが入った。文明開化のはじまりだ。

 まさか、2度目のオリンピックが東京で見られるとは夢のようだ。

 

成人式

 田舎の役場の会議室で、成人式をやっていただいた。確か雨が降っていた。先輩から異性の裸の写真をいただいた。いやらしい! その当時は免疫がないので処分に困った。おふくろに見つかり、言い訳にあたふたした。しばらく、おふくろの顔を見られなかった。

 選挙権もいただけるので世間は今日から俺を大人と見てくるにちがいない。酒、たばこは大丈夫だ。急に大人の仲間に入れられちまって、村の下刈にも日当をくれる。日当をくれるんじゃ大人の働きをしなきゃならないだろう。

 最初の選挙に行ったが、みんなの目線が違っていた。頭で考えているのと実際投票所に来て投票するのと責任感とかそんな立派なものでもないが

違っていた。大人になったんだ

 

受験

 みんな賢そうだ。完全に負けた。昭和45年頃は東京によく雪が降った。大学の広い教室には秀才ばかりいるではないか、試験が終わり雪も大げさに降って来た。駅までの道、ぞろぞろ歩く私の足は重く暗かった。

 明日もこの近くの大学だ。無駄な抵抗はやめて引き上げた方がいいのに

せっかく自力で1年間わらばん紙と向き合って手の指にタコができるほど繰り返しの暗記をした。これも試練のひとつに違いないと思った。最期までやるしかなんねえだろう。今さらジタバタしてもしかたない。

 鹹いうどんの立ち食いをたべよう。腹ごしらえも出来ションベンくさい部屋に帰って寝た。寒かったがすぐ眠った。落選発表も見届け鈍行列車で田舎に帰った。布団をかぶってふてくされていたが、おふくろが電報らしき紙を持ってきた。合格らしき一通のカタカナ文字を読んだ。

 滑り止めに受けた大学が受かったらしい。どこでもいいか東京に行く機会をくれたようだ。これがあったおかげで東京に出る機会が出来たが田舎のおばあちゃん、おふくろを死なせることはなかってのに。天は選択の出来ない運命を私にくれた。

 

いちご

 孫はいちごが大好きのようだ。ハウスの中のいちご狩りの体験をさせてくれた。真っ赤にぷりぷりのいちごを口からがぶっと食べていた、もう少しで、土も食べそうだ。手も使わず豪快に食べていた。

 ご飯もしゃもじで口にするくらいだから、お上品にくらうと思っていたがとてもかわいいもうすぐ2歳になる女の子である。ハウスで大きないちごをいただいた。

 今日も、そこの嫁は早朝から取ったいちごを大きさをそろえて箱づめしていた。一日何千箱も出荷するという。私はスーパーで綺麗に箱づめされたいちごを食べる方があっているようだ。いちごジャムにしてもおいしいよね。赤くて甘―い大きないちごいかが~。

 

「孤独」って  (連載ー30)       

 孤独と言えば、シャンソン歌手のジュルジュ・ムスターキーの「私の孤独」とういう曲を思い出す。知らない方が多いと思う。

 私に孤独と言うもう一人の孤独と言う人がいつも傍にいるから、いつも私は一人ではないんだと解釈していた。 

マザー・テレサは晩年、最も恐ろしい病と言っていたのは孤独です。先進国と呼ばれる国々には、ゆたかさの陰で競争について行けず、社会からはじき出された、人から要らないと思われている人々が大勢いるそうです。勉強はできるんだけどちょっと違うんだよね・・・とね。

私など山奥の田舎から出てきたもので、高校の時に勉強に気づいて一からやろうと思ったのがもう遅いだろう。さあ!都会に出てきて、周りがみんな賢く見えて劣等感だらけのうぬぼれのようだった。

今さら田舎にも帰れないし、食っていくためには、唯一人に好かれることが私の財産であったようで、真面目そうにみえるから、信用をたかめていった。苦学もしたと言いたいが基礎からの独学ではじめた。

アルバイトは、引っ越し、スーパーのウルトラマンの悪役で寝転がっていたら子供たちに棒でつつかれたり、測量で柏の山に行ったり、同姓に迫られたり、レントゲン車に同乗してて事故にあったり、それはそれは、22歳までは生きられた。就職も雇っていただける一社が偶然あった。寮母さんのありがたい弁当を持って安全靴を履き、こんな筈じゃなかったのに真面目に現場で働いた。偶然、寮に来られた先輩との出会いで、勤めがかわった。それから私の人生いいか悪いか徐々に変わっていった。

汚い枕一つ持って、今の嫁さんとも結婚できた。炊飯器がなかったので先に買ってもらった。こんな筈じゃなかったといまだに嫁は言っておられる。

母が死んだとき、ムスターキーの「孤独」を聞いたとき涙が止まらなかった。かすかな音でさえも母の気持ちが読み取れた。同じ昭和うまれだったから。父親も手枕で寝ている後ろ姿で親の気持ちを読み取れた。

最近生まれた方、昔に生まれた方を一つにして理解することはできないだろうし今昔の分かり合える材料も持ち合わせていない。

孤独ってもう一人の孤独がいるから孤独ではないと言われても寂しいよね。誰が産んでくれと!と言われても本心ではないにしろ、こんな言葉をかけられる親がいてよかった。かけられる親はどんな気持ちだろうね。

 

私のお天とう様  (連載ー29)    

お天とう様が見てるよ。よく死んだ、おばあちゃんに言われた。

どんなに人が見ていなくても、天は見ているから悪いことしてはダメだよってね。

 他人をダマすことができても、自分をダマすことはできないと思っていた。高校の時、校長先生が私にトイレの裏の草取りを言われた時も、裏だから誰も見ていないし、汚いし、くさいし適当にやればいいのだが、お天とう様が見ているからの言葉を思い出してか綺麗に済ませた。

 「天」とか「神」とかの区別もわからず、軽々しく使っていた。君の宗教は?仏教・仏教、インド・インド、・・・幼い頃からおばあちゃんの傍で木魚を叩き自然と耳から覚えた般若心経の意味さえ分からず、もし幽霊でも出たら呪文のように唱えればいいと、そのくらいの認識だ。

 田舎には飯盛山と呼ぶ、富士山のような先が尖ったような山があった。朝は、村人誰もが必ず手を合せていた。そこには、幼い頃には神社があって土俵があった。年に何回か忘れたが相撲の大会があった。私は、ふんどしを巻いて相撲を取っていた。私より小柄で足腰のしつこい奴が嫌でよく負けていた記憶がある。小学校の校歌に山の名前が入っていた。

田舎にそびえる山で、いつも高いところから村人を見ている、見られている象徴の山だった。私には天であり、神のようだった。

 

女性のホームレス (連載ー28)  

 車を近くの駐車場に留めていたので、途中ビルの片隅に若いと思うのだが女性が昼間どこかのオフィスでも働いているのだろうか上品なお嬢さんがダンボール箱を組み立てて寝床をつくっていた。またなんであの女性があそこにいるのか不思議だった。外は寒いだろうに、我が子のように心配だった。今夜も、車をとりに駐車場に行った。決まったところで彼女を探したが、パッタリ姿が見えなくなった。もう出世してマンションでも暮らしているのかと思って安堵した。

ところが半年は過ぎただろうかそこに彼女が居た。どういうわけかまた安堵した。外は暖かい、よかった。

 

フランスの開国要求と薩摩藩家老調所広郷(連載ー27) 

浦賀のペリー来航の9年前に琉球にフランス艦隊が来ていた。琉球王国は清の属国で、薩摩藩が実効支配していた。

 薩摩藩も幕府に逆らえないように莫大な借金をさせられていて、なんと

今の金にして約2500億の借金を抱えていた。

 産業革命以来、イギリス、フランス、ロシア、ドイツなども大航海の時代にアジアの植民地を早いもの勝ちのように植民地支配をしていた。イギリスはフランスと戦ってインドを手に入れたり、アヘン戦争で中国の一部を手に入れたり、フランスも負けていられない。1846年、フランス海軍は琉球王国に開国通商を迫った。

 薩摩藩は家老、調所広郷の力による商売で薩摩藩の借金を返したばかりか莫大な金を残した。調所広郷は清国と幕府と異国の琉球との板挟みとなり、結局、江戸城で亡くなった。

 調所広郷は奄美大島の黒砂糖の独占権とか圧倒的なフランスの脅威に幕府が兵を出すように命じたが、フランス軍を刺激しないように留めたようだ。

幕府は鎖国で調所は通商を願っていたんだろうと推察される。

 薩摩藩、西郷隆盛の倒幕資金源にもなったのだろう。

 歴史には隠された事実が埋もれている。西郷どん、調所どん、を知ることで見える景色もちがった。

 

目黒のさんま(連載ー26)    

もう50年前だろうか、中目黒に10年間、それはそれは小さな部屋だった。目黒川の氾濫もよく見た。川の底の土を削り深くした。それから、桜の木を植えなおした。川は溢れることもなく、今はサンマや桜並木で外国人の方もおおくなった。

この目黒川でサンマも取れると信じていたが、私の完全なバカのようであった。

 

落語で、目黒のサンマが有名だとか。

 殿様が目黒に遠出に来た、家来が弁当を忘れたのに気付いた。

ぷ―ンといい臭い。

昼時にお腹が空き何処からか魚の焼く臭いがしてきた

これこれ、この臭いはなんじゃ

これは下々が食べるさんまと言う下衆魚で殿様の口には決して会わない美味しくはないものです。

それにしてもいい臭いがいたすのう。

これこれ、腹も空いた、さっそくさんまとやらを持って参れ。

 

うーン! これは美味じゃ。

そんなこともあって、ある時、殿様がさんまを所望したいといわれた。周りにはさんまなどあるわけはなく急ぎ日本橋の魚河岸から取り寄せたがあまりに脂があるので殿の身体によくないと脂を抜き、骨は喉に刺したらと骨を一本一本抜き殿様にお出しした。

 

殿様がこのさんまは何処から取り寄せたか聞いた。

家来は日本橋の魚河岸から取り寄せたと答えた。

 

殿は「やはり、さんまは目黒のさんまに限る」と答えた。

それで目黒のさんまが有名になったとさ。

 

ここのところさんまも取れなくなり、私も昨年は小さい痩せたさんま一匹食べた。いつも大根おろしで秋になるとよく食べていた。

目黒に海などあるわけもなく、まさか殿様は目黒に海でもあると思っているのだろうか。

 

おふくろは水の中  (連載ー25)      

おふくろは、水の中に消えた。

雨が降り、山にはこんなに水を抱えているのか、お墓の中は川のようだ。お棺を土でかぶせた。残りは村人がやってくれた。心残りは、おふくろを、水の中に残してきた。もう遥か昔のこと、まだ、土葬だった。

いつか、私も灰になってどこかの土の肥やしになればいいのだが。仕方がない自然の摂理だもんな。もがいても、もがいても永遠の命なんかない。

母、危篤すぐ連絡いれよ。病院の集中治療室に入り、母の手を握った。握り返してくれたので気づいてくれたことがわかった。

実家に帰り、神様仏様、山の上にお祭りしている屋敷に一人で登った。辺りはもう薄暗かったが、お線香とロウソクをつけ、木魚を叩き、耳から覚えた般若心経を呪文のように唱えた。母は、医者から聞かされていたが苦しまないように神様にお願いした。ロウソクの火が、時たま燃え盛り、何かを私に訴えているかのように話していた。

そこには、1時間ほどお参りして家に帰ったら、親父から母が亡くなったことを聞かされた。

兄が病院から母を連れて帰った。すでに、母の鼻と口に綿が詰められいて、アレーいつもの母のやさしい顔と違っていた。母じゃないと思ったが、これは母のやさしさに違いない、涙もでる時もなくした。

田舎の葬式はくらくて嫌だった。死んだことは本当だが、本当に死んだことを思い知らせれるから、長い列でつくって、お一人お一人役目があり御葬式を行う。幼い頃はこの儀式が好きでよくお墓に参った。

 大事なおふくろが水の中に葬るとは思わなかった。せめて、先に逝った桜の木の下のおばあちゃんに手を合せた。

 

マザー・テレサ知ってる  (連載―24)    

マザー・テレサはインドのカルカッタの貧しい人たちのために、たった一人から活動されてきた、宗教の枠を度外視した献身的な活動が全世界の人々に高く評価された。1979年のノーベル平和賞など受賞された。

テレサの生い立ちはインドと聞いていたが、彼女の宗教とか出身は気にさせないのだろう。

何処に行くのも、サリー(インドの民族服)とゾウリであった。

 マザーは行き先々で貧しさをみてきました。そんな彼女が晩年、最も恐ろしい病と言っていたのは孤独です。先進国と呼ばれる国々には、ゆたかさの陰で競争について行けず、社会からはじき出された人が大勢います。そんな孤独な人々の心の上に手を差し伸べるため行くのです。マザーは言います、ハンセン病や結核を直す薬は発明されました。でも人から要らないと思われている人々の為には、進んで使える手と愛する心しかないのです。

 ある女の子がテレサにお金頂戴と言う。テレサはお金がなく、その子の家に行くと目だけ輝くやせ細った家族がいたテレサはお米が少しあったので母親にだしたら、母親は半分は飢えた別の家族にもっていった。それを見たテレサは、逆に教えられたと。

テレサのように話題になれば政治を変えればと言うアドバイスあるだろうがそういう力のある人がやればいいし、私にかわるもう一人、いればいいのにと天はお望みだ。

 宗教、貧しさ、世の中にはいろんな立つ位置もあるだろうが「孤独」ほど厄介な現在病はない。孤独は一番大切な人にうつる。薬があればいいが、テレサが言っておられた愛する心しかないのか。

 

山の上の一軒家 (連載―23)     

どこの山の上かも知らないがこんな寂しいお化けでも出そうな山の中。私は山奥で生まれたから寂しくもないし、開けっ放しの一軒家でサンショやヨモギの天ぷら、五右衛門風呂にでも入れるこんな天国はないだろう。

 前から思っているが、狭い部屋にひきこもっている方々に天国のようなところに住んでもらいたいと思っていたが、条件があるらしい。3食付でないとダメなようらしい。こんないい条件はないにしろ全国に空き家がいっぱいあるようだ。

 山の上の一軒家に住もう!と知らせたい。昔、田舎で一人暮らししていた親父を町の私と住もうといったが断わられた。田舎暮らしって気楽のようだが器用でないと工夫のできる人でないと大変だ。慣れもあるし、なんとかなるさ。山の上の一軒家に住みたい。

この世は芝居のよう     (連載―22)     

生まれて、あばよ! 

お隣の奥様のアドバイス。「夜遅く行かないほうがいいわよ。あの方、夜はかつらと入れ歯を取るから。」そういうお隣の奥様も入れ歯と本人が言う。嫌だね、その会話。他人事でない気がする。

 あれから、まだ生きているんだものな私も意外と丈夫だ。

勉強を教えてくれた先生、泳ぎを教えてくれた人、川魚の取り方、天使のような美少女、いじめさせてくれた人、だましに来た人、人の後ろ姿を知った日、酔っぱらい、異性を好きになったこと、試験に失敗したこと、あやまちをおかしたこと、自殺した人、・・・・。

まあ! 私を取り巻く役者たちは数えきれない。この方たちに出演料を払ったら、とっくに私も自己破産だろう。私も一役者と思えば、はまる役者も大根役者にもなった。まだまだ私の人生劇場は続きますよ。

喜劇にしたいのか悲劇にしたいのか、悲劇だったのが途中から喜劇に変わるケースもあり、演出しだいのようだ。

人生の演出をしたいのだが、予期せぬことも考えておかなくてはならないだろう。参考に歴史上の表に出てくる人物の観察と表に出ない歴史上の裏方さんを知ることで本質がみえてくる。子役は大人より緻密さと繊細だ。だから惨いことを平気でやる、生きる知恵なのか、子役は世の中をみている。

道には、邪魔する役者もいる。邪魔されないと他の道も探すこともできない。道草するもよし。道案内人に騙されるのもよし、天があなたを何度も試してくるだろう。道に迷ったとしても引き返らず道があれば進めばいい、道はどこかに続いている。

 

自由と不自由  (連載―21)        

自由は不自由、不自由は自由という言葉が耳に入ってきた。

自由に書きなさいと言われても何を書いていいかもわからないし、不自由だ。

 また、課題を与えられ、それについて書きなさいと言われたら自由に書かせてよ。と言いたいだろうし。人って勝手な生きものですね。

 80歳はまだまだ「ひよこ」と言われるから考えよう。巷では、人生百歳と

言われている。そうすると百歳はまだまだ成人だ。

 私が68歳。80歳までは頑張ろうと思っていたが「ひよこ」と言わ

れるんじゃ考え直した。自分って勝手なもんじゃあーりません。

 人それぞれ自由に生きたらいい、生き方なんて決まってないようだ。

若い若い娘に教わった。後は頼むよ。

 私は死んだことはないから、何が自由で、何が不自由か閻魔様にでも聞かないとわからん。何が幸せなのか、これは各自の選択かも知れない。人を殴ったり、ゲームのように殺したりする世の中にはしたくはない。おいしいものがあれば誰かに食べさせてあげたい。誰かが何かをしてくれるというのは期待しないほうがいい、もし期待してないことが起きたら幸せの一つのようだ。

 

東の国に来た   (連載ー20)        

 幼いころ、ニワトリを200羽ほど飼っていた。

ニワトリは鶏肉といって、から揚げでも美味しいよね。

 田舎では、カシワの肉って言っていた。ニワトリのひよこを電燈で暖めた部屋に入れて育てた。

 寝床の隣の納屋から、グワグワ・・鶏のめだましで起きた。朝飯やろ、わかった、わかった、ニワトリに朝食をやることから、引き換えに生たまごをいただいた。あったかーいたまご。

東京に来るまでSukiyakiが牛肉とは知らず、あれは、カシワの水炊きのようで、すき焼きではなかったのだ。くやしーーい

 鉄板を熱くしてタレをいれ牛肉と糸コンと白いネギとを鉄板で焼く、それを生たまごと絡めて白いごはんと食べると、これぞすき焼きか。実に、うまい。

 店長、これ腐っているいんだけど、この豆,変えてくれない。

ある食堂でクレームをいったら、あんたこれ知らないの納豆だよ。そんなことは知らないけど、これは腐っている、においかいでご覧とまた、クレームをいった。納豆を初めて見た。

 ネギはあおい葉っぱを、食べていた。白いところばかりのネギ、食べるところがなかった。田舎の土は硬くてそれにくらべ、東の国は土が柔らかい。ネギの首まで土をかぶせたら色白のネギができるそうだ。反対だ。

 友人がおぜんを食べに連れて行ってくれた。醤油を食べている味付けで辛い。有名店で歴史のある、おやじが仁王様のように腰かけていた。おらの国は、昆布出汁でおぜんは薄味だ。これじゃ、血圧に悪い。

 田舎から東の国に来ると面白い。違いを楽しめる。今じゃ東京駅で全国の味を楽しめる。

 

もういくつ寝るとお正月 (連載―19)   次回も連載をお楽しみに!

年末と言えばその前にクリスマス、イチゴのショートケーキ、マッチ売りの少女、いっぱい夢の世界。それが終わるとうすとキネを出して家族みんなで餅つき、紅白歌合戦、除夜の鐘、

「もういくつ寝るとお正月、お正月には凧揚げて、駒を回して遊びましょう、はーやーくうコイコイお正月」

大人も忙しいが子供も忙しい。正月にお餅入りのお雑煮を親父がどういうわけかつくってくれた田舎、お餅をつかないで里芋や赤飯を食べるところもあって楽しみだった。

重箱にミカンとお餅、それにお米をいれて神社に初詣。火が燃やされ古いしめ飾りなどをお納めた。甘酒もいただきました。

肝心なお年玉も一番の楽しみだ。子供心に年末年始はわくわくした。大人になって今年の正月って箱根駅伝も楽しみだ。

 

死んだのね! (連載ー18)   

 あれ“!入院してんじゃないの。

病院を抜け出して来てくれたのはうれしいが、Don’t Go to the SKY(そら行けません)

外にタクシーを待たせているのだろう。出してはいけない水割りをだした。コップを片手に吉永小百合さんの誕生日と阪神タイガーズの初優勝の昭和ナン年なん月ナン日とキマリもんくを言って、さっさと出て行った。

東京でよかった。これ大阪だと、どうなっていたかね? 

今度、入院する時は私はこの世から去る日が決まる日だから、昭和なん年ナン月ナン日と言われていた、閻魔様もそれを聞いていたのかスケジュールを押さえていた。その方がおっしゃった日程で事は進んだ。

御葬式の前日は、東京も大雪で、私も都内のホテルを何とか押さえた。当日は、大雪で電車も動かなく諦めた。

後日、ご自宅に伺い仏壇にお線香をたむけた。

 それから、誰のお葬式に伺ってもご本人のお顔を拝顔することを避けた。故人の顔を拝顔すると、生前の笑顔や言葉のイントネーションが消しゴムで消されそうで、いつまでも、その方の生き様を心に残しておきたかった。

宗教上、差し支えないように事あるごとに喪主におことわりしている。

 こんなこともあった。ある方が急死され、お葬式にも行かれなかったのでご自宅に伺った。奥様はしっかりした方で、生前、ご主人の帰りが遅かったもので、その原因を突き止めるべく、私を検察の取調室のように遺影を横に置かれ、スタンドを充てられ尋問を受けた。まだ、お骨壺は温かそうだった。 

晴れて、故人も私も無罪となり、お線香をたむけ合掌させていただいた。

 今年、姉を亡くし御葬式に出た。今は家族葬が多いらしく身内だけのこじんまりとしたものだった。拝顔することはなく帰った。

帰って、思い出したかのように姉の歌をインターネットにアップした。幼い頃から歌も踊りも芸事が好きな姉だった。

 今年も、亡くなる筈のない方が何人か亡くなられた。ショックだった。

 

外から、こんな見方もされてたんだ (連載ー17) 

「アメリカの公使:タウンゼント・ハリスが、日本人の容姿と態度は甚だ満足した。日本人は喜望峰以東のいかなる民族より優秀である。私は時として、この国を開国して外国の影響をうけさせることが果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか疑わしくなる。これまでに見たどの国よりも簡素さと正直さがある。柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが住民の身なりはさっぱりとして態度も丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏に何時も附き物になっている。不潔さというものが少しも見られない。」 

平気でウソをつき他人のせいにしなければ生きていけない国もあるだろう。約束、契約は相手に守らせるために結ぶのであって自分とは関係ないといった国もあったみたいだ。日本は島国だからの原因でもなさそうだ。

人手不足のために日本もより開放していくのだろうが、ハリスが外国の影響をうけさせることが果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか疑わしくなる。同じ船に乗り、外からの人を大切にしたいものだ。                                                   テレビでの情報だが、外国人が日本の宝石を爆買をしているという。バブルの当時かった宝石が市場にでてきた。カットの技術がしっかりしている日本に買い付けに来るようだ。日本の業者が情報を流しているのだろうが外国人が大金で買われている。日本人もバブルの時も同じことをしていたのだろう。

ハリスの考えた日本人は消えてはいないんだろうが、ますますこれから、外からの観光客も増えるし、人材も頼りにしなければやっていけなし、オリンピックもある。

 

出家びとは街中にいた   (連載ー16)    

銀座で40年間姉と商売をしてきた。この実績、それがどうしたといわれると考える。

数寄屋通りを段ボールをお尻に敷いて引きずって、どこにいくんだろう、と思うのだが初老の女性をよくみかけた。

 大変だな思ったが、余計なことだった。いつも引きずっていると見えない角度の世界が見えるるんじゃないかと思った。いつも人の足を見てると、この方はどこか胃腸でも悪いのか? 何を悩んでいるのか? 何をそんなに急いでいるのか? まじめなお人、悪人なお人、金持ちなお人、 いろんなお方の足が見える。たまに顔を上げてみるといろんな顔の景色が見えるという。

 世の中も景気がパッとしないだろうか、私から見て年上の方がごみ箱に宝物でもあるんだろうか探していた。ポケットに小銭があったので、牛丼の温かい弁当に紅生姜をたっぷりのせてビニールの袋にいれて有楽町の方に歩いて行った。どうするんだい? この温かい弁当どうするんだい? と自分に問いかけたがそんな度胸もなく街を歩いていた。誰かに差し上げたいのだがそのタイミングがわからない。

 これ余ったのだけど、パッとビニール袋が手元からきえた。よかった

どうしょうかと思っていたがきえた。はやい!

 一時でも温かい白いごはんを食ってもらおうとした行為は正しかったの自問自答した。もしかしたら、おごりかもしれない。

 初めての体験だったが、また小銭が溜まったらやることにした。段ボールを引きずっているかた、街にも、出家びとがいる。

 

あ~そうか。これでわかった。  (連載ー15) 

 火事と喧嘩は江戸の華よ!

火消男がまとい、とびぐち、ハシゴ、を持ってどうして火を消すんのだろうと昔から思っていた。

 屋根に上ってまといを振ったら余計に風が吹いて火のまわりが早くなるのに、なんで?

 江戸の町は防火の為に作られたのか、屋根の向きがすべて同じ方向に建てられ、柱ごとにかすがいのような金具が取り付けられていてそれを,とびぐちで外せば建物が同じ方向で倒れるようになっていて、江戸の町の道幅が広く、とにかく延焼を防ぐようになっていた。

 め組の・・・・これでわかった。

 

私も、二宮尊徳(愛称:金次郎) 

 学校が終わると、山に上って芝刈りによく行った。

手初めに、わらを編んで綱を作ることから、山に上って枯れた枝を均等に鉈で折るなりして綱で束ねた。それを山の上から下まで転がして背負って持ち帰り窯で火をおこし飯を炊いた。

 あの恰好は二宮尊徳と変わりはないが、ただ手に書物を持っていないだけの違いだ。二宮尊徳はスマホで各自調べていただくとして、背中に背負うと重くてもバランスがとれて両手が空くことはわかるが勉学とは気づかなかったこの私。

 そういえば、いつの間に二宮尊徳の白い造像がなくなっている。もう、江戸時代の人のようだ。誰も知らないだろう。人物を説明する人もいないのに造像だけ飾りに置いても仕方ないようだ。

 そんな二宮尊徳のような村から小旗でも振ってもらって都会に出てきた青年も高齢者になったとさ。

 

 

ご縁と出会い  (連載―14)  
昔は、と言うと私も古い人間になったようだ。40年程前に結婚していただきましたが、結婚=大人になることだと考えていた。大人って何なのよ。と大人は近頃流行りの「忖度」のみ目立ってしまっているが、立派な大人に成長すること、成人になることと心得ていた。
 幸い、婿さんもご両親も御親戚も勿体ないほどいいご縁だ。早朝、エイコさんが仏壇にお茶を供えてくれて合掌していた。
 今日はすべてに感謝の気持ちで、このご縁を大切にしたいと祈っています。昔はどうであれ、近頃はどうであれ、幸せは二人でうみだすもので、孔子が言われた「仁」も「天」も人が二人と書く。
何事も一人ではできない。すべて感謝の気持ちを持つことからはじめたい。

 

2019年振り返り (連載ー13)  

私も昭和、平成、令和の3時代を生きようとしている。

2019年、令和元年で私は令和維新になることを祈っている。ラグビーの年だったね。ラグビーはなんで後ろにボールを投げるんだい?

なんでボールがいびつなの? なんで平行に棒が二本立っているの? 

髭ずらの大男がボールの取っこして陣地に運んでなんでうれしいのか、とにかく迫力と男の汗を見た。

 2019、令和元年にふさわしいスタートだった。2019令和のスタート年。ONE TEAME で日本の人づくり元年としたい。

人間が壊れていく年の始まりなのか,イや! ラグビーによって気づかされた。

 

娘の結婚 (連載ー12)     

今日は我が家の年末恒例のスモークハムつくりのお肉を買いに行く日だ。お日柄もよく市場に出かける日。

 早朝、栄子さんとドアを開けたら、誰かが入って来た。あら!おはよう、娘だ。

 早くから何なの?壁紙の張りの最終日だそうだ。夜は用事があるからと言う。背中と腰に白い物が張ってあった。どうしたの?私のせいらしい、頼むね。

 市場に着いた、娘に1000円のまぐろのブツ切れを食べさせようとその場所に行ったが早朝から業者で賑わっていた。

 今度は、目当ての肉屋に行った。肉屋は特別寒い、おじさんも白いほっかぶりをして、腰をかがめ働いていた。すき焼きに美味しそうな肉が目の前にある。意外と安かったので栄子さんに頼んで娘に買った。

 自宅に帰り、娘は黙々とやっていた。まぐろを食べさせたら評判がよかったので、今度はすき焼きにして栄子さんのタレで3人で食べた。それはそれは、すき焼きは2年ぶりでうまかった。

 食べたら眠くなったので寝た。起きたら、まだ娘はハシゴに乗って天上を拭いていた。傍にいるとウザイだろうからまた寝ることにした。

 お父さん、もう帰るね。

帰っちまった。私は現場監督に早変わり。チェック・チェック。

 器用だ、大したものだ立派なものだ。私が不自由をしているもので、娘も何かを示したかったのだろう。期待はしていなかったが、30年程違う娘に教えられた。

娘の輝きをここにあるとしたら、ここにあった。

明日は娘の結婚式、花婿がいなくても美味しい料理食べよな。

 

気づく (連載―11)    

 ある目の不自由なピアニストが、日本が自然災害にあった時、世界の人が、日本大丈夫なのかと心配していただいた。

災害に遭われ、大変な思いをして、まだまだご苦労で大変な思いをされていらっしゃいますが、音楽の力を信じ少しでも諦めないでいただきたい思いや祈りの気持を込めて演奏させていただきました。

の言葉に私には祈りの気持ちがかけていることに気づいた。

ベートーベンが28歳にして耳が不自由になり、自殺も考えたと知ると致命的な境遇でも曲作りを諦めなかった。

 あるピアニストは、おそらく、彼の生き方に影響されたのだろう。

ガラケーも、すべてスマホに変わるのだろう。スマホは悪の根源だと思っていたが、使い方によって、ある目の不自由な方の目の代わりをしてくれると聞く。目的地を設定するともう少し先まで歩いてください、そしたら右折です、とか案内してくれるらしい。その目のご不自由な方は世界が広がったろう。

 こんなこともあった。もう前から入りたかったレストラン、誰かがスマホで簡単に見つけた。私の近くで、そのレストランの情報を良いの悪いのと話していた。私が入ってみたいレストラン、私が遠くから抱いていたレストランの夢を簡単に壊さないで。後日、夢を抱いて行ってみた。夢のとおりだった。

 古い話だ。小学校の正門に白い二宮金次郎の造像が立っていた。牧を背負って片手に本を持って、働きながら勉強したのか立派な方がおられた。今だとスマホゲームってところだろう。誰も知らない古い話は止めた。

 人のしぐさで気づく、人の言葉で気づく、人の体温で気づく、人っていいなあ。

 

まあ いいか!  (連載―10

都会に一旗揚げるために山奥から出てきた。都会は頭のいいかたばかり、中国の孔子と言う人は15歳で学に志。それに引き換え私は、50歳で学に目覚めた。

誰も期待はしてくれなかったが、小学校の正門に白い、二宮金次郎の小さな像があり、立派な方なんだろう背中に牧を背負って本を読んでいた。今だったらスマホでゲームだろうか。

その隣に私の近い先祖の造像が建っていた。仕方ない私も成功しなくては二度と田舎には帰れないだろう。と思って田舎を後にした。

親父とおふくろはいつまでもホームで見送っていた。

なんだか都会に押し潰されそうだったが押しつぶされた。

まあ いいか! しぶとく50歳まで生きた。

50にして学を志。だが遅いと思うけど。まあ いいか!

苦手だった歴史からやってみた。もう私にはテストもないし、一人ひとり人物から学んだ。そしたら、いつの間にか世界の日本の流れもつながるではないか、苦手だった歴史が好きになった。

使わない脳を使ったから脳溢血になり死んだ。筈がしぶとく生きている。

 68歳になるが、もう一度この世に挑戦できるチァンスをいただければやってみたい。まあ いいか!

 

知恵のかなしみ  (連載ー9)

開口健氏がいう。いろんなものをいろんなところで食って、どうも近頃あまり美味しくない。 知らんでもいいことを知ったおかけで、世の中がつまらなくなる。これを「知恵のかなしみ」という。どうもかなしみが舌に先に出て来て困る。

 昔、聞いた開口健氏のおっしゃったお言葉だ。

ある信者に質問した。何を信じどういった宗教?と聞いたが、質問に答えずひたすら入信を勧められた。それ以上の質問はしなかった。

なぜか、「知恵のかなしみ」を思い出した。

知ってなければいけないのに、知りすぎると信じたことが半減するってことないですか、知らんでもいいことを知ったおかけで、世の中がつまらなくなってしまった。

 ペットボトルの水を高いとわめく人がいた。普通200円で買えるのに5万円も払わされたらしい。

 溺れている人は近くのわらをも掴むという言葉があるように、困っている方は単なる水にしてもありがたい水であれば5万円でも買ってしまう。もし、同じ水が200円であれ喉が渇けば安い水を買うだろう。もしその時、何かに苦慮していたら、同じ水だと証明できてもありがたい水をとるだろう。人間だもの。

その人間の弱わみに入ってくるのも、また、人間だもの。

 

Resetの小さな穴にびっくり  (連載―8)   

 長年使っていたウォークマンが、ウントモスントモ言わなくなった。新しく買わなければいけない。ちょっと遠くに買いに行くのかそんなお金はないし、迷っていたら。ウォークマンの裏に小さな穴を見つけた。Resetと書いてあった、楊枝で押したら、動き出した。

 バカじゃないの“あたりまえでしょう。

 

「広辞林」で調べたら、Recession もどる  と書いてあった。

パソコンでは、すべてを元に戻すこと。最初からやり直すこと。

状況を切り替えるため、いったん、すべてを断ち切ること。

 

50年前、好きだった、おばあちゃんが足の骨を折って20日程入院した。

 家に帰り寝かしたんだ、そしたら、帰ると言い出した。ここは家でしょう、仏壇も見えるでしょう。違う家に帰ると一点張り。

今だったら“帰ろうね、もう家に帰るの遅いから、明日、早く帰ろうね”と声もかけてあげられるのに。

 そしてまもなくして、亡くなった。最期まで手の脈を診るようにいわれていた。脈の鼓動がなくなってくる、脈がきえてまたポツンと、この繰り返しが暫く続いた。今度は30秒かな間隔が長くなる。

きえた。私も真空の世界に入った感覚で、おばあちゃんは亡くなった。おばあちゃんの死をみとどけた。おばあちゃんの命と生きた一生を思った。おばあちゃんは、明治生まれの厳しい人でよくケンカもした。苦労の連続だったと思う。

 

 親が子供を、子供が親に手をかけるニュースも度々聞くが。

人間にも背中にResetボタンがあればいいのにと思う。

バカじゃないの“人間は機械じゃないよ”

機械だったらいいのになあ。面倒な生き物だ。

人生は一度しかない、この瞬間ももう二度と来ない。誰が産んでくれたといってわめいても現実にいる。

親も子供も周囲も人もわかっているんだけど素直にResetできないと

頑張っていらっしゃる。別に変化も望まないしこのままでいいのだろうけど、今この時は二度と来ない、背中のResetボタン自分で押せるようにしたいよね。

おばあちゃんの死が私にResetをおしえてくれた。

 

私とあなた  (連載ー1-あ)    

私が山奥の田舎もん、あなたは田んぼの田舎もん、二人あわせて合掌だん。

私は、長女を入れ5人兄姉の4男です。あなたは弟が一人、3人弟姉妹の次女だ。

私とあなたは、両親も揃ってて、兄弟姉妹もいたが、まともな家庭に生まれた。

比較は嫌いだが、今から250年程前、運命を作曲したドイツ人のベートーベンの父親は宮廷の歌手で飲んだくれて稼ぎもなく、ベートーベンにスパルタでピアノを習わせ7歳でデビューさせ稼がせた。

18歳で母親を亡くし、父親は酒にのまれ、28歳で致命的な難聴になった。

私もあなたもまともな両親だったから、天才に生まれてこなかったのか、私もあなたも二度とない人生を家庭環境が時代がどうであれ、逝きぬかなければならない。

天才と天災を比較にはならないが、振り返れば同じなのかね。

私とあなたは1秒の絡みで、一生を背負っている。

もう何年かしたら土の肥やしになるんだろうが、私とあなたは

共に生きていくこれからも。

 

わたし  (連載―1-い)

孔子は、十有五にして学に志す。としたが、私は孔子より30年ほど遅く学に志した。

数学は苦手だったが簿記は好きだった。自分を活かして社会に通用できるのは税理士になることだと気づいた。都会に出て一旗あげることが目的だったがどこかで狂っちまった。

あなたも詐欺師ね。あなたが税理士になるというから結婚したのに私が詐欺師でなかったらあなたは結婚できなかったでしょう。

 

関所  (連載―1-う)

幼い頃は、街に出るのも関所があった。そんな古い話をしてもわからないでしょう。関所は古いが、村ごとに子供たちの縄張りのようなものがあった。隣の村を超すには、村の親分に見つからないように黙って素通りするか手土産を持参するかだ。

私は素通りを選択した。親に自転車を買ってもらって、嬉しさで海を見るため喧嘩の強い友達を連れ旅に出た。なんだこれは道は砂利道で石ころが余計な音を出す。見つかったよう! 逃げろー

やっと街に着き舗装された道をまるで雲にでも乗ってるようでスイスイ快適だ。潮のみおいもしてきた。大きな船を始めてみた。

海は広いーな、大きいーな、行ってみたいーなよその国・・・

画用紙にヨットを浮かんでいる絵が忘れられない。

 町のお好み焼きが食べたい。メリケン粉にキャベツ、ソース味がうまい。

 ところで、帰りの心配だ。関所があるから、今度は逃げられないだろうから太鼓饅頭を買ってお土産にしょう。友達も賛成してくれた。

 案の定、関所には奉行と家来が待ち構えていた。ご挨拶をしてお土産を出したら無事関所越えができた。

怖かったー。

 

親鸞の「歎異抄」  (連載―7)  

 鎌倉時代書かれた仏教の本だという。

悪人も善人も分け隔てなく救われるというから、私も納得はいかなかった。

ちょうど、中村久子さんのことを聞いていたのできずかされた。これも善人づらしている私が言うのだから信用しない方がいいと意外と自信がない。

 中村久子さんは病気で手と足を途中から無くし、久子さんだから、重度の身体障碍者であるのに、手縫いもできるように親は一人前に育て食っていける見世物小屋のダルマ娘として売られた。

 昭和12年1月17日、目と耳が不自由だった、ヘレン・ケラーが来日した。おなじ舞台で、彼女が久子さんの身体を手探りで触れた「私より不幸な人、私より偉大な人」と言いのけた、これもヘレン・ケラーも立派だ。

 それから、久子さんは見世物小屋を辞め、全国を講演に回った。久子さんは自分の苦労と障害をたかびしゃになって話している自分に耐えかねて見世物小屋に戻ったらしい。

 久子さんはこれまで育ててくれた見世物小屋があったから生かされたと感じたのだろう。

 久子さんも親鸞の「歎異抄」と出会ったおかげで気づいたのだろう。楽に生きたければ、ギャラもいい講演を取ったろう。

 この世に善と悪があるなら、人間が勝手に決めて言うので、悪も善もないのだろう、久子さんに気づかされたことが、私の歎異抄になっている。

 

お金のない世界  (連載-6)   

オイとかエイコとか呼んだことないので、私の妻とも言ったことがないので、お名前で栄子さんとよばせていただきます。

たまに生き仏様にお茶を私の机まで持ってきていただく。「生き仏様」とね。

幼いころ、葬式が好きだった。お坊さんのお経とシンバルと漆塗りのお坊さんの赤いイスと厳粛な緊張感が好きで、その頃は、まだ田舎では土葬だった。おばあちゃん、おふくろ、までは土葬だった。

田舎では、火葬にしたいと、一番言い出しっぺが、最初に火葬されるという迷信みたいなのがあったのだろう。ようやく親父の時は火葬になった。

お墓の石塔の下に遺骨を入れるスペースもなく造り直していた。

親父以降、葬式が苦手で知人などのお葬式では出来るだけ死顏は見ないことにしている。まして、お箸で遺骨を・・・とんでもない出来事だった。

なぜ、こんな話になったかと言えば、喪中はがきが原因だった。え!彼が亡くなった、彼女が亡くなった。というお知らせをはがきで知った。なぜ・・何故・・亡くなったの、お亡くなりになる筈のない方が亡くなられた。兄、姉のようにして心配していただき可愛がっていただいた方でした。宗教的にはどうであれ喪主に毎回、了解を取っている。

あるお金持ちの方にどんな世界を描いていますかという問いに、「お金のない世界」をと言っておられた。ちなみに、何百憶も持っておられる方のようだ。お金のないなどと一度は言って見たいが千円のお金に四苦八苦しているのに、確かにいいことかもしれない。

お金で人の幸せが買えますか?お金で不治の病を治せますか?お金で愛が買えますか?

 もちろん買えますとも!決まっているさ。お金の使い方でどうだってできるさ。ポケットにお金があったので、あたたかい牛丼と紅生姜をたっぷり白いごはんの上にのっけてもらって、もう暮れも近いし街ではクリスマスソングが流れていた。マッチ売りのおじさんが牛丼を手にぶら下げて街をさまよっていた。暖かい白いごはんを誰かに食べさせてあげたいのだが、どうしていいのかわからない。

並行して歩いていた、これ余ったんだ。あっという間に手から離れた。

 タイミングはわかった。またお金があったら、牛丼買おう“!

 お金はあった方がいいと思うが、捨てるわけにもいかない。どこかに寄付したら、売名行為とか言われちゃってやりにくい。

 お金はか弱いが人の心も権力も買える。お金は何千年の歴史の積み重ねだもんな。もしなかったら、自殺者もでてくるかもね。人聞きの悪いが人は欲がある限りお金が恋人だ。

 お金がない世界って栄子さんに聞いた。まず、何百億も持っていたら0になってから考えようと白菜の浅漬けのような答えだ。

ある時、中国のオレオレ詐欺集団が何と6百何名か捕まっている映像をみた。若者みんな下を向いていた。我が子を思い出し、下を向かなくてはならない生き方に悲しみをおぼえた。

日本人もタイで何人か捕らえられている。この子たちを上を向ける生き方が出来ればいいのだが彼らにはオレオレ詐欺も仕事だろうが、これは長年人間が築き上げてきた信頼を根こそぎ崩す行為であり。単に楽して金を手に入れる行為とは違うことを知っていただきたい。

「金は天下のまわりもの」と天のセイにしたいのだろうが高齢者が大金を貯めておかなければならない世相であり、若者が下を向かなくてはならない世相を選択しなければならないのであれば人間世界は崩されていくだろうし見過ごせない。

 

 

要らんこと書きます。(連載―5)   

文明は河によって栄えてきた。黄河、長江、ガンジス河、チグリスユーフラテス河、ナイル河ってね。

 人々を統治するには中国は英雄、人で。インドはヒンドウ教でその前はバラモン教もあった。つまりあのエリアはカーストとか階級制度による制度で、中東はイスラム、宗教で、統治してきた。人なの、宗教なのと両方なのと統治してきたのがヨーロッパ。

 私は男の立場で、話さしていただきます。

英雄、色を好む。古いなあ!

力で統治する時代もあるし、お金持ちになれば高級車を買ったり、女性に溺れる時代もあり。強・弱の時代も繰り返される。

昔、中国の西の端に奏の始皇帝と言う人物がいた。始皇帝というなも初めて呼ばれるようになった。王様の王様だった。この始皇帝は儒教ではなかったので、儒教を信じるものを穴に埋めたらしい。 

ところで、日本はどうなんだろうか、日本は自由過ぎて、主張すると怖い部分もある。何かのせいにしたいところだが、若者から堂々と意見のいえる忖度しなくていいから、そんな方は出るしかないようだ。冷静に話せばわかってくれる筈だ。忖度は日本人のいいとこのように思うがもう今はそんなこと言っている忖度はない。 

 

孔子を知る。(連載ー4)          

夜中と言うかもう朝方に孔子にであった。

孔子は、今から2520年程前、中国の春秋時代の魯国に生まれた。

3歳ですでに父を亡くし、母は30歳で亡くし、父方の親戚に引き取られ「孔」という性を名のった。

孔子というば、年功序列で先人を敬いなさいよ。といった儒教の教えを唱えた方のようだ。父も亡くしただけでも大変なのに、母も亡くし一人孤独で生きることも大変だったろう。孔子と言えば、日本では専制君子のように思われてきた。実際、私も知らなかった。

 弟子たちが孔子の教えを「論語」にまとめたものを残している。有名な言葉に

「十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲するところに従えども、矩(のり)をこえず」

この言葉を残しているのは恐れおおくも、孔子は幼い頃から人にもまれているように察する。今でいうなら負け組のようだ。

釈迦も8年先輩で仏教を生み、孔子は論語で人様の生き方をしめしてきた。私のおばあちゃんの傍で、もく魚を叩いてきたので耳から「般若心経」を自然と口ずさんできたが、色即是空の教えを知った。

形あるものは、すべて空だといっていた。

 

孔子は、「仁」を示しているようだ。仁の字には、人が二人ということだから、例えば、優しくしてもらうためには、先に人にやさしくすること、出世したかったら、先に人を出世していただくこと、自分が嫌なことは人におしつけるないこと。とか生き方の指針を示された。

誰かが言っていた。人を愛しなさいといわれても。愛する範囲は、自分の子供、自分の所有物や私の意見に同調するものは愛するが、敵対すれば、憎しみとなる。そんなエゴな愛ではなく、相手のためになる思いやりが必要となる。日本人の物差しが一本になっている。それが損得かの尺度になっている。 

金持ちになることが幸せじゃなく、例えば、「おいしいものをたべる」と

「おいしくたべる。」とは違うと思う。

おいしいものを食べるには、金持ちになる必要がある。仕方ないか、

戦後のまずしい体験から日本人は豊かになりたかったから物に執着したので誰よりも金持ちになることが目的だった。金を貯めることが目的で損得勘定がうまれた。成功して、高級車を買い、綺麗な女性とも恋でもしたい、これは余計なことだが、田舎に錦を飾ることが成功者であったのだろう。金持ちになればなるほど金を出したがらない。

 戦争体験のない私でさえこんな考えなのにわかるような気がする。

 これも、孔子の教えだとも思うが、「天」と言う字も人が二人と書く。

私が高速道路で追突された交通事故の時、「天はまた私をお試しになられるのかと」と思った言葉だ。試されよ。

 

壁紙事件(連載ー3)

私も幼いころから大工が好きで屋根にペンキを塗ったり、レンガで門を作ったり日曜大工の経験も技術もあると思っている。

 一日目、5時間かけてこれだけと妻は文句が言いたげだが、妻に話した。私はこ の家なんてどうでもいい、この子供に一つの自信というものが育てばいいだろうってね、かっこよくいったものの。

 二日目、壁が布でできてて、ペンキを吸ってしまうからペンキののりがわるいしペンキの量もかかる。今夜、妻にお願いして、軽く下地のつもりで一度塗りをしておいた。

 三日目、子供が来るなりここからやるからねと昨夜下地の塗った壁の別を場所の壁を始めようとした。妻に先手を撃たれた。喧嘩はやめなさいよ!

じっくり子供と話したら、昨夜一度塗りした壁からはじめてくれた。

私は暖かいところでお茶でも飲んでいた。夜遅くまでやっていた。なかなか!

明日は、用事があるから来れないという。

 今、壁紙を調べているから任せろというので、口出しはしない。

この壁紙事件で責任をもってくれればいいが最後まで私が口出しないでいられるか試されそうだ。

 

人を怒らせる方法って考えればきりがない。反対に笑わせる方法って難しい。

「あなたの奥さんとてもぶさいくだよね。ほんとぶさいくだよね。

 信じられないくらいぶさいくだよね」

「私イケメンがいいわ、それにひきかえあなたメンくらうほどイケてないのね」

これだけ言われて怒らない人はいないだろう。こんなこと面と向かって言う人がいなかったから笑ってしまった。怒りは笑いに変えられる。短い人生、人になんて言われようが笑いの人生を選びたい。

 壁紙は子供にお願いするとして、ひとつひとつのことが子供への遺言のようだ。私には、まだ屋根のペンキも残っている。

 

 

 

 

損得勘定
損得勘定(連載ー2)

「損得勘定」は車の両車輪のようにバランスをとっていないと真っすぐには進めない。

簿記って知ってる。聞いたことあるけど、それじゃ話してみるか? 

損得勘定=損益勘定  金=現金勘定 と思ってね。

現金勘定があるとする。この現金が増えれば、必ず相手勘定が増加する。例えば売り上げが増えれば、現金も増える。現金が減れば費用が増える

まさしく、損得勘定は、得したと思ったら、何かが損をしている。まして利益がいつも出るとは限らない。

会社の経理課に勤めていたころ、出納の窓口にいたころ、この損得が貸借(左右)合わないと帰してはくれない。

最近、はやっている「あおり運転」を見てみると。

アオリ運転していると気持ちがすっきり得した気分、だけどアオリ運転された人は恐怖が増す。車上カメラで撮られて、罰金やらで出費が増える。人間の世界も損得勘定で成り立っている。

最近は、テレビでも映し出されるが、まさか、こんな方がと警察に護送されていくのをみる。私の幼い頃はラッパズボンをはいてボタンを外してそれらしき恰好でよたっていた。大体、偏見だけど悪い奴のタイプが読めたが、今は世間でいう普通の方が悪びれもなく犯罪を犯している。だから、防犯カメラもいたるところに設置されているのだろう。車上カメラの売れゆきもよくなり世間は得をする。世間は世知辛くなって損をする。

「この何かが損をしている」のが気づかない。

今、若い私の子供に教わっている。家も築30年もなり、壁紙を張り替えることになり、子供がはりかえてくれるようだ。今はやりのスマホで調べているようだ。

 

通じない(連載ー1)

道を挟んで言葉が通じない。と聞いていたが、時を挟んで言葉が通じないのかも知れない。

 山奥から都会に出てきて来て、どうすりゃいいのか西も東もわからず、周りはみんな頭が良さそうだ。忘れはしない、日比谷のある図書館に勉強というなのことをしんにいった。こう言いながら、方言を使うわいがいた。

 2階の自主室にのぼったら、誰かの葬式でも来たように静まりかえっている。なんだこれは、厚い本を左手で添え、眼鏡をかけた大男が隣席で黙々と本を読んでいる。私も負けじとふろしきから厚い本を出して読むふりをした。

 数分して腹が減った、確か地階に食堂があったのでうどんを食べた。食べたら眠くなったのでしょんべん臭いアパートに帰ることにした。

 これがワイが知った、初日の都会人の印象だった。みんな賢そうに見えるんだもの。新宿に行ったら、今日は祭りなのか大勢の人が神輿でも見ようとするのか人混みを足早に歩いていた。

 私もこの先を急いだ。暫く、歩いても神輿などない。これが都会と知った、まったく山猿ってことだ。

 ヘルメットを持たされ、手を組まされ、歩道橋から写真を撮られ、道路を早足であるいていた。これがデモというものらしい。

 税理士で一旗あげて、たっぷり金を稼いで田舎に錦をと思って都会に出てきた。がそんなに甘いもんやあれへん。

 生きる道などというものは、コロコロ変わっていったわ。スーパーマーケットで月光仮面の切られ役をやったり、切られて寝ていると子供たちが棒で叩きにくる。運送会社で引っ越しのバイト、喫茶店でわからぬケーキのオーダーをされ面食らったこと、夕食もでたので助かった。

 悪いことはするなよと、おふくろ、おばあちゃんの顔が浮かんだ。

結局、サラリーマンも経験させていただいた、経理課だった。

 姉が銀座に店をだすので手伝っていたら、どっぷり入ってしまった。銀座は、コーヒーとアダモの歌が流れ、異国の雰囲気だ。

銀座は日本のど真ん中、人間も真摯で知識人だ。そんな中いつの間にか時が過ぎた。知ったかぶりから始まった銀座の街。それはそれは一言でははなせない。

 若いときは老いることも病むことも忘れ、老いて突然、死を知る。

私に子供3人授かった。妻にいわせりゃ私が4人目の子供らしい。それは認める。

 車からディズニーの音楽が流れた。これは、マイウェイの曲だ。口ずさんでいると子供がお父さんこの歌知ってるのとまじに尋ねられた。子供の車で聞いた。子供は長男の39歳だ。子供にかかわらずこんなことが度々ある。若い人たちと話していると私が当たり前のことが知っていると思って話していると話が進まない。最近は、この方知っていると尋ねて話をすることにしている。そうでないと、時代が違うのか通じない。

 よくご年配の口から、若い子の愚痴を聞かされるが、若い子を理解したと思うとまた、違う。違うと思ったらまた違う。違うと思ったらまた戻される。何だかわからなくなった。辛抱辛抱、諦めたら負けよ。だって、スマホもあり便利な知識の先生がいつも傍にいるんだもの若い人も、私よりはるかに知識人のようだもの。

時が挟んで言葉が通じないのであって、若い子が私を理解してないのと私が若い子を理解してないのと絡まれば言葉が通じないのは当たり前。

若い子は、自分の考えを主張しないのは、大人もそうであるように、忖度するのだろう。主張すると実績もなく、偉そうに皆から,「なにさま」と言われたり、抹殺されるのだろう。目立たない目立たない、「別に」と言っとけば安心だ。

 

「忖度」ソンタク

 他人の心情を推し量ること、また、推し量って相手に配慮することであるが、特に、立身出世や自己保身等の心理から、上司等、立場が上の人間の心情を汲み取り、ここに本人が自己の行為に「公正さ」を欠いていることを自覚して行動すること、の意味で使用される 。「忖」「度」いずれの文字も「はかる」の意味を含む