連載

🍙おにぎり一つ   (連載―327)

行ってきまーす。おにぎり一つとお茶をここに置いとくからね。妻は明るく、つるし飾りの教室に出かけた。

 私は70歳の浪人生活。せめて明るく送り出してわかれた。帰りは時間気にしないで気を付けて行ってらっしゃいとね。

 妻は必ず🍙おにぎり一つとお茶を私の生き仏にお供えして出かける。

 私は山奥の田舎者。妻は田んぼの田舎者。妻は、ちぃっぽけな庭からミョウガと山椒か大葉を取ってきて、私はご飯の上にふりかけて食べる。妻は田舎者にかぎる。

 今日は、私が天災バカボンのパパ。妻は単なるバカ。明日は私が常識がない子供じみたバカ。妻はおとなの子供を🍙おにぎり一つで教育する天才かあさん。

 家庭も社会もみんな天才であったら、住みずらい。バカもいれば秀才もいる。幸い私には一人の妻がいる。バカな時も天才な時もある。稼ぎのない旦那だから、週に3日ほどパートで働いている。社会のこと人間のこと、ちくいち妻からの情報が頼りだ。そうすると妻は私の天才だ。しかし自称バカと言っている。

 コロナで会社も様変わりする。娘の旦那も何処に住んでもいいからテレワークで仕事をするようでマンションを探していた。わけあり物件を誰が見つけるのか天才とバカの区切りがおもしろい。

 現在は世の移りのスピードが速くて、ホンの4,5年前にあったことも知らない人もいる。ラジオで今日は何の日と番組があるが全然わからない人もいる。

 そうだ、分かる人、分からない人がいるから今日という日がスムーズにゆっくり過ぎて行くのだろう。みんな賢くなろうと頑張っていようが頑張る人もそうでない人もあらわれる。都会も田舎も同じさ、一部分気楽にケセラセラ(Que Sera Sera)。なるようになるさ.

フランス語は「Bonjour」こんにちは」は知っていた。これで私もフランス人。

スリー・グレイセス  (連載―326)

イベントのゲストにスリー・グレイセスをお迎えしたいのだが、今は活動していないと言う。諦めきれず無理やり3人にお願いしたら出来そうであればやっていただけるようだ。手のひらにマジックで歌詞らしきものを書いていた。歌声が聞こえる。

コンコン・・ドアを開けたら私の毛穴が立った。3人のハーモニーがこの世を包み込む世界をみせてくれた。

銀座で商売をやっていて自分の無知さに

毛穴が立つことがあった。

 私のために再結成していただき夢を見させていただいた。「夢で逢いましょう」って

あった。この歌は遠い田舎を思い出す。

 「山のロザリア」は私の夢。魔法使いサリーもスリー・グレイセスが歌ったんだって。

さあ・・・聞いていただきますよ。

 

西の国の南蛮人  (連載―325)

作詞、作曲:テル中村

編曲:なかつ道寺(わたし)

自室で昔の話のような変なCDが出てきた。みんな生きてるか定かでないが東夷の国から変な奴。

 

駅のホームでゴルフのスイング

腰に手をあて牛乳飲む

食事に行けばいつもコースメニュー

おしぼりで顔を拭くよ

仲間が集まれりゃ病気の自慢

血圧 r-GTP

血糖値、尿酸、ヘモグロビン

正常値は仲間はずれ

 

街でばったりスッピンの知り合い

相手はニコニコ手を振るが

私はキョトンと首をかしげて

お辞儀をしながら考える

そう化粧が化粧がなけりゃ

どこの誰だかわかりません

そう化粧が化粧がなけりゃ

名札をつけて歩いてね

 

大相撲は迫力満点

土俵狭しとぶつかって

突っ張り張り手でみんな興奮

座布団舞い散る国技館

でも、マゲがマゲがなけりゃ

ただのデブの大ゲンカ

そうマゲがマゲがなけりゃ

裸のオヤジの仲間割れ

 

電車で人目も気にしないで、化粧する人がいる

座ったとたんに塗りはじめて、降りるときは別の人

ときどき電車が揺れると、くちびるがオバQ

鏡で自分の顔を見て笑いこけるバカな奴

君は自分の化粧がケバイと思わないか

わがまま自己中のシンボル電車のメイクアップ

 

顔は覚えていますが名前が出てこない

もやもや気分で1時間話し続けました

クラス会の初恋の人、関節痛で盛り上がり

動悸息切れ更年期、ああ年はとりたくないですね

 

あいつの嘘つき極め付き

話はふらつきおもいつき

言うことバラつき、おまけつき

おひれがつき落ちがつき

顔つきびくつき、ぐらつき、まごつき

みんな突っつき、足がつき

信用がたつき、周りは凍り付き

鼻につき、愛想つき、運のつき

あいつも こいつも 運のつき

 

ウインナーコーヒーの中にはソーセージが入っていると思っていた。右中間突破の三塁打、ボールは宇宙に消えていく、親子水入らずは家族で絶食、太っ腹は単なるメタボ

乾布摩擦は寒い日に風に吹かれてするもので選挙カーには5000円、寄付するものだと思ってた、ご声援ありがとう

 

話したことすぐに忘れ、言われたこと根に持つ

年の割に若いですね、医者に言われ喜ぶ

でも病気の原因尋ねたら、それは年だからと医者は

言う。

昔自慢、説教癖、ああ年は取りたくないですね

ああ年は取りたくないですね

 

点と線   (連載―324)

 「点と線」と言えば、たらこ唇の故、松本清張を思い出す。推理小説で事件のアリバイづくりで連絡船の、飛行機の、列車の、時刻表をはじめてペラペラめくった記憶を思い出す。

点が線となればアリバイが崩れ事件は解決し犯人も捕まるのだろうがなかなか線にならない。

 何を点と、とらえるか人によって違う。今は情報があり過ぎてあっという間に素通りしてしまう。松本清張ってどこのおっさんなんておっしゃる方もいる。ある新聞社の方のお葬式に参列した時にほんの小声が聞き取れる近さでお見えにかかった。特徴のある黒ぶちメガネと厚いくちびる ア!点と線だと思った。

もうお亡くなりになったが私にとっては古くない事実だ。

・・・・点・・・・・が    線      に 

 

パラリンピックを観戦して手足がご不自由な方、又はなかったり。生まれつき、事故で、サメにかじられたり各個人がいろんな事実を背負っている。

ある一人の方の見方です。障害のあるなし関係なく普通の人として自然体で接する海外の選手を見て、障害者も健常者も何の違いもないんだということを知ったのが驚きだった。

 

 驚きを感じた日本人とこんなことが日常化している海外の方たち。どちらも同じホルモンがでているにしても感じるホルモンの違いによって、日本人の繊細な物づくりに表れてくるんだろう。

 当たり前の日常、稀有な日常。触れ合うことで違いを知る。

 

「失ったものを数えるな、残されたものを最大限生かせ」

“パラリンピックの父”と呼ばれるイギリスの病院の医師、ルードウィヒ・グットマン博士の言葉。

 

これも、あるお一人の意見です。

「できなくなったことではなく、今できることに目を向ける
 パラリンピックの精神は、コロナ禍の今の逆境を乗り越える力になると考えています。

影の方にも金メダルを、パラリンピックの一部を見て、大変おこがましいが、車イスを押されている方、手にひもを結ばれているかた、口にひもを、手に手を、抱きかかえて、スタートラインに立って背を見送る。選手と共に戦う懸命な姿に私はただ手を合わすだけ。

足利氏は栃木の足利銀行に関係あると思っていた。(バカ笑)

私の意見なんてこんなものさ。

 種子島に鉄砲が伝わる。ザビエルがキリスト教を伝える。本能寺の変。関ヶ原の戦。赤穂浪士の討ち入り。ぺりーが浦賀に来航。日清日露戦争。関東大震災。広島長崎に原爆投下。などなど不思議なことにこれが私の点となった。突然、点が線に変わった。変わったというより点が線につながった。

 昔の話を古めいた話とするか未来の話とするか私は点のおかげで自分の足で立つことができ杖をついて少しは歩けるようになった。点が線につながった。

 一個の人間の命がたやすく消されている映像をみてアレー!と衝撃を覚えた。機銃で人が銃殺され、多くの人が首を吊っている。今生きていたのに。

 日本は単一民族のようで宗教も仏様神様も仲良く島国でよかった。雨も多く綺麗な自然で四季もありいい国だ。トンネルのむこうは雪国だった。雨が多いから土に栄養は欠かせない。

 ある国では民族も宗教も違うから殺し合いがたえない。そんな時代が来ないように無関心ではいられない。私は70年生きてきたが若者のSmartな生き方に学んでいる。

 古いも新しいも人間の性格と欲は1000年経ってもそんなに変わっていない気がする。

 歴史は人が書いたもので教科書に書ききれないこともあるしあまり変なことも書けない。分析力も発達して変わってくる。

歴史は事実を記録するのはあたりまえだが、私の歴史はいろんな見方から事実をとらえたい。

私の脳裏には歴史の事実の変更をしない。一つの見方として、参考にしている。

 パラリンピックを聴こうとラジオのスィッチを点けた。賛否両論だろうが日本の選手が「君が代」を唄っている声を初めて聞いた。

 ある選手が「限界」は超えるものだ。と言っていたが手足のご不自由な方が限界を超えたプレーをなさっている姿にみて、続けることの大事を知った。続けることが点であれば線は「限界」を超えたもののようだ。

 

 

クラーク博士の晩年   (連載―323)

どこのおっさんだか知らないが博士とついているからただのおっさんじゃないようだ。

 今から約140年の前、北海道に農業の専門学校を作るため、当時、世界でも最先端の知識のあるクラーク博士をアメリカから迎えた たった8ヶ月の契約で今のお金にして1億円だったらしい。明治維新になり江戸時代に諸外国と結んだ不平等条約の改定にと思ったがそんなに甘くはなかった。岩倉具視を団長に木戸孝允(桂小五郎)、大久保利通、伊藤博文、などらとアメリカ、西欧に派遣された。とにかく、日本が西欧と肩を並べられる国づくりをそんな時代だった。

  有名なクラーク博士の残した言葉に「青年よ大志を抱け」(“Boys, be ambitious!)がある。クラーク博士の大志の意味が違うようだ。滞在期間は短かったがクラーク博士のお人柄を含め随分、学生らに影響をしたようだ。農学校は後の北海道大学の前身だ。

 クラーク博士は船で各国を訪れ生徒が学ぶ船の学校を作る夢があった。生まれ故郷のマサチューセッツにかえり、1億円も含めて更に、資金を作るために鉱山経営に手を出し、出資者から詐欺罪で訴えられが裁判で彼の罪は晴れ、晩年は恵まれなかったと聞く。

 今年の北海道は熱いようだ。冬は雪かきか。マラソンでのコースに北海道大学の構内はよかった。

 函館の友人宅に行ってお寿司を食べよう。函館山から夜景をみたい。石狩川を人工衛星の光が上っていくそんなところに行ってみたい。

 

どうしたら   (連載―322)

噂によると3億円当たったんだって。その日から電話が鳴わ、知らない人も押し寄せてくるわ。ひっそり雑貨屋さんを営んできたが、どこかに消えたと聞く。

どうしたらいいのだろう。宝くじを買うからよ。買っても当たらない、買わなきゃ当たらない。これが私の感想だ。万が一当たっても不幸中の幸いともいかないだろう。

宝くじが当たったとどうして知れるのか、個人情報もあるのに、びつくりして、本人が知らせるのか私には未だにわからない。

出世して偉くなり、高級車に乗り、立派な家に住み、いいものを食べ贅沢なくらし。老後の貯えも万全。アレーボケちぃまった。そんなものかも知れない。物事を科学的に、また宗教的に考えてもあの世から帰ってきた人は心当たり無い。

いまさら、聖徳太子は実在してないと言われてもどうしたら。飛鳥時代とか暗記したのにどうしたら。もう石器、縄文、弥生、古墳、飛鳥はほっといて。

さて、今日は孫と子供とステーキを食べに行こう。コロナで「どうしたら」。

 

目先のみらい   (連載―321)

自分の部屋もなく、机はみかんの木箱それでいて勉強はした覚えもなく親から勉強しなさいと言われた記憶もなく,かろうじて高校は村の分校に入れていただいた。

 分校の校長と簿記の先生の何気ない出会いで私の方向を示してくれた。

校長からトイレの裏の草取りを命じられた。肉体労働は得意だ。苦も無く済ませて帰宅した。   

校長は何を勘違いしたのか校長からお手紙を頂いた。手紙の最後に「合掌」という文字があった。

 こんな難しい文字は初見で意味が分からず秀才な兄に尋ねたら、校長はお前に手を合わせてくれた。お前何か悪いことでもしたのかと兄は言う。校長にじかに会い伺った。人の目には心の目もあって見てないと思ってもきちんと見てる人がいる。それを感じるには学ぶことの大切さだ。簡潔にわかりやすく合掌のことを話していただいた。

 さっそく、家に帰り使っていない庭鳥小屋を得意な大工で自室と机を作った。鳥の乾ききった糞も払いのけながら。

「仏作って魂入れず」といわれたくないのでワラバン紙を買ってきて丸暗記の基礎からはじめた。

 簿記が好きで簿記の先生によく聞きにいった。

進学するつもりはなかったが簿記が得意だったので、その当時、簿記が選択科目だったので人生が開けた。
 1970年に大阪の吹田で行なわれた。故 岡本太郎のさんの太陽の塔で象徴された日本万国博覧会(大阪万博)頃だった。

大阪の梅田駅から夜行鈍行列車の床に新聞紙を敷いて12時間もかかって花の東京に着いた。

東京のかつお節とお茶の品のあるいいにおいがした。日比谷公園の中の日比谷図書館に行った。シーンと静寂でみんな頭がよく見えた。次回から分厚い本を開いておいて賢そうに見せた。分厚い本に隠れて寝てしまったことも多々あった。ならびに煉瓦の茶色い建物が日比谷公会堂のようだ。

 親に頼るわけもいかないのでいろんなアルバイトもした。ウルトラマンの悪役でスーパーの駐車場で倒れて寝ていると子供たちが棒で叩きに来る。これってバイト代に入っている。

 粗相のないようにといわれていたがまさか男性が布団に入ってくるとは?

粗相の意味がわかった。

 もう私も69は過ぎたわ。もうだめだ!と思ってもアレーと流れに助けられ、ラッキーなこともあったし、よく生き延びてこれた。

  • 甘い誘惑に流れにながされることだってあった。
  • ある人から危篤の見舞いに50万を貸してほしいと頼まれたがそんな大金はないので、かき集めて10万円ができた。お見舞いとして手渡した。50-10=40となる。40はその方のおかげで得をした。
  • ある俳優がその都度、遺書を書いて難民キャンプの子供たちに食べ物を奥地まで届けたが子供たちの目の前で食べないと食べてくれない。

別れ際に子供たちが足にしがみついて話さないという。私は身体じゅうに電気が走った。

この3つにことが私の生き方の元になったようだ。

    パ!会ったその日から恋の花咲く時もある人と咲かない人もいる。

    東京に来て女性が私の周りにとぐろをまいて、てっきりモテルと思っていたが、なんだ私の方言が面白かったみたい、失恋だらけ。

   高田馬場駅の伝言板の前でふられたこともあった。

    明治生まれのおばあちゃんから耳伝えの般若心経。大正時代生まれの父母に育てられた覚えがないが親のうしろ姿をみて育った、危うく、幸運に生きてこられた。もう目先の未来をどう作っていくかだ。

    せめて、子ら孫たちが生きている世が安泰でありますように目先のみらいでも、このジィジが守っていかなくてはならない。と思っているが、誰が教えたのか私の不自由な身体を気づかって小さい子がジィジの手を引いてくれる。

 

 あなたは孤独かい?それはよかった。

「私の孤独」という歌が有ってな、私と私の孤独がいつも寄り添っていたんだと。

私のそばにいつも私の孤独がいるからいつも二人きりなんだよ。決してひとり孤独なんかでないんだよ。そんな内容の歌だった。

母が自殺した時、この歌に涙したこと思い出した。涙もひとりの孤独のようだった。

あるプロディーサーが言われていた。漫才はどこで切ることもできるが落語はそうはいかないから話の半ばでとおことわりを入れておわらせる噺家。

世界の人口は増えているのに、人手不足とは。

半導体不足で物が生産できないと聞く。天候も経験したことのないと最近は命を守る行動を。AIが人を殺すようになっている。このままでいくと目先のみらいが精いっぱいのようだ。

百年後の未来などと想像してきたが今は10年後が想像できない。アメリカから短期間に日本にいらした北海道大学のクラーク博士が「青年よ大志を抱け」(“Boys, be ambitious!)の言葉を残した。「青年よ大志をもて。それは金銭や我欲のためにではなく,また人呼んで名声 という空しいもののためであってはならない。人間として当然そなえていなければならぬあらゆることを成しとげるために大志をもて」

今こそ、この言葉がふさわしいかもしれない。

「青年よ大志を抱け。」大志を抱ける世にしなければね。

 

平和ボケと零銭   (連載―320)

敗戦の記念日を、終戦記念日とした。記念日だから終戦のほうが聞き映えがする。

私も26年生まれ。故 堺屋太一さんが言われていた団塊の世代の後のころに生まれた。

幼いころ、戦艦大和が好きで木で模型を作っていた。舳先のカーブが何とも言えない曲線で全体的にかっこよかった。

零戦もすばらしい曲線だった。軽くて小回りが効いて敵機の背後に回り込みその無敵ぶりは小学校の先生から聞いていた。

 毎年8月15日は終戦記念日であらためて零戦の名称を調べた。今は便利なものでインターネットで教えてくれた。 

当時の日本の軍用機の名称は採用年次の「皇紀」の下2桁を冠する規定があり、零戦の制式採用された1940年(昭和15年)は神武天皇即位紀元(略称・皇紀)2600年にあたり、その下2桁の「00」から「零式」とされた。

らしい。戦中に零戦の優れた性能はアメリカ軍に分析され零戦の優位はなくなった。

戦争を知る人も高齢者になり、伝える人も少なくなったがインターネットで「硫黄島の戦」で検索したが戦争の悲惨も十分に悟った。

子供心に零戦に乗ってかっこよく戦ってみたいと思ったが戦争ごっこもやって遊んだ。今は、たとへ平和ボケとか言われようが戦争ごっこは子供のころの遊びで終わった。

 硫黄島に行ったとき洞穴の中にはおもちゃのような戦車があったが海はすぐ近くに見えたが石でも投げて戦ったのかそんな馬鹿なことを連想した。

硫黄島は出来立ての平らな火山島のようで洞穴の中は熱かった。山でもあれば山の陰に隠れて密林にでも逃げられるのに洞穴をでないように命令されたらしい。

水も食べ物も弾薬もなく、洞穴に潜んでいたらしい。

アメリカ軍の火炎放射機で洞穴を攻められれば焼け死ぬほかない。

 私は戦争の体験はないが、学ぶことで戦争を知った。現在の自由な世界はいつまでも続きますように願っています。医療崩壊、野戦病院、疎開生活、洪水被害、日本は日露戦争に勝ったのに領地と賠償金をもっととるべきだと世論が大半だったと聞く国民は何も事実を知らされなかったと聞くが国民の勢いは止められなかったのだろう。

今もあの時代の繰り返しに思えてしょうがない。

何処かの国民が国外に避難するのに飛行機にしがみついている姿に他人事には思えない。

 いつまでも自由な世界でありますように。

 

また、試されて  (連載―319)

空を飛んでいる、いつおさまるのかこの騒ぎ。下をむけば妻が頭から血を流していた。いねぶりしたんだろうと怒鳴声が聞こえた。突然何が起きたのか理解するのに時間がかかった。車は反対向きになりほとんど大破したようだ。後ろを走っていたトラックの運転手が交通整理をしていただき通行止めと救急車を呼んでくれた。ようやく事故を知った。よかった地球が無事で。

神は、また私をお試しになってくる。妻も同じこと思ったようだ。

 今夜も、妻の運転で帰る途中の事故。ある車のいねぶりで後部からぶつけられたようだ。

 警官から、よくこの事故で二人とも助かりましたねと、ねぎらいの言葉をいただき、妻は入院。私は無傷で其の日の早朝、長男の車で帰宅した。

 脳溢血で倒れた時もお医者様が奇跡を起こしてくれた。

 長男には脳溢血、東北地震、今回の交通事故でお父さんはしぶといと褒められた。

 しぶといと言われれば今回も奇跡的に助かった。後続のトラックが奇跡的に止まってくれたから助かったが、死ぬも生きるも紙一重だった。

 夢でも見たのか、車窓からみどりの木々が飛んでいた。ずいぶん郊外に来た気がする。ここはアメリカ南部の病院の裏口のよう。車が傾き地下に向かっていた。ゴトンと何かを乗り越える衝撃を感じ、外を見た。

 ガスボンベが多量に置かれていた。地下のようだ。進むとのぼり階段の上には人が並んでいる。

 とっさに、携帯電話を取り出し妻に電話した。たしか深夜1時を過ぎていた。

 私を焼殺す気かと言ったことは覚えている。考えてみればずいぶん酷いことを言ったようだ。6畳の小部屋に白馬が横たわっていた。日光にいた白馬を思い出す。続きは時間切れ。

さあ、妻をむかえに行こう。

明治のおばあちゃんが大正生まれの父・母が紙一重の私を守ってくれた気がする。

後になってお世話になったトラックの運転手の方にお礼のことばを言いたかったが個人情報の壁で教えていただけなかったのが心残りだった。

 

ああー!生きてたの❓  (連載―318)

朝っぱらから親しい友人からの電話だ。佐藤まさ雄


(仮名)さんが死んだらしい。

 インタネットの掲示板で知ったが佐藤まさ雄さんが死んだと掲示してあったという。親しい友人とは直接付き合いはないと思うのだがご親切にご連絡くれた。

 大変だ、二日前に元気で別れた佐藤まさ雄さんなのに、突然の訃報に驚いた。

 とにかく掲示板を確かめよう。年齢も履歴も最近の活動状況も納得。お名前も同じ字を書く。

 間違いなく佐藤まさ雄さんだ。

人間の寿命なんてわからない。あんなに元気だったのに信じられない。親しい仲間に5,6件メールをした。

 二日前にも飲んだ仲間に連絡を入れたが留守電だったので事情を入れておいた。すぐ返答があり、別人ではないかと笑っていた。

 亡くなられた友人の奥様はお忙しいだろうから、私は急ぎこれからお邪魔だけどお手伝いに行くところだ。

 伺う前に奥様にご連絡しておこう。もしもし、お声から死んだ本人が出た。もしもし佐藤さん、あなた生きているの?お化けじゃないの。

 失礼な!生きていますよ。あなた、ちまたでは、死んでいる筈なんだよ。今更、生きていられると困るんだ。

本当に生きているのと問いただしたが本人が生きているというから間違いない。

 さあ!大変だ。私がメールした友人には至急あやまりの連絡をした。掲示板を見て私のように勘違いする方がいるかもしれないから気を付けるように掲示しておいた。

 ところで、友人の訃報を連絡してくれた方には丁寧に事情を説明して感謝申し上げた。 私の勘違いだけで友人が無事で安堵した。

 

不思議な話(連載―317)

近所の爺さんが死んだんだって。そうそう、山火事にあって焼け死んだのよ。今、会ってきた。おふくろが話してくれた。

かわいそうに、もう炭になって顔もわからんで布団に寝かしていたという。爺さんは足が不自由で段々畑の畔の草に火をつけ、その火が山に移ったようで爺さんは無我夢中で火を消そうと足の不自由を忘れて山に入った。

当然火の周りも早く、爺さんは木の二股に足を取られ焼け死んだということだ。

おふくろは婦人会の人たちと忙しく葬式のお手伝いに奔走していた。

ところが、お葬式の二つ日後、ある方が車のバックミラーに真っ黒い人が写るという噂がひろまった。話題の少ない小さな村にあっと、ひろまった。私も私もカブ(50ccのバイク)に乗りふと振りかえるとうしろに真っ黒い人が乗っていたと。また新しい噂がひろまった。

そこは「かまきり峠」と言って爺さんが死んだ山だ。峠には隣の村とつなくトンネルがあった。  

山水が天上から滴り岩むきだしのトンネルがあった。当然、トンネルには灯りもなく暗かった。「出べそ」のようなバスの女車掌が「オライ・オーライ」と誘導しなければ通れない狭いトンネルだった。

山の上からオーイ・おーいと誰かが呼ぶ声が聞こえる。登ってみると誰も人らしい気配も感じないという。

きっと、焼け死んだ爺さんではないかと噂だ。

どこも噂で話題は尽きない。仕方く近所の人が寄合のように集まり、真剣に話し合っていた。

 神主様にお願いして一度、お祓いした方がええな。と大人たちの話がやっとまとまった。それまでおばけの怖い話を聞かされていた私は寝るに寝られない。

 テレビもなく大きな真空管のラジオがわが家にドゼンと座っていた。思い出した、アメリカのケネディー大統領がダラスで暗殺されたニュースを深夜に聞いたあの時代だ。

 結局、15キロ離れた町の神主様に来ていただき、また大人たちの宴会がはじまった。

 神主様の話に障子を挟んで、となりの部屋で聞いていた私はこの世におばけが出ても不思議でない。とにかく怖かった。

 村の人たち数人と神主様は爺さんが死んだ現場に行きお清めしたらしい。不思議と以来から不思議な現象な無くなった。

 14年前に帰ったらトンネルは広くなり道も舗装され昔の思い出はなかった。今は両親もおばあちゃんなく、みんな死んじまった。

 見上げれば雲の流れはそのままだった。あしたは晴れそうだ。

 

 

 

どういうこと六曜と三隣亡  (連鎖ー316)

トイレに腰かけてカレンダーを見てると「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」の六曜と別途に三隣亡があった。

 サンリンぼうは子供のころよく使っていた。「今日は最悪だよ」そういう意味で「三隣亡」を使っていた。

 「六曜」は字から何となく理解していた。

六曜は、その日の占いのようなものと軽く信じていた。

 仏滅はお葬式はいいと思うけど祝い事の日は避けた方がいい。悪い縁をきり再出発しょうと思う人にはこの日はいいようだ。

 赤口は仏滅より悪い日で大凶といった感じだね。

 

 立派なホテルでお金をかけたお父様が、もう別れたんだよと。私に嬉しそうに話しておられたが男親としてはわかる気がする。

六曜はその日の「NG」を考えるヒントにすればよし参考になる。

三隣亡は建築関係者の大凶され、棟上げ、土起こしとか建築業者の一切の凶日のようだ。行うと三軒隣まで亡ぼすとされる。怖いですね。三隣亡は高いところは禁物ともあるらしい。

占いは信じない訳ではないが占いを信じている方の心を傷つけないように、これも闇雲につけられたものでもないし、誰かの思いもこもっていることだってあると参考にさせていただく。

三隣亡と50年ぶりに目にしたので懐かしく、しかも意味がちがっていた。

私にとって新しい発見だ。やれやれ今日は三隣亡だよ。

六曜・三隣亡を知ることに、何の利益もないだろうが、私に色をにじませてくれた些細なことだった。

 

 

アジア植民地支配  (連載―315)

私の生まれた日本は第二次世界大戦に敗れて、西欧に追いつき追い越せでアジアに目を向ける余裕もなくアメリカ、西欧にひたすら目を向けていた。

 

 村の近くにアメリカのB29爆撃機が墜落したという。戦後、まもなく教会が建てられたらしく、アメリカの兵隊さんの乗る黒い外骨のようなバイクにあこがれた。

怖かった。屋根の上からアメリカ兵が通るのを覗いていた。

 

山の頂上にテレビアンテナ棟が建てられ昭和39年の東京オリンピックをみることができた。

 賛否両論はあるけども東京で2回もオリンピックを見られるとは思わなかった。

 時代は変わり、時は過ぎてゆくなかで違いを知ることでいろんな世界が見えてきた。

 今も新事実を知ってそうだったのかと、あらためて50年ぶりに納得すことだってある。

 

日本とよその国、日本人と外人 なぜ、同じ人間なのにこうも違うのか。

たとえば、お風呂を考えた時、ある人は身体をきれいにするためにお風呂に入る考えの人もいる。

ある人は身体をきれいにしてお風呂に入る人もいる。

湯舟につかりたいが雨があまり降らないので水が豊富につかえない。

日本のように雨が多いとなると条件もちがう。もっぱら湯舟につかる習慣がないということもある。

 

アジアに目を向ければトンキン、ベトコン、ドミノ理論、朱印船貿易、ヒンズー教、スマトラ島、ジャワ島、アヘン、などと子供のころに耳にした。

ペナンは新婚旅行でいったが海が濁っていた。シンガポールは海の向こうなのに。関係ないよね。

朱印船ともなると豊臣秀吉の時代までさかのぼる。

ちなみに、ベトコンのゲリラ戦は日本兵が教えたんだと。いつ!

 

若い人には何言っているか分からないよね。

 

西欧から見るとアジアは魅力的な未開の地だったのだろう。

そのころ唯一、国らしい中国と貿易することが得策のようだった。

イギリスはフランスを破りインドを支配下においた。中国へのアクセスはマラッカ海峡経由で中継地にミャンマー(ビルマ)を利用したという。

フランスは中継地としてベトナムを支配下においた。中国は文句を言ったが戦いに勝った。カンボジアもラオスも併合した。

ポルトガルはイギリスと協定を結んでスマトラ、ジャワ島のインドネシアを支配下においた。

 

アジアにはお茶もコーヒーも錫(スズ)、ゴム、なども取れ、作らせた。唐辛子などの香辛料は島でよくとれたらしい。

 

 石油は遥か昔から、サウジアラビアとかイランの中近東で油田があると思っていたが、つい最近になって、アメリカによって油田が発見されたらしい。

 日本もアメリカに石油を止められ、スマトラ島にでも石油が取れると知ったが時期遅し、トラとらトラへと走った。

 

マルコポーロの東方見聞録で黄金の国ジパングと紹介され、実感はないが日本でも金がとれたようだ。

豊臣秀吉も隣国をあしがかりに壮大な夢があったのだろう。

西欧では、産業革命もあり、蒸気船で大航海した。

国か会社か私には区別がつかないが東インド会社をつくり、インドから東の地域の貿易を取り扱った。

 大航海時代でイタリアの探検家アメリコがアメリカ大陸を発見した。いいとこどりでコロンブスの名が残った。コロンブスはインドと勘違いしてインディアンと呼んだ。

 

インドと言えば、身分制度(階級制度)で国を治めるのにもってこいの制度だときずいた。

 たとえば、ヒマラヤ山脈に登頂の陰には物資を運ぶ人はその階級の人だけが受け持つ階級があることを知った。

階級に仕事を限定した。(カースト制)

 インドではカーストの身分制度

は昔から持ち込まれ定着している。一方、ヒンズーはインドのことでヒンズー教はインドの各地にある人気の神様を崇めていたがその中で一番人気の踊る神様シバ神を崇めることだけでよかったので大衆には分かりやすく受けがよかった。

 

予め、私は歴史学者じゃないもので体験から学んでいるのでご容赦下さい。

おかしなことだが日本の士農工商という身分制度と阿弥陀仏をいつも崇めることと、インドの階級制度とヒンズー教とは日本のある宗派と似ている気がする。

私は今年で70年生きたことになる。明治生まれのおばあちゃんと大正生まれの両親に育てられた。

明治、大正、昭和、平成、令和と肌で感じてきたがまだまだ恥かしながら知らないことが多すぎる。

 

ショック  (連載―314)

  • 早いもの勝ちで人たちが新しい市場を求めてアジアに進出してきた。

   上陸するなり現地の赤子の両足をつかまえて石に頭を叩きつけたという話は   

  ショックで忘れていない。

 

  • ある兵士が母親から赤子を奪い崖から放り投げた、母親は錯乱状態で崖から子を追った。と語るある兵士の話。

 

  • 上陸した兵士が街中で女性にしている。それを見て見ぬふりをしなければならなかった市民。

 

  • ノルマンディー上陸の映画を観たのか私の正夢なのか戦争の怖さを知った。

  雨のように機銃の弾が飛んできた。身動きすれば命がない。死体を盾にするし  

  かなかった。

 

  • 硫黄島を見学した。火山の平らな島。熱いほら穴で、水もなく外に出ることも許されずうじ虫と同じ穴に。

 

  • ある国の指導者が国民を何百万人も殺していながら思想をもって、なんとも思っていないなんて。

   この国を新しい国つくりをしたいので海外に留学している人は帰国して協力  

  してほしい。と呼びかけられれば、よし及ばずながら協力しようと帰国して一 

  か所に集められ全員殺された。

 

過去のほんの一例ですがこんなこともあった。と聞く。貧しさがさせているのか劣等感からさせているのか人の命も軽いもんだ。

 

私は高齢者   (連載―313)

  飛ぶように歩いていたあのころ。

もう一度、妻と恋をしたいものだ。あほらしい勝手にして頂戴と言われる覚悟で書いてみた。もう13年前、突然倒れて飛べなくなってしまった。

 まだ、生きるつもりが高齢者らしい。70年生きてりぁもういいでしょう。と格さん助さん、水戸黄門のテレビのようだ。

 山奥からさっそうと現れて花の銀座で40年ほど、死んだ姉と生きてきた。

 おかげでいろんな世界も見せていただいた。若いころは急流に流されることもあった。とことん体験なりやってみよう死ぬときに後悔しないようにね。

高齢者のパワーみせてやる。

考えてみれば人の出会いで、分からん英語のCountry・Musicの分野で生きてきた。分からんから生きてこられたふしもある。

   段ボールでドラムスを作り遊びでやっていたことが人件費の節約になった。後にベースも弾けるようになり4人分の視野が広がった。

  コーラスグループをつくり高齢者に聴いていただいた。帰りに「お大事に」の一言で車いすから解放された。

 裸の大将(放浪画家:山下清)を演じておられる芦屋雁之助さんの弟さんが施設に入りたくないと、わめいておられたが、私の耳に聞こえた。

 「ポツンと一軒家」を拝見しているが、全国に知れ渡り、最近ではなんでこんなところにいるのと素朴さがなくなった。

 孤独死と人聞きの悪さを感じるが、孤独死がいいなあ。と、はた迷惑なことを考えている今日この頃。

死なんてとんでもないせんす。ある国では酒の飲み過ぎで寿命が短いと聞いた。

明治生まれのおばあちゃんのせいかなあ。死に際に脈をとっていたからか。

 若い時から、ウルトラマンの悪役とか引っ越だ。ウエイターもやった田舎者だからモンブランとかの種類を覚えるのが大変だった。  

ところで、アルバイトで今の妻とあった。前はないしょ。

 若いうちは何も知らないから勝手なこと言ってきたがバカな私も少しはお利口になっているみたい。よろしく!

 

栄枯盛衰(えいこせいすい)  (連載―312)
Rise and Fall

たとえとしてふさわしくないような気がするがふと思った。
夏だから暑い日が続きますね、皆様も水分とって気をつけてくださいね。

栄枯盛衰とは歴史で昔、平家と源氏の時代によく聞いたが、人の世は栄えることもあれば、衰えることもある。栄えていたものが衰えたり、衰えていたものが勢いを取り戻し栄えたりするということと把握している。

そんなことが、たまたま今回のオリンピックを見て感じた。難しいことは分からないが体操と卓球で感じた。
ある体操のアスリートが鉄棒から落下した。みんな仲間に土下座して謝りたいと。
ある卓球のアスリートが二十歳の若手に優しいまなだしを注いでいた。
日本中のいや世界中の人が感じ取っただろうお二人を見て。
昼間、自宅のペンキ塗りに疲れたのか寝てしまった。
たまたま見たオリンピックでのお二人に無言の生き様を見せていただいた。
良き指導者になるだろうと、心熱きものを感じた。

 

 

何歳から大人に?   (連載―311)

ラジオを聞いていると気になる話題に

私は今年で70歳になりますが、大人になっていないような気がする。

 妻に言わせれば、子供じみたところもあるし、大人じみたところもあるし、ずるいところもあると。いい評価をしてもらいたいが自分にも自信がない。

 大人は学ぶことによって如何に他人をわかれるかにかかってくる。その人のために言葉を選んで、強制ではなく指針を示せれば大人として見てはどうだろう。

ひとつ気になっていることだが人を理解するにも壁があり、大切なものだが密になってはいけない。

 ある体操のアスリートが若手の成長を見て、僕なんか消えてもいいと。

故障した若手にいつか出番が訪れるから諦めるなとささやいていた。

 

 子供って冷静に大人を見せる時がある。

大人っていつからでも大人になれそうだが誰にも生まれつき人からよく見られたいという私欲がある。この私欲を何とかできればいいが私は「大人」という言葉は好きではない。

 

「知りすぎるとできなくなる」一方で、

「知らないとできなくなる」この二つの葛藤で私の人生が終わりそうだ。

 

「5センチの奇跡」  (連載―310)

何処かの会社の現役の役員で、どいうわけか今日は私をフランス料理の美味しいところに連れて行ってくれるようだ。

ここは、東京から新幹線だと1時間のところの別荘らしき立派なお屋敷だ。門のベルを押してしばらくして、かっぷくのいい男性が現れた。

 あ!お迎えに伺いました。門を入ると広い庭がひろがりどこから運んで来たのかデカい岩が此処かしことあった。私はワインを頂くつもりで、妻も同伴させた。

すっかりご馳走になり、妻の運転でご自宅にお送りすることにした。

車内はプーンとあまい酒の匂いがした。

彼はあまりアルコールに強い方じゃないらしく酔っぱらっていた。   

車から降りていただき、妻と両脇を抱えて門をくぐり玄関に向かった。

両側には広い庭とデカい岩が目に入ってきた。

玄関まで4,5段の階段があった。ずしっと体を支えながら階段を登った。彼は足を踏み外したのか後ろに体が浮き飛んだ。なにが起きたのか一瞬の出来事だ。

 確か、後ろには岩があった記憶だ。

これは大変だ、覚悟を決めた。大丈夫ですかと尋ねたら彼の口から声がした。まさか生きている。

てっきり岩に頭をぶつけ血だらけになっていることを一瞬思った。

 おでこにかすり傷だけ血は出ていない。生きていた。本人の口からここに頭をぶつけたんだヨ。

 なんと岩と岩の間のほんのまずかな隙間に落ちたようだ。

 

奇跡の隙間に私は命を頂いた。

 自分を取り戻し、大事をとって救急車で病院で精密検査をして入院していただいた。

 これは「5センチの奇跡」として私の脳裏に刻み込まれた。幸い何事もなく彼は退院なさった。

 

実際あった話 その2   (連載―309)

和歌山の山奥から東京に出てきて、どこか下宿を探していた。

  見つかった。二階家で,築約50年の木造で親子が住んでいた。

お婆さんとその娘で、私は二階の広間の部屋、娘さんは便所の傍の小部屋だった。

年期のはいった手すりのついた階段で便所は和式で水洗に直してあった。

一階にお婆さんがお一人で暮らしていた。

 部屋を貸すために手を入れていた。私の部屋の戸は雨ざらしなのか重く感じた。戸の内側にアルミサッシのガラス戸がはいっていた。ガラスサッシの内側に元々の障子がはいっていた。

夜は3重で戸締りをしていた。

  この夜も戸締りをして寝ていた。

 

 広間だから窓側が広く、風がスイスイはいってくる。

おかしいな戸締りをした筈なのに窓が開けっぱなしで何かが入ってくる気配がした。

 布団から起き窓を確認した。木の戸、アルミサッシの戸、障子の戸と閉まっているのを確かに確認した。

 

  布団に寝ていると戸締りした筈の窓から誰かがわがもののように入ってくる。不思議に思い怖さのあまり頭から布団をかぶって寝てしまった。

 

トントンとノックする音がした。娘さんのようだ。

   おはようございます。母が死んでるんですが。

事情を聞くと娘さんのお父さんが亡くなられて初盆のようだった。

 

  もしかして、昨夜の不思議はお父さんだったのかもしれない。

 

実際あった話 「その1」 (連載―308)

昔々のはなし、とあるビルの4階に私の事務所があった。

もう戦前に建てられたと思われる古いビル。和式の便所で水の出もチョロチヨロで昼間も薄暗くもちろんエレベーターもある筈もなく4階まで階段を登っていた。

 

ある時、ある女性とピアノの譜面を事務所に取りに行こうといつも道理、階段を一歩一歩登っていた。2階の正面には便所があり、その左手にスナックらしきお店があった。

階段のど真ん中に腰を降ろし、まんがの本らしきものを読んでいた女性。私はお顔を見ることもなく、とっさに邪魔しないように階段の端を通り過ぎた。やっと4階まで階段を登りつめた。

階段の真ん中に座っている女性、邪魔だったね。

誰も座っていませんが。

 

人物再発見  (連載―307)

前田利家

加賀(石川県)百万石に築き上げた前田利家は信長と秀吉に仕え戦国時代を生き抜いた武将。

豊臣秀吉の5大老の一人としても出世した。その武勇は「槍の叉左衛門」の異名を持つ猛将として知られる。信長と利家は駿河に生まれ、二人は喧嘩ばやくて荒っぽい性格だったらしい。「大うつけ」(大バカ者)と言われたようだ。

 

縁があって私は兼六園に3回行った。

1回目は友人の家に行ったが規模が違うし柱の太さも広さも大きい。漆を見ていると京都を思い出す。

2回目は友人の結婚式、これでもかと金をかけた結婚式だった。いつからか知らないが苗字がちがっていた。

3回目は・・・・

 

 加賀100万石を前田利家を支えた妻、まつの存在は病死の利家なき後にも加賀藩を支え続け徳川家康に人質にもなり支え続けた。

病気といえば武田信玄、上杉謙信も望み半ば倒れた。運不運があるな。天下人って、最初からなる人がなられるのだろう。

織田信長は桶狭間(おけはざま)に今川義元を討って尾張一国を統一した。

同じタイプのうつけは二人はいらぬと信長に前田利家はうまく戦術に組み込まれたのだろう。家康の時代も同じこと。

前田利家は病に伏して死んでいったが、加賀100万石の前田利家は天下人になっても不思議でないし、目立たなかったなあ。

妻、まつの存在が大きかった。

 

加藤清正

加藤清正は秀吉の親戚とあるが関ヶ原の戦いでは東軍(家康側)だった。

なぜなら秀吉の朝鮮出兵の時に清正軍の虚偽の報告の嫌疑があり、これを機に石田三成と争うようになった。

戦は勝たなければならないし勝っていればなにも言われない。

関ヶ原の戦いで加藤清正の功績を認められ熊本藩52万石の初代藩主となる。その後、病に伏して享年50歳でなくなった。

病には勝てずこころだし半ばで去らなければならなかった。

武将は身体を酷使して勝ち進まなければならない。部下にも神経を使うことが多いのだろう。

強みは弱みを見せないことのようだ。

 

ちがいは発見  (連載―306)

朝食

ある宿で、朝食は海苔と鮭で、楽しみに会場に入った。

なんと鮭も海苔も卵もほとんどなかった。会場の担当の方に聞くと、そうなんですよ、袋を持ってきてみんな無料だから袋に詰めこまれるという。

この朝食のシステムは来週から止めるという。

 

入浴

 お風呂は「異国の方は、体をきれいにするために風呂に入るが、日本人は体をきれいにしてから風呂にはいる」と言われるほど浴槽の衛生管理に気を使っている。

一方、日本人は湯船につかることでリラックスするという目的もあり、一日の終わりを至福の時だと感じる人も少なくないのでは?

 また日本にはたくさん雨が降り、水が豊富だし蛇口をひねれば水が出てくる。

海外のシャワールームは、だいたいトイレと同じ部屋にあります。当初、トイレとお風呂が同室に驚いた。そのため狭いことが多く、とてもくつろげる空間ではなかった。

 知らない私はシャワーの浴槽に湯をためて温まった。馬鹿みたい!

 

私は接骨医  (連載―305)

トマトとキュウリの苗を買ってきてちっぽけな庭に植えた。

 私はメダカの世話役でこのメダカは栄子さんが知り合いからいただいたものだ。

当初9匹だったのが増えに増えて今じゃ、嫁がお父さんメダカの業者になったのと思わせるほどのバケツが増えた。

 朝のメダカの食事の時間に栄子さんが、あら!雨でトマトの木が折れていると嘆く。

実際、太い幹が中ほどから折れていた。

ティッシュに水を含めてバンドエイドで傷ぐちをつなげておけば治るととっさに考え付いた。

なんと幹と幹がつながったと栄子さんが喜ぶのを見て、ここににわか接骨医の私が誕生した。

 

苗は道の駅で買って植えてあったが、孫が来てキュウリを大胆に口にしてこのキュウリ甘いと申されるので孫の名前の木になった。消毒薬は使っていなかったので取り立てを口に入れていた。

トマトも手当のかいもあって赤い甘い実がなるようになった。

食物も人間と同じ仲間じゃ、にわか接骨医の私はにっこり自信に満ちていた。

 

徳川吉宗 前回のダ~レ? (連載―304)

和歌山は海と山がきれい。紀伊半島で山の向こうは奈良県だ。和歌山城は秀吉にこしらえてもらい。徳川ご三家にもなり、江戸幕府8代将軍にもなった吉宗。

 暴れん坊将軍、町奉行の大岡忠助で知られている。最近は地方局で見ることができる。

 昔はお米が少なかったので茶粥と酸っぱいたくわんと焦げたイワシで食べていた。

 それから、保存食のなれずし、金山寺味噌、湯浅の醤油、クジラもよく食べていた。

ところで、茶粥は奈良のもの、紀勢本線の車内で売っている柿の葉寿司は奈良のものらしい。

 

 昔は、和歌山藩も厳しい財政だったのが倹約で立て直した「かしこいとのさま」と言われたようだ。

 

 1716年7代将軍の家継が亡くなり、吉宗は8代将軍となった。

 この将軍は前の役職の人が亡くなり、幸運な将軍だなあ。これも天命なのだろう。

 

 幕府の財政が苦しく、政治を監督する老中たちにまず倹約すすめた。自分から進んで絹のきものをきるのをやめて木綿に、食事は、野菜をにた、粗末なものにした。

 城の大奥に召し抱えている女たちも、たくさんやめさせました。

 国中の大名に、領地の石高1万石について100石づつの米を幕府に納めさせる「上米」の制度をつくり、幕府に仕える武士達の俸碌(給料)をまかなうようにした。

 豊作であろうが不作であろうが「定免制」を定め、幕府の収入を安定させた。

「目安箱」で町人の訴えも聞くとか後はテレビで見ての通りみたい。

 1732年、日本の西の地方一帯に、稲がイナゴに襲われて「享保のききん」が起こり多くの人々を亡くしました。のちに享保の飢餓とよばれた。そしてこの飢餓によって窮民があふれ、米価が高騰し各地で窮民が富商の米倉などを襲う打ち壊しが発生しました。

 ところが、吉宗は,米の買い占めなどを禁止して米価の安定するような政策を行いましたが積極的な窮民の救済策は取りませんでした。むしろ、幕府の収入増を図るために農民からの年貢の取り立てを強化した。

 吉宗が行った一連の政治政策を享保の改革と呼んでいますが士農工商と身分制度のなか幕府の政治は、常に幕府と武士社会のための政治だったのだろう。

 

一休さん   (連載―303)

一休さん、って芸名だと思っていたが立派な和尚さんとは知らんかった。

 かたぐるしいことは嫌いで、とんちで人々を和まし、心の向くまま生きぬいた室町時代の禅の和尚さん。

 座禅によって悟りをひらこうとする禅宗は、鎌倉時代の初めに栄西と道元によってもたらされた。

 鎌倉・室町時代は源頼朝、足利尊氏とめまぐるしく時代は変わり武士が台頭し、北朝(足利尊氏・京都)と南朝(後醍醐天皇・奈良)に別れ足利尊氏の武士政権と後醍醐天皇の建武の新政だとか互いに打ち立てかかったのだろう。

 武士の権力に追随して、禅僧も自己の出世をむさぼるようになり。一休は、こうした禅宗の腐敗に心を痛めて、禅僧としての厳しい修行でもある奇行・狂詩で人々をいましめました。

 一休は貧しい寺の門をたたき修行をかさね「宗純」という名をいただいた。

 更に、日本一きびしい華そう禅師に弟子入りを断られと生きる望みもなくなり琵琶湖に身を投げて死んでしまいたいと思ったが死んだつもりで門前に座りつづけたから、

華そう禅師の許しを得られたのだ。死ぬことは逃げることで、解決にはならない。

 ここは、前の寺に劣らぬ貧しさで、きざんだ薬草を袋につめて売りにいきました。

 昔、托鉢(たくはつ)といって、家の門口に立って米やお金をもらい歩くお坊さんがいた。これも大切な修行だったんだ。

私は乞食(こじき)かと勘違いしていた。

 木のこずえから1枚1枚葉がおちていくように「よくみられたい」とか「いい暮らしがしたい」とか「えらくなりたい」という思いが消えていくのです。すっと心が軽くなって、とてもいい気持ちで宙に浮かんだような大らかな気分です。

そうそう、お名前は「一休宗純」だって。一休さんでいいか。

 

 「一休とんち咄」は江戸時代の初めに作られたと聞く。たとえ笑い咄でも人の道の教えが秘められている。

 

私はダ~レ?   (連載―302)

家康の子供たちによって新しくおこされた水戸(茨城県)、尾張(愛知県)、紀州(和歌山県)の3つの藩を、徳川ご三家とよんでいます。その紀州藩の第二代目の藩主徳川光貞の4男として生れました。

 

 1697年、13歳の時に越前国(福井県)に分家させられ3万石の藩主になりました。

 ところが、父の光貞もつづいて兄たちも次々に亡くなったため8年後には本家に帰り、紀州藩55万石の後をつぎました。

 そのころの紀州は農作物の不作が続き多くの人々がまずしい暮らしにあえいでいました。

しかし、21歳で大名になって自分から進んで倹約をして藩を救い「賢い殿様」と

農民や町人たちからも、仰がれるようになりました。

 

 国を治めるともなれば、一藩のことには収まりません、国が不作に困窮していれば農民からも高い年貢をとりたてなければならない。

幕府体制の安定には「賢い殿様」と正反対のこともしなければならなくなったようだ。

 

 

私はダーレー? 前回は「エジソン」でした。

エジソンは教師を質問ぜめにしてついに低能児の烙印を押されわずか3ヶ月で小学校をやめてしまいました。

 エジソンは独学で世界の発明王になりました。ここには「学ぶこととは何か」の

最も大切なことが物語られています。

 電信機、電話機、蓄音機、白熱電球、活動写真・・・・。これらの発明は、教えられたことの中からではなく、ものごとを能動的にみつめながら自ら学んでいくことをとおして成し遂げられた。

エジソンは「あの世は、とても美しい」とつぶやきそれが最期の言葉になったようだが、来世を美しいものにしたのだろう。

偉大な発明王は、まず何よりも偉大な人間だったのだろう。

 

私はダーレー?  (連載―301)

1847~1931(84歳で亡くなられてた。)

アメリカ北部のミランという町に生まれた。

 父は、屋根板作る木工所の経営者。母は、小学校の先生で優しい人でした。

 1854年ポート・ヒューロンに移りこの町の小学校に入学しました。相変わらず不思議がりやの性格で「1+1=2」、

「どうしてリンゴが赤いの」母は、質問好きの実験好きの息子の長所を伸ばそうとしました。

 そして、独学によって世界の発明王になった。「発明は便利なだけではだめだ、人に喜んでもらえるものでなければ価値がない」まして人を殺すような発明はしなかった。

孤独で不運なこともラッキーなこともあったろう。幾多の発明を成し遂げ「あの世は、とても美しい」とつぶやき、それが最期のことばだったそうだ。

「天才とは、99パーセントの努力と1パーセントのひらめきです」だそうだが、私などは99パーセントのひらめきもあったがすぐ消えた。ひらめいたとき起きていればもしかして、寝ていたものなあ。あの世は、閻魔様と仲良くするしかないようだ。さて、私はダーレ?

 

ゴミを覆う命の土   (連載―300)

ある夫婦が長年米をつくっていた。

もうご高齢となりその土地を売った。

業者はその土地を外から見えないように囲いをした。

  私は毎日その広大な土地の変化に半面安堵した。ご高齢になられた夫婦の一生懸命に働くご苦労の姿を見たくなかった。

   ある日、大量のごみが積み上げられているゴミが囲みの隙間から見えた。誰か深夜になって生ごみを放り込んだのか白いナイロンの大きな袋がいくつも見た。

こんなところに放り込むなんてと思い乍ら通り過ぎた。

 

 ニュースによりますと国有地に大量のゴミが埋まっているのでゴミの撤去費用から整備費用を引いて安く売却すると報じていた。

 地下に推計(19500トン)4トントラ

ックで何台分になるだろうか大量のゴミが埋められていること事態に驚いた。

 

近くで見たあの時、隙間から見たゴミは地下深く埋められ土を被せられ重機で固められしばらく安定するまで置くのだろう。

出来上がった建物は綺麗だったが私の心はゴミ屋敷。

こうでもしないとゴミは消えないのだろうか。

命の土とゴミを混在して埋め立てるのか。掘り出したゴミはどうするのだろう。ゴミの顔など見ようともしない人間の顔も見えてきた。

 

個人主義、利己主義って?  (連載―299)

「個人主義って利己主義とちゃうで・・・」

 こんな文章が朝っぱらから目に飛び込んできた。

目をこすり乍ら、そうでしょう。あっさり同調した。

「自分のことばかり考えている」のは個人主義

で、

「自分さえよければ他人のことはどうでもいい」

ってのは利己主義ってことでしょう。

     あ~よかった合ってて。違うの? 

調べますと「個人主義」は人は個人として尊重され、人というものは組織や団体の一員として尊重されるべきものだ。個人を大切にする考えだ。 

日本国の憲法にも大切な原則の一つになっている。

 

ってことは私の人生が合っていないということになる。よ~く考えよ。

 

コロナワクチン接種は自由選択で嫌なもん

は嫌で強要されるものでもない。

組織や団体の利益にならないと判断されれば個人を尊重しなくてもよいとなると「非国民」みなされる。

戦争に行ったことはないが婦人会の女性がハチマキして各家庭をチェックしていた時代を連想する。

 

 東京に来るな。東京から来るな。

田植えの手伝いに田舎に行った。ある人からコロナのご時世に来るとは何を考えているとクレームがあり途中で老人を残しやむなく帰ってきた。

その後、手伝ってくれた形跡もなく老人2人で田植えをしたようだ。誰を恨むでもなくコロナを恨んだ。

 コロナは個人を試しているようだ。

 

禁門の変(ハマグリ御門の変)  (連載―298)

長州(今の山口県)と会津(今の福島県)の友人がいた。ある県に行った時、昔から長州と会津が仲悪いの知ってる。

お二人は喧嘩しないのなどという。わけのわからぬことを言う人だと思った。

 私は紀州(和歌山)で印象は陸の孤島と見下げてこられたので敵はないようだが徳川ご三家の一つだがひいていえばあるかもね。

 

ところで長州と会津は、昔、都だった京都の池田屋で新選組との戦いで敗れ長州が追放されたが尊王攘夷派の若者がおさまらず

当時、高杉晋作とか桂小五郎らの説得に

も関わらず、御所の一つの門(禁門・別名:ハマグリ御門)を襲撃した。

守は会津藩。最初は長州が有利に戦ったが途中から会津の方に西郷薩摩が加勢したので、またもや長州は敗れた。

 

そんな事件もあったとは今知った。バカじゃないのと思っている人あなたね。

 だけど、山口県と福島県の友人は知ってたけど仲良かった。

    ささいなことなんだけど若いころからの私の疑問でした。こんなことっていうけど若い時は

 気づかないのよ。

 

近くの小学校で   (連載―297)

 カントリーはアメリカの南部の白人の曲と聞いた。

 私はゴルフの関連の曲と思っていたのに、だって、カントリークラブでしょう。そんなことからこの世界にはいったから36年も銀座で出来た。お客様から一から教わり何も知らなかったから図々しくやれた。

    歴史のある泰明小学校でやらしていただいたのも私の歴史になった。

    5年生か、もう立派な大人になったろう、会えないかなあ。会いたい。

 

ふしぎな疑問  (連載―296)

太陽から放った光が私たちの目に届くのが8分かかるそうだが、8分前の太陽を見ている。

宇宙は誰が創造したのだろうね。宇宙は光の速さで広がっているとはどういうこと?

 

 古事記では天の国の神が日本列島をつくり、多くの神をつくった。と神話で聞かされた。

西欧ではアダムとイブが世界をつくったと聞く。

 

 釈迦の仏教がインドから伝わったのに、本場のインドから仏教の声も聞こえてこない。これは幼いころからの疑問だった。

 

 信じる者は救われると聞くがいつまでたっても世界は傷つけあっているのか。

 世界は広い,極寒の処、極熱の処。海がある処、ない処。山、木、岩、土、水、風、日と天の神々がつくったと神話は物語っている。

 天気予報は狭い日本を日本海側と太平洋側の山を挟んで細かく予報している。広い国土のもつ人々は信じられないだろう。

 雨が土を流し作物の肥料を流す。追肥しないと作物は育たない。

 タンポポ知っているかい。お米を収穫した後にタンポポの花が田んぼ一面に咲いた。

タンポポも大切な土の栄養になっている。

 古事記、古事記と難しい書物だろうがおばあちゃんの昔はなしのような気がする。

 

古事記第三幕  (連載―295)

アマテラスは孫のニニギに国を治めさせることにした。ニニギは九州に降り立ちサクヤヒメと巡り会い結婚するのだが、お父さんから姉のイワナガヒメも一緒に頼まれたがイワナガヒメの容姿が醜くてニニギは追い払ってしまった。これも意味があったとも知らずニニギは神様の持つ「不死の能力」が剥奪され、ここが神から人への変わり目じゃなんじゃないかと言われています。

 

サクラヒメは桜のように咲くので命は短命。

イワナガヒメは容姿は醜いが岩のように長く栄える。

 

ニニギとサクヤヒメの子孫であるイワレビコは祖先はこの地を治めてきてくださった。この良い風紀がもっと広がるように東へ進出しよう。そして大和を目出して、太陽の神の子孫なのに太陽の方向に向かって戦ってしまい敗れた。

そこで、遠回りして太陽を背に戦って大和を制定で来た。そこで大和を都にして暮らそう。

 

大和の力自慢と出雲の力自慢を戦わせたのが相撲になったと。

昔は偉い人が亡くなった時あの世のおともにとお近くにいた方を一緒に生きたまま埋葬する殉葬と風習があったが埴輪を作ることで死者のお供をさせるようになった。

 

アマテラスを祭るいい場所を探してきたのだが

伊勢が美しい国を見つけ初めて天の神アマテラス

が天下りしたのが伊勢神宮だった。

 

古事記第二幕   (連載―294)

イザナギは穢れを洗い流すみそぎを済ませた。そのしずくでイザナギがヤマテラス、ツクヨミ、スサノオを産んだ。

ヤマテラスは太陽の神様、ツクヨミは夜の神様、スサノオは海の神様。

ヤマテラスの弟のスサノオは暴れん坊で手に負えなく天の国から放り出し地上の国へやったのだがある親子に会い。クシナダヒメにひとめぼれをし親子の悩みを聞けば8人の娘がいたが7人はヤマタノオロチに食べられて残りのクシナダヒメただ一人残っている。いずれ娘も食べられる運命だ。

それを聞いたスサノオはヤマタノオロチを退治したあかつきにはクシナダヒメと結婚さしてほしいという条件で親の了解をとった。スサノオは酒に酔わしてヤマタノオロチの首をはねる計画であり、退治することができた。目出度く結婚して出雲に新居を構えて幸せに暮らした。

 

スサノオとクシナダヒメの子孫のオオクニヌシの話に移ります。

オオクニヌシには沢山の兄弟がいましたがいつも兄弟たちにいじめられる存在でしたが兄弟たちは全員がヤガミヒメを好きになった。

ところが頼りないオオクニヌシにヤガミヒメが好きになったことで兄弟たちからの反感をかい殺されてしまった。天の神はオオクニヌシを生き返らせたが二度も兄弟たちに殺されたがまたもや天の神に助けられた。出雲にいるスサノオにお前が出雲を治めればいいこと。そしてオオクニヌシが出雲を治めることとなった。天の神アマテラスの支配下となり国の譲る条件としてアマテラスが出雲大社を建てた。おのずとオオクニヌシが出雲大社の主となった。

私の古事記1幕  (連載―293)

昔むかし、あるところにイザナギとイザナミという男女がいた。昔と言ったって今から1300年前の飛鳥、奈良時代のことそれはそれは遠い昔の神話だ。

まだ、日本には文字もなかったようで見聞きしことを暗記し聞いて音読みで文字にするしかなかったようだ。暗記する人:稗田阿礼、書く人;太安万侶。

2神は結婚した。イザナギのからだの余っている部分でイザナミの出来上がってない部分をふさいで天の国の神様の命令で国づくり、神づくりをするのだが天の国から降りたったところが今の大阪湾だった。お二人は淡路島から国産みをはじめた次は四国― 隠岐島― 九州― 壱岐島― 対馬― 佐渡島本州とね。北海道はまだ日本に含まれていなかった。古事記ではこの8つの島を大八島の国と書かれている。

次なる使命は神産みにとりかかった。多神教で多くの神を産んだ。海の神、木、山、岩、土、風、と自然の神を産んだ。最後に火の神を産んだ時にイザナミが火傷して死んで黄泉の国にいってしまった。イザナギは大いに悲しみ、イザナギが死者の国へと暗い長い道を下り黄泉の国に行きイザナミに帰ってくれるよう嘆願したがイザナミはどうしてもっとはやく来てくれなかったねと嘆くが私はすでに黄泉の国の食べ物を食べてしまったのでもう帰れないという、しかし、愛するあなたのために黄泉の国の神に帰れないか相談してみるが決して私の姿を決して覗かないで下さいと言われていたがいつまでたっても返事ない。イザナギは待ちきれず小さな火を灯し扉の向こうのイザナミの姿を見てしまった。

腐りウジ虫がわくイザナミの体が横たわっていた。おまけにそのからだには恐ろしい雷神がとりついていた。

イザナミはあれほど覗かないようにいっていたのにあなたは私に恥をかかせてくれた。そしてイザナギを捕まえて殺してしまえと悪霊たちに命令した。イザナギは暗い道を駆け上がり黄泉の国の入り口まで逃げようとしますがすさまじい勢いでイザナミと悪霊が迫って来る。

イザナギは髪に結んだ飾りを放り投げ、するとブドウがなった木に悪霊たちがブドウを食べ始めてイザナギは逃げる時間を稼いだ。今度は髪に指していたくしを放り投げた。するとタケノコが次々に出来またそれを食べ始めた。ようやくイザナギは入り口を発見したが悪霊たちが追いついて来ます。今度は桃の木になっていた桃を投げつけました。すると桃が持っている霊力で悪霊たちは逃げて行った。でもイザナミだけは恐ろしい顔をして来る。イザナギは黄泉の国の入り口まで逃げて大岩で地上の世界と黄泉の国の入り口をふさいだ。これで完全に入り口をふさいだ。イザナミは貴方の国の人々を毎日人を1000人殺してやる。と中から聞こえてきたが、だったら私は1500人産んでやる。と応えた。こうして二人は別れ別れになってしまった。

それから地上の人間は増え始めということになったという。(一幕おわり)

 

旅に出よう。(10~12)  (連載―292)

10,  パワハラで職場を休まれ、こんど職場  

   に復帰される場合、同じ職場でないといけ

   ないような決まりがあるようだ。

    同じ職場に戻してパワハラが待ち構えて

   いる気がする。誰も見て見ぬ振り。

結局、自殺に追い込む。上にバレないように

するだろうが、たとへバレたとしても誰一  

人、組織を乱すことはしないだろう。

 勝ち組、負け組と色分けもはっきりされる。組織は競争の原理で上手く利用される。

 優秀であればあるほどプレッシャーもきつい。大人の世界でもいじめやすいタイプ、いじめガイのある人が生理的にあるんだろう。

 いつか自分の人生を振り返る時、あんなこともあったと苦笑いすることもあるだろう。

 やっぱり、あいつの喜ぶ顔を思い浮かべられたら生きた甲斐があったと実感するだろう。私の場合。  

 

11,   いやだねったらイヤだね♪

  「平和ボケ」って言われるが日本は平和だからいいんじゃない。昭和は戦争ばかり、私は昭和26年生まれだから戦後生まれ、はたち代の方は「いやだねったらイヤだね♪」と

  思っているにちがいない。

   昭和24年、23年生まれの方を故、堺屋太一さんが「団塊の世代」といわれ産めや産めやで子供が多かった。ここ50年で西洋に追い着き越せと足元の世界を見ないで西欧をひたすら見てきた。

   子供たちの心を無視して日本が成長してきたような気がする。今もそうだ。若い者はという前に古い人間はと言われないように。

   生活もオール電化にもなった。若者は変化を知らない。つい最近の昔を知らない。

   「選択の自由」があるものの限られた選択のような気がする。

   世間は個人情報の壁もあり、コロナの三密もしっかり守られている。

 

12, コードレスの時代だよ。

   パソコンが2台持っている。1台は古そうで。1台は最近のものらしい。

    インターネットでコードを繋ごうと子供に電気屋まで付き合ってもらった。今はコードレスの時代だから必要ないと言われるが実感がない。

    コードを買って2台に繋げた。しばらくして子供が来てコードをはずした。ソレジャ使えないよと言ったが飛行機モードになっていたから直しておいたよ。

    何を言っているのかわからなかったのがコードレスですべて使えた。そうかすこぶる頭がよくなった気がした。

 

  なんだが旅に出たら思わぬ出会いに遭遇した感じ。

 今年は津軽にいって白い海を眺めながら酒でもめめっちくのみたい。

 

旅に出よう。(1-9) (連載―291)

南国の和歌山に雪が降った。山は暖かい。そんな山猿が東京に来た。

 静岡~お弁当・お茶~の声を聞いて夜行汽車の窓越しに腹ごしらい。

新橋~次は終点、東京~。街のざわめきと東京のにおいが

私をふるわせた。もう50年前の話だ。

姉が銀座のシャンソンの殿堂「銀巴里」に出ているというので聴きにいった。うす暗い色の光に照らされ階段を降りていった。真正面にステージがドラムスがピアノが青い照明に照らされ、ゆったり白い皮のソファに紫の光が色を染めていた。フランス人がワインを片手に歌っていた。時には、津軽なまりでも歌っていた。姉の歌は記憶にない。町に出れば人混みをお祭りと勘違い。ちんどん屋の後について行って迷子になったり、町は迷い道なところだ。

 

あくまでも私の場合

1,あるスターだった人:原田実、宮城久弥との出会い

 カントリーをゴルフだと勘違いしたことのはじまり。

水と油のお二人の性格。本番一発練習したらダメな原田実。練習しないとダメな宮城久弥。お二人のおかげで全国的に知れ渡った私の銀座の店。

2,あるシャンソン歌手のマネジャーで未知の世界を知る。今日もドデカイ雷が落ちた。何とか雷を気にしない方法を考えないと腹がたつ。考えたら、あんたが正しいのに気が付いた。

 おまけに、誰かから寒い外に出され口の動きで状況を判断したりするのが君の仕事だよ。なんて言われたが若造の私に判る筈がない。人間て毛穴があったんだ毛穴が立つことを知った。

3,川の流れのように、人生に大きな流れがあった。どんなにせき止めても流れに逆らうことができないときエーイ流されよう。

4,私は多神教かしら、10月のハロインはイエス様、12月の暮れには仏様、新年は神様、結婚式の午前中は神様の御前で午後の披露宴はイエス様とね。

またまた神様は私をお試しになられるのか地球が爆発したのかスローモーションで空を飛んだ。いつ収まるのだろう。1メートルの手前で後続のトラックが止まった。警察の方がよく生きていたと声がした。交通事故だ。よかった地球が無事で。               

 5,5番街へ行ったならばマリーの家に行き、どんな暮らしをしているのか見てきてほしい。阿久悠さんの作詞のようだ。そんなこともあったなあ。

6,30万-10万=20万  

 30万円至急ご用立てしてほしいと突然言われたがなかったので、なんとか保険を解約してお見舞の袋に10万円で手渡した。有難い気持ちは感じなかったがその方のおかげで20万も徳をえた。有難い。

7,ある俳優が難民キャンプの子供たちに食べ物を持って行かれる話をラジオで聞いた。空港で帰国する方もいるらしいがその俳優は毎回遺書を残して引き受けているらしい。空港を降りて奥深い子供たちの難民キャンプまで届けたが子供たちは食べてくれない。大人たちを信用していないあたりまえだ。目の前で食べないと食べてくれないと話す。後日帰ろうとしたとき子供たちが足に抱き着いて離れないらしい。子供たちのちっぽけな心を知るだけで帰ってきたと話す。

8,奇跡と偶然

 ほんとかよ。あ~よかった。

9,あくせく働かないと生活できないし。競争に勝って財産を残してもいいことはないと、ある弁護士が私に悩みを相談する。

このシリーズはどうにもとまらない。

次回をおたのシミ

わたし、69年8ヶ月生きてこられたが51年前に寂しい土の中に埋葬した可愛い子と同じ世界になるとしたらもしかしたら会える筈だ。小さい頃の可愛い子と、おばあちゃんになった可愛い子。どちらに会いたいか?

 

2回目のコロナワクチン接種を済ませた。  (連載―290)

コロナワクチン接種の情報をいち早く友人から得た。誰よりも早く接種できるというからパソコンで予約出来た。

 今日は日曜日だから役所は休みだ。もしかして、パソコンだと申し込めるかもと思い開いてみた。信じられないが一人分の予約が残っていたので急いでクリックして申し込めた。

1回目は当日はやく接種会場にいった。横を向いても後ろを向いてもご高齢者だ。てことは私もご高齢者のお仲間だ。もう9時半には人でいっぱいだ。待った待ちくたびれた。

私の予約は11時半だ。番号札を持って接種を済ませ、別室で15分待機を済ませ時間通りに終えた。2回目は慣れたもので5分前に来て待つことなく済ませた。

早い方かな、きのう6月中に2回目の接種を済ませた。 2回目は手が痛くなる。とか熱が出るとか2回目の方がいろいろ後遺症がでると聞かされていたので心配していた。実際、熱が出たとか、2日目に手が痛くなり眠れなかったという人も身近にもいた。

私の場合、痛くも痒くもなく2日目の接種を終えた。今のうち、最善にできことは妻に子供に孫に嫁に婿に感染させたくないと思って接種をした。

もし私がコロナで死んだら誰にも見送られないで一人であの世に行かなくてはならないと思うと寂しくはありませんか。私の責任で接種を決めた。

 

私の未知のこと  (連載―289)

北アメリカ、南アメリカはもともと先住民もいたし文明もあった。

 ヨーロッパの人達が入ってくる前に、遥か古く氷河期にはアラスカとアジア大陸が氷で繋がっていた。北アジアの人々が新天地を求めて南アメリカに南下した。この南アメリカ人達を「インディオ」と呼んだ。

 今から2500年~3000年前、ユカタン半島にマヤ文明が発達していた。

 そんなに古くはないが15世紀16世紀、メキシコのあたりの中米にアステカ帝国の文明があった。

 インカ帝国、 南アメリカ北西部のアンデス高原に興った帝国。Machu Picchuでも知られている。

 

まだ、産業革命前の大航海時代欧州がアフリカ・アジア・アメリカ大陸への大規模な航海が行われた時代。15世紀~17世紀にはスペイン、ポルトガルの進出で中米、南米が植民地となった。

15世紀末に新大陸を発見したコロンブスはそこをインドだと信じ、「インディアス」と名づけた。

 アメリカはコロンブスが最初に発見したのは事実だが、 アメリカが新大陸であることを最初に提唱した、イタリアの探検家「アメリゴ」の名前にちなんで命名した。

 最初にイギリス人がメイフラワー号に乗ってきた。その後、フランス人、ドイツ人も新大陸にやってくるのだが先住民から金・銀なども略奪した。後の世で中国から紅茶やお茶を銀で払うことになるんだが英国などはこの時の銀を使ったんだ。余計なことだが欧州は水を紅茶にして飲んだしハイヒールの発明も現実の苦労がわかる。

 今、世界はコロナウイルスで大変だが、古代アメリカでもヨーロッパからの大型動物のウイルスの持ち込みで苦労したもようだ。

 

 日本もマルコポーロの東方見聞録で黄金の国ジパングを知らされた。

1543年,種子島に漂着したポルトガル人から鉄砲が伝わった。

「フランシスコ・ザビエル」は、スペインのバスク地方出身のイエズス会であり、日本に初めてキリスト教を伝え、東洋の使徒といわれた。

 ポルトガル、スペインが征服者となり得たのもヨーロッパの不思議だ。

 

平均寿命が300年時代  (連載ー288)

100年は熱いところで、100年は寒いところで、100年は日本で。

 100年は英語で、100年はラテン語で、100年は日本語で。

 どうしょうかね、人それぞれいろんなプランも考えられる。

 この前、24ぶりに怪奇現象があったでしょう。ベランダに出てカメラを構えて夜空を仰いでみていたが、お月さまどころか星もみえなく18時半から1時間。この日は

肌寒い外で厚い雲の切れ間を探したのだが諦めて内にはいった。

 それは見えないよ、皆既月食の間違えだ。

それにしてもなにも見えなかった。今度は12年後に見られるようだ。あと寿命が30年あるから見られますよ。次回に期待しよう。

 歌に、「赤いお月様」ルナロッサという曲をフランスの歌手が日本語で歌われていた昔。

おそらく、24年前の前の前も赤いお月様を見ることも出来たんだ。

 2回目のコロナワクチン接種を来週にできる。早く若い子に接種してあげたいのだがもうしばらく待ちましょう。これは強制ではないらしいので自由選択でいってみよう。

 270年生きてきて、平均寿命まで30年あるから最期はウイルスに負けないように可能性にかけてみよう。

 脳みそがその気になっているから生きそうだ。

 

ゴミ拾いのアルペニスト   (連載―287)

ラジオを聞いていた。ひょうヒヨウと話し方が特徴があって聞いていた。

 なんでゴミ拾いをするようになったのかわからん重みのない話し方に引き込まれた。

 今は行列のできる富士登山、頂上に自動販売機が何台も設置されているようだが、よそ様では山にペットボトルの持ち込みを禁止されているという。

 やれやれ頂上に冷えたジュースでもあればいいのにと思うが水筒を持って登るには邪魔だ。

 富士山のゴミはよそ様の登山家にも有名のようだが、ペットボトルに黄色いものが入れられポイ捨てされているのが多いという。

 日本は狭くて車が人が多すぎる。

車の中は匂いもするからと考えてポイ捨てするが家に持ち帰る工夫もしたい。誰かが拾わなければならない。

アルプスの山に登り、命の危険をおかして下山しなければならないことを別として登山キャンプでのゴミも持ち帰るようにしたいと彼のポリシイを感じた。仕方ないことと義務とを、彼は、はっきりわけていた。

 登山のメンバーにはガイドも荷物を運ぶ人たちも半数はいる。ネパールには村ごとそういう階層の方もいる。よそ様には宗教の縛りもあり悪天候をおして荷物を取りに行かされることもある。それで生活しているから仕方ないのだろう。彼は無理に変えようとはせず冷静にみていた。よそ様にはどうしょうもできないタブーもあるのだろう。

 

褒めよう。「なかつ村塾」  (連載―286)

気づくこと17歳の頃、校長先生からお手紙をいただき、文末に「合掌」という文字があった。

 兄に聞くと手を会わしてくれたそうだ。別にいいことした記憶はないが、とにかく校長が合掌してくれたらしい。ところで合掌ってどういうことも知らず、この世で初めて見る暗号だった。

 田舎の家には勉強部屋もなく野放しで育てられた。思い起こせば、校長に便所の裏の草取りと命じられたなあ。

肉体労働には自信があったので懸命に済ませ帰宅した。あ~それが校長に褒められたんだ。ついでに勉学の大切なことも書いてあった。褒められたことのない私は調子にのって勉強

というものをはじめた。すべて基礎からはじまりだった。

 田舎の家は大部屋で勉強部屋からつくった。飼わなくなったニワトリ小屋を匠の技で勉強部屋をつくった。

わら半紙を買って書くことと、まる暗記で勉学のはじまりだった。友人に大学を目出すライバルがいたので長続きした。

 都会はみな頭が良さそうで、こっちも頭が良さそうに見せた。サラリーマンも経験し、姉の誘いで銀座で40年ほどいきてきた。コロナの前に銀座から引き揚げたが姉は亡くなり、私も死ぬ筈が生き返らせてくれた。

昔、長州藩に吉田松陰という天才がいた。9歳の時にはお殿様の先生にもなったらしい。おじが寺子屋のような塾を

やっていたらしいのだが引き継いで同じところで、松下村塾(ショウかソンジュク)を開いた。伊藤博文らの日本の

未来を背負う塾生が多かった。ペルーの黒船で密航を企てた罪で牢獄に入れられて29歳で亡くなった。

どっぷり高齢者の部類に入る私の夢は歌手になること。塾を開いて熟生となること。この2つが私の夢だ。

歌手は私のリハビリ次第だ。塾は自分のためと未来の子供たちのを学びの場にしたい。昔、校長が学ぶことの大切さに気づかせてくれたことに感謝したい。知って幸せにつながること。知らんで幸せにつながることもあるような気がする。知ることで不幸だってある。

今の若者は頭の回転もいいしデジタルに強いし、優れた人が多い。 私のバカを教えるには苦労するだろう。褒めることを見つけるのが私の役割かもしれない。

 

あれから(ゴミ捨ておじさん編 つづき)  (連載―285)

あのごみ捨て紳士の姿がバッタリ見えなくなった。鼻歌を歌いながら自転車のペダルを拍子に早朝からきたのに楽しみをなくしてしまったのか心配だ。

 今も鼻歌が風にゆられて聞こえてくる。

紳士は”奥さん離れ”をしていないのか、奥様は”紳士の子離れ”をしていないのか奥様は年上と聞く。

 来ればゴミ捨ておじさんと言われ、来なければ心配もされる。

 夫婦には離れは禁物だが老夫婦はもう親子の関係なのか憶測だがそんなことを思った。

 私も15年程前、友人の別荘の庭掃除に行った。枯葉を集め幼いころの焼き芋を作ろうと枯葉に火を起こしたら、リリ―ンとお隣の奥様のクレームの電話だ。

 私の田舎者は途中芋を買ったのにこんな田舎でせこせこ怒られるとは思わなかった。

 町も田舎も住みにくくなってきた。

ポツンと山暮らしもいいもんだ。奥様とだったらできるかも。なるべくなら暖かいところがいいよね。

 

 もう死んだ親父を田舎からよんで都会で暮らそうと誘ったら、あっさり断られた。田舎でステテコ姿で暮らす方がいいようだ。

 私も出来れば田舎暮らしをしたい。

 

「わが師の恩」花嫁さん  (連載―284)

「わが師の恩」は師は奥様であり、恩は私の責務だ。時々青春時代の頃を思い出している。あの頃の彼女が同じ屋根の下で暮らしてくれているとは信じがたい。

好きようて一緒になった仲なのに・・・・。

立派なホテルで結婚式を挙げて、半年もしないで離婚したと親は嘆くが、よかったねまた一緒に暮らせるね。それもそうだと親は笑顔。

人が300年も400年も生きられれば大半は生きるのに飽きるだろう。

「人は病気になって健康を知る。老いて老いを知る。老いて死を知る」って誰かが言っていたことを思い出す。

57歳の時に突然、倒れた。タバコも酒も飲んでいた私が誰よりも健康には自信があった。まさかと思っても手遅れだ。師から再三注意されていたが聞かなかった。

人間は、人と人の間をつなぎとめる接着剤のようなもの、人を知り、人を知らないと人と人とは繋がらない。

損得勘定の人といくらお付き合いしても損得で交わされる。

 

へー!遠い隣国  (連載―283)

日本の45倍の広さで、人口は日本とほぼ同じ。

モスクワの人口は東京とほぼ同じという。

 平均寿命は64、7歳だそうだ。めちゃめちゃ寒いのでウォッカを飲み過ぎとかで禁酒で店から砂糖が盗まれたという。酒を作るのに砂糖が必要だから。

寒さでエンジンもかからないという。知らないと死んじゃうよ。バルト海、クリミア半島、オホーツク、に出たい気持ちは分かるが問題も多い。

 帝政ロシアは(ニコライ二世)で1900年初頭の頃は、へ~資本主義だった。資本家と労働者の格差も広がりロシア革命で社会主義に変わった。レーニン、スターリン、フルシチョフ、・・・・(旧ソ連)の指導者も懐かしい。

 日本にも戦争に負けた。戦争をやっている体力もなし、アメリカの調停で辛うじて調印にこぎつけた。

 日本も勝ったが、もっと領土と賠償金もとれたはずだったのに。広い国土を守るには苦労もあろう。「コサック」って古い人間は知っているだろう。荒っぽい人達でロシアは国境にコサック置くことで他国から進行を防いだり、宗教の盾となった。コサックの馬は小さくて氷の下の草をみつけて食べ、よく走る。コサックの踊りを見ると足腰しっかり丈夫のようだ。騎馬民族の蒙古に一時支配されていた。蒙

古も東欧まで進出していたとは日本も鎌倉時代によく蒙古から守った。

 チェルノブイリ原子力発電所事故は、1986年4月26日午前1時23分におきたが発見したのは西欧だった。ソ連は核をつくるのにこの発電所を利用したのかな。

 へ~資本主義だったと知ってた?

 

数字と現実   (連載―282)

死者が何千人。人間のマネキンを町に何千も寝かせてたら異様だろう。

 そう、異様なことが現実に起きている。それが数字になると異様に感じない。パニックにもならない。

 パニックを恐れて平常の判断ができないからデータとして数字にとどめておく必要がある。

 人によって判断の差が違ってくる。から恐ろしい。

 映像では墓穴を見えるだけで何十穴も見せかれると異様だ。火葬に間に合わなく屋外で火葬されている光景を見せられると異様だ。川に死体を流されている光景は異様だ。

 コロナワクチン接種を、動物に、人間に接種するのかそんな違いを感じたのはおかしいことなのか。

 気象も過去でデータは被害の参考にもならなく。ウイルスも人間に変わって世界を支配する時代もくるのかなあ。

 

極楽・ごくらく  (連載―281)

温泉のいい湯に入ったとき、あー極楽・極楽とつい口に出てしまう。

 あんじょう(安養)やってよ。これもよく使っていた。(喧嘩せんと仲良くやりなさい)

 おばあちゃんは極楽往生した。(安らかに亡くなった)、なんだ身近に使っていた。

 極楽とは安楽・安楽と理解していた。とやかくいろんな事柄を知らないことが幸せに結びつくようだ。

 昔々、硫黄島に行った時、戦った日本軍の洞穴を見学に行った。錆びついたおもちゃみたいな戦車見た時、石ころでも投げて戦っていたのだろうと感じた。

ところが硫黄島は硫黄でできた火山の島で穴を掘れば硫黄の匂いと熱さで大変だったようで穴から出ることも出来なく、たまも食べ物もなく、ウジ虫の湧く死体と籠城するしかなく穴から出れば後ろから弾が飛んでくる。火炎放射器でもあぶりだされた現実を後に知った。

 観光の島として極楽・極楽でよかったのに。

 

おかげ地蔵さん  (連載―280)

私は69年6ヶ月生きています。お地蔵さんって知ってる。

笠地蔵を思い出してください。私の幼いころ道端に立っていた。

 なぜか通りすがりに手を合わせて通っていた。たまに杏ころ餅をあげていた。放浪画伯の山下清じゃないけど私はおなかを空いていても食べなかった。そういう人の為にお地蔵さんは食べなかったのだろう。

 ハラタマルという人がいた。名前はハラタマルなのにいつもお腹を空かしていた。私の実家は、ほそぼそと百姓をしてたのでお米はあった。

 麦入りのおにぎりをこしらえてその人に食べさせていた。お地蔵さんってそんな光景を見ているのか、ある時、私の国は台風がよく来る。川が氾濫し家の戸が外れそうになったときその方がささえてくれていた。

 これは、大昔のことだが。今の都会にもお地蔵さんが立っていた。いたるところに。

 リリ―ンと電話が鳴った。幸せな電話は連鎖してまた別の電話を鳴らした。最初に鳴らしていただいた方より幸せの先取りすることだってあった。

 自分さえよければと生きていれば電話もならないだろうし連鎖もしない。

 今も「おかげ地蔵」は都会には立っていた。

 

おばあちゃんの宗教編 その一(連載―279)

昔、亡くなったおばあちゃんが夫を、私の母が5歳の時に亡くした。女一人あの山奥から出てきて子供を育て家の農業もささえてきた。身体の全部で神様仏様を信ずることで自分をささえてきたように感じた。

 幼いころから、おばあちゃんの傍で木魚を叩いていたので

私もお経を覚えている。朝起きるとお茶をあげ、小高い山の上の御薬師様にもお米をあげ、手を合わせた。年に一度は村人と京都の伏見に行った。階段をかけ上りろうそくで遊んだ記憶があり、滝もあった。近所の幼友達と楽しかった。

 「おばあちゃんここは家だよ」「ちがう、家に帰る」という一点張り。おばあちゃんは足を折って病院から連れて帰った時の会話だ。私も子供だったのか、今日は遅いから明日早く帰ろうね。と言えなかった。

私が東京に来る前におぼあちゃんが亡くなった。脈がとぎれてくる、止まったと思ったらポツン。最後におばあちゃんから死を教わった。

おばあちゃんから聞いたお経は「般若心経」だったので和歌山の高野山にお参りした。ところが高野山でないことがわかった。宗派は違っていたがおばあちゃんの信じる心はおなじで大切に私の心にしまった。

 

人生模様/ゴミ捨ておじさん編 (連載―27 8)

半年前から、ご自宅の庭の枯れ枝、落ち葉や庭のゴミを近くの空き地に捨てに来る。はじめは一日3回程度だったのが、回数も増えてきた。

私の2階の小部屋からそれが見える。自転車に乗って2分は係って来る。ブレーキの音がキーと合図のように知らせてくれる。

土地の持ち主は、ご高齢らしく放ったらかしで草も周りの者が整理していた。事実上は私が草刈り機を買って毎年2回ほど刈っていた。役所も私有地なのでなにもしてくれない。台風で一本の木が折れた時も自分らで処置した。

私の不自由な身体を見かねて、私の子供が5年ほど前から私の役目をしてくれていた。

考えてみれば、枯れ枝とか枯葉は腐れば肥料になる。恐らくゴミとは考えていないようだ。

その方の奥様はご近所だけに主人がご迷惑をかけていることを詫びているようだが。高みの見物のように、ご近所の奥様と同じ目線でご主人を冷ややかに見ていたように感じた。

私も這いつくばって現場を整理していた時、偶然ご本人が現れたらしい私は知らず腐った木の硬い芯に四苦八苦していたがその方にお願いして細かく切っていただいたが苦労していたようだ。ご本人とも知らず紳士だったし私に気持ち良く協力もしてくれた。

最近、ゴミが山のように積み重なって、誰かが張り紙をたてた。「ゴミを捨てるな」と怒りの乾いた言葉で書いていた。

 昔、イベントでトイレが汚かった。「トイレ汚すな」と書いたら直らなかったろう。そんなことを思い出した。

 自治会の2人が現場を見ていて、ゴミ捨ておじさんの方に歩いて行った。

 翌日早朝、キーという音の合図で元気なゴミ捨ておじさんが姿を見せた。張り紙おじさんの登場で新しい人生模様が見えてきた。

 張り紙おじさんは張り紙が捨てられたのに気づき今度はどういう対策をするのだろう。

 私は遠くにくりひろげられる人生劇場を観ていた。

ゴミ捨ておじさん、張り紙おじさん、ここにチャップリンの登場と動きを合わせると笑って腹も立たない。

 

宗教   (連載―277)

昔、亡くなったおばあちゃんが夫を、私の母が5歳の時に亡くした。女一人あの山奥から出てきて子供を育て家の農業もささえてきた。身体の全部で神様仏様を信ずることで自分をささえてきたように感じた。

 幼いころから、おばあちゃんの傍で木魚を叩いていたので私もお経を覚えている。

 朝起きるとお茶をあげ、小高い山の上の御薬師様にもお米をあげ、手を合わせた。年に一度は村人と京都の伏見に行った。階段をかけ上りろうそくで遊んだ記憶があり、滝もあった。近所の幼友達と楽しかった。

 「おばあちゃんここは家だよ」「ちがう、家に帰る」という一点張り。おばあちゃんは足を折って病院から連れて帰った時の会話だ。私も子供だったのか、今日は遅いから明日早く帰ろうね。と言えなかった。

私が東京に来る前におぼあちゃんが亡くなった。脈がとぎれてくる、止まったと思ったらポツン。最後におばあちゃんから死を教わった。瞬間、真空の世界を感じた。

 おばあちゃんから聞いたお経は「般若心経」だったので和歌山の高野山にお参りした。ところが高野山でないことがわかった。宗派は違っていたがおばあちゃんの信じる心はおなじで大切に私の心にしまった。

宗教と言えば世界にはいろんな宗教もある。私のようなワカランチンが人を傷つけたくない。

60歳を過ぎて知ったのだが日本では最初は貴族のものだったようでお金持ちの宗教だった。後に平民にも広まったと聞く。私も宗教のことはとやかく言えないが、仏教、神道、靖国、テロとか紆余曲折もあり、怖いものと長年植え付けられ過ぎた。  

 日本の中にだけにいると単一民族で島国だから問われることはなかっただろうがこれからは常識として知っておく必要が出て来るだろう。

「バカにするんじゃないよ」妻が異国の人と組んで仕事をしてて言われた様だ。世界は変化している。いつまでも昔のままでいると思っていると「バカにするんじゃないよ」と言われたらしい。

日本ってどんな国? 日本人って?

 あなたの宗教は? 

「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教」の一神教だとは知らんかった。聖地も同じだって言うから。キリスト教はヨーロッパで起こったと思ったが中東だって。

 インドのヒンドウ―教とイスラム教

 仏教はインドで起こったのにインドは仏教の国と聞こえてこないのはなぜ?

 今年で70歳になる高齢者が振り返れば、若い時は考える世界が狭かった。それでも生きてこられた。今になって、悔しいと考えても肉体の若さは取り戻せない。

 若さは様々な情報や、しがらみで身動きが取れないだろうが、自分ファーストの壁をぶち壊せばまだまだ余地がある。

 将来は、二人で一人を支える時代になる。古い人間は知識があっても悔しいが守りに入り行動を伴わない。もちろん私が言うのだから間違いはない。

 若い人は頑張ってもいようが、すぐ高齢者にされる。一度、他人ファーストでトライ出来ないものか。私も、もがいている。

別に・・・・・はもう通用しない。うざくても考えておこう。深く深く自分を思わず発見することができるかも。

 滝に向かって何に手を合わせる?・・・・・・

 滝は水も岩も木もみんないきものだ。感謝の心で手を合わしている。「いただきます。」と手を合わせている孫の姿に美しさを感じた。

 

中津村塾   (連載―276)

歴史と聞くとアレルギーのように拒否反応を起こしてトイレに行きたくなる。石器を使って狩をしたり、稲作が伝わり人の生活もかわった。仏教も伝わり聖徳太子も時間をかけてやっていたようだ。冠位十二階、十七条の憲法も習ったようだがすぐ忘れた。

 70歳になろう手前で今更遅いよね。と言われそうだが。

折角この世に生まれてきたから日本語以外に英会話、日本・世界の歴史。日本・世界の宗教を知って次の世界にいってみようと思った。

 バカなこと言っちゃダメだよ次の世界って何なのよ? 誰も次の世界から戻ってきた人の話を聞いたことがないでしょう。いろんな説もあるがそれもそうだ。

 仮によ、聖徳太子が実在していなかったと言われても私には影響しないけど。もともと詳しくは知らないから。

 

 最近、日本の歴史の教科書が変わると報道されていた。近代現代史になると。先生方もお忙しいことだ。明治維新、大正時代、昭和時代にまで来るまでには時間がかかり素通りの感があったようだ。

 関東大震災はいつあったの? へー大正時代。

富士山が噴火したのはいつ? へー江戸時代。

奈良時代、平安時代、鎌倉・室町、戦国時代は長い大切な時代を省くには忍び難いが各自流れを捉えてもらいたい。偉そうでしょう。

「バカにするんじゃないよ」妻が異国の人と組んで仕事をしてて言われた様だ。世界は変化している。いつまでも昔のままでいると思っているとバカにするんじゃないよと言われたらしい。

 日本ってどんな国? 日本人って?

 日本の宗教は? 

「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教」は最低でも知っておいた方がいいってよ。

日本の中にだけにいると単一民族で島国だから問われることはなかっただろうがこれからは常識として知っておく必要が出て来るだろう。

歴史も時代とともに変化して、宗教も禁句でなくなるだろう。

私も日本人、日本の方って宗教の話をする前に無宗教だと

表明しなければ変にみられる。仏教であったり、神道であったり新興宗教であったり、靖国であったり、いろいろ複雑で難しい。

滝に向かって何を手を合わせる?・・・・・・

 

 私の場合、昔亡くなったおばあちゃんの影響で般若心経を覚えているから弘法大師の真言宗だ。ああ~勘違い家は法然の浄土宗だった。和歌山の高野山に参拝したとき、法然が京都のお寺さんとわかった。そんなものよ。

 

英会話;中学から英語を習っているのに、誰も話せない。

    どういうこと? 試験のための英語だからとひとは言う。

  ある大臣に英語力に期待したが時期遅しの感がある。

 コロナワクチンはこんなに遅れているのは昨年からの交渉者の英語力に原因があると思った。後手後手でアメリカより出過ぎた真似をしないのが美徳の日本、やっぱり語学力の低さと前例のないことはしないことが原因のような気がする。これも日本のいいところは何事も慎重なところは利点の一つだ。副作用の一つに血栓に注目した。大丈夫らしいが私のような脳梗塞には血栓に神経質だ。

  昔、長州(現;山口県)に吉田松陰というお方がいた。

 

松下村塾を開き未来の日本をリードする若者を集め塾を開いた。時代は日清戦争、ペリー来航の幕末と明治維新。

  到底無理だろうが吉田松陰の真似事でもいいが中津村塾を開きたいものだ。個性的優秀な若者を集め私が学びたい。もちろん無料にしていただきたい。英会話、歴史と社会、問答。これは必須だ。

 

加齢だろうか、何が。  (連載―275)

半年前から、ご自宅の庭の枯れ枝、落ち葉や庭のゴミを近くの空き地に捨てに来る。はじめは一日3回程度だったのが、回数も増えてきた。

私の2階の小部屋からそれが見える。自転車に乗って2分は係って来る。ブレーキの音がキーと合図のように知らせてくれる。

土地の持ち主は、ご高齢らしく放ったらかしで草も周りの者が整理していた。事実上は私が草刈り機を買って毎年2回ほど刈っていた。役所も私有地なのでなにもしてくれない。台風で一本の木が折れた時も自分らで処置した。

私の不自由な身体を見かねて、私の子供が5年ほど前から私の役目をしてくれていた。

考えてみれば、枯れ枝とか枯葉は腐れば肥料になる。恐らくゴミとは考えていない。といいほうに理解した。

その方の奥様はご近所だけに主人がご迷惑をかけていることを詫びているようだが。高みの見物のように、ご近所の奥様とご主人を冷ややかに見ていたように感じた。

私も這いつくばって現場を整理していた時、偶然ご本人が現れたらしい私は知らず腐った木の硬い芯に四苦八苦していたがその方にお願いして細かく樹っていただいたが苦労していたようだ。ご本人とも知らず紳士だったし私に協力もしてくれた。

 

 

最近、ゴミが山のように積み重なって、誰かが張り紙をたてた。「ゴミを捨てるな」と怒りの乾いた言葉で書いていた。

 昔、イベントでトイレが汚かった。「トイレ汚すな」と書いたら直らなかったろう。そんなことを思い出した。

 自治会の2人が現場を見ていて、ゴミ捨ておじさんの方に歩いて行った。

 翌日早朝、キーという音の合図でげんきなおじさんが姿を見せた。アーよかった。

 

 

あっち、こっち、(じゃんけんホイ、あっちむいてホイ) (連載―274)

なんやこいつは方言か? 西の国で使っていた言葉だ。

東の国では聞かないから方言かもしれない。

 

考えてみてください。

 

1, こっちをそこのねきにおいといて。(ねき  角)

2,あっちこっち探したんやけど見つからん。

3,あっちの木材は安い。

4,あっちのお方に叱られる。

5,あっちからこっちに来たからあっちあっち、あっちゃや

どこ? あっち。

 戦争やったら撃たれてあっちの人になってるわ。

なんだそこか、もう遅いわ、アカンあかん。

 普段でも私の田舎はこんな調子。妻は戸惑ったようだ。

 

和歌山と言えば紀州だ。紀州は吉宗でも知られているが。あっちの紀州は徳川御三家になんでなったのか聞いてみたい。   

東の国のお方は和歌山を陸の孤島とたてまつり呼んでくれた。故郷はいつまでも陸の孤島であってほしい。

 

「来るな」   (連載―273)

「東京に来るな」と言われても東京に憧れて一人で西の国から遠路はるばる来たのに戸惑ってしまう。

反対に地方に行って「東京から来るな」と最近、言われたことがある。なにを考えているのかね? とね。

もう2年あまり妻の実家に帰っていなかった。おばあさんが帰ったらどうだい。と優しく云っていただいた。田植えもあり私は手伝いにもならないが少しでも91歳の老父母のお役に立てないものかと帰った。次男にも声を掛け田植えのできるように支度をさせた。

ところが、甥っ子の嫁が「このご時世に、なにを考えているのかね」と言っているらしい。カチンときたが。これは誰が悪いのでもなく、私が悪い。次男にも

判断を委ねた。結論は忍び難いが私も老父母にも告げ引き上げた。老父母には申し訳ない。次男も取り止めた。

 2020年東京の大学に行った息子に「帰って来るな」と言わなければならない父の気持ちは多少感じ取った。

 

娼婦のうた   日高なみ(街灯) (連載―272)

港と港に娼婦がいた。

娼婦は男の後ろ姿を見、後ろ姿と別離をつげた。

街灯の薄暗さは、男の正体を消し去り、娼婦は恋を捨て去り必要とされないのか。

 ある日、女は恋をした。またいつ会えるともわからない。冷える港に街灯を頼りに待ち続けた。

日高なみは2回目の脳梗塞で5年前に死んじまった。街灯を聞くたびに彼女を思い出す。自分にも他人にも厳しかった。

ある作家と恋に落ちた。実らぬ恋も街灯のように互いを照らし合せたようだ。

強い女は、弱みを見せなかった。歌に関して純粋だった。命はアットいう間に連れ去った。

 

人間も動物たちの仲間かなあ?  (連載―271)

1年前メダカを14匹飼ったんだ。そのうち水槽を誤ってひっくり返し5匹殺した。

 雨が降ってきて水槽には水が溢れ誤ってメダカ2匹が外に脱走して死んじまった。

水槽が寂しくなったのでめだかを12匹ホームセンターで400円程で買って水槽に入れたんだ。縄張り争いで喧嘩でもしないか心配してよく見ていたが何とか馴染めたようだ。アレー後から入れた12匹のメダカのうち4匹が行方不明だ。

水槽の底が藻か何かで視界が悪くなったので清掃をして水を取り替えたら底に赤い蛭のようなものが大量にあった。これで4匹が食われてしまったのかも知れない。

これで水槽には15匹だ。水は水道の水をバケツに汲み置き1日ほど放置すればカルキも抜けるそうだ。

長く見ていると家族のようなものだ。心配もする。

 

ウイルスでか知らないが、鶏や牛、豚も大量に殺されている。まさかガス室で殺し地中に埋めているのか。「殺処分」という言葉を使えばなんとなく許される気がする。

白衣をまとえば全て一時の出来事と考えているのだろうか。

人間の食料問題もあろうが,どのように殺しているのだろう。どのように埋めるのだろう。そんなことは、そんな姿を人間には見せない。

昔、人を船底に詰め込み、死なば海にポイ捨て。そんな話を思い出す。

 大量に人間を機関銃で殺したそうだが、さすが軍人も慣れているとはいえ、ガス室に変えたそうだ。

 

野の花  (連載―270)

田舎育ちの妻が私を野の花を摘みに誘ってくれた。

先に近くの農家の嫁らしき人が野の花を摘んでいた。

 ふだん私が山の田舎者、妻は田んぼの田舎者と互いに田舎者を自慢しあっていた。

野に咲く黄色い花の名前はあるのだろうが田舎育ちの私が君の名前がわからない。気がつけば踏んでいた野の花は雑草の中で強くたくましく咲き誇っていた。

妻は君の名前が菜の花だと教えてくれた。もうスーパーの袋に菜の花を沢山摘んでいた。摘み方は知らないが菜の花を摘む妻の手に幸せを感じた。

 

 「野の花を 摘む妻の手は しなやかに」 (俳句) 

約束はできないが、きっと来年も君に会いに来よう。

 

西の国、東の国     (連載―269)

西の国の私が東の国にやってきた。大阪梅田を夜行列車の床に新聞紙を敷いて12時間もかかって東京のみやこに来た。ちょうど、大坂万博が始まるころ新幹線も開通していたころだった。

 昔むかし、もう東北が日本だったのか知らないが、京都が都だった頃、江戸は未開発で大半は海で下町は茅でも生えた荒地だったようだ。豊臣秀吉に左遷され、家康が今の江戸を作った。

 振り返れば、西の国は山と川と広い海で私の出身の和歌山も海賊でも知られていた。東の国は平野で馬の放牧に適していたし軍馬を育てるのに適していたようだ。福島の相馬も関連あるようだ。

 西の国から東の国に来た時の話。さすが私はイケメンだ。いつも私の周りには女性がとぐろを巻いていた。しばらくして分かったことだが西の国の言葉が面白いという。なんだ私がモテると思っていたのに。

 昆布出汁とかつお出汁。銀座のある店でわからん喧嘩をした。こんな塩辛いおでんは食べられない。と文句。西の国は昆布出汁のうすあじ。東の国はかつお出汁で醤油あじ。喧嘩のおかげでその店には行きずらくなった。

 納豆。表参道のある店で。「店長、これ腐っているから・・・・・」そのころ西の国には納豆はなかった。

 

 ちなみに妻は東の国のお方だ。東の国のしきたりも知らない私は妻にずいぶんご迷惑をおかけしたものだ。スケールが違う。信じられないってよ。

 信じられない、ごめんね。バッタの佃煮知ってる?

西の国、東の国の違いっておもしろい。

 

思い出の銀座 (Ginza in my mind)  (連載―268)

数寄屋通の地下1階、モグラ生活40年。1階は有名なうどん屋、右隣は置屋(おきや)さん、夕方になると芸者が人力車に乗ってお出ましだ。左隣は政治家もよくお忍びで来ている寿司屋さん。

 時々、クサヤの焼くにおいが下に降りてくる。いい匂いだと話すと毎年、段ボールで送ってくださる。本物はすごいよーたまらない。

 銀座の柳は屋台に似合っていた。おでんをさかなに酒を飲み。柳がゆけむりでぼかされセピア色に染まる銀座の明かりも場の雰囲気をつくっていた。らーめんは別腹なんだろう締めに食べる。

 柳は根が張るので消えると屋台もなくなった。若い人に知ってもらいたかった銀座の夜を。

店が閉店し外は雪景色、誰かが雪の綿の上に横たわっていた。どうしました。知人だった。気持ちよく寝ているのでほっとけばいいのだがタクシーに行き先を告げ乗せて帰した。後日、連絡があり無事でよかった。

家が傾いているのか私が酒に酔っいているのかとっくりが床で遊んでいる。戦争にも無事、米寿のおかみさんがお客様を接客している。新築も終え、ヒノキのお風呂にも入れていただいた。まだまだお元気でやるきだな。もう塩尻出のおかみさんは私を息子替わりに可愛がっていただいた。生きていれば110番だ。店を売って塩尻に寄付するといっていた。

銀座の夜はいろんな顔を見せてくれた。

置屋(おきや)は、日本で芸者遊女を抱えている家のことで、料亭待合茶屋などの客の求めに応じて芸者や遊女を差し向ける

 

昔の大人、今の大人  (連載―267)

 「何回言ったら,気すむの」 娘

「気がすまないから」 とボソッとつぶやく妻 

笑う夫セイ

 

 朝から食卓に私だけの笑。喜劇でもこの間はとれない

自然の間と強さと弱さが生む調合の笑。

おいなりさん食べる? 食べる! (外から聞こえる夫の声)

人生も笑いと思えばどこにでも笑いが作れる。

 

防波堤で釣りをするのが危険でわだわだ税金を使って進入禁止の柵をこしらえている。

 何か事故でもあったらとご配慮に感謝したいが、挙句の果ては合鍵を使ってでも侵入する。私がおかしいのか今日は侵入者に腹がたたない。

 事故があったら、誰が責任を取るのかの問題だ。家族が世間が問題化するのを見越しての配慮だろう。

 私が子供だった頃、夜、川にもぐってうなぎを取りに行った。親にも報告しないで夜の川に行ったが、今親になったら、よくも子供らで行かせてくれたと思う。

 子供は親と違って危険なところが好きだ。大人もそうかもしれない。危険なところほど魚も釣れるかもしれない。

 昔の大人も今の大人も危険なところが好きかもな。

「何回言ったら気がすむの」「気がすまないから」

 

へんかなあ?    (連載―266)

 おかしいんじゃないの?と言われるかもね。きっと言われるよう。

2,3日前に気づいたんだ。若い若いと思っていたら高齢者になっているようだ。孫にジイジと言われれば、立派かどうだかわからないが立派な花咲爺さんだ。

 孫と一緒の写真を見せられ、ハット驚いた!頭ははげているし、ああーもう嫌だ、爺さんだ。

二十歳とは言わないが40なかばと思っていた。いつの間に70歳になっているのだろう。10年ひと昔と聞くが、今は20年に感じる。

 大阪―東京間、12時間夜行列車で花の都に来た。「弁当、お茶~」窓越しに買った。

今は2時間半、未来は1時間になるだろう。

 12時間もかかった、子供らに今はそんな昔の時代じゃあ~りませんのでとバッサリ kirareta。

 もう昔,大阪の友に今夜は東京で飲み明かそうと誘ったが、明日一番の会議があるからと帰った。そもそも時代と云う漢字が古いと思いますよ。(影の声)

 人間は言葉のない万物たちの生きるを背負っている。どうしてだろうみんな幸せになるように未来を考えるのにうまくいかない。人間の進歩も限界があるんだろう。なんだか昭和歌謡の歌に未来のこころ感じ取った。

 

内と外 、昔と今  (連載―265)

 へんかなあ?

2009年に小脳出血でかろうじて命をいただいたようである。妻が居て、偶然、お医者様がいらしてたから今意識のある私がパソコンのキーボードをたたいている。当初は立てなくて、字が書けなくて言葉も話しづらくて、トイレは車いすで這ってでもいった。

 よく、吐いていた。不思議だ。あ!治っている。私に言語のリハビリの時間が設定されていた。さ・た・な・や・・・・とね。

しばらくしてクレーンの網に入れられてお風呂に入る練習をした。やれやれ窓からみえる景色がいっときの休息だ。

 4人部屋で、一人は理数系の方で私にとっては難しい暗号を解いていた。まだ45歳くらいな人でトイレは無理のようだ。一人は調理師のようで私にとってはこれまた暗号のようなもの。一人はゼミナールの教授で何だかんだ忙しそうだった。一人は私がトイレにいく壁伝いでへんな顔を見られた方だった。あまり記憶がない。

 理数系の方が身寄りもなく転院なさるというからせめて見送りした。車いすに座る後姿に兄を見た。

 一つのことを続けているとある日突然、気づきもしない出来るようになっていた。あれ~できる。

 妻の運転で車窓から外をぼんやり見ているとあるビルの窓に一人の男性が外を眺めていた。歳は40なかば。

 何回かその光景をみていた。なんだか窓にベニヤ板がガムテープで外を見られなくされていた。

 近所の方が不気味で何かされたのか。いつも見られてる方は気持悪いのだろう。

 ところで、窓にベニヤ板は今もそのまま。あの人どうしたんだろうなあ。

 私の若いころモリモリ・ピチピチした有名人が亡くなられたり引退している。仕方ない生き物は必ず終わりが来る。若い者はたよりないと嘆くよりも私も思い出せば若い頃は今もたよりないが生きている。

 何も考えていないようで考えていない。そうだ!神様仏様のことを考えていたら、私のバカさも見えてきた。

2000年程前のことを考えていると今がみえてきた。そうか、

今が永遠ではないのか。

 

70歳からの英会話  (連載―264)

日本語を私が普段ペラペラと流暢に会話しているのだから、もしかしたら、天才バカボンではないかと思う事がある。

子供の頃、外人が怖かった。なんでかと思ったら戦争に負け大人たちに、外人に見つかったら殺されると言われていた。

 B29(アメリカの爆撃機)が近くに墜落して、教会が建って

外人が黒い骸骨のような単車に乗って、お参りに来ていた。

 外人が来たぞ隠れろ、私は屋根の上に登って通り過ぎるのをこっそり見ていた。

ああ~わかったぞー

一応、中学から英語を習っているのに、未だに英会話ができないのはあの頃のせいだ。

 入試のたびに、英語の試験が必ずついてくる。おまけに就職の面接試験に英会話だ。私にはもう太刀打ちできない。

 英会話も英語の文法を間違ったら合否に連動する。英語は必須だから他の必須科目と合算され合否を判断される。

 つまり、頭の良さも判断されなかなか人前で話すことが出来ない。知ってる英語で話しても聞き取れないし、周りは冷ややかに見るし、ペラペラしゃべるといやらしいし、わたしゃどうすりゃいいのーさ。

 ハイ提案! アメリカのご意向もあるだろうが、しゃべりたい人はしゃべればいい、英語を選択科目にしてくれれば私も周りに気にすることなく英語を話すことが出来るのになあ。

 

アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie  (連載―263)

私も田舎者だなあ。ニューヨークにあるカーネギーホールはよく聞く、名のある音楽家などがコンサートを開いている。その由来も知らなかった。

 スコットランド出身のアメリカの実業家で「鋼鉄王」と称され成功した。ロックフェラーに次ぐ富豪とされた。

成功を収めた後、教育や文化の分野へ多くの寄付を行い慈善活動した。ニューヨークにカーネギーホールを建てたり、アメリカ・イギリス・カナダなどにカーネギー図書館を建てたようだ。館内の内容や運営には口を出さなかったと聞く。

カーネギーは子供の頃から計算高い子供だったらしいが、何を彼を変えさせたのか、晩年は慈善活動に力をそそいで83歳で亡くなった。

インターネットで面白い彼にまつわるエピソードが掲載されていたので参考に!

カーネギーがまだ子供の頃、母親と一緒に市場へ買い物に行った時のことである。果物屋の店先に山積みされていたさくらんぼに見入るカーネギー少年に気付いた果物屋の主人が、「さくらんぼを一つかみ分だけサービスしてあげよう」と、気前よくカーネギー少年に言った。しかし、カーネギー少年はさくらんぼに全く手を出そうとしない。そこで主人が「さくらんぼは嫌いなのかい?」と尋ねたが、カーネギー少年は「嫌いじゃない」と言うだけで、やはりさくらんぼに手を出そうとしなかった。主人は不思議そうな顔をしながら、さくらんぼをつかんでカーネギー少年の帽子に入れてやった。それを見ていた母親もやはり不思議に思ったらしく、帰宅後に「どうして自分でさくらんぼを取らなかったの?」と尋ねてみると、カーネギー少年は得意そうに、「だって、ぼくの手よりも果物屋さんの手の方が大きいから、さくらんぼをいっぱいもらえるでしょ」と答えたという。

 

想像(Imagination)   (連載―262)

エディンバラ公爵フィリップがお亡くなりになったことを報じていた。99歳だという。(1947年に結婚)

奥様のエリザベス2世(Elizabeth II)は1952年王位継承法に基づき25歳の若さでイギリス女王(君主)に即位した。

 私が、イギリスと言っているが正式名称は英語で『United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(ユナイテッド・キングダム・オヴ・グレイト・ブリテン・アンド・ ノーザン・アイルランド)』である。

 エリザベス女王の夫としてよく長年支えてこられたことでしょう。イギリスって国も複雑、階級も複雑、宗教も複雑、新大陸アメリカに国を作ったのも、産業革命を起こしたのも、世界に植民地を作ったのもイギリス大英帝国だ。

 鉄の女でないと君主たり得ないだろう、鉄の女として母として役目を分かち合えるように持って行くのもフィリップ公のようだと察する。

 亡くなって存在を知れるのも、その役目なら、役目で去っていくのも役目のような気がする。

 

英語を試験科目から   (連載―261)

私がしゃべっている日本会話は遥か昔から話されているのだろう。1400年程前から先進国だった中国から文字が伝わった。

最近、英会話をやろうという気になってはじめたら、お恥ずかしいことに英語が苦手でThis is a Pen はかろうじてわかる程度の英語力で基礎の基礎から始めなければならないことがわかった。

 噂によると日本語は一番厄介な伝達手段らしいと聞くと私が普段ペラペラと流暢に会話しているのだから

もしかしたら、天才バカボンではないかと思う事がある。

はじめに、「正しい」「正しくない」はこっちに置いといて、相手に自分の意思を伝えることが先決だ。

周りを気にして話さず顔でニヤニヤしてごまかすようでは意思が伝わらないし後で誤解を招く。

昔だったら日本人のいいとこ、だったろうが今じゃ日本人は強制力もなくふぬけになっている。外人を見れば憧れと恐怖を感じるのか複雑だ。

 世界は自国の国民を守るのにシタタカだ。ある大臣が英語力が優れているのでコロナワクチンの責任者に抜擢されたようだがもう遅い感もある。

英語を試験科目から外せば英会話に対する国民の見方も違ってくるような気がする。

英語を試験科目の必須項目にしているから、英会話も筆記試験のようで周りに気にして間違ってはいけないと誰も話すこともしない。よーく考えたら日本人の几帳面なところだし、長所かもね。

 世界を知るためにも政治家だけでも、官僚も国民も気軽に間違ってもいいから。

話せればいいのにと思う。

 

ケンターキー州のフォスターの家を訪ねて   (連載―260)

ステーキも揃ったことだし、皆様と乾杯といたしましょう。それではお願いいたします。いつまでたってもビールとかバーボンの酒が出てこない手持ちぶたさで乾杯も出来やしない。この地区は酒が飲めないという。そんなふざけたことがあるとも知らず一部の方も怒り出した。

 まさか、テネシーのピジョンホージィーのレストランでも体験したことが、ここで再び体験しようとは思わなかった。この地区は酒が飲めないのである。

 寂しくステーキを食べた。食後、道路挟んで向こうは酒が飲めるというので行ったが早くクローズしていた。酒屋で酒は飲んでもいいが持って帰ってはダメ。酒は飲んではいけないが持ち帰るのはOK。ホテルでも決まりがあるらしい。日本では考えられないことである。ケンタッキーはバーボンの発祥の地。郡によって飲める飲めないがあるらしいから調べていってね。

 禁酒法の名残があるようだ。だけどめちゃめちゃ田舎だった。日本からもよく名馬を買いに来るいう。馬の博物館も行き、馬を可愛くなった。広い広い牧場も無数あったよ。ブルーグラス空港を降り、ブルーグラスの牧場が果てしなく続いた。

フォスターが 1853 年に作った「My Old Kentucky Home」 酒名もある。

 参考にテネシー州のジャックダニエルの工場も禁酒だよ。

 

春爛漫   (連載―259)

 桜の花もわびしくアット散り始めた。パット咲いて、パット散る。とは、いさぎのよさがいいことに日本人の心をとらえるのか、私はそんな単純なことではないような気がする。

西行法師という歌人の和歌に「願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」

 「願うことには、春の満開の桜の下で死にたいものだ。それも(釈迦が入滅したとされている)陰暦の2月15日の満月の頃に」

 ところが、西行は2月16日に亡くなった。願って想う日に死ねたらいいのだが西行法師は一日違いだが願い道理の最期を迎えた。

 詮索するのもおこがましいが、俗名・佐藤義清 (さとう のりきよ)で、23歳で出家して円位を名乗り、後に西行とも称しました。

 私のような凡人は、恋焦がれるお人が居たのだろうかいらぬ詮索をしたがる。歌人は諸行無常を知り、歌心を読むのだろうか凡人はあくまで凡人の世界だ。

 私は西の国から東に国に来た。大昔だったら、征夷大将だったかもしれない。西行は東の国から西の国に行った。それで西行とな。違うと思いますが50年程前、おばあちゃんを桜の木の下に埋葬した。墓穴は桜色の土だった。

 

日高なみ   (連載―258)ラストソング  君を愛す

3年程前、死んだシャンソン歌手;日高なみ。昔、宝塚出身の高校の先生からシャンソンのレコードをいただいたそうな。その影響でシャンソンを目出すようになった。リュシェンヌ・ドリールのドーナツ盤のレコードでジェルソミナ、赤いお月様(ルナ・ロッサ)の2曲で彼女が日本語で歌われていた。このレコード盤は私が保管している。

 高校は町にあったが、彼女は山育ちの田舎者だったが幼いころから芸事の好きな子で両親も期待していた。高校は寄宿舎生活で両親からピアノも買ってもらっていた。田舎の音楽の先生も彼女に期待をかけていた。

 伯父さんを頼りに東京に出て音大にも行ったらしいが在学中にシャンソンの殿堂の銀巴里のオーディションに譜面1枚で飛び込んだらしい。幸い、社長じかじかのテストに受かりその日からステージに立ったようだ。譜面一曲しかなかったので同じ曲を4回歌ったようだ。

 歌手一本で食われず、銀座のクラブで働いた。夢は諦めきれず自分が歌える自分の店を銀座にオープンした。ご自分でレンガ一枚一枚積み重ねて歌の城を作った。35年程やったが脳梗塞で止めざるを得なかった。

 紆余曲折あったが、マネジャーだった私は最後のおつとめの真似ごとにアップさせていただきました。ありかとうございました。

 

洗濯の変遷  (連載―257)

私は①から⑧までの記憶。あなたは?

 8人家族の洗濯物を担いで、竹藪をかき分け小川に着いた。石鹸をこすり何枚かに泡立てた。足で踏んで汚れを落とした。足の裏に感じる小川の石ころと洗濯布の触れ合う感触で汚れを落とした。濯ぎは流れでゆすいだ。

 洗濯板に洗濯物を置いて、棒で叩いて汚れを落とし小川の水でゆすいだ。

 洗濯機の中に洗濯物を入れ(色物は2回目)洗剤を入れ回した。終わったら水を出し、新しい水でもう一度洗濯機を回しゆすいだ。

 ローラー付洗濯機の登場で、手で絞っていたのが手動ローラーで洗濯物を絞り干した。無理やり重ねるからローラーはすぐ壊れた。

ー・・・ここまで15歳の時までかな・・・ー

 洗濯機―洗いと濯ぎ

洗濯機―洗いと濯ぎと脱水

洗濯機―洗いと濯ぎと脱水と乾燥

(全自動)

コインランドリーの登場で便利にもなった。

 

洗濯一つ考えても年代によって違ってくる。

 びっくりした。東京ディズニーランドで洗濯板を首から紐で抱えて器用にリズムをとっていた。小さなシンバルもあった。洗濯板も楽器になるんだ。

 そうそう見とれているどころじゃアリマセン。広告代理店のチンドン屋も東京に出て来た時、太鼓に三味線も加わり見事な演奏だった。背中にパチンコ屋のオープンの広告も背負っていた。

見とれて気づいたころには迷子になっていた。

I’m lost

 

チュウリップと菜の花   (連載―256)

春は桜の花が教えてくれる。桜は華やかに咲き、散るのもいさぎよくパッと散る。人生もこうありたいがなかなか筋書きどうりにいかない。

 昨日も桜見に行った。コロナ化の中、命がけでマスクをして出かけた。今日の朝、妻が日光浴がいいからとお日様に会いに外に出た。

 ばったりチュウリップと菜の花に出くわした。目に鮮やかに入ってきたのに今まで気づかなかった。山育ちの田舎者なのに花はチュウリップと菜の花だけは幸い知っていた。

 写真に残しておこうとテイクアピクチャーで撮ったがなかなかの出来で撮れた。生活感あってよろしい。と自己満足ですがお裾分け。

 

流山清瀧院にさくら見学  (連載―255)

なんと樹齢400年のしだれ桜という。垂れ下がっている姿は滝のようだから「瀧桜」と命名しているという。

 今年2021年は、桜の開花宣言が早かったので妻の運転で桜を見に行った。便利なもので場所はカーナビで案内してくれる。

清瀧院のある流山市名都借は小金の牧にあり、放牧地でした。その野馬奉行であった綿貫夏衛門の墓石があるという。

流山は福島の相馬市と姉妹都市らしいが戦国時代は軍馬の放牧地だったのか相馬とのつながりを知った。

清瀧院は、1300年程前、空海(弘法大師)が開いた真言宗の寺院です。「金剛力士像」および「絹本著色不動明王及二童子像」が市指定の有形文化財になっている。

昔、義兄に藤の花のしだれは栃木の佐野で見せていただいたが、しだれ桜は初めて見た。なんと華やかだ!

帰り際にポツポツ雨がこぼれてきたが、遠くから眺める桜の花びらにかかる雨のしずくは、またいいものだ

 

私は1951年生まれ。洗濯どうしたの?  (連載―254)

8人家族の洗濯物を担いで、竹藪をかき分け小川に着いた。石鹸をこすり何枚かに泡立てた。足で踏んで汚れを落とした。足の裏に感じる小川の石ころと洗濯布の触れ合う感触で汚れを落とした。濯ぎは流れでゆすいだ。

 洗濯板に洗濯物を置いて、棒で叩いて汚れを落とし小川の水でゆすいだ。

 洗濯機の中に洗濯物を入れ(色物は2回目)洗剤を入れ回した。終わったら水を出し、新しい水でゆすいだ。

 ローラー付洗濯機の登場で、手で絞っていたのが手動ローラーで洗濯物を絞り干した。無理やり重ねるからローラーはすぐ壊れた。

ー・・・ここまで15歳の時までかな・・・ー

 洗濯機―洗いと濯ぎ

洗濯機―洗いと濯ぎと絞り

洗濯機―洗いと濯ぎと絞りと乾燥

(全自動)

コインランドリーの登場で便利にもなった。

 

約55年の期間、洗濯の進歩の変遷を目でも感じたが技術の進歩は目まぐるしく日進月歩、変わるが。

人間は汚れた物を洗って綺麗な物を着たいと思う心

は変わらない。人間は怠け者だから技術は進歩するが洗うという考えは昔から変わらない変わらなくていいと思う。

聞か無、見無、読ま無。(三無)はコロナで少しは見直されるだろうか。

 

うぐいす  (連載―253)

うぐいすもボイストレーニングしないときれいな声は出ないのか昨年は、デビュー前によく発声の練習をしていた。陰でね。

 今年はコロナを意識しているのか山の奥でボイストレーニングしたみたいで透き通った声で歌っていた。

2年前、本当にひどいときには朝からうるさいほど私のチッポケナ自宅の前の木の上で練習していた。

体調が悪いのか木から落ちた。弘法も筆の誤りと聞くが鳥も木から落ちた。病院に連れていこうと思ったが人間のにおいをつけては鳥の仲間にシカとされては可哀そうだから見守っていた。

 ところで、ホトトギスとかひばりの声聞いたことある。私も山育ちの田舎者なのに区別できない。

 

菜の葉のおひたし  (連載―252)

妻の運転で流山の運河に行き、うぐいすの声を聴きに行った。

すると、お近くの農家おばさんらしき方が土手で何かをつんでいた。菜の花のようだった。昔、愛犬とよくこの時期に江戸川につみに来た。運河の菜の花は葉っぱが大きく感じた。

早速、辛し和えが美味しいらしいから漬けてもらった。レシピはわからないから妻に任せた。

春を感じた。葉の部分が茎の部分がやわらかく歯ごたえを感じて甘かった。

リリリ―ン、娘からの電話で菜の花のおひたしを取っておくようにとのお達しであった。ので残りは冷蔵庫に保存した。

いいタイミングだ。子供たちはごぼうのちんぴらも好きで菜の花にも目がない。においでもするのかなあ。

 

貴方は誰のタイプ  (連載―251)

約500年前のお話。まだ生まれてない頃だから私もよくわからんけど貴方の性格ちょっと自己診断。

 ホトトギスという鳥の鳴き声にたとえて3人の性格判断と今テレビでも麒麟が来るで話題の明智光秀も含めて考えてみようと思った。

 ってことは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人に明智光秀を加えた4人様の生き方を参考に貴方の性格を知ったら面白いだろうと考えた。

 私も生きてなかったからわからんけど、たとえとして考えてください。そもそもホトトギスは鳥類の一種で私は今まで、ウグイスだと思っていた。

 ホトトギスはウグイスの巣に卵を産み付けるからややこしくなる。

 ホトトギス、鳴かぬなら殺してしまえ(織田信長)、鳴かぬなら鳴かしてみよう(豊臣秀吉)、鳴かぬなら鳴くまで待とう(徳川家康)この3人。に   

1582年本能寺の変で信長に謀反起こした明智光秀を加えた4人に限って考えた。

 50年前和歌山の高野山にお参りに行った時、参道にポツンと小さく明智光秀の墓石があった。言われなければ通り過ぎていた。

 時は、光秀のイメージも変わったのか2回目に行った時は立派なお墓になっていた。

 明智光秀の最後は可哀そうだった。山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ、誰かの竹ヤリで殺されたようだ。天下人のチャンスはあったがもう遅かったのだろう。

 鳴かぬなら~貴方なら4人のどのタイプ?

私は明智光秀かな。竹ヤリで刺されるのが痛いけどね。

 

私の見聞録 (ディズニー)  (連載―250)

3歳の孫が目の前で踊っている。手と足、顔の表情までからだ全部を使って夢を演じている。映画「アナと雪の女王」である。

漫画とかアニメと言えば子供の世界とまで言い切っていた私は避けていた。33歳だろうか浦安のディズニーランドに行った。初めて見る大きなねずみの愛らしさに再発見をした。スモールワールドでおとぎの国の夢を見させてもらった。

酔っぱらって、ラーメンを食べようと町の裏道りのラーメン屋に立ち寄った。あいにく混んでいて入口で

色黒い大柄な男が私の前に並んでいた。

ここのラーメン美味しいよ、目をこすってよくみたらデカイねずみだ。愛嬌のあるトボケタ顔をしていたので引き続き後ろで待っていた。

ある日、ディズニーが大切にしていたイチゴ畑がリスに食い荒らされました。するとディズニーは、店番にリスをつかまえましょうと怒っている妻に、笑ながら言いました「イチゴは市場で買ってくればいい。でも、リスは市場に出かけるわけにはいかないんだよ」

これは、ディズニーのやさしさを伝える話だ。

ディズニーは小さい頃、貧しかったても絵を描くのを休まなかった。

夢を忘れず漫画絵を描き続けネズミをミッキーマウスにしたて、すばらしい音楽と言葉をからませた。思いつかない発想をうみだした。「人間は夢を持たなければいけない。そして夢に向かって努力すれば、誰にだって夢はかなえられる」夢を追い続けたディズニーは65歳でこの世を去りました。

ディズニーは、私のまんが映画の世界をきりひらいてくれたし、映画をとおして、美しい夢をあたえてくれた。気づかせてくれた孫にも感謝だね。子供たちの笑顔をいつも見られますように。

 

私とタケノコ [ノーベル:ノーベル賞」(連載―249)

この喜びを誰に伝えたいですか? 決まっている炉端を貸し切ってみなで乾杯だ!もちろん私のパーティーさ。

発明、発見する研究者は研究に没頭しがちで一心だ。私にはない天才だ。こんな筈じゃなかったのに、原爆を発明したアインシュタインはユダヤ人でヒトラーのドイツから難を逃れてアメリカに亡命した。原爆をドイツに先起こされてはと考えてたらしい。

 ノーベルは1866年にダイナマイトを発明した。意に反して「死の商人」となり人類の発展のために発明した火薬が、逆に人類を滅ぼすことになろうと苦しみました。そこで、地球上から戦争をなくすることはなかなか実現しそうにありません。そこで、自分の力で人類の平和のためにノーベル賞を世に残すということでした。「わたしは、自分のすべての財産を基金にして、毎年、その利子を物理学、化学、生理、医学、文学、平和に関して世界につくした人に贈ることにする」

 1896年、ノーベルは大地に眠っても、その心は、ノーベル賞となって、今も生き続けている。

 

私とタケノコ (徳川家康 編)  (連載―248)

貴方は次のうちどのタイプでしょう?①「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」②鳴かせてみようホトトギス③殺してしまえホトトギス 戦国武将にたとえて聞かれた。①家康・②秀吉・③信長 さ~て 私は②の豊臣秀吉ような気がする。待ってられませーん。

徳川家康の江戸時代は265年間も15代将軍に引き継がれた。家康本人は大阪夏の陣で豊臣氏を滅亡させてその1年後に死んだ。(74歳1616年)

秀吉は天下統一の最後に小田原の後北条氏を討ち、東海という広い土地を支配していた家康を未開の土地関東に左遷した。それはそれは雑草まみれのひどい処だったようだよ。

東京の街は家康がつくった。さびれた漁村だったところを埋め立てて銀座を作った。銀座の呼び名は静岡駿府にあった銀鋳造所をこの地に持ってきたことから銀座と呼びようになったとさ。

家康が、1600年に関ヶ原に戦に勝って天下人になったのに3年後に江戸幕府を成立させたのだろうと疑問だった。この3年のブランクが気になった。「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」のたとえがわかるような気がした。

 

私の見聞録「東西・北南」 (連載―247)

家は南向きに建てるもの。と言われていた。お日様が東の空から西の空に沈むから陽当たりのいい家になるよ。

 ところで、東の空はどこで西の空はどこどころか上を見上げることもなく日常暮している。

 天気予報で雲が北の山から南の山に流れると必ず明日は晴れる。明日が遠足の時はテルテル坊主もいらない。

 1+1= はわかるが太陽から出発した光が自分の目に着くのが約8分もかかる。

 冗談でしょう、ライトをつけて、どんな遠いところでも一瞬に明るく照らされる。

 宇宙は光の速さで広がっていると言われても宇宙をも知らない私はどうすれば。

 子供のころ、人が死んだら夜ばかりでいつも夜で明るい外で遊べないと聞かされていたので夜が怖かった。寝る前に楽しい話をし、明るい音楽を聴いた。

 流星群の流れ星が現われるというので、布団と子供を連れて筑波に行った。

 仰向けに空を見ていると地球の大地の動きを感じた。人工衛星もオレンジ色のライトをつけて、今にも毛利さんが顔を出して手をふってくれそうだ。

 星たちは川の中にひかる砂鉄のようにピカピカ光っていた。けむりを吐いて流れ星が天空のショーをみせてくれた。

 下ばかりみている日常、なんとかして見上げる生活にしないと。自分ファーストでは孤独、孤立になってしまいそう。

 誰も幸せはくれない。しあわせは自分が生み出すように生きたいものだよ~ん。

 

 

私の見聞録 「良寛」  (連載―246)

義父が筆書を人に背を向けて黙々と筆を走らせていた。

私にない才能だ。上手か下手かわからないがいただいてきた。私のリハビリの為のルームランナーの傍につるしている。

 良寛とはお坊さんのようなお名前だ。実際、お坊さんだ。

良寛の父は領主の命令で貧しい農民から年貢を取り立てる仕事をしていて、それを父から引き継ぐのが嫌で出家し仏門に入った。

 寺を持つでもなく心優しい、禅で得た愛で各地をまわられた様だ。良寛の歌は、死後、弟子の貞心の手で、歌集「蓮の露」にまとめられたようだ。人の心を大切にする愛がうたいこまれている。良寛は歌人でもあったようだ。

 毎日欠かさず筆書を見ていると幼い子供の頃の練炭を思い出す。練炭コタツのぬくもりが恋しい。

 たまに、練炭コタツが消えると目を覚まし、外の冷たい雨の

音が聞こえ、冬の夜は長く、なかなか夜が明けそうもない。

 私は和歌山の山奥の田舎育ち、障子を開けると銀世界の時もあったなあ。

 

の見聞録「英雄色を好む」  (連載―245)

 そういえば最近このことわざを聞かない。当たり前でしょう。「セクシャルハラスメント」や「パワーハラスメント」で取りざたされ世間から抹殺されるだろう。

 「英雄色を好む」の意味は「英雄というものは活力がみなぎり、万事にわたって精力的に活動するため好色でもあり、たくさんの女性に手を付けたがるものだ」ということを示す言葉らしい。

 英雄に限らず色を好む人はいますが、英雄の場合は少しばかり度が過ぎても周囲から非難されることはなく、「英雄色を好む」と許容されてしまう傾向があります。

 つい最近、女性蔑視問題で辞任された方もいる。女性は社会進出が浅いため国際的な駆け引きになれていないと思ったが新任の女性がたくましくも見えてきた。

 「英雄色を好む」は死語になつてしまったが、現実にまだ表に出てこない、出せないことだってあるんだろう。

ある英雄は歯も磨かない、風呂も入らないと聞いた。気持ち悪いったらありぁしない。英雄とは清潔で人を包み込むやさしさかな。と綺麗ごと言っている。

 また、マルティン・ルターの名言「Who loves not wine, women and song he is a fool his whole life.」(酒も女性も歌も好まない男は一生馬鹿げた人生を送る)

この名言は今もつうようするのかなあ ?

英雄色を好む」 男のロマンだったり

擁護はしないけどね。

 

私の見聞録(東日本大震災のいい話) (連載―244)

 いい話などと言ったらお叱りをいただくでしょう。犠牲になられた方々に心からお察しいたします。まだまだ復興なかばでしょう。

 朝日新聞に息子と同級生の弁当を作り続けてているお母さん。

 私はその日、病院から退院して妻の運転でガソリンスタンドにいた時だった。冗談だろ!妻はふざけて車を揺らしていると思った。スタンドの屋根がガタガタ音を立てて揺れていた。地震だ!ガソリンスタンドは安全だと聞かされていても遠くに逃げた。

宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)は、赤貝で知られる漁師町と聞く。標高6.3メートルの日和山(ひよりやま)から964名が犠牲になられた町を、山からは当時に戻れないだろうが、おそらく紙一重とご推察される。当時、仮設団地で高1の長男に毎朝2つの弁当を作って持たせた。同級生はご両親とも亡くされた。

私の家でも3人の子供がいるときは毎朝7合の米を炊いていたがそれでも足りなかった。

食べ盛りの子供にはごはんを一杯食べさせた。

 そんな時、お米を新潟県長岡市から30キロお米が届き、昨年9月まで8年間も届いたようだ。

お米は千葉からも届き、仮設の人や近所に分けたようだ。(マザー・テレサを思い出す) 同級生の親の代わりにはなれないけど、卒業まで。あるいは彼女ができて「いらないよ」と言われる日まで続けたい。と岩田久美さん。

 日和山に登ると、震災のあの日まで気にも留めなかったにおいが鼻の奥にじんわり広がる。それが「磯くささ」だと最近気がついた。「10年過ぎることって、こういうことなんですかね」(伊藤宏樹)さんが書いておられた。

 

私の見聞録  (連載―243)

イタリアの水のみやこベネチアに住む15歳の少年、マルコ・ポーロは貿易商人の父が話す東方の国の珍しい話を聞き「僕も、海の向こうの知らない国へ行ってみたい」と父に頼みました。

 それから2年後。17歳になったマルコは船に乗っていました。

 父はチンギス・ハンの孫のフビライ・ハンに頼まれた、エルサレムのキリストの墓に灯されているランプの聖油をもらってくるようにと使命を受けていた。フビライは国じゅうにキリストの布教を考えていました。

 けわしい高い白い山を越え、果てしなく続くゴビ砂漠をしにものぐるいで越えモンゴル帝国に辿り着いた。マルコはフビライ・ハンに「勇気ある,すばらしい若者」と気にいられ王の使者として各地に行くようになりました。黒い石(石炭)などははじめてみる。政治や科学が発達している元の国で多くのことを学べたしすべてメモしていた。日本のことも金と真珠がたくさんとれる、黄金の国ジパングとも紹介されている。フビライに17年もつかえた。

 ベネチアに帰ったとたんジェノバの海軍に牢獄にいれられた。このころ、イタリア北東の都市ベネチアと北西の都市ジェノバが戦っていた。

 晩年は「ほらふきポーロ」と笑われ町の人から信用されず、すっかり忘れられ1324年1月70歳でひっそりと終えた。

 マルコは、牢獄ですべて事実を話し、ある作家が書いた「東方見聞録」だけは世界に残り多大に影響を与えた。後の大航海時代、コロンブスの新大陸発見につながった。

 マルコ・ポーロが本当に理解されたのは死後数百年たってからのことらしい。そんなもののようだ最近の「予想外」も人が事実と捉えるのは時間がかかる。

 

2歳の孫からマルクスを教わる。  (連載―242)

りり・リーンと電話がなった。次男からの電話で妻の手作の味噌を取りに来るという。    

孫が手作りの味噌汁しか飲まないという。

そう言えば私も味噌汁は塩辛いだけで飲まない。仕方ない長期保存のため塩を多めにいれているのだろう。今は味噌を作る時間もないし作り方もさっぱりわからない。

 パソコンであちこち調べているうちにマルクスの資本論という活字を発見。芋づる式にエンゲルス、リカード、ケインズ、アダム・スミス、とか昔聞いたことのある懐かしい人に出くわした。経済学者で中には哲学者もいた。世界は、産業革命のころのようだ。

英国の「産業革命」は1760年から1830年代まで進行したらしい。18世紀から19世紀にかけて起こった。

味噌は妻にまかせて、私は古希になろうとしている時にマルクスという人を勘違いして覚えていた。日本史・世界史も馴染めない分野であったがめちゃくちゃ面白いことを知った。美化された歴史も消された歴史もある。

2歳の孫の新鮮な目から、濁った私の目にマルクスとの出会いを見せてくれた。

 

私だけは、だいじょうぶ」はやめよう。

ついでに、「言わなくても、わかるだろう。」もやめよう。  (連載―241)

 まさか私だけは・・・。と思っていたら

取り返しのつかないことが我が身におきた。

 幸い、病院に手術できる専門のお医者様がいたから、こうして息もできている。今もその時のお医者様とのお付き合いもあり何かとご相談いただいている。

 ある新聞に2009年に郵便不正事件で逮捕・起訴され、翌年に無罪が確定した。元厚生労働事務次官 村木厚子さんの記事を妻が私に見せてくれた。

 妻は私の家庭内秘書時間をしているのでためになること、面白い話題を話してくれる。

 私と妻のどっちが田舎ものか競う合うことがある。村木さんは「勝ちに行こうなんて考えたこともない。誰かを支える役割りが合う」と気負わない。

中学2年生の時に父が失業。自分の食いぶちは自分で稼げと言われ、2009年に逮捕され164日間も拘置所に入れられ、それでも彼女の笑顔は失っていなかった。

muraki

 

マルクスの資本論  (連載―240)

ダメだ! 私には手に負えない。

「愛情はお金で買えるか?」とよく質問された。

一応、買えないだろうと恋をしてたもので否定した。好きだったら、どんな貧乏でもいいのか。そう言われれば黙ってしまった。

 勤め人は一定の時間を働いて給料を貰う契約をして。プレッシャーに負けてサービス残業をさせられ、給料のアップもなしに長時間働らかされる。

 文句を言えば首だし。まるで奴隷だ。会社はあの手この手を使って長時間働かせその分利益もあがる。 労働者は貧困の蓄積をし、資本家はどんどん富を蓄積をする。だんだん経済論になってきた。

 マルクスを知らない方も居よう。私もマルクスの資本主義は今になって触れている。

  • 資本家に集まった富を広く国民に分配すればいいのにと思うのだが誰もが貧乏になるのがいやだよね。

「マト・ピケティの21世紀の資本」も参考に読んでほしいと言ったって読まないと思うがYoutubeでピケティで調べたら簡単に説明してクレハル。

 資本主義➡社会主義➡共産主義をわかるには、Youtubeでマルクスの資本論で検索すればわかる。

 ついでに、マルクスの友人だったエンゲルスも検察して見てください。マルクスの資本論も後半、エンゲルスが書いたとさ。

 うのみにすることなく君が考えた幸せを見つけてほしい。

ここ2,3日で私バカよねが少しは世の中が見えてきた。うれしいことだ。

 

ベースギター買って  (連載―239)

私は今年で古希というから70歳になる。ちょうど死にごろのようだ。1980から未経験なカントリー・ミュージックの世界で36年間生かせていただきました。

当初は人件費のこともあり、和歌山の田舎で段ボールを相手にドラムスに憧れて納屋に作った勉強部屋で大小の段ボールで練習したことが役に立ち店長とプレイヤーで始めました。

歌手で有名な寺本圭一さんに君のドラム歌いやすいと褒められ神戸のライブにまで連れて行っていただいた。誰に教わることなくテープでドラムの音を聞き叩いた。そのうちベースギターに興味をもった。

お客様の拍手にあじをしめ日替わりでドラムスとベースギターをやった。お客様が先生だった。大スター原田実、宮城久弥両氏との共演も私を導いてくださった。なぜだか、手の指が自然に動く。

姉のおかげで様々な世界を見させていただいた。ラッキーもあるだろうか出会に感謝したい。

姉は脳梗塞、私は脳溢血で銀座から去った。姉は2年程前に死んだ。私は今もリハビリを続けていますが指も動き出した。

もう一度でいいから、ベースギターを弾いてみたい。歌もうたってみたい。もう古い人間でしょうが何と言われようがやってみたい。

後遺症で普段は指も動きづらいがお客様の前になると動くような気がする。

もう古いベースギターですが音が元気に鳴る。ある楽器店でボリューム、トーンのツマミのパーツを交換に持って行ったがビンテージものだからと新しいベースギターを買った。

コロナが終息したら、いち早くステージに復帰したい。

このベースギターが売れれば、べースギターとアンプを買えればいいのだが。宜しくお願い致します。

fdfhm086@ybb.ne.jpにメール下さい。

 

 

古い人間って  (連載―238) デンデラリュウ

私は昭和の時代の26年生まれだ。ごめん!

西暦で1951年生まれだ。“古い人間はおだまり”と怒られそうだ。

 週に一度、マッサージに来てくれる先生と話をする。お歳は私の長男と同じぐらい40歳程だと思います。

 なにを言いたいの☞まだ生きて70年の若造と思っていたら古い人間でしょうかねその先生が火を燃やしたことがないと聞いて驚いた。幼いころ火を燃やして炭に中に灰をからめてホクホクの石焼き芋を食べた。

 今は、ダイオキシの発生で火も燃やせない。灯油とガソリンの燃え方の違いもわからないのだろう。ある事件で犯人が救急車から降ろされる瞬間に見せた目の動きにこんな筈ではなかったのに多数の犠牲者がでるとは想像もできなかったのだろう。

 弁護するつもりはサラサラないがガソリンを撒いては一瞬に燃え広がるだろうし本人もビックリしたろう。

 灯油はジワート燃え広がり逃げ場も確保できる。

 犯人は、まさか多数の犠牲者がでるとは思わなかったのか想像力の欠如といっても想像もできる対象もないだろう。

 「話せばわかる」と犬養毅総理が1932年5・15暗殺事件がおきた。犬養は若者になにを話すつもりだったのか聞きたいものだ。「問答無用」と暗殺された。

 犬養って誰? 12年前小脳出血で字も書けず、今は少しは歩けるがYOUTUBEやインターネットで録音して耳から情報を得た。これらがあったからうつ病からも脱出できた。もともと楽天だった。

 石器時代から現在までの歴史と言えば、私の一番苦手な分野で別に知らなくても生きてこれたのだから今更学ぶことはないだろうが、何をやりたいの? 別に。と言っていた私がもっと早くから知っとけばいいと思うことが多すぎた。

歴史は年号を覚えるものだと嫌いになった。年表を片手に下から上から、左から右にいろんな角度からみさせてもらったがフェイクも多い。

 資本主義・社会主義・共産主義の違いを小学生にもわかるように5分で言えば。世界もうっすらわかるかも。

 

狭い日本そんなに急いでどこへ行く  (連載―237

ア~ 今年、免許の更新だ! 私の場合特別なテストがある。これが嫌でもう返納しようかと思うのだが髪の毛がほとんど無いのに未練髪が引かれる。

 12年前に小脳出血をやり、3回目の更新だ。マイクロバスを運転できるように免許もとって、みなを乗せて国内を旅するつもりだった。バイクの免許は即刻召し上げられ残るは普通と中型免許はまだ生きているので更新だ。

 先日、90歳の義親父に返納させたが、やっぱり返納したくないようだった。私も運転はしてないがまさかの為に適正試験を受けている。

 注意一秒、怪我一生というから交通安全、交通安全。今流行りのアオリ運転も一発で取消らしいよ。

怖いですね恐ろしいですね。気つけて!

 

宮本武蔵の歌   (連載―236)

宮本武蔵と水戸黄門の助さん格さんは実在の人物らしい。演劇、小説、様々な映像作品にでてくるいので諸説実在したとは思っていなかった。

 聞くところによると、武蔵は江戸時代初期の剣術家でよく剣術の戦いをした。江戸時代と言えば武士の役割が無くなっていく過程だ。

 どこの藩に就職するか大変なころじぁ。武蔵は二刀を用いる二天一流兵法の開祖。 京都の兵法家・吉岡一門との戦いや巌流島での佐々木小次郎との決闘が有名だが巌流島も門司沖、瀬戸内海の小島(舟島)と聞いた。

 武蔵の父親は飲んだくれてDVで武蔵の剣も邪道のような気がする。

 水戸黄門も実在の水戸藩主である徳川光圀は格さん助さんの部下を連れて諸国を漫遊したと諸説ある。

 格さん、助さんも気軽に呼んでいるが侍の立派な肩書もあるよ。

 私は紀州藩の暴れん坊将軍、あなたは水戸藩の水戸黄門、ともに同じ時代の有名人。

 俺は昭和のそうだい(相台)ゴミ。

 

淀川長治(映画評論家)サヨナラおじさん   (連載―235)

ハイ皆さん、こんばんは」から始まり、「怖いですねえ、恐ろしいですねえ」の節回しや番組末尾の「それでは次週を御期待(お楽しみ)下さい。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…

 昔、日曜日の夜にはお会いしていましたが。先日、ばったり、淀川さんにお会いしました。もう20何年か前にお亡くなりになったのにハイ!不思議出すねえ。

 あるホテルのスイートルームを貸し切って生活していらして

お元気と声を掛けたくなる雰囲気の品のあるお人だった。映画評論というよりも淀川さんの人を捉えるお人柄に引き寄せられた。芸者置屋の長男として神戸に生まれ、家庭は複雑のようであった。複雑だったから淀川さんを生んだのだろうと簡単に言ってくれるが憧れのお人だ。

   カタカナの名前はすぐ忘れるが淀川さんは機関銃のように記憶されている。ハリウッドスターはもちろん監督のお名前も記憶されエピソードもでてくる。チャップリンが日本に新婚旅行にいらした時インタビューしてかなりチャップリンに影響されたらしい。それも淀川さんの魅力だったからのような気がする。

   それでは次回,街であったらお楽しみ。サヨナラ、さよなら、サヨナラ、さよなら

 

私の神様仏様  (連載―234)

あれ~いつから食べる前に、手を合わるようになったのか? 私も厳しいおばあちゃんがいたのにそれを言われなかった。

 そうだ毎朝、食べる前に神様に手を打ち、仏様にお茶を上げ手を合わせていた。

 食べる番組をよく見ることがある。わざとらしくみんな手を合わしていた。

 

 お経って? お葬式の呪文。 アタリ!

 

本当だよね、呪文のようでさっぱりわからない。6年程前に我が家の宗教をお葬式の時にわかったんだ。バカじゃないと言われようと知らなかった。

 だけど、手を合わせている(合掌)姿は憧れだ。みんな、さまになっていた。

無宗教とか言っているが合掌の姿がすばらしかった。

 山に登って、山を征服した。と感じる人。

山に登って、水から、木から、岩から、空から

命をいただいた。と感じる人。

 みんな受け取り方が違う。違いを知ることが、一つの成仏が私の宗教のようだ。

 

昭和の時代も長いと思ったのに  (連載―233)

 江戸時代は265年と長い。徳川家康は、日光という鬼門にあえて我が身を置いて徳川家を守ろうとしたのか、いずれにしても平和な世を築き上げた。

 関ヶ原の戦いで石田三成に勝って、天下人になったのに、3年も後に江戸幕府の成立になった。第二代将軍に秀忠とは、秀吉の秀の一字がつけられている。

豊臣秀吉との位を上に持ってきて朝廷を認めるさせることが重大であり、それによって全国の諸大名を従わせることで江戸幕府の成立が遅れたようだ。江戸幕府の身分制度を完璧なものにしたかったようだ。

 大阪夏の陣で豊臣を滅亡させた。平の、源の、のはおなじみの水戸黄門のそろそろいいでしょう。助さん、格さんがカザス印籠と同じで身分制度の江戸時代では必須だったのだろう。

 源 家康だったかもしれない。そういえば、赤穂浪士の討ち入りも江戸時代だったよな。その時代に生きていなかったので本当のことはわからない。

 何を言いたかったのか昭和の実質63年を分割してもらえればと思う。戦前・戦中・戦後・東京オリ・その後とね。

 

ニューヨーク銀座商店街  (連載―232)

New York Ginza Shopping Street

 戸越銀座商店街を皮切りに日本中に銀座商店街ができた。銀座は日本の中心の街。ニューヨークは世界の中心の街。ニューヨークに銀座商店街を作ってもいいと思うが屋台もあり、お好み焼きもあり、おでんも人気だ、焼き鳥の一杯飲み屋もあり、寿司屋、刺身もあり、日本人の食文化と苦手な会話の文化交流の街にしたいもの、コロナで冷え込んでいる日本を脱出だ!どこも大変だけどね。当面は寝袋でキャンプファイヤーさ!

トランプビルも近くにあるようだしトランプさんに人肌、法被を着ていただき宣伝したいね。

 オフィス街でチョット焼き鳥でも如何?日本式の立ち飲みといってみたいね。

コロナがワクチンで収まればいいよね。みんなで乾杯だね。

 

親の七光り  (連載―231)

父は婿養子でサラリーマン、母は家事、農業、土方仕事、病気と5人の子供をよく育ててくれた。これも親の七光りと感謝している。

 有名ではなかったが3人の子供を大学にいかしてくれた。親の七光りで悩んでいる方もいらっしゃるが、私には兄弟の七光りがあり、幼いころからよく比較された。才能もあり学業もできた、誰とは言わないが。

 自分一人で大きくなったように思いたいが周りに説明しても親の七光りとわかってくれない。いつか恩返しでもいいからご両親に「ありがとう」の言葉を云うことで本当の親の七光を理解できるようだ。自信は自身で自信を持てばいい。これは若いからとかの理屈ではないような気がする。しかし、君には親の七光りの上を照らす宿命だものなあ。頑張って下さい。

「親の七光り」で悩んでいらっしゃる方もいる。親を背負って生きていらっしゃる方もいる。生きる幅は広い、知ることが生き方に幅が広めることだってある。親も子供も悪気はないよ。

 

たった一人のたわ言  (連載―230)

はじめに脳溢血の後遺症で言葉が話しづらいのでごめんなさい。

 今年、70歳になります。年老いたとは思ってもいないが目元がぼけて見える。

あれ~自分の姿を何処かのショーウインドーで見ると私ってオジーである。目の輝きをなくして、どこかボケてみえる。

「もう引退したら」と言われると腹が立つ。「昔は」その言葉がもう通用していないのである。

 昔は、強でスピーディ~にことは進んだ。昔はよかったといいたいのだろう。

 選挙権も苦労して得て政治に参加できた。事は立場によって見方も違う、世の変化も速く価値観も変化しているのに、言われると腹が立つ。

 清き一票をお願いします。あなたは何を変えてくれるの?と街頭演説でのやり取りを聞いていると清き一票では待ってくれないのか大衆の一人の私も同感だ。

 お腹立ちはわかるが言葉の表す影響は大きい。

 

 

節分   (連載―229)

2月2日(火)に豆まきをした。最近は妻と行っていましたが、孫が来てくれたので楽しい豆まきになりました。

 子供にとって節分の豆まきをなんでするのかわかりません。

だと思ってあらかじめ調べて置いたんだ。節分はね、季節の変わり目に、冬から春に変わる時に鬼があらわれ、家主が「鬼は外、福は内」と豆をまく。その時、ひいらぎのトゲのある木の枝にイワシを焼いた頭を枝に突き刺し、玄関に飾り付けた。

 鬼はひいらぎのトゲに刺さるわイワシの臭い嫌いな匂いに、おまけに豆をぶつけられ追い払われる。その時、人の心の鬼、嘘をつくとか悪い鬼も一緒に外に追い払う節分の行事らしい。

 昔から、戸を開けて大きな声で近所中に聞こえるから恥ずかしくて言えなかった。「鬼は外、福は内」バタン!

年の数だけ豆を食べた。

年の数ほどの煩悩があるんだろう。あなたはいくつ?

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エディット・ピアフ(Édith Piaf) (連載ー228)

フランスのシャンソン歌手エディット・ピアフはボクサーのマルセル(フランス人で最初の世界チャンピオン)に恋をした。そのころピアフはアメリカで仕事することが多くなりマルセルもピアフに会うためにアメリカにいった。ある時、飛行機のフライトの変更で事故で恋人マルセルを亡くした。

恋多き女性が本当にマルセルを好きになり、結局1963年に47歳で亡くなられた。

 エディット・ピアフ(Édith Piaf)

    ある時、マルセルはピアフに尋ねた。

君はなんで悲しい歌を唄うの?   病気になる為。

                       ピアフはマルセルに尋ねた。

あなたはなんで人を殴るの?    やさしくなる為。 

 

浜辺で一人座るピアフに

誰のために編み物を? セータを着てくれる人。  

有名な曲としては「ばら色の人生 La vie en rose」(1946年)、「愛の讃歌 Hymne à l’amour」 (1949年)、「ミロール Milord」 (1959年)、「水に流して Non, je ne regrette rien」 (1960年)などがある。

 私の姉が高校時代に宝塚出身の先生との出会いでシャンソン歌手になり私が後にマネージャ―をやった。初めてシャンソンを聞いたのが9歳の頃、銀座の銀巴里であった。姉は普通じゃなくきつい女性だった。しかし、世間知らずで純粋だった。脳梗塞でもう昔に死んじまった。

 人に歴史ありだったら姉の生き方はピアフに似ていた。

 1980年からカントリー・ミュージックを始めたがシャンソンとは水と油の関係だった。フランスに行ったことはないがカントリーの本場テネシー・ナッシュビルには10回ほど行った。歌はジャンヌを問わず一緒だった。

如何に人に伝えるかだと思っている。歌もおしゃべりも

演奏も人生を伝える手段はみな違う。

 

ラジオは私の師匠  (連載ー227)

演出家宮本亜門さんが「みんなにエールを」とラジオでおっしゃっていた。

コロナで世の中がひえいしているのか戦時中のことのように感じる。

 私は1951年生まれ、戦争はいったことはないし戦争を語れないのだが、マスクをしないと非国民、都会に出たわが子に帰ってこないで。都会の車番にいたずらしたり罵声をあびせたり。まるで我が国が戦争でもしているかのように“勝つまでは”と想像させられる。

 私は田舎育ちでまだ怖い婦人会や役人が、アメリカ兵が怖かった。幼かったころ村人からアメリカ兵に見つかったら殺されるとまで言われたこともあった。

コロナに感染したら村八分にされるだろうとコロナより恐れていた。

 さすが演出家、宮本亜門さん、人の心の裏を理解して演出をなさっていることを学んだ。村八分は日本人のいいところかもしれない。集団の秩序を守ろうと必死で、心はコロナの感染を怖がっている。心は感染で人に迷惑をかけることを恐れている行為の表れと言っていらした。

 私も宮本亜門さんにエールを贈りたい。

コロナは人間にくれたエールかもしれない。生きるか死ぬかの瀬戸際で夜も寝られないでいる方には酷だろうが

私も大病で4年前に商売から撤退したが今に思う。天がくれたエールだと。

 8時から商売の幕が開けたのに8時に常連客様がいらしたらお断りできるだろうか、出来ないだろう。

 世の中の変化が速すぎて生きてもいられない。2年後の変化をよんで働き口を考えなければならないし老後はあったの?

 皆様にエールを贈りたい。一極集中の繁栄はごく一部の方のものだろう。

都会の競争に取り残された方、この方々はこれからの社会に多く生まれるだろう。努力した方々も出るだろうし、努力しても相性があわなかったり不運もある。

 金持ちになって豪邸に、高級車に、綺麗な女性に、仕事も乗っていると流される。どうしても太刀打ちできない流れに流される。もういいや流されようとね。

 金の臭いを嗅ぎつけて犬のようにしつこく寄ってくる。臭いが無くなると離れていく。人間も動物の一種にすぎないから仕方ない。

 1958年生まれの宮本亜門さん、また話を聞かせてください。

 昔、新橋演舞場の近くでお母さんが喫茶店をやっておられたらしい。

 宮本亜門さん銀座生れだって

 

知っていればなあ!  (連載―226)

昔から、原油供給は中東・アラブ地域だけと思っていたが第二次大戦前まではアメリカ油田の独占体制だったそうだ。

これを知っていればなあ!ということがある。

 

 私が生まれたのが1951年ごろから石炭から石油に移行し、中東・アラブ地域にメジャーズ(国際石油資本)の投資によって大規模な油田が発見され世界の産油地帯の中心となった。

 聞くところによると、枯渇した油田に原油を注入して、将来に備えているという。

 なにごとも知らないということは判断を誤ることだってあるんだね。

 最近、聞いた歌の詞に教えられた。「君が笑えば世界は輝く、誰かのしあわせが今を照らす、僕らのよろこびを君にとどけ」

 ちょっとした君のほほ笑みがまわりを変えることだってある。ほほ笑みが地球をまわって君に笑顔がくれるかも

いつの日に

 

土葬って   (連載―225)

 笑い話で不自然だが、がん箱(お棺)が腐って土がどそうって落ちるから土葬って?

死んだら火葬されると法律で決まっていると思ったがそうでもないらしい。日本の火葬は99.9%普及しているらしいが地方によっては風習によっては土葬が残っているところもあるようだ。

私の田舎では昔は土葬だったが火葬に変わっていた。現在、週に一度リハビリに行っている病院の先生(36歳くらい)が土葬を知らない。

土葬は村の組内の人、4,5人で墓穴を掘る。約2メートルの深さの穴をほり桶棺(私の田舎では長方形のがん箱)にご遺体を入れ埋葬した。50年程前、おばあちゃんと母を土葬した。遺影を、がん箱を担ぐ人、花を持つ人、それぞれ役割が決まっていて長い行列になった。

世界にはいろんな葬儀があるらしいが、火葬は熱いし、水葬冷たいし、鳥葬は痛いし、土葬は臭いし、灰にして撒いてもらってもいいかも。

昔、犬と散歩していたら、遠くに長い列をつくって歩いていた。今日は誰かのお葬式ですか?と聞いたら市の歩く会のメンバーです。あなたもご一緒に歩きませんかと誘われた。

死は必ず訪れるがどんなお葬式も嫌だな。

 

自殺者数が増加してます。  (連載―224

新聞によりますと、国内で新型コロナウイルス感染症の流行が始まった昨年2月から10月までの自殺率の推移を調べたところ、6月までの流行「第1波」では前年同期に比べ14%減少した一方、7月から10月までの「第2波」では16%増加したとの分析結果を発表した。

ラジオを聞いていると、子供たちも自殺者が多いと聞く。中学生が4倍に、高校生が7倍に増加したと報じていた。

びっくりして、私も含め普段、家にいない人が家にいるとウイルスのように邪魔だ。一方夫婦の会話もでき良好な夫婦もいる。

普段居ないものが一日中居られるとうっとうしい。3食食べさせたり、奥様もストレスがたまる。やっぱり旦那は給料日だけ帰ってくればいい。奥様も子供も旦那もみんなイライラしてDVの行動をとる。単身赴任は家庭の崩壊と思ったがよくよく考えた結果だね。

ボーナス無し(あるわけないよね)、雇用急減、休業手当なし、何のために働いているのか、コロナに感染したら病院にもかかれないし、急変して死ぬかもしれないし。

何もかも宇宙から考えたら「吹けば飛ぶような人の命は将棋の駒」よ!自殺などと考えたら馬鹿馬鹿しいか?

50年前、病気で亡くなった同級生の少女は寂しい土の中に埋められた。古希になる私はあの少女に合えるかもな。

私も2回(病気・交通事故)も死ぬ思いもし、三途の川だと思うが行ってきました。戻されて生を得た。

生きていれば孫の笑顔にもあえた。

どんな未来の生が来るのだろう。誰にもわからない。たかが何百年も待てとは言わない。

 

ドメスティックバイオレンス(英: domestic・violence、:DVの意味)

 

森 英介 兄い!  (連載―223)

人間、もりえいすけは知っている。私は兄い!と思っている。

 私よりはるかに頭の味噌がいいんだろうがそれを感じさせない。気さくで冷たい。

法務大臣になられた時も,失言でやられなければいいがと心配していた。

我が家と同じく奥様がまともでささえられているようにみえる。

東北大学を出てサラリーマン生活をして、名古屋大学で博士号に乗ったらしいと書き物に書いてあった。

 ギターも弾かれるがよく私のベースギターとジョイントした。相変わらず小坂一也さんの曲を唄われていた。

いつかジョニー・キャッシュの曲を薦めたらお声も似ていたのでピッタリおさまった。

何よりも、カントリーミュージックが好きで、テネシー州ナッシュビルに行ってほしい。

もりえいすけ兄い!頼むよ。

 

カントリーシンガー寺田 農さん   (連載―222

俳優;寺田農さんは御存じでしょう。俳優として文学座の第1期生として樹木希林や小川真弓らと同期入所した。

 俳優として数々の賞も受賞して実績もあり映画監督も務めたらしい。声優としてもスタジオジブリ―の天空の城ジュピター役、サザエさんのまさおサンの役もピッタリカンカンだ。

 サッカーも好きで自らもプレーをする。東海大学の文学部の特任教授をやったりいろんな顔を見せてくれる。

 結局、寺田さんのプロフィールを述べたが、本当は、ここだけの話だけどカントリーシンガーになりたかったらしい。自己採点、歌が上手かったらね。

 カントリーの父、ハンク・ウイリアムスのファンで彼の曲を唄われる。2ビートで地味な曲が多いがさすが俳優力で歌いこなしている。ロストハイウェイ(失われた道しるべ)などは彼の十八番だ。世が世であれば、歌手の道もあったか?

 いつか、私が長年続けている銀座カントリー天国で3位のなりトロフィーと賞状を差し上げた時の喜びを誰に伝えたのだろうか。

 いづれにしても、彼は気さくで私などにも気軽に話してくれるいい兄貴だ。

 

あけましておめでとうございます。  (連載―221)

私の文章はほとんど記憶で書いているので間違っているかもしれないので指摘してくださいね。

 ちっぽけな我が家の庭に万両の木を私はそれとも知らず伐ってしまった。千両、万両の木があるんだね、千両の木は葉っぱの上に赤い実がなり、万両は木は葉っぱの下になるという。

 それで私は金持ちにはなれないのかわかった。万両もあるから、一両、百両もある筈だ、どんな木か?

 何でも知らないことはいいことだ。知りすぎると欲がでたり悩みも沸く。君はやっぱり金持ちにはなんねえ。ほっといてちょうだい。

 私は昭和26年生まれ、年末の紅白歌合戦がラジオ番組で始まった年らしい。歌合戦も同じステージで和気あいあいと紅組、白組が競い合い。今年を振り返る余裕もあって、最後に赤穂浪士の歌で終わった。間髪いれず除夜の鐘を聞いて新年を迎えた。

 正月早々、マラソンをやった。走る前から自信がなくて、でも走れた。夢で走れた初夢、今年はいいことあるかも。

 

2021年Happy New Year  (連載―220)

今年は海外向けにもなるように英語でHappy New Yearを書いたのだが通じるかどうかつくってみた。

 コロナウイルスの影響で世界が一つにならないと終息できないような感染の危険性をはらんでいる。

 ウイルスの変異があってもワクチンは効くという専門家はいうから一安心だ

 

2020年最後の投稿  (連載―219)

今年の最後の投稿になると思うが最後に歪んだものにしたくはないが参考に聞いていただければ幸いです。

 「怒らせるんじゃないと言ったろう、古い人間を。」

戦争体験された高齢者と堺屋太一さんが名付けた昭和24,23年にお生まれになった団塊の人達、私のような昭和26年のこれまた高齢者。さすがに明治生まれは少ないだろう。

 ひと昔前、ある大物政治家がもらした言葉を思い出す。「ちょっとやり過ぎたかな」と照れくさそうに話していた。

 コロナだとか新型コロナとか世界を揺るがしてくるウイルス。ワクチンができて希望をもてるが、世界の意思は元には戻らないだろう。

 欧州、アメリカ、アジア、アフリカとしたたかな国々が生き残りをかけて押し寄せてくるだろう。ペリー来航のようにね

 かつて、坂本龍馬のような人物が現れればいいのだ政治家もウイルス専門家の中にも現実に右往左往している。国民は怖いから差別として表される。

 10代、20代の意見は聞こえてこないがこれからの自分たちの未来なのに聞かせないようにしているのが古い人間からの戦いだったらどうする。

 チフス菌とか黒死病、エボラ出血熱のチフス菌で欧州の三分の一の死人がでたようだ。どうして収束したのかというと死ぬ人かいなくなったからと書いてあった。近年でもペストの感染は続いている。2004-2015年で世界で56,734名が感染している。日本ではペストの原因菌を発見した北里柴三郎は知られている。

 科学、医学の進歩はワクチンができるのに10年は必要だったのが1年で可能にしているという。ある感染症専門家はワクチン接種で副作用がなければ様子を見て判断するだとか言っていた。

 感染症か経済かいずれも国が莫大な借金をしてつないでいる。

コロナで教えられていることは、個人主義の徹底で自分だけの幸せの追求は長続きしないしもう限界だろう。現代人は目に見えないと納得しない。幸せは目には見えないようみたい。最近、私も分かったんだ。

これからは、出来れば人のために生きる世であってほしい。はねかえりは期待しないが幸せは地道なものの積み重ねかもな。

 来年は、おひとりおひとり少しでもいい年でありますように願っています。生意気でごめんなさい。

 

愛着   (連載―218)

安けりゃ売れる時代の真っ最中。食料でも服でもいっぱい作らないと安くはならない。いっぱい作るから、いっぱい廃棄しなけりゃならない。余ったからどこかに寄付したら税金がかかる。

 余ったものを破棄するか、安売りにまわされる。薄利多売( 品物一つ当たりの利益を少なくし、 たくさん売ることで、全体の利益を多くすること。)で成り立っている。

 40年前に着たブレザーをとってある。今に思えば、古ぼけた流行遅れのものだろうが愛着があり捨てられない。

響きのいい言葉にアパレル ってある。

洋装は胸元,肩、背中をだし、腰元をしめ色っぽいのが多い。

洋服はそもそもモテなければならないところもあったんだろう。和服・洋服の歴史も違う。

人に愛着、物に愛着のない世を今さら変えて生きられるのか疑問だがステイホーム(stay home)「家に居る」の間に考えよっと。帽子をかつら代わりにしている、はげジジィより。

 

アパレル (: apparel ) は衣服を意味する英語の古語に由来する語で、日本語では主に洋装系の既製服を指す。

 

昭和の生まれよ    (連載―217)

銀座も浅草も下町、東京の土産と言えば浅草の雷おこし、大きくなって寅さんを思い出す。

 銀座の歌を藤山一郎さんはよく歌われていた。明治44年に日本橋に生まれ82歳でお亡くなりになったらしい。私を含め古い人間だが彼には青年の香りがする。

 青年から心も摩耗するというが富士の山も一番で自然にそびえていたいのだろう。青年の香りは生まれつきで私のようなゲリラ的に生きた者には無縁のような気がする。

 銀座で40年生きてこられた。貧しい漁村を駿河の山の土を家康が埋め立ててつくった銀座。御茶ノ水駅から駿河台下までの下り坂は東京を最初に知った町だ。いつまでも残しておきたい。

 銀座の柳も根深く、屋台も消えた。出ていきなさい。と町も綺麗になった。品のない私は品を教わり、井上のバアさんには箸の持ち方から教わった。

 銀座のレンガはどこに行ったかというと戸越に持っていったらしい。それで日本ではじめて戸越銀座と名付けたようだ。なるほどそういう歴史があったんだ。

 そういうあんたは? 昭和の生まれよ。

 

犬養毅総理とチャップリン   (連載―216)

チャップリンって知らないよね。私も詳しくは知らない。日本ではマスダ・キートンというコメディアンは聞いたことがあるが、チャップリンは世界の「喜劇王」らしい。ちょび髭とイギリス紳士が被るハットをかぶった、動きが小刻みに笑いとユーモアがあったことは覚えている。映画俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサー、とか作曲家でもあったとは。

なぜ、犬養毅総理とチャップリンが結びつくのか不思議に思った。チャップリンが犬養の招待で日本に来た。チャップリンが羽田空港から宿泊ホテルにむかった。車に同行した担当官は後ろに異様な雰囲気を感じホテルに着く手前でチャップリンを降ろしある方向に向かって一礼をするよう頼んだらしい。

1932年5月15日、犬養毅は青年将校の標的となった。即座に引き金を引いたが、偶然にも弾が入ってなく不発に終わり、犬養毅の有名な言葉に「話せば分かる」を口にした。「問答無用」と弾丸は頭部に命中したらしい。

たまたま、チャップリンは同室ではなかったようだ。青年将校はチャップリンの命を奪えば・・・と考えたのだろう。

 

なかにし礼様のご冥福をお祈り申し上げます。   (連載―215)

30年程前、私が姉のマネージャーをやっいたころホテルでなかにし礼さんと姉、日高なみのリサイタルの打ち合わせをした。

 私のすべて望むこと聞いて欲しいと強権的に言われた。なかにし礼のプロデュースによる日高なみのリサイタルの始まりであった。20曲のすべてなかにし礼さんの作詞であった。

 リハーサルのはじまりだ。楽団も集まり1曲からはじまった。ちがう違う2番はこんなふうに、3番はこんなふうに・・・なかなか1曲が終らない。始まって1時間は経ったであろう。そうすると1曲3番まであると60曲の

ボリュウムがあることになる。これでは本番まで間に合わないだろう、と思った。こんなことは初めてだし云われていることは厳しい。何とか日高もこなすだろう。

 とうとう本番の日がきた、5日間の始まりだ。音響も照明もすべて手作業だ。日高の場合、筋書き道理に言った試しもない。本番がはじまった。日高の動きと照明が合っていた。歌は生き物で観客のしかくによって変化する。素晴らしいステージングに惑わされた。

 5日間が終り、なかにし礼先生にお礼のお電話させていただきましたところ、日高も決して満足はしてないだろう。と返答だった。私には理解は出来ないだろうが互いに満足はしてないようにみえた。あんなにいいリサイタルだったのに、天国で喧嘩でもしないように、私を素っ裸に人生を教えていただいた先生に感謝もうしあげたい。

なかにし礼様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

貯個礼糖(チョコレイトウ)  (連載―214)

明治時代このように書いていたらしい。

私もアルコールを止める前から、チョコレートがすきだった。

 今はフルーツチョコ、クッキーチョコなどいろんな種類のものがあるらしいが美味しいよな。今日、12月24日とかバレンタインの日などは血糖値が高くなる。それさえ気にしなければトラックいっぱいはイケる。

 表参道のイルミネーションは中止とか聞くが丸の内はやっているみたいだよ。調べて行ってね。

貯個礼糖食べながら見るのも美味しいね。

昨日、お医者さんから甘いものは控えめにと言われたばかりなのに貯個礼糖はいいかな?

 

幸先詣(さいさきもうで)   (連載―213)

歌舞伎でこんなセリフが聞いたような気がする。

「 … 西の海より川の中、落ちた夜鷹(よたか)は厄落し、豆沢山(まめだくさん)に一文の銭と違って金包み、こいつぁ春から縁起がいいわえ」.

今日は12月の24日、早朝、ラジオを聞いていたら幸先詣(さいさきもうで)の話をしていた。これは今の世にピッタリな情報だ。

御存じでしょうが私は初めてだったのでお知らせいたします。正月の三が日と同じご利益(ごりやく)だと言う。

学問の神として親しまれている菅原道真がお祭りしている湯島天神には私も一度伺ったことがある。

「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」

 という歌は有名だが九州の太宰府にいった菅原道真の歌であるらしい。

 今年は遠くの友人や家族にやむなく会いに行けない方もいらっしゃる。離れていても皆様のことは忘れていませんよ。

 年が変わることは、過去のことを水に流すというキッカケになるみたいだ。心機一転やり直そうと新年を迎えよう。これは素晴らしい!私も来年は古希になるが

もう一度勝負だ! 幸先詣に行くかわえ。

 

私の事件  (連載―212)

15歳の時バイクの免許を飛び入りで一日で本試験を受かれば免許をくれる制度があった。

 それがばれて先生に手厳しく叱られた。バイクにリアカーをつないで家の役に立ったり。おふくろが気が強かったが、もろいところがあったので気分転換でバイクに乗っけた。

 ある日、スクーターを借りて崖端を走っていたら下を見たら空中を一瞬走っていた。あの奇跡がなければ私は崖から転落してたろう。

 昔、あるご夫婦に子供がいた。子供は首つり自殺した。

 何と惨いことだろう。親は首つりした子を綱から降ろす地獄を知った。追い打ちをかけるように一人の女が通夜の日に現れ、金を貸したから返してほしいと持ち掛けてきた。親は子供の供養と思い金を出した。

 翌日、警察がきて親を殺人で取り調べに来た。何と惨いこととは思ったが親は我慢していた。

 

 私のおふくろが農薬自殺した。おふくろの兄が大病して悩んでいたようだ。私の自宅に何度とおふくろから電話があったらしいが、私は御店の開店で四苦八苦していた。

 

 別の事件だ。母が危篤で急いで帰ってやりたい。ついて50万円工面してほしいと持ち掛けられた。これも生きる上での必要経費だろうと思い。ある人から20万円をお借りしてその方に50万ではないが20万をお見舞として手渡した。

ありがたみも感じなくさっと収めた。

もうこれは戻らないだろう感じたがその方のおかげで30万円得したんだと思った。

 

 まさか目の前が一点しか見えなくなり気を失った。妻があたふたと2つ目の病院で幸いお医者様がいたので手術出来た。いろいろサインをしたらしく私の命を救ってくれた。(脳溢血事件)

 

 深夜店がおわり、自宅に帰るのにいつものように妻の運転で高速道路に入った。シートベルトをするようしつこく言われたのでしっかと締めた。

 地球が爆発したらしく車はバタバタ転がった。寝ぶりについていた私は現状を把握するのに懸命だった。タクシーのい寝ぶりのようだ。幸い私はシートベルトのおかげで命は助かった。

 下を見ると妻が血だらけで錯乱していた。妻を入院させ、私は自宅に帰った。車の後部座席に置いていたすべて外に投げ出された。警察はよく生きてましたねと不思議そうに話していた。(交通事故)

 

 交通事故が 起きた時、神はまだ、私をお試しになるのかと思った。妻もそう思ったらしい。

こればかりでなく、生きていると目に見えないことが起きるし、ラッキーなことも起きる。

子供の頃から死は怖かった。暗闇が何億年も続き、100年はあっという間に過ぎる。まだ死んだことがないが果てしない暗闇が怖い。たかが、生きて百年さ。

 生き地獄もあろうが 

死は他人のためにあることを知った。

 

クリスマスおばあちゃん  (連載―211)

二階の窓にも、とても珍しいクリスマス飾り、樹々にも映画のサウンドオブミュージックでみた透き通った魔法のように毎年、飾りつけをしている一軒のお宅があった。

 今年も車で妻とクリスマス飾りを見に行った。ちょっとコースを外れなければならないが夢を見せてくれる。

わー!綺麗ですね。少女の笑顔がみえた。まちがいなく少女の笑顔に見えた。「見ててくださいよ」女性がハシゴにのぼってまだあるのか電飾の赤や青や紫の光が暗い寒空に輝いていた。

 これだけの飾りをしまうにも一部屋にいっぱいになるだろう。

 毎年クリスマスを楽しみにしているのにクリスマスおばあちゃんの姿も飾りも突然、見られなくなった。今日もおばあちゃんが心配で覗いてみた。

 お話はしたことはないのにクリスマスおばあちゃんはどうしたのだろう。

「見ててくださいよ」あの可愛い笑顔を残して見えなくなった。

ルイジアナ州・ニューオーリンズ    (連載―210)
ミシシッピー河も傍に流れている。
大型客船も通っていた、深い河じゃ。

テネシーナッシュビル  (連載―209)

テネシーナッシュビルにいってきたよ。

みんな 素朴でやさしかった。

 

好き合って結婚したのに。   (連載―208)

夫が家にいることがないのが当たり前だ。居ると粗大ごみのように邪魔らしい。単身赴任だと月に一度の遠距離レイガイのようで新鮮のようだ。

 歌に「君なしでは生きてゆけない。一人でどうして暮すのか」と理想のようなお言葉。あなたはどちら?

 レンジでチンと押すだけが怖い私は妻を尊敬して当初から敬語で話している。

家紋って?死んだらお葬式は?信じられないが私は自信をもって知らない。

 

 西の国の私と、東の国の妻とは育ちが違う。違うから話もきちっと聞く。妻も西の言葉をきちっと聞いてくれる。

 妻はつるし雛を習っているが、なかなかうまい。私は苦手な分野だが興味を持てば良いところが見えてくる。

 生意気だが褒めてあげる。そうすると世間のたわいのない話も聞かせてくれる。妻にもいろんなことがあるんだ。

 西の国の私は東を、東の国の妻は西を知るのか、知らせるのか私と妻の人生だろう。

 私は妻の人生を背負っている。そんなことは当然わかっているだろうと思うが声を出して言わないとわからない。私は肉体関係はないが手を握るだけでもお互い好きになった青春を思い出す。

好きで一緒になったのに

 

古希(70歳)からの人生変更   (連載―207)

平均寿命を聞くと私の大体寿命は、後10年と読む。

 10年前から今まで想像してない事が起きている。他人事のように、今年も何人の犠牲者を出せば自然は許してくれるのだろう。

 黒い雲は人を抱えて何喰わる顔をして北に流れている。

橋に白い木が重なり水の流れを遮っている。堤防決壊で家が流されたり泥にまみれた家を水で洗っている光景を目にする。

 今まで白い木を見なかったが木の皮が剥けるだけ石や土砂の流れが激しいのだろう。

私は子供の頃から水の怖さを真近で見てきたが白い木が積み重なったのを見たことがない。

1本100円の木では誰も山仕事はできないだろう。1箱の大根を300円で売っていた。農家はいくらもらっているのだろう。

 安けりゃいいだろう。構うことない、薬を使って生産量を増やすこと以外ないだろう。

古希からの人生設計は余命3ヶ月といつ言われても変更できるように若い内から心の準備しておかなくてはならないのか。

近所の噂の枯葉ゴミおじさんが他人の土地の木の根っこに自分家の庭のゴミを捨てているのは枯葉が肥料と思えば気にすることはないのか、しかし、荒れた持ち主のわからないとはいえ、ゴミを捨てるのは認められない。

 

リオ・ブラボー    (連載―206)

1959年の西部劇でジョン・ウェイン主演の映画。

メキシコの国境に近いテキサスの町で保安官ジョン・ウェインが殺人犯ジョーを捕まえたが連邦保安官が来るまで仲間と殺人犯ジョーの一味との戦いを描いた物語。

 以前は早撃ちだったが失恋をしてアルコール依存症の保安官補(ディーン・マーディン)、片脚が不自由で年寄りの牢屋番、幌馬車の護衛として実践経験のない早撃ちの若者(リッキー・ネルソン)らの助けで戦う。孤立した彼らの耳に聞こえるのは敵が一晩中流す「皆殺しの歌」だった。

 

帰らざる河   (連載―205)

1954年のアメリカ西部劇映画。メキシコからアメリカに渡った土地に金が発見された。ゴールドラッシュに沸くアメリカ北西部の町は一獲千金を夢に見た者たちが各地から集まった。マットは(ロバート・ミッチャム)ギャンブルで金鉱の権利を手にいれ金鉱の登記を済ませるために近くを流れる河の激流に筏(いかだ)でケイ(マリリン・モンロー)を連れてカウンシル・シティーに向かった。物語は続く。

ゴールドラッシュで夢中になり娘を川で溺れさせ死なせたシェナンドウの物語もあった。昔、帰らざる河の舞台になったボウ川に行ったがこの川も急流だった。

 

今回の主役は「黒田菅兵衛」だ。   (連載―204)

 酒は飲め飲め飲むならば・・の黒田節♪の黒田菅兵衛は九州出身だと思ったら姫路の出らしい。

 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康とナンバー2の軍師だった。息子の黒田長政は家康に引き継がれた。

 黒田菅兵衛は信長、秀吉の軍師として寵愛されたが秀吉は優秀な軍師を傍に置くことを敬遠して、九州の福岡藩に追いやった。

 京都から西の国のことは知らんかったが山陰山陽を支配していた毛利元就がいた。織田信長も天下人になるにも中国地方の征伐必須だ。

 戦国時代の武士も今の時代のお役人も政治家も企業人も欲の為忖度していかなくては生きていけない。選挙も長年築き上げてきたいっ票の尊さですぐには変化もおきないが、独裁でも困る。

 変化の起きない歴史は必要ないが歴史の知らないと変化のにおいさえもわからない。

 

シェーン   (連載―203)

ロッキー山脈のグランドティートンの山々にこだまする少年の声。ジョーイの透き通ったシェーンカムバックの声は今も強烈に覚えている。

 1953年の西部劇映画。主演はアラン・ラッド

 南北戦争後のワイオミング州の西部に広がる開拓地で牧畜業者と農民のいがみ合いが続き、政府は開拓を進める為、5年間耕作すると自分のものになる法律を作った。そこで、農民と牧場主がいて各地で争いを起きていた。

 

 

禁酒法の名残だろう   (連載―202)

酒が飲める、酒が飲める、酒が飲めるど。♪

歌にも歌われているように、日本では歌わなくても未成年者を除きどこでも酒が飲める。

 米はたくさん取れるし、宗教では禁止されていないと思うが個人は自由に酒が飲める。

 50年程前、初めてアメリカに行った時、レストランでビールを注文したとき断れた。

 宗教上の理由でアルコールを禁止されている。日本のように米が沢山取れれば文句はないだろうがアメリカ人のトウモロコシとか小麦の原料にした酒の飲み物を禁止した。飲んべがフラフラと町の風紀も悪くなる。

 飲んべは何とかして酒を飲むことを考える。その時、ジュースに混ぜてカクテルが考案された。アルコールを売るものは質の悪い密造酒をつくり、一方飲ませないと政府は毒を混ぜようとした。アル・カポネは酒税をごまかして多額の金を得てマフィヤの資金となっていた。

後にカポネは脱税で捕まり。サンフランシスコのアルカトラス刑務所に投獄された。

 ところで、バーボンウイスキーは本場、ケンタッキーであるが、昔は全米だと思うがケンタッキーでも密造が行われていたのだろう。

  今も郡によって酒の飲める郡と飲めない郡があるのはご存じだろうか道を挟んで向こうの郡は禁酒郡(DRY County)がある。そこで酒を飲んではいいが持ち帰りを認めない。そこで酒を飲んではだめだが持ち帰りを認める。とややこしい郡によって規制がある。

 今は、蒸留所もきちんと整えられていて原料は51%以上のトウモロコシライ麦小麦大麦などケンタッキーバーボンウイスキーが作られている。アメリカに行って学ぶこと多かった。

 

役者と歌手    (連載-201)

「芝居だけれど、芝居をするな」

役者は役作りをするという。一瞬でなりきる人もいれば、なれない人いる。

 役者と歌手は違うのかと思うことがある。

 ある役者と歌手の一人でこなす人物は「歌は詩のように、誌は歌のように」にと言われていた。

 役者も歌手もなりきり過ぎると伝わらないこともある。乱暴な言葉になるが

人の心をもて遊ぶ器用な奴が役者も歌手で成功する。役者は知らないが、歌手は曲とアレンジ次第のような気がする。

それと話術だろうと素人の私が思った。

歌手が歌い慣れた曲を、ワンテンポを遅くづらしたり、しなをつけて歌われることがある。聞く側は初心の歌われ方を聞きたいのにがっかりすることがある。

歌手は歌いあきたのか、わざと別の曲のように唄われる。

 特に、悲しい曲など少し突き放して歌われたら悲しさを冷静に味わえる。感情を込めて歌われるとひいてしまう。

 悲しみはみんな違うから。

 

旅芸人が村にやって来た。   (連載ー200)

バタコ(バタバタとエンジンの音を鳴らして走る軽トラック)の荷台に乗ってユウちゃんの顔見世宣伝カーだ。

私は宣伝カーの後を走って追っかけた。

ユウちゃんはアイドルだ。1年に一度旅芸人が村にやってくる。

 普段は学校の卓球場で村の公民館になっている。村の楽しみと言えば旅芸人と映画の上映だ。

 5時頃だと想うが一部は浪花節だ二部が芝居だ。ちいさな舞台で長椅子がありバックは絵でとワンシーンのお茶屋だった。ユウちゃんは主役で悪人を最後にはバタバタ

斬り倒す筋書だったなあ。照明も綺麗で夢のように寝た。

 ユウちゃんは町の匂いを残して去って行った。来年も待っているよ。子供は古いも新しいもないようだ。

 旅芸人や一座って今が流行でいいのに。

 

「無責任」   (連載―199)

世界も日本もコロナで試されているような気がする。

 そんな吞気なことを言っているどころか、友人が自殺も考えていたというから止めた。一番苦しんで君に付いてきた君の妻がいる。

 ここは落ち着くまで日本語にある「無責任」を借りればいい。と無責任にアドバイスした。

東北地震の時、誰かが「お墓に避難する」と言っていた。なんのことだか理解できなかったがお墓にまで取り立てに来ないだろうと言うことのようだ。

 他人事ではあったが、振り返ればお墓の石にならなくてよかった。と安堵している人もいたろう。

 暫し、「無責任」を借りてケセラセラといきたいね。待ってくれるさ!

 私も脳溢血と交通事故で二度死んだようだが生きててよかった。

 

糸    (連載―198)

近い昔、布団を抱えて筑波に流れ星を見に行った。辺りは暗く夜空に星だけが広がっていた。 

西の国の私の星と東の国の君の星が天の川で巡り合った。

 不思議だ、平安時代に放った光が見えている。もしかして、あの星は今消えているかも知れない。宇宙も今の世界も幻想のようだ。

 地球は確かに回っていた、煙をはいて流れ星が消えていく、人工衛星が電燈をつけて真近に飛んでいた。

 地球の周りをあるともわからない星たちがうごめいていた。説明のつかない映像を東の国の星と眺めていた。

 ある時、目の前のものしか見えなくなり気を失った。気づけば病院のベッドの上で説明のつかないことが起きたようだ。

 地球が爆発でもと思ったが地球は無事でよかった。西の国の私は無傷で、下を見れば東の国の君は血を流していた。天は交通事故を装って試している。説明のつかない出来事に奇跡を感じた。

 二度の命を東の国の星に生かされた。出来るだけやってみると東の国の言葉に私は運命を知った。

 こんな不思議なこともあった。母の葬式を君の後にいた時、母と君がスライドして入れ替わった。目を擦って見たが現実だった。

 遠い昔、遠い東の国が日本でなかった時があったという。西の国の私が東京に憧れて来た。遠い昔であれば日本でなかった東の国の君と巡り合うこともなかった。

 こんなとき、中島みゆきの「糸」を思い出した。縦の糸は私、横の糸はあなた・・・

会うべき糸はいつか誰かの役にたつこともあろう。

縦の糸と横の糸が出会えたのが奇跡のようだ。

 

西の国、東の国  (連載―197)

 箱根の山は天下の拳・・・♪
箱根の山を境に西の国と東の国がわかれているんだろう。徳川15代将軍といえば、徳川慶喜まで征夷大将として命じられた。夷は中国では東を指す、中国からみて東は野蛮な国とされてきた。日本を倭国・倭人としてよばれていた。

 昔から日本は西の国が都で東の東北は日本として、はいっていなかった。西の国の将軍はいつも征夷として東を征伐するよう命じられてきた。徳川慶喜は江戸の東の国に来たのを機に征夷大将も必要となくなり、(大政奉還)をし徳川幕府の延命をはかったが。王政復古(おうせいふっこ)で、明治維新へと時代は移行された。

 私は銀座で40年過ごさしていただきましたが、銀座は銀座の顔があり、ママと言われている人は品があり、あらゆるものに精通しておかなくてはお客様にみはなされるだろう。ただ、可愛いいだけでは。

 お金と権力がうごめく世界にも品があった。ある名誉ある賞に選ばれたが、お金が動いているのがえげつなく感じた。先人が築き上げてきた賞も終止符の時期なんだろう。受賞者の実力だとしても後をとりつくる様子が見えてしまった。

 

初めてのアメリカ   (連載―196)

私の時代はGSグループサウンズ・フォークソングだった。

カントリーはゴルフと勘違いしたほどの全く新しいジャンヌで銀座で音楽を商売に始めた。

 友人がカントリーの本場アメリカのテネシー州・ナッシュビルに行こうと言う。アメリカと日本を行ききして会話もペラペラだ。私はジェスチャーで疑問文はすべて尻上がりで、行動はレッツ・ノ―、インとか適当だ。

 友人がカナダ人を連れてきたので泊めた。布団から足がはみ出したのにびっくりした。外人って世話のかかる。柱に頭をぶつけたり、まったく。

 本場に友人がいるから案内していただけると言うので行くことにした。アメリカって広い、よくもこの国に逆らったもんだ。

 これが第一印象だ。今夜の夕食は有名な女性シンガーと山のロッジを貸し切ってのスケジュールらしい。え~!Skeeter Davisって「この世の果て」のヒット曲の。この人誰と思ったが可愛いおばあちゃんだった。緊張するんだが酒を呑んでいた。

 翌日、彼女のステージを見に行ったがさすが有名人で拍手喝采だ。日本に連れてくるギャラも高かったのでやめた。

 そのかわり有名なホテルで歌っていた3人のグループを日本に呼んだ。3人どころじゃない、マネージャーはわかるが、家族まで来るじゃないか秋葉原に連れていけ、天ぷらを食べたい。パチンコに連れて行けだの私はすっかり身軽になってしまった。

 異国人を知れたことは私の人生に色を添えてくれた。

 

フォスター夢路より  (連載―195)

 ケンタッキーのフォスターの家に行った。周りは緑に覆われいいところに住んでいた。建物の色もピンクだったか緑に溶け込んでいた。

 ところが、ニューヨークのアパートで貧しい一人暮らしだったという。忙しだろうからあんな田舎では無理だろうと察する。

 奥様とは別居で酒に溺れていたらしい。ある時、転んで大怪我をして病院に運ばれたが3日後に亡くなり37歳だった。

この歌曲はフォスターの晩年の傑作のようだ。新しいものをうみだすって大変だね。

 

いじめ  (連載―194)

フランスではわが子がいじめられたら親は即警察に連絡して、わが子を守るという。

 このまま日本に適用できないだろうか、ダメだね。

日本では親子の情が世の中を成り立っている。きたと云う。(日本は性善説なのか)

 いじめは今昔聞く、大人の世界でもいじわるな仕打ちが陰で行われているのはよく聞く。ついでパワハラ、セクハラも。狙われたらなんでもある。

 いじめは大人の要素も含まれ巧妙化されているとは聞くが私は現場にない。

 人は弱くなっているのか、人は身を守る為にいじめをしたり加担していじめにまわる

 「先生、うちの子は大丈夫でしょうか?

  お宅は大丈夫、いじめるほうだから。」

 

 いじめって面白そうだ。冗談じゃない。自殺する子、する人もいる。癌と似て初期に発見したほうがいいようだ。

「あなたね、おかあさんも知っている。いい加減にしなさいよ。」と早めの手当てが必要だ」

 他人になんとかしてもらうとか考えたら後悔する。

 お上はなんともしてくれない。わが子、我が身は自分で守るしかないのか不要不急を必要早急に処置を下すことだろう。

 

児童虐待  (連載―193)

父は軍隊で人を殴るのに慣れている。私はよく殴られていた。また殴るのがうまいんだわ。

 父は養子で、おばあちゃんにうるさく言われていたし、ぶつぶつゴミを拾ってるような不器用な父だった。

 私は隠れて父の道具を使っていた。父が帰って来たので急いでかたずけるが父にばれて殴られた。考えたら器用な人間にもなったのは父の仕打だったのだろう。

大人になってひっ叩たかれて、人の痛さもわかった。へ~気づかなかった。

 児童虐待などと社会問題になっているが、私には社会問題だらけだ。いつも夜遅く帰る仕事していた。かわるがわる子供たちが起き。寒いのにミルクを飲まさなければならなかった。頼むから寝てほしいと思うことがあった。

 その当時、妻が専業主婦だったが私も可愛い子供だったので頑張った。

 今の世は共稼ぎで狭い住居でお隣にも神経を使わなければならない。そんなこと言ったらみんなそうだ。

 人によって産後のひだちの悪いこともあるらしい。おばあちゃんがいたらなあ。

 世の中,過密で、みんなよく頑張っている。児童虐待はダメなことは誰しもわかるだろう。

 政治はお上がするもの、政治家はお上がなるもの。もう都会には魅力がなくなった。地方に移住してもいいかも。児童虐待は都会のはけ口で児童が犠牲になっているのか。自給自足で生きられないか考えたら。

 

将棋   (連載―192)

将棋と言えば今は、藤井聡太だろ。私は難波の坂田三吉を思い出す。知らねえか。草履職人をしながら将棋が好きで,女房の小春に散々苦労をかけた。

 何百手先を読んで指しているという宇宙人の脳みそを持ち合わせていないので、ただ、想像のみだ。

 持ち時間は6時間もあるから散策に行ってみよう。

 あら、盤に何のへんかは無し、トイレに入ってカレンダーを将棋盤に見立てればなにかヒントが得られるかも。

 トイレから出て戻ったらすっきり歩でもあれば迷わず、とつけもない一手で相手をかく乱する。

 

 私も浪花節が好きだね、将棋あほな坂田三吉は女房の小春に楽させたかったのか勝負に勝たなけれならない。

 

 羽生善治は一歩有利のプレッシャーが一番弱いと話す。50歳を過ぎ一からタイトルを目出して藤井聡太とも対局している。

 

 羽生善治という名は、もう立派に神棚に祀られるが羽生善治という生き様はこれからなんだろうと勝手に詮索した。

 

 織田信長が今川義元の首さえとればどんな大軍であろうとも今川軍が総崩れになる。

 戦術の問題だ。一人でもいいが出来るだけ小人数で今川義元が手薄になる時を待つ、判断は即決即断が要求される。

 

81ある将棋盤のマスメは戦国時代の戦いと同じような気がする。

ごめんなさい、敬称を省略させていただきました。

 

私は4畳半の隅に寝るのが好きだが成功すればそうもいかない。立派な家と車やら持たされ信用も得る。生きてる内は今はやりの忖度されその気になるが死ねば一人ぽっちかもな。

 お金が無ければなあ、お金があってもなあ

なにが生き様なのだろう。本人だけが折り合いをつけるのだろう。なん千憶の金があっても

所詮、4畳半の片隅で。

 

みかん (連載―191)

夏みかんに白いこなをかけて食べた。ちょうど家の前に夏みかんの木があったので食べた。

 みかんは酸っぱいもので甘いミカンはみかんじゃない。と思っていた。

 みかんの本場、有田から南に日高の片田舎に私が生まれた。

 有田は高い山のてっぺんまで甘~いみかんがなっていた。山に登ると海が見えた。ポカポカぬくい。(暖かい) 

 この時期、いつもなら親父が送ってくれていたむかし。

 今年も有田の果実園からはがきをもらった。老夫婦と娘さんがやっていた。2,3度伺いしたがどこも高齢者がやっていた。失礼、高齢者に見えた。今年も親父になって子供たちにみかんの皮の薄い物を送ってやった。

 こたつに入って手が真っ黄色になるまで食べた。おばあちゃん、おとさん、おかさんのぬくもりを感じながら。おじいちゃんは早くに死んだらしい。

 野放しに育った私はのんびりしている。

東京に来てモテたのはのんびりした和歌山弁の言葉のせいか?

あー勘違い!

 

殿!参勤交代   (連載―190)

家来を5,6人連れて下城された。

お殿様に時代が変わったのが知らされていないようだ。

 これこれしょもう致すとかの口調で話すので昭和を教えてあげて店から出ていただいた。

 翌晩、まだ開店前にいらして昨日の詫びを話された。

 改心すれば歓迎だ。

私も銀座で商売をしているといろんな方がお見えになった。

 殿は私の仕打に慣れていなく気にいったようだった。

 

 暫し、私が病院に入院することになり、妻が私の代わりをした。私がいない間、毎夜いらしていただき、店を守っていただいたらしい。

退院して店に出たら、もう退院したのかと憎まれ口でむかえてくれた。

 殿の奥様も亡くされて、花が好きだった奥様のために家じゅうお花で飾られているからご招待されていたがその方が急死された。

 ホテルでお別れの会にご招待されたが、さすが殿の会とあって名手が来られていた。

 私は場違いだと思って失礼しようと思い会場を後にした。私の名前を呼ぶ声がした。

 生前,故人が歌われていた歌を歌ってくれという。偶然、ギターを担いでいたので供養に歌った。

 私の忘れられない人のお一人だ。殿!

 

 

鉄はさびても、心はさびぬ   (連載―189)

 鉄にさび止めを塗っても、永遠に鉄のままではいてくれない。

 心にさび止めの化粧水を塗っても、そもそも、さび止めの化粧水などあるんだろうか。

 こんなバカげたことを話すと糞ジジィと、もう言われている。

 人間は寝ていながら一人で団体競技ができる。バーチャルリアリティなeスポーツ競技。何じゃこれはと思ったが競技になりうると思った。走ってもいないのに手に汗をかいた。

浦安のディズニーランドでバーチャルリアリティを体験をした。宇宙船に乗せられ目にゴーグルのようなものを着けて宇宙に飛び立った。座席が振動し宇宙船の傾きも感じ本当に宇宙船に乗って宇宙を旅した。

これは1000億も出さないで体験ができた。この体験は30年前の出来事だ。

「バーチャルリアリティ」とは、「現実そのものではないが現実と同じ体験ができること」という意味合いになるという。

 コンピューターの進化で人間の心はもて遊ばれ、さびるどころか磨かれた。

 鉄はさびても、心はさびない。この例えも、バーチャルリアリティなのだろう。

 

津軽の酒    (連載―188)

私はフランスに行ったことがなかったのに、銀座の銀巴里に行けばフランス人に逢えた。日本人なんだろうがフランス人の異国の香りがした。

 ブルーの照明がゆったりした白いソファーに照らされ子供心にシャンソンに聞き惚れていた。津軽弁もフランス語に聞こえる。

 歌は詩のように、誌は歌のように、悲しい歌は淡々と感情を込めないで、明るい歌は多少抑揚を持たせて。ある歌手でもあつた役者が言われていた。

 もう死んじまった。小さな酸素ボンベを引き乍ら、美味しく水割を手にしていた。絵になる光景は水彩画に残して措きたいくらいだ。ワインだったなあ!

 白い手で絵を描き、日本語もフランス語に聞こえた。

さよなら銀巴里とフランス人も夢と消えていった。津軽弁のシャンソンを聞きたい。

そんな津軽に行ってみたい。酒はやめた、津軽の酒はやめていない。白い海が見える酒場で津軽の酒を呑みたい。

 

 

何が役に立つやら   (連載―187)

日本がエレキギターの音色に聞き惚れて村では壱バンドがいた。ベンチャーズがパイプラインを演奏していた。窓越しに村のバンドの練習を見ていたが楽器が夢のようでとてもとても買う代物ではなかったので、

 ダンボールの大きさを変えて音の変化を楽しんだ。スティックは自家製だ。ギターは木に色を塗って弦だけ買って、それらしきギターに見せた。ラッパズボンの不良を集めて、音は真空管のデカイステレオでバンバンかけた。それはそれは女性にモテた。私はドラムスの受け持ちだ。

譜面なんかあるわけないし、読めなかった。音だけ聞いてまねをした。

 大学に入る学力もないし、とりあえず東京に行く運命だったので一人で東京にでてきた。捨てる神もあり、ひろう神に合って偶然大学にもぐりこんだ。卒業後5年間、オフィスワーカーをやり

 姉に呼ばれて姉のマネージャーやら店の経理やら慣れない世界で慣れた。姉はシャンソン、私はカントリーの店を担当した。40年程やらしていただいた。人件費もかけられないので、ドラムスからはじめてベースギターにと3人分働いた。

 あの時、鶏小屋を匠で改築して自室で段ボールでやったことが生活になるなんて。

 

 

丘を越えて   (連載―186)

 昭和6年の歌のようだ。なぜだか心にしみる。

古さを感じなく今でもヒットするんじゃないかと思う。

 明るくてお調子者の私にはピッタリな歌だ。春日八郎、島倉千代子、藤山一郎、田端義夫などなど蓄音器でレコード針を手にもって耳を傾けて聞いた。なに、寝ぼけたこととお思いでしょうがその時の蓄音器は田舎にある。

 あらためて聞くと誌もいい。私もピアノ弾けたら作曲できたのにと思う今日この頃である。

 

 

れんさいー8  (連載―185)

(噂のゴミ捨ておじさん)

 ある奥様が噂のゴミ捨ておじさんに、ここにゴミを捨てないように声を掛けた。どうすればいいんですか?決まった曜日に分別して袋につめてあそこに出せばいいんですよ。と教えてあげたらしい。しかし、直らない。

 妻は昨日来た時、お声を掛けた。そのゴミ、ご一緒に袋に入れて私が捨てましょうかとお声を掛けたら、いいんですか、すいませんと会話があった。

 妻は、とても紳士的なお人だったという。今日は小雨でお姿を見ていない。どうしたんだろうね?先日深夜、救急車で奥様が運ばれたようだった。今流行りの痴ほう症かもと思ったがそんな簡単ではないと思った。

 自治会長がお願いに行ったのか、今日はお姿を見ていない。私っておかしいのか姿見ないと心配するし姿見せるとダメだよと思う。呼んでこようかなあ。

幸い、ゴミ捨ておじさんの登場で小さな林が何軒か協力しあって綺麗に整頓された。めでたしメデタシ。明日、来られたらどうしょう。

 

れんさいー7  (連載―184)

(疫病)

人の身体は実によく作られている。誰が作ったのかね。山を登ったり階段を下ったり、ゴロゴロ石がころがっている道を歩いたり、美味しかったり、笑ったり、涙をながしたりする。ある人は神様仏様が御つくりになったという。そうかも知れない。

小さい頃から宇宙が怖かった。どこまでいっても果てがない、暗闇が永遠と続く。人間が死んだらただ暗闇が続くだけ、怖かった。

京都の祇園祭はコロナの影響でか中止されている。昔、平家物語で祇園精舎の寺の鐘がてっきり京都の祇園だから祇園にあるお寺さんと思っていたがインドだというじゃないか

祇園祭は疫病・災厄の除去を祈った八坂神社のお祭りと聞いていた。毎年、夏に行われ今こそ出る幕なのに。

若い人は御札をお守りにしているのが流行っているとか疫病の鬼からお守り給え。みんな可愛くて、目に見えないものからの救いを願っている。

疫病は奈良時代や平安時代から多くの人が亡くなられている。どうしても神や鬼が何かを人間世界に訴えているに違いない。こんなこと思うのは私だけかもしれない。

幼い子供たちの笑顔が続きますように守ってやりたい。

 

 

 

れんさい―6  (連載―183)

(勝ち組 VS 負け組)

 私は来年に、あこがれの70歳になる高齢者の部類に入る。

世間では「古希」コキと言って長寿を祝ってくれるらしい。嫌だ  

よ、なぐさめはいらない。もっと素直な糞ジジイになったら。

私は負け組に入るんだろうかいい男でもないと妻は自信を持って言う。生まれつき勝ち組のタイプがいる。アンタの勝、何処までもついて行きます。

人はイケメンもいたり、そうでない方もいらっしゃる。生まれつき人なつっこい方もいらっしゃる。人をコントロールしょうと思ってないのに器用な方もいる。偏差値の高い人、知能指数の高い人、ひとめ合ったその日から恋の花さくこともある。

面接の時でも、パットヒラメき相性が合うこともある。逆に、相性があわないこともある。こういう時はいくら努力しても報われない。私の少ない経験から選び抜かれた体験だ。

わかってくれないと嘆いても「人は言って聞かせてやって見せ、でないと人は動かぬ」どこかのトイレに書いてあった。

母が死んだ時、ひとりの女性の一生に見えた。きっと変だろう。

現実の世の中、勝ち組、負け組に分かれるのは人の葛藤の表現。

あなたは何組?

 

れんさいー5  (連載―182)

(気になる高校生)

 ある放送局の番組で山奥でリンゴ園を営むおじさんがいた。その後継者に高校生が名乗りを得て4月から手伝うという話。

 その後、高校生がどうなったのか気になって放送局に電話をした。私はストーカーでもなく気になった。案の定、個人情報の壁は厚く知ることはできなく想像するしかない。

 あんな山奥で苗からリンゴの木を育てリンゴ栽培を始めた。妹が兄を尊敬してて、その時、手伝いにきていた。リンゴの出荷時期に妹が4月から高校生が来てくれるだろうから、と言い残し帰ってしまった。

 4月から高校生が来てくれたのかズート気になっていた。私は脳溢血の後遺症で山も登れないし足でまといになるだけだ。

だから気にかかった。

 どんな高校生なんだろう?

 

れんさいー4  (連載―181)

(聞く耳)

 「見猿、聞か猿、言わ猿」と3匹の猿が日光にいる。私も日光に行った時見た。

 ノートパソコンは古い型の物と新しい型の物と2台持っている。新しい型のものにインターネットをつなぐために専門店に子供に教わって行った。子は今はコードレスだから必要ないとしつこく言われたがコードを買った。

ある日、コードを抜いてみた。ほんとだ!要らないや。ビックらこいて、子に電話したらもう時代が変わっている、お父さんも頭切り替えないとねと自慢げにお説教だ。素直に聞いた。

30歳までに本1冊まともに読んだことのない私が「聞く耳を」もっていたから本が代役になった。聞く耳って大変よ、人によっては自分のことしか話さない人もいる。話がかみ合わなくて聞いたが変な人もいた。銀座で40年余り、日本を動かしている政治家、経済人、文化人ともお会いしお話を聞かせていただいた。

お前、あの子をゆずれ、そしたら・・・・。と表の話と出てこない話も聞ける。

ある記者がインタビューしたが、君はどう思うかね君の意見を聞きたいと逆に問われた。黙ってしまった。一瞬、私も真空状態だ。

仕方がない仕えの身、自分の生き様も言えなく、組織も個人をコントロールしている。儲かれば作り話も書かなくてはいけない。

コロナは大変な試練だ。いつかこんな日が来ないと人間世界がもたないだろうと思った。個の命の尊さ、人のやさしさを見直すきっかけになったらと願う。密集・密閉・密接と3密を避けるよう促している。はやくの収束を願いたいが、働き方、家族のあり方、夫婦と子供との関係と問われているような気がする。単身赴任は、政治は御上がやるものだと、どう思う。

人も賢くなり先を読むテンポも速く「聞く耳」さえ持ち合わせていない。ラジオは知識の豊富だった。もう少しでいいから「聞く耳」をダンボになればなあ! 

 

れんさい―3  (連載―180)

(地球が無事で)

 地球が爆発したのか、あー! 地球が無事で。

妻の運転で深夜帰路にむかった。私は助手席ですぐイビキをかくらしい。

突然、何が起きたのかまぶたを開けた。車が空を飛んでいるのか、それとも地球が爆発したのかいつこのパニックがおさまるのか一瞬だった。下を向くと妻が血まみれだ、外ではすぐ後ろのトレーラーの運転士がいねぶりしたタクシーの運転手にいねぶりしたんだろうと声がした。やっと事態が把握できた。

神は私をまたお試しになっている。妻も一瞬、同じことを思ったらしい。別に悪いことしてないのに試されているようだ。

トレーラーの運転手が警察が来るまで交通整理や私たちを車から出してくれた。警察はよく生きていたと驚いていた。

妻を入院させ、私は大したことがなかったので家に帰った。シートベルトをするよう妻がいつもうるさく言われていたことが私の命を救ってくれた。

地球が無事でよかった。俺たち夫婦はやり直せる。

 

れんさいー2   (連載―179)

(集団就職)

 誰が産んでくれと言った。そうだよね、そこまで考えていなかった。

 親は諦めているのか、勉強しろとか頑張れとか一度も言われたことがないが私も子供に言った記憶はない。

中学まで机もなかった。庭鶏を飼わなくなった所を自分が匠で部屋と机をつくり2年後から勉強を始めた。全部入門書からわらばん紙にかたっぱしに書いてひたすら覚えた。今さら聞けないので出来る兄に教わった。

 親も働くのに一生懸命で父は養子で、しかも、おばあちゃんがきびしいお人だった。父は私に八つ当たりでよく殴られた。軍隊出身で人を殴るのに慣れていた。大人になったら仕返ししてやる気持ちで、甘んじて殴られた。

 この野郎! この方私の父だろうか急にやさしい言葉を掛けられ長年の計画を見過ごした。

 戦後、集団就職で中学を卒業して安い労働力で町の工場に若者が駆り立てられたようだが、今は合理化でAIが人の代わりをする世の中住みにくい。給料も内部留保なんかの名目で安い。

 集団就職あればなあ、だめだ、今はみんな大卒だものなあ。

 

れんさい―1  (連載―178)

(お大事に)

 UFOに遭遇したことないし、おばけにあったこともないし、

あの世に行ったことないし、神様と言えばおばあちゃんの傍で木魚(もくぎょう・魚の恰好をした木の彫り物)を叩いていた。

 お線香の煙は神様の食べ物と最近知った。ロウソクの灯は神様が無言のおしゃべりをするという。

 唯物論とか精神論とか言ったって意味などわかっていない。私は69歳、来年はあこがれの70歳、何かお祝いしてくれるのかな?

 13年前、脳溢血で倒れ一度は死んだらしい。倒れた現場を通る時はいつも手を合している。病院から抜け出し、リハビリのつもりで商売をした。立つことも出来なくコーラスカレッジをつくり、老人ホームに行った帰り際に「お大事に」の言葉に車椅子をやめた。

ルームランナーを買って毎日、期待もしないで歩いていたら、ある日、ヒョコット多少歩けるようになった。

リハビリの先生って、あんたはエライ 無駄な時間よ。 あーアーって言ってる人が言葉を話すようになった。聞こえるわかる。諦めず続けることだやれやれ・・・

マットで自主トレをしてたら後ろでハーハー汗を流し苦しそうに運動している。まだ若いのにどうしたの?運動しないと寝たきりスズメになる。福澤諭吉じゃないけど、上には上がまた上があることを知った。

 

東京にあこがれて  (連載―177)

田舎者が東京にあこがれてでてきた。藤山一郎の歌に、

「花咲き花散る宵も銀座の柳の下で待つは君ひとり君ひとり

逢えば行くティ―ルーム

楽し都、恋の都 夢のパラダイスよ 花の東京

現に夢見る君の神田は思い出の街、今もこの胸にこの胸にニコライの鐘も鳴る。楽し都、恋の都 夢のパラダイスよ 花の東京」

 銀座で40年、神田で4年よかった。人生は川のように流された。来年は70歳、元気だね! まだまだやりますよ。

 コロナの世界も私の人生に組み込まれた一部なんだろう。愛する人のために生きよう。

 

 

酒飲めないよ   (連載―176)

日本人がダービー馬、サラブレッドを買いに来るらしい。競馬はやらないからわからない。専門のガイドもいるようだ。

確か、ケンタッキーのブルーグラス空港に降り立ち、レキシントンやバーズタウンに行った。途中、馬の博物館に見学に行ったが馬って従順で可愛いものだとは想像もしていなかったが綺麗な馬と出会えた。馬っていいよなあ!

ケンタッキーは有名なフォスターの出身地でもある。ブルーグラスは牧草の一種でバスの車窓からの景色は一面ブルーグラスに覆われていた。田舎だなあ、

 私の和歌山の山奥より田舎だ。酒場も6時には閉店のようだ。食べ物もなに食っているかわからん。

 帰りのバスはみんなで素朴にフォスターの歌を唄った。

  おかしい、こんなことがあっていいのだろうか、オーダーしているのに無視されている。乾杯といきたいがビールが出てこない。タイミングがずれて怒り出すお客様もでてくる。

  失敗した事件である。まさか、ここが禁酒区域だと思はなかった。禁酒法の名残なのかテネシーのジャックダニエルの工場の地域も酒は飲めない。テネシー州・ナッシュビルは南北戦争の物資調達もあり戦いの激戦地域でもあった。ナッシュビルは南軍、ケンタッキーは北軍だったんだろう。日本では信じられないことだが酒は飲めない群だった。

 

 

ギューと抱きしめて  (連載―175)

私に3人目の孫が12月のできる。次男が1人目が昨年できた。母親の愛が2人目の子にそそがれて1人目の子がヤキモチをやくだろうから2人目の子が目の届かないところで、ギューと抱きしめてあげなさい。

 藤岡弘さんが昔、ラジオで話しておられた。難民キャンプの子らに日本から援助物資を届けた。毎回、遺書を書いて、その覚悟で行かれたようだ。

 奥深く子らがいるところまで運んだわいいが子らは信用してくれない。食べ物でも子らの目の前で食べないと食べてくれない。

 いよいよ帰ろうとした時、子らは藤岡さんにしがみついて放そうとはしない。子供に罪はないのに一人ひとり不安げでギューと抱きしめて放さないでいたかった藤岡さんの気持を感じた。

 

明日はわが身   (連載―174)

 ちっぽけな庭でメダカに餌をやっている私の姿は立派なご隠居であると妻が言う。カチァンと音がした。音の方に目をやると、近頃、噂のジィさんが自転車で自分家の庭のゴミを私の家の前の持ち主の不明な小さな林に捨てている。ごみ袋に入れて出せば回収車が持っていってくれるのに。

 その方の奥様は近頃、内の主人が痴ほう症ではないかと言う噂だ。毎日、2,3回は捨てにくる。私も数えている訳ではないがそうである。

 30年前に引っ越してきた当時は、お見受けしたところその方はテキパキ動き頭の回転も速く感じていた。

 引っ越して来た当時から、私が草を刈ったり倒木を整理していた。役所は個人の土地だからとやってくれない。

 12年前に脳溢血で倒れ私の子供がかわって草刈機を買って来て綺麗にしてくれていた。コロナで忙しいのか今年は来てくれていない。

 捨てやすいように樹や草をそのままにしておくのがいけないのだろう。不自由な身体で這いつくばって妻に助けられ草を刈っていたら近所の奥様も出てきて手伝ってくれた。そこに噂の方が自転車でゴミを捨てに来た。

 私は何も言わないと思ったが近所の奥様がその方に話していた。納得していただいたらしいが、今日も捨てに來る。自治会の人に話していただく結論に達した。明日はわが身かも未来はわからない。そのことがあってみんな綺麗に草をかっていた。

いい方に考えよう。ニコリ!

 

30年ぶりの動物園   (連載―173)

先月、私の命日と言うので長男夫婦が何処かに行こうとお誘いがあった。孫もいるから動物園につれていってもらった。

マッチいっぽん火事の元が活動自粛とテレビ画面から聞こえてきた。不倫=浮気 は私の場合、来年から公認のようだ。

「70歳元気ね」とね。

 当たり前の人生を長くやっていると反対のことを言いたくなる。ひにくれた糞ジジィである。

 足が細くスマートなフラミンゴを見た。1本の足が怪我したらしく絆創膏を張っている。時たま、その足で歩くと痛々しくふらつく。大変だなあ!少し直るまで休ませればいいのに。

 子供には動物の臭いをかがせるといいと言う話を聞いていたので象さんの糞もみた。大人も精神安定剤にいいかも。

 ホワイトタイガーもま近で見たし、フクロウのロクちゃんも孫に教えてもらった。30年ぶりの動物園でまた一つ賢くなった。

 

宇宙から見た日本列島     (連載―172)

長いトンネルを抜けると雪国であった。川端康成著『雪国』で新潟の湯沢温泉が舞台となっている作品らしい。有名な作品らしいが私は読んでいない。

日本は四季があり水も豊富だ。地球上で住むのにこんな好条件なところは日本だけのようである。

山を越しても何の変化もなく、山さえなく平原が永遠と続き、乾燥地帯であったり砂漠であったり、極寒でエンジンもかからない。港も凍り付き船さえ出せないというところもある。

その点、日本は南北に長く海洋に恵まれている。気候の変化が工夫をうんだり勤勉をうむんだろう。

世界地図の見方にも360度だと元のもくあみになるから何度でもいい、180度でも90度いいから角度を変えてみれば景色も違ってみえる。

かっこよく一人で孤独になって進むより誰かに頼った方がいい度。

へー! お月さんが地球の海や川面に映っているんだって。どこどこ!

 

街     (連載―171)

コロナの中で、人々に心のよりどころをあたえたい。

孤独、人はいっぱいいてるのに孤独とはどういうことなんだろう。      

 

山道で人と人が会ったとき「こんにちわ」と挨拶を交わす、この先、道が流されているからと親切に教えてくれたりする。

 

都会は人が多いからと納得する。お盆になると人々が帰省といって田舎に帰り都会は田舎に変貌する。

都会出身の友が何人かいるが意外と地味である。都会は競争社会で油断大敵なんだろう。先の情報など教えてくれない。田舎に帰ったらいい人なのに。    

人は必ず平等に死は訪れる。寝るように死にたい。と思うのは私だけなんだろうか。

 

街は顏・顔・顔と様々ないろを見せてくれる。田舎も時には煩わしくなることもある。

 

田舎の分校を卒業して都会に出てきた。都会人はみな賢く、時には生きるために賢く見せてきた。

 

どこにいたって人の気持ちになって、たとへどんな悪人でも子供の頃があった。

街はやさしさの渦のなか。

 

わが家の紅葉  (連載―170)

気づかなかった。わが家のちっぽけな庭にもみじの木があった。

紀州の山育ちなのになにも知らない。と田んぼ育ちの田舎者どうしの妻に笑われた。

 確か、家の庭の木はもみじだよね。紅葉はもみじと読む。やったね、遠出しなくても済む。鼻歌まじりで紅葉を歌った。

 

防人(さきもり)って読むんだって。  (連載―169)

私バカよね、おバカさんよね♪・・・昔、こんな歌があった。私のテーマソングにピッタリな歌である。

「埼(さき)守(もり)」の意味らしい。私は和歌山出身で奈良の隣県だ。そうだよね、九州は大陸と50キロ、海を挟んで離れている。九州は最初に外国兵が入って来易い。九州に大宰府を置き、諸国から集められた兵士を国の防衛につかせた。

ポルトガルから種子島に鉄砲が入って来たリ。長崎にスペインからキリスト教が伝わったりした。日本は長年鎖国のようだったが、薩摩などは外国と通商をしていた。

刀、槍などで戦う内地と鉄砲で戦う薩摩兵とは根本的に違う。防人と知って、近衛兵もしった。近衛内閣も聞いたこともあった。イギリスとフランスのドーバー海峡が50キロだったら歴史もかわったかも?

一つを知って三つを知った5年前。別にうざいからしらなくても生きて来られたから知ることはないことかも知れない。

 

運転免許証の返納   (連載―168)

どこも行けず楽しい話題もなく、ひたすら生きているところだ。

先日、妻の親父さんの免許証の返納を済ませてきた。本当は返納したくはないらしい。近くで交通事故もあったらしいから、事故でも起こしたら、相手にご迷惑をかけては申し訳ないと言うので、思い切って返納するという。

 容疑者を車に乗せているような態度で警察暑に連行した。別に悪いことしていないのに緊張する。妻は私に運転するのを禁止されているから、もう12年は運転していない。

 自分では運転したいのだが、もう怖い。来年が運転免許の更新だ。

倒れて3回目の更新だ。私の場合、更新のたびに運動神経とか運転に支障がないかのテストだ。

 妻は返納を勧めるが、私にとって人間やめますかの重大な決断だ。

高野山に、富士山に、佐賀県に、四国に、青森に・・・行ってみたい。日本酒も呑みたい。アメリカにも行ってみたい。

 行ってみたいところ限りなし。そのためには妻を説得しなければなんねえ。

 親父さんの気持ちはわかるが、もう90過ぎてるから返納させた。

私も80までは運転したい。この前、孫と動物園に行った。ホワイトタイガーを身近ではじめてみた。ホワイトタイガーのウンチは臭いんだって。あんなに可愛い顔しているのに。

 

神様、仏様=かみさん   (連載―167)

朝起きて神様と仏様に手を合せてお祈りした。毎朝の出来事だった。50年前に死んだ、おばあちゃんの傍で鐘ともく魚を叩いていた。今に思えば般若心経はこの時に覚えたようだ。

神様仏様は神様と言っていたし同じことで、私は一つと理解していた。

「どなたか、この子を生き返らせてください」と死んだ我が子を抱いて町をさまよっている母親がいた。「私はその子を生き返らせることができるが、ケシの実をもらってきなさい。ただし、一度も死人を出したことのない家のものでなくてはならない」と言う仏様がいた。

母親は懸命にケシの実を集めようと町中を探し求めるが「死人を出したことのない家は一軒も見つかりません」。

  私も12年前に倒れた。若気の至り自分だけは違うと信じていた。健康な時は病を、若い時は老いに関係ない、老いて死を知る。

  死を考えて、60年前に寂しい林に若くして埋葬した子供に会えるかも。

イザナギ、イザナミの神話の話に興味があった。古事記に書かれているという。難しい漢字はわからないので諦めて筋書きを知った。何事も先入観なしで見れば日本の成り立ちも興味深い。

 神様仏様は私にとっておばあちゃんから知った。かたちあるものはいつか空になる。どういうこと?

 

昭和ってどんなにおい?   (連載ー166)

「私は昭和26年生まれ。昭和ってどんな臭い?ワラとあじの焦げた臭い。明治、大正ってどんな臭い?タンスのしょうのう」

応答:本人。

この質問、平成生まれの人に聞いてみたい。

昭和は遠い昔なのか、古い人間になってしまったのか。聞いてみたいものだ。

 歴史は私が65歳頃から独学したら、ようやくつながった。旧石器時代から昭和時代まで、試験の為の勉強じゃなくて、各時代になにがあったのか人の結びつきで把握できた。弥生時代から平安時代を見たり、逆に飛鳥時代から弥生時代をみたり、いろんなことが見えてくる。飛鳥時代にようやく日本にも文字が使われるようになってきた。今さら、飛鳥時代の聖徳太子が居なかった。鎌倉時代の蒙古の元が単独ではなかった。と新説を言われても私はいいが混乱するだろうし誰を信用したらいいのだろう。

 戦国時代、明治維新は映像でもよく見るが、近現在史を教えていないらしい。なぜ?

 

病院と耳  (連載―165)

妻が白内障の手術をするため私は付き添いで椅子に腰かけていたらある親子ふうが医学相談役の女性にはなしかけていた。

テレビを自室で見ているんですが、いつも誰かが部屋に入ってきて

テレビを見ている。その誰かはあなたの知っている方でしょうか?知りません。確か今、テレビに出ていらしている方が傍で見ているらしい。

 耳をそばだてて聞いていると不思議なんだな。お歳は80過ぎの女性に見受けられる。ボケているんだろうと思うが本人と娘さんはマジで相談している。UFOがあるかないかの問答のようだ。UFOは実際あるらしいよ。誤まってレーザー照射しないように、そうするとはるか遠い星から飛来するのか元々地球にいるんだろうか?

 病院は不思議な、夢の世界を見せてくれる。

 

ポツンと  (連載―164)

ポツンと持ち主のわからない、小さな林がある。その林に自宅のゴミを

不法投棄投棄している人がいた。私もその現場を偶然目撃した。

 周りはその方が最近、行動が変だとの噂である。そんなことするような方ではないという。ご自宅は庭も手入れよく綺麗だ。

 立て看板をするというが、役所は私有地なのでなにもできない。私は長年、草を刈ったり、倒木を片付けていた。私の後を継いで子供が草刈機で刈っていた。会社も忙しいのか最近、姿をみせない。

 不自由な身体をどこまでやれるかやってみようと試みたが不十分で妻の手助けで私が指示してゴミを袋詰めるしてもらった。ご近所の奥様もお一人出てきて手伝ってくれた。ゴミを捨てやすいようにしている方が悪い。

 偶然、鼻歌まじりでゴミを捨てに来た。何でゴミを捨てるの?気づかなかった。これからはしない。何かお手伝い出来ますかと言うので倒木をゴミに出すことのできるサイズに切ってもらうことにした。私はその方にお任せして引き上げた。堅い木で大変だろう。

 いつも見ている、「ポツンと一軒家」の高齢者がリンゴ栽培の跡継ぎを

ポツンと話したら。苗木から育て、リンゴが成るまでの5年を養鶏で食いつないだ。苦労して育てたリンゴの木。誰が後を継いでくれようと期待はしていなかったが、東京の中学生の女の子からお手紙をもらったらしい。

 皆は反対のようだが自分はやってみたいらしい。ポツンと一軒家のかたは「出来なかったら止めればいい」とかるく言ってのけた。

決まりだ。中学生の女の子がうらやましかった。

 

それで   (連載―163)

ついこのまえ、お葬式が好きでよく参加した。変なおじさんが、変な子供だったようだ。おばあちゃんが死んだ時から、神聖な儀式がやみつきになったようだ。

その当時田舎では、土葬だったので、おばあちゃんが桜の木の下に墓穴を掘って埋葬した。墓穴は赤土で真新しかった。長い行列でいかにも死んだことを思わせた。江戸川の河川敷を犬と散歩してたら、遠くに長い行列をみて葬式だと思って手を合せた。ところが市の歩く会のメンバーだった。

ちなみに、昨日は私の69歳の誕生日だ。それでいつも気づかせてくれるのが妻と子供たちだ。 

18歳の時、大都会に出て来たが人混でお祭りと間違えたり、チンドン屋の生演奏に聞き惚れて迷子になった。おふくろが死んだ時、雨が降った後だったので墓穴に水が流れていた。親父から火葬にかわった。

29歳の青年が姉と銀座で商売を始めた。都会人はみんな賢く日々、毛穴の立つことばかり、相手の話を聞くことに徹した。ラジオからも聞いた。

40年間、聞きまくった。姉と倒れて銀座から去った。

 姉の葬式はろくでなしの歌で蓋をした。ふりかえれば姉は純粋で生きることに器用じゃなかった。私ですか?私バカよねおバカさんよね!から始まり

都会人は頭の回転が速いから遅くおそく生きてきた。

 急に高齢者呼ばわりされて気にくわないが、あと50年はかるく生きるつもりだ。人生100年はアット過ぎる、せめて200年と生きたいね。

 それで、どうした問題、私の頭の中は隙間だらけ。どん欲に世の中を知りたいものよ。 

 人の話を聞くことは何倍も疲れるが、何倍も年輪の入った話も聞ける。

それで?

 

火の怖    (連載―162)

時間の進捗で、今まで30分かかっていたが1秒に短縮できた昔と比べるとだがね。テクロロジーの進歩で何事にも便利になり、その分やることも増えている、現在人はよーく頑張っている。

 私は幼い頃から、炭、練炭、石油、ガソリンとか、山から木を切ってきて炭にして、炭と灰の中に焼きいも、練炭でこたつ、ストーブに石油、発動機にガソリンと赤々燃える火を見てきた。火のぬくもりも怖さも知った。 こんなこともあった。友達のお隣の家が火事で、友達の家にまだ火の手が広がっていない時、私はとっさに友達の家に入り、押し入れの荷物を出そうした時、押し入れの中は煙で充満して火が燃えそうだった。まだ家の外は燃えていないのに、火の怖さを知った。

 石油とガソリンの燃え広がりの速さを知っていれば、大火で多くの人が犠牲にならなかったのにと思うことがある。電化電化で火を見ることのない現在人、こんな筈じゃなかったろう。想像力の欠如より想像さえできない。

 

絶滅危惧種って人間のこと❔   (連載ー161)

駅の近くを杖を頼りに歩いていると、ある母親が娘さん(成人)だろうか背負って歩いていた。その光景を見ておもわず手を合せた。

 また歩いていると、ある高齢者が自宅のゴミらしき物を小さな林に捨てていた。注意をしょうと思ったがおもわず口をつぐんだ。人間は何億もいるから絶滅の恐れはないにしても、私を含め、ずるい種のような気がする。

 最近の50年前、東京・大阪間12時間が3時間に短縮されたときは誰もが余裕ができたと思った。ほんの最近 5Gとかスピードアップされ、世の中の人に余裕が出来ると思ったらそうでもなさそうだ。

 私よりはるかに頭の良さと回転の速さにはついて行けない。言葉は話しずらいし字は書けないしpcが頼りのわが身。青年、中年、高齢者とあるがどの種が絶滅危惧種になるのだろう。老夫婦が田畑を耕していた。何とかしなくちゃと思ったら、いつの間にかビルが建っていた。

 マザー・テレサというある女性が現在人の孤独のことについて悩める時代がくるだろうと言われていたが、私は人には孤独という方が同居しているので、決して一人ではない、いつも孤独と一緒だからとある歌に救われた。

 身体障害者を持つ子供を悲観して親子心中をしょうとしていた。天はこの子を誰に預けたらいいか世界中を探し歩いていた。幸いあなたが目に入りこの子をあなたに預けられた。あなたは命ある限りこの子を面倒をみてくれれば、天はまた世界中をまわってこの子を誰に預けてらいいのか探し求めるに違いない。

宗教と言う前に、この世の短い運命を一時でもこの子と過ごす幸せを感じるだろう。

 絶滅危惧種はもう誰を指定すればいいのかわからない。なんで「2,3番じゃいけないの」そんな世界をつくることかもなあ。

 

メダカとメダカ  (連載―160)

めだかは妻の友達からいただいた。昔むかし、小川で見かけたそのまんまのめだか、買ったら、一匹 30円もするという、10匹あるから、私の宝は300円にもなる。

 なんだって、一匹 30万もするメダカもある。メダカにもいろんな種類があるという、金魚のようなイケメンもあるらしい。

 私には小川で見たメダカが一番、一匹 30円だけどじっと見てるとかわいいもの。ときたま水の中から私を見えることだってある。鉢の中の狭い世界だけど夢は同じ夢を観ているのかな❓

 

メダカの唄

                 さくし:相台万朗

1、めだかは、小さな鉢の中、大人になったら羽が生え

小鳥のように自由に空を飛ぶようになるんだ。

 ヒュイヒュイ  ヒュイヒュイ ヒュイヒュイ ヒュイヒュイ 

 ヒュイヒュイ  ヒュイヒュイ ヒュイヒュイ ヒュイヒュイ  

月のうさぎと遊びたい、めだかとウサギ  ピョンピョン

 

2、めだかは、小さな水の中、大人になったら羽が生え

海の向こうの見知らぬ街、覗いてみたいなよその国

ヒュイヒュイ  ヒュイヒュイ ヒュイヒュイ ヒュイヒュイ 

 ヒュイヒュイ  ヒュイヒュイ ヒュイヒュイ ヒュイヒュイ 

羽を広げて空を飛ぶ夢   メダカはメダカは めだか 

 

蕎麦打ち名人  (連載―159)

ピーポーン! 朝早くから、頼みもしないのに自称蕎麦打ち名人が訪れてきた。車から蕎麦打ちの小道具を降ろし蕎麦粉、小麦粉、打ち粉まで準備万端でやって来た。

 あまり友達になりたくないタイプだが何故か憎めない人だ。蕎麦粉と水の分量まで表にした、しかも湿度まで厳密に加みされた彼の秘密の物まであからさまだ。

 セイロは好きだが蕎麦など打ったことがない。期待はしてなかったが一発でそれらしく打てた。普段理屈っぽい人だが、後で考えたら教え方上手。

細かい砂がやがて小石なり大粒になったら・・・・

 15年ぶりに蕎麦打にトライするきになって、蕎麦の鉢と包丁はだけは買ったが後は百円ショップと廃材で作った。

ってのは子供たちに父として教えたかった。子供たちはサラリーマンだが、会社は永遠に存続はしないだろうし、いつかのことを考えて自分が他の分野でも食べていけるんだという一つの自信をつけてやろうとおもった。

きのうは大失敗でした。今日はきのうの失敗で夢にまで反省文が書けそうな大失敗でしたが今日はしつこくやるべえ。悔しーい!

 

あたらしい事ってなんだろう?   (連載―158)

ある落語家がこのネタを話すと、エジソンの(ワット)笑いがきたのに近頃は笑いのネタを説明しても笑いが来ないと嘆く。

 たとえば、蚊帳(カヤ)を話すが蚊帳を知らないと言う。私の幼い頃、夏には蚊取り線香もあったが蚊帳(レースのカーテンのような薄い布)を寝床につって蚊に刺されないようにした。

 出汁(だし)、は知っていると思いますが、関西では昆布で出汁をとるのがメインでおでんなんか薄味で美味しい。東京ではかつお出汁で醤油で煮込み塩辛い印象だ。思い出した25年前のころ、私は関西出身だから、おでんは薄味であるものだと思っていたが、ある有名なおでん屋であまりの辛さに老夫婦と喧嘩したことがあった。

出汁と山車(だし、さんしゃ)はよく落語にでてくる。60年のあまりキャリアの噺家はもう面倒なんだろう。私は68歳の青年だから、分かるように根気がある。
 My Way の曲を口づさんでいたら、長男(40歳)がなんでこの歌知っているのか不思議そうに聞かれ感心された。車からディズニーの挿入歌で流れてきた。

 その時、あたらしいもの、古いものの境がわからなくなった。これから、あたらしいもの見つける根気が必要だし、知りたい。

 

 

高齢者予備群   (連載―157)

昔むかし、大阪の梅田駅から夜空に響く汽笛を聞きながら、汽車の床に新聞紙を敷いて、12時間もかかり東京に向かった。よこはま―横浜~

エー弁当、お茶はいかがですか~ 首に紐をかれて、足早におじさんがホームで売っていた。夜露で曇った窓を両手でつまみ、窓を開けた。おじさん弁当とお茶2つ。

 おとぎ話のようだ。50年程前のこと、女性が私のまえに集まって来る。モテる男はしょうがない。と思っていたら、私の関西なまりが珍しいらしい。なんだ! 駅には、その駅のにおいがした。東京っていい匂いがした。こんなに人が、祭りだと思って流れについて行った。チンドン屋さんの演奏に聞き入って迷子にもなった。

 高層ビルが建ち並び、高度成長のシンボルようだが、私のような田舎もんには無味乾燥だ。古いビルから新しい高層ビルに引っ越しの仕事もした。

今、住んでいる近くに大きな建造物が建ち、3年前までは老夫婦が田を耕していたが、もう売り払ってどこかにいったのだろう。よかった、私も農業の経験あったから御手伝いでもと考えていたがその必要もなくなった。

 どこを見ても高齢者、私もいつの間にか高齢者。40年あまり、姉と銀座で商売させていただき、2人とも大病でコロナの流行前に銀座から撤退した。夢はもう一度ベースギターを弾いてみたい。

高齢者が高齢者を心配しているのに、1軍、2軍高齢者予備群が都会にいつくことはなかろう。もう時代はコロナで気づかされたのかもしれない。

すべてが変化するかも、その準備は必要、いずれくる。

 

ありがとう。魔法のことば   (連載―156)

 生まれつき戸籍がなくて、誰からも無視され孤独な人、2,3日前から何も食べていなくて今日だけ生きてる人。そんな人に明日のことなど言っても

明日を知らないのだから。

 世には私が知らない方がいらっしゃる。何を食べたいとか言っている私が幸せなんだろう。

 結婚できて41年、妻を呼び捨てしたこともないし、平手で殴られたことがあっても手を出したことがない。妻の一言に「やれるだけやってみる」。妻が母親にもらした言葉だ。それを聞き一人の一生を私がお預かりしていることを知った。夫婦はくっつき過ぎず、離れ過ぎず。朝はおはよう、夜はお休み。いつも、ありがとうといえれば必ず一品増える。

 今さらバカバカシイだろうが好きおうて一緒になったのにこんな筈じゃなかったと反省しても遅い。若いもんも先人の作った世の中に四苦八苦している。

交通事故で脳溢血で2回も天の神から命を試されたが「ありがとう」の魔法の言葉にまた、試されている。

 

 

羽生善治VS藤井聡太  その2   (連載―155)

将棋の神様の羽生さんと藤井聡太となぜ対局しているのか理解できなかった。しかも過去も羽生さんは対局して負けていた。今回は勝ったと報じていた。当たり前だ。昔むかし、学校の先輩の姉がやっていた新潟の温泉宿で羽生さんが対局した部屋に案内された。羽生さんが何歳のころだったのだろう。そんな羽生さんが藤井聡太と将棋を指していた。

 将棋と言えば、難波の坂田三吉、にょうぼの小春、「♪ 吹けば飛ぶような将棋の駒に賭けた命を笑えば笑え」と故 村田英雄が「王将」を歌っていた。その当時、将棋の神様と言えば大山康晴、升田幸三のお名前知っていた。

 羽生さんが大山康晴と対局した時、貫録でア!言う間に負けていた。と言う。私など3手先をよむより、目先の駒しか見えない。

1手で場面が変わり、何百手先を読むらしい。脳みそに汗をかくってどういうこと。羽生さんのおかげで「名人、竜王、棋聖、王位、王座、棋王、王将」と7つのタイトルを知った。

羽生さんが25歳の時に7冠を取ったようだ。今は49歳。

中学生の藤井聡太との対局。時代は繰り返えされるのだろう。

 羽生、藤井の対局に飄々としたところは今の特徴のようだ。

綺麗な指は豹変し勝負の世界ははっきり別れる。81マス目と将棋盤の上に40個の駒が競い合い。昔むかし、GHQも対戦相手になったと聞く。相手から取った駒を使うとは捕虜の虐待ではないかと問われた時もあって将棋の存続のもかかわったようだ。歩が金になり、成金が世界を左右することだってある。

 

海は広いな大きいな   (連載―154)

むかし昔、私は和歌山の山奥に生まれた。幼い頃、海など見たことがなかった。小学校に入って年に一度、海水浴で海をみた。

 画用紙にB4の鉛筆でお舟を書いたら、夢は広がった。「♪ 海は広いな大きいな、月はのぼるし、日がしずむ。海は大波、青い波、ゆれてどこまで、つづくやら。海にお舟をうかばせて、行ってみたいなよその国」

真っ白い画用紙にお舟を浮かべたら。よその国に行けたんだ。

 Aの鉛筆は芯が硬くて薄かった。B4の鉛筆は柔らかくて濃く書けた。B6まであった。むかし昔のこと。

 

ひよこ(にわとりの赤ちゃん)産まれる   (連載―153)

雌鶏は、受精しなくても卵を産むが温めてもひよこは産まれない。これを無精卵という。

雄鶏と雌鶏を一緒に住ませ交尾して産まれた卵を有精卵でこの卵からひよこが産まれる。

卵の硬い殻は、シロミとキミの液体を包み込み、母鶏が卵を抱え温める。徐々に成長して栄養が不足してくると殻も身を削って補う。それによって硬かった殻も柔らかくなり、ひよこが産まれる。ひよこは硬い殻を破って産まれるように見えるのだが違うようだ。

 人の子宮と同じだ。人間の出産予定日を過ぎると母体の栄養が赤ちゃんから母体を守るために振り向けられるらしい。気を付けようね。

1年半ぶりに妻の実家にいった。生卵をご飯にかけて食べたら まいうー!

だったのでこんなうまい卵を道の駅で売っているというからご近所にもかってきた。少し高いけどね。

 

つるし雛 (びな)って?   (連載―152)

妻と仲良く装って、伊豆下田に旅したとき、途中、食堂でつるし雛を発見した。

妻は、帰ってつるし雛に興味があったのか教室に入った。私も女の子が居たのでデパートの展示会にお雛人形を見に行った。えー“!こんなに高価とは知らなかった。祖父からお金を預かっているから買えた。

 でも、私に孫ができ、買えそうもないから、妻は古着の布きれやタンスの隅にあった着物の布、知り合いの方からいただいた着物の古着の布で小さな人形を作ってつるした。♪母さんは夜なべをして、手袋編んでくれた・・♪♫

 高価なものは買えなかったけど孫に、おばあちゃんのみんなの思いを詰め込んで作られたつるし雛。孫の大切なお守りになったことだろう。赤ちゃんとは言え大人の幸せを願う気持ちは伝わるだろう。

 つるし雛って? 父母の祖父母の赤ちゃんへの成長の願いは、お雛人形とは何の区別もない。

 

 

棋士:羽生善治 いちファン  (連載―151)

最近の昔、「♪ 吹けば飛ぶような将棋の駒に賭けた命を笑えば笑え」と故 村田英雄が「王将」を歌っていた。映画にもなった。難波の棋士、坂田三吉の人生であった。

 三吉は女房の小春に苦労をかけ貧乏長屋で草履網み職人で生計を立てていた。私も近所の子らを相手に勝っては満足していた。

棋士と言えば大山康晴の名は知っていた。頭に脳みそがいっぱい詰まってそうで、しかも大きかった。兄弟子の升田幸三とは人生のライバルのようであった。

さて、羽生善治が49歳になるという。25歳の時に7冠になり、1億円棋士になった。へー!「名人、竜王、棋聖、王位、王座、棋王、王将」と7つのタイトルを知った。

 今度は負ける苦しみも味わうのだろう、明日は我が身!

右手が震える時はここぞ一手の決断の時震えると言う。

 戦国時代の織田信長と今川義元の桶狭間の戦いを思う。

織田軍3,000兵、今川軍25,000兵.戦わずして勝敗は決まっているが、大うつけ(大バカ者)と言われた信長は今川の首をとることにだけ専念した。どうせ今川は見物気分でスキができる。25,000兵とは言え今川の警護が手薄になる時がくる、情報戦で勝った。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と勝った者だけがいきる戦国時代。

 羽生善治はいう、十代は進め進めで記憶力も決断力も早いが歳を重ねるごとに,どんな状況であれ一手一手が重大な局面を作用するとね。若い棋士は想像もできない感覚で指す。

 今までのセオリーでいれば追いつけるが追い越せない。という言葉に68歳になる私をうならせた。

 電車と歩きで将棋会館に通う羽生善治に乾杯だ!

藤井聡太も81個のマス目の将棋盤に世界を知ることだろう。と私の生意気なコメントでした。

龍言

 

メダカと私     (連載―150)

♪おたまじゃくしは蛙の子・・・・

妻が友達からメダカを頂いてきた。メダカって飼ったことがないから

飼い方もわからない。田舎育ちなのに、幼い頃、小川で見たことがあったが♪メダカは・・・の子とは聞かない。メダカの兄弟は川の中大きくなったら、何になるんだろう?

 便利なものでインターネットでメダカを調べたら1年から2年の寿命で餌とか水の交換とか知った。お腹を空かしたら共食いもするようだ。餌も赤ちゃん用もあった。

 水道の水には塩素があるから、前の日に汲み置いた水を使った。

へえー 水道の水って1日置けば塩素が抜けるようだ。水の交換は

三分の一を目安に変えるようだ。神経質に育てないようにしたい。

 大変!バケツをひっくり返して5,6匹亡くした、申し訳ない。

 ♪メダカの学校は川の中、そっと覗いてみてごらん、そっと覗いてみてごらん、みんなでお遊戯しているよ。

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おばあちゃんの呪文(じゅもん)  (連載―149)

おばあちゃんは、いつも誰かに話かげるように呪文を唱えていた。

 母が5歳の時に、おじいちゃんを亡くしたらしい。だから頑固で強い強いおばあちゃんに見えた。むしろ怖かった。

 お線香の煙が神様の食べ物とロウソクの炎と話をしたり、傍で木魚(もくぎょう)を叩く私は、おばあちゃんの呪文を聞いていた。

 父母は5人の子供を抱え日々奮闘していた。和歌山の山奥の田舎で細々と米を作ったり家族が食べられる野菜も作っていた。父は地元の発電所に勤め、兼業農家であった。

 もう古い私の話など面倒だろうが聞いてやって下さい。読んだ後は自動的に消滅してもらってもいい。

 父は手枕で寝ている丸くなった後ろ姿。母は私が幼い頃、ゆれる吊り橋の上からはってみた男たちに負けじと石をかついでいた母の姿は忘れない。

 東北地震の時、いち早く駆けつけてくれた長男の姿、頼りになった。屋根のペンキ塗りに忘れていた地下足袋を持参してくれた。何も言うことはない。遠くの勤め先から近くに引っ越してくれた。その気持ちはうれしかった。

 長女が内壁の張替に神経をすり減らす思いで、ペンキぬりに夜遅くまで頑張った。もうご苦労さんと言いたいが更に白い壁紙を張ってくれた。細部まで完璧に張ってくれた。途中、投げ出したくなる心境だったろう。特に出窓の部分には根気が入ったろう。結婚も控えていたのに最後の親孝行がこんなに大変だったとは思わなかったろう。私だったらあきらめただろう。壁紙張りを一生忘れたかっただろうな。

 長女は神経質で感覚で物事をとらえているところは私と似ている。結婚相手、結婚式、結婚式場にしろ人にはあたえられたタイミングがある。誰からとも言えない生まれつき長女が持ち合わしているものがある。大切にしてほしい。

 次男の車が家に前に現れた。あれ~次男の車だと思ったら、わが家でバーベキューが出来るように庭の改装に来たのだが、私が3日前から妻とバラのトゲに刺されながら夏の暑さにも負けずやっていた。残すは庭のレンガ敷だ。

 昔、誰に教わったのかレンガ敷のことは知っていた。土を同じ高さにならして、砂をその上に敷きレンガを隙間なく敷いていく。

砂は雨に強い、甲子園でも雨だとグランドに砂をまく 砂はすべりどめに良い、列車のレールとレールの間に砂をちらすと急な坂道もスイスイ・・・。砂は小粒だ、小さな小穴に入り、小さなずれを直してくれる。砂は人生を教えてくれた。

昔、わが家のレンガ敷きの時、砂を知らなかったら苦労もしただろう。雨が降ってレンガがずれ、土が表面に出てまた敷なおしだった。

このような古い人の知識は現在の方に引き継がなくてもいいとも思ったが、考え直そう。

別に難しい話はするつもりはないが、中国のウイグル族のことが気になったので、インターネットで調べてみた。約1000万人の人口でイスラム教を信じているらしい。中国と言えば仏教と想像するのだがイスラム教となれば歴史をさかのぼらないと理解できない。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と同じ神様で同じ聖地を持ち、昔から聖地の奪い合いで戦った。その点日本は神様仏様と仲良くやってきた。

ウイグル族を知る為には今から千年程前の十字軍までさかのぼらないと理解できないような気がする。

古い歴史は面倒だし知らなくても生活に影響されないし誰かが上手くやってくれる。

 

 私には子供3人とこのハゲ―!に付き合ってくれている妻。この世で大切な方たち、和歌山からたった一人で出てきたのに嫁2人と婿1人と孫2人、なぜだか皆、不出来な私をカバーしてくれている。

おばあちゃんが呪文のように言っていた。

「人は騙すことは出来ても自分を騙すことはできない。だから、人が見ていようと見てなかろうと自分に正直に生きること」

 おばあちゃんの呪文は、半世紀前のことだが、今も私の脳裏に残っている。そして私に考える心の余裕をくれた。

 

人には好き嫌いがどうしても生理的にもでてくる。

知識は自分を知ること、相手を理解するためにあり、決して

相手を排除するものに使ってはならないのだろう。

私が生きている昭和・平成・令和・・・は短い時かも知れない。いつか世代交代が訪れるだろうがみんなの幸せを祈っている。

                            相台万朗

                          2020,8・14

 

 

おばあちゃんの般若心経   (連載―148)

ここはうちだよ。違う帰ると信じてくれない。2ヶ月ほど前に足の骨を折って今日退院してきたばかり、おばあちゃんはいくら言ってもここはうちじゃないから帰ると、きかない。16歳の私はあれこれ説明するがわからない。だって、いつも寝ている仏間に仏様も神様もお祭りしているだろうに信じてくれない。

 今だったら、もう今日は遅いから明日帰ろうね。と言えるのに、ひたすら説明していた。おばあちゃんは、私の母が5才の時、おじいちゃんを亡くしたらしい。だから強い強い頑固なおばあちゃんでした。

 おばあちゃんの傍で木魚(もくぎょう)を叩いていた。ロウソクとお線香をあげ待っているとおばあちゃんが横に来てお経をあげる。お線香の煙は仏様が召し上がるもので、ロウソクの火は仏様がお話するという。

 お経は目の前に置いてあったが、暗唱していた。私が見ても何だか漢字みたいでチン分カンぷんであった。いつも早起きをして近くのお堂に米を供え、小高い山のお薬師様にお参りに行って塩とお米と水で清めてお経を唱えるのが日課であった。よく言われていた他人の土地をまたがらないようにとね。

 まだ、田舎では土葬だった。子供の頃の私は御葬式が大好きで情報が入ってはよく見に行っていた。お坊さんの座る漆の椅子とかシンバルの細かに触れる音とか静寂な儀式が好きだった。変なおじさんどころか変な子供だった。

 月に一度行われるご詠歌の集まりもおばあちゃんの代理を務めた。みんなお年寄りの集まりで、私も可愛がられ必ず参加した。

 そのうち、村の寄合にも大人の仲間に入れていただいた。

  17才の時、おばあちゃんが寿命なのか、私は手をとり、脈をとっていた。徐々に遠ざかっていく,最期にポツット消えた。場の空気が真空になり宇宙を感じた。おばあちゃんは別の世界にいってしもうた。

 18才の時、東京に行く運命だったので行くことにした。成人になってしばらくしておふくろが亡くなった。兄の話だと内の宗派を初めて知った。仏教だと知っていたが宗派があるなどとは知らんかった。

和歌山の高野山の宿坊に泊まった時、早朝のお勤めの時、自然とお経が私の口から出た。呪文のようで難しいお経を覚えていた。

 考えによっては頭が良いと自分では思った。おばあちゃんに教わったことがあった。①人は騙すことは出来ても自分を騙すことはできない。だから、人が見ていようと見てなかろうと自分に正直に生きること。報いは自分に出なくても、子供にか誰かに必ずあらわれこの世で清算される.②形あるものは必ず壊れるもの永遠にはもたない。③観念、理念というものは不変であり、この世は空だ。

 こんなこと理解できる筈ないけど今になって少しはわかりだした。おばあちゃんには般若心経が必要だったのだろう。

 

メンフィスと言えばプレスリー    (連載―147)

街なみも年々綺麗になるわBereStreetではB、B、King’s BluesClubで黒人のBluesを聞き、路面電車に乗った驚いたのは混み合っているのにワンマン運転手は乗車する時に誰かが運賃を払わなかったのをきちんと見ていた。

 それでこの街を信用できた。にわか誕生日に女性がある店で盛り上がった。

 昼間はグレースランドに行ってプレスリーの自宅など見学した。プレスリーの街であった。プレスリーが最初にレコーディングしたサンスタジオもいって来た。

 

 

いま、戦国時代かも   (連載―146)

テレビでは明智光秀をやっていた。私は高野山の奥の院につながる山道を歩いていると、明智光秀の石碑を見つけた。誰も気が付かないと通り過ぎるだろう。幼い頃、光秀を悪役のように思っていたので、このようなところにほうりだされているのは仕方ないのか。

 信長が人を見て明智光秀を使いこなしたら光秀も生きたのに私も生意気になったものよ。尾張の大うつけと言われていた信長も本能寺で終わりか。光秀も天下人になれる機会もあったが、最期は情けない百姓の竹槍に刺されて亡くなったと聞く。(諸説はあろう)

 戦国時代は意地やプライドの世界,あやまって済む時代じゃない。それでなくても気にくわなければ腹を切らされる。

 近代法治国家も戦国の世と同じ、利口に忖度をしていかなくてはならない。

 関が原の戦いに勝った徳川家康も手柄をあげた家臣に褒美の工面をしたのだろうがそれはそれは大変だったろう。お察しする。

 国民の義務である選挙の1票の権利を手に入れるのに長年かかった。国会議員は国民の代弁者あるように言っていたのにいつの間にか大名や将軍になっている。

 人がやることだから好き嫌いはできる、理屈ではない。国民は権利を行使するには選挙の1票しか手段がない。党になっても将軍はひねりつぶす術を知っている。

大衆はあなたが何ができる俺たちには待てないと。思っている方もいる。将軍は国民が選挙に無関心の方が都合がいい。別に!

選挙と宗教のことを封印していたが、ここ1年知能指数がほとんどない残り少ない脳を使っている。

ごめんね、明智光秀の石碑は今は高野山に立派にたたれているらしい。あの古さだと私の幼い頃からの気がする。

 

有名人と無名人同じ空気を吸っている  (連載―145)

小学生の頃、テレビ画面に釘ズケになった時代劇を見ていた。

記憶では徳川家を継ぐ天一坊が偽ものか本物かの跡継ぎ問題が話題になっていた。

 突然、天一坊が目の前で歌っている。ウソだろうと遠い昔の有名人が同じ空気を吸っていた。これが有名人との出会いの始まりだった。

寺田農様だった。寺田さんも覚えていないだろう、大人の欲の狭間で演じていた。強烈な印象が脳裏に残っていた。

 銀座にいるとよく有名人と会う。「あの女を俺に譲ればこれをやる。」とか生々しいことも聞く。何だと思った方が英語やフランス語で話しかけている。こちとらもわかった振りをすることだってあった。18歳の頃までにろくに本一冊も読んだことのない私も毛穴が立つことばかり。有名人かぶれも、かぶれていられない。

 私の上司に日高なみというシャンソン歌手がいた。それはそれは強い有名人だった。あの強さと自信はどこから来るのだろう。

万人が右を向いているのに、左を向いていた。ははー!気づいていないのかもと思ったが、強い女でいるためには弱みを見せないことだと、あえて優しさに封をした。厚化粧した純粋な女であったと理解していた。

 世の急な流れに流されているのをわかっているのに、もういいかと流されたこともあった。無名人の私は有名人の先を歩くには、まだまだ時間がかかりそうだ。

 

 

臣籍降下(しんせきこうか)って何?  (連載―144)

平将門が平家なのかという疑問がした。

たいらまさかど、のが付くから天皇から名前を頂いたに違いない、平将門のルーツを見ると確かに天皇の血筋に間違いはない。

 アレー?平清盛、源頼朝も同じ線上にある。ここで、臣籍降下がでてきた。武士は、田畑を守る用心棒とか盗賊かと思っていたが、武士にも、れっきとしたプライドも歴史をお持ちなんだとわかった。

 天皇を引き継ぐには天皇の実子がなるんだろうが、もし天皇に実子をない場合、途切れてしまう、そのため天皇は子供を増やし兄弟の子にも天皇に引き継ぐ資格を与えたため平安時代、貴族が増えた。税金も思うように取れなくなり財政もひっぱくして、貴族を減らすのに、将来、天皇になる資格のない皇族をただの平民に戻すわけにはいかないから天皇家の血筋を持たせた名前をつけた。平、源、菅原、橘、のが付く名前(うじ)がそのようだ。平氏、源氏も元は同じ身内から出た者ですが戦うことはないと思うが、どうおもいます?

 臣籍降下とは薄情な仕打ち、臣は、しもべの籍を降下されたものは世間の荒波にもまれ、食って食わしていかなくてはならないし甘いことは言ってられない。

 臣籍降下をこの前に知ったんだから、別にどうでもいいことだろうが私に生きる色をつけてくれた。まだ俺は未熟だな。

 

銀座カントリー天国(カン天)  (連載―143)

昔、イカ天(いかしたバンド天国)というテレビ番組があった。私はカンテンが大好きでだった。とっさにカン天を思い出して始めた。長年このホールを使わせていただいた。もう60年は銀座の街を見続けてきて古くもなった。 

 東京ガスの持ち物で取り壊すらしい。銀座から離れたくないし、私の充電としてカン天をとりあえず中止にさせていただいた。

 復活を願っているが、まだ諦めてはいない。

 

ウエスタンバンジョー 半世紀、私を育ててくれた。   (連載ー142)

3年程前に銀座から、姉にも引導を渡して身をひいた。それはそれは大変な芝居でした。

 姉はシャンソン歌手でプチシャンソン・マヴィーの店長、私はウエスタンバンジョーの店長。2店とも40年近く銀座でお店をやらしていただいたが、止めるのも大変だった。2人とも脳梗塞で後遺症が残った。

 日高なみはきつい強い女でした。あの強さはどこから来るのだろう。強さは弱さを見せないことだ。反面、弱さも純粋で人3ばいだ。

 原田実と宮城久彌は油と水であったがお二人の人間模様は万華鏡のようだった。まさか、私より早く亡くなるとは本人も気づかなかったようだ。

 人生をしぶとくもろく生きていた。せっかく育てていただいた命は大切にして、絶滅危惧種と言われているカントリーの灯を赤々とするのが私のお役目のようだ。

 

 

徳川家康が1600年に関ヶ原の戦いで勝って、1615年の大阪夏の陣まで豊臣秀吉を滅ぼさなかった。

なーんでだ?   (連載ー141)

1603年から第15代徳川慶喜までの264年間にわたる江戸幕府を通じ、征夷大将軍の職を世襲した家系である。徳川将軍家の長男が将軍職を世襲する原則であったが、既に早世していたり、実子がいなかったりで養子を迎えて家系をつなぐこともあった。

 2代将軍の秀忠はその元服時に、まだ徳川幕府が成立しておらず、当時の天下人である豊臣秀吉から「秀」を字を賜ったものであった。

 徳川家康は好きなタイプではないが、何故か?ホトトギス鳴くまで待とうホトトギス。私はせっかちなタイプな方である。

 徳川家の鬼門は家康が寝むっておられる日光の方角らしい。

静岡の駿府と富士山を結ぶ先は遠く日光になるという。これが徳川家の鬼門になるという。今の世に鬼門とか言ったらバカにされるが、家康はあえて鬼門にわが身を置いて徳川家の安泰を守ったのだろう。

 さて、私も2年程前から馴染めなかった歴史を見直そうと考えた。年号を覚えるのは鬼門なので、せめて、時代の流れを人物にとらえた。

徳川家康は関が原の戦いに勝ち、その勢いで豊臣秀吉も滅ぼせばいいのに14年間も秀吉を滅ぼさなかった。なーんでだ?

にわか歴史学者の私は想像した。確か当時、秀吉は関白の位だったが、家康は力で秀吉より上の位を手に入れるのは出来たとしてもプライドが許さなかったのか。天下人であった秀吉の力を読んでいたのだろう。そしてまだ、幼かった秀吉の子供。秀吉も豊臣家の安泰を願っていた。

徳川家康、戦国時代明日はわが身、ホトトギス鳴くまで待とうホトトギス。

世の中は、豪風雨・コロナ・地震と次から次に押し寄せてきている難題、過去にも何百万人も犠牲になった感染もあったと聞く。そんなことも知らなかったのか、人は乗り越えてきた。今もみんな辛うじて頑張っておられる。私は泥の中から人が抜け出す姿を見ている。

 

何年か昔に作詞してあった。  (連載ー140)

        悲しい空
1、空がこんなに悲しく見えるのは私だけなのか
 空に浮かぶ綿菓子のようなあの雲が牙をむいて
 街に覆いかぶさってくる 今ならみんなこれを
 信用するだろう
  
  まさかあの雲が人をのみこみ平然と浮いている
   空がこんなに悲しく見えるのは、私だけなのか

2、空が怒っているのか真っ黒な雲が降りてきて
 屋根に電柱に懸命にしがみつきその雲から逃れ
 ようとしている 今ならこれをみんな目撃して
 いるだろう
  
  まさかあの雲が人をのみこみ平然と浮いている
   空がこんなに悲しく見えるのは、私だけなのか

3、空にエンジン音を響き渡るヘリコブターにも救
 助ヘリと報道ヘリの音の区別もルートもわかって
 くるだろう音の叫びが 今ならみんなこれがわか
 ってくれるだろう
  
  まさかあの雲が人をのみこみ平然と浮いている
   空がこんなに悲しく見えるのは、私だけなのか

 

 

灰色の雲が東に   (連載ー139)

灰色の雲が北に東に向かって流れている。東の空、西の空、南の空も長年住んでるとわかって来る。飛行機が羽田空港を離陸して、私の上空に來る時には時間差で音が聞こえる。どの木の間を通れば北海道方面だし、多少カラフルに見える飛行機は海外のようだ。

 東北大地震では、ヘリコブターの音が自衛隊のものか、報道のものか区別もついた。飛びコースもちがうようだ。

 今年も黒い雲が、西の空に大量の雨を降らし多くの命を抱えて、何くわる顔色で、もう白い雲となって東にながれていた。

アナウンスでは想像になかったとか、過去に経験したことがないとかの表現で雨の災害を伝えていた。今年は出来るだけ命を守れる選択とか伝えていた。

 私も幼い頃、住んでいた所は山と川と一本道だった。山から水が溢れ落ち、川は怖いほど波打って雑木も流れていた。これでは避難場所もない。

伝える側も命がけだ。去年は台風で大変だったから、今年から水害や地震に対応した保険に入った。

 今年はコロナウイルスもあり、3密で対応に四苦八苦だろう。他人事のようだが明日はわが身。誰しも自分だけは大丈夫と思いたいが明日はわが身。

 

和歌山県の空虚です。  (連載―138)

案外、私は神経質でバリケードなところもあり、人をよく見ていると妻に言ったら、どこを見てるやらとあっさり排除された。

 後で知ったが我が家は浄土宗らしいので、幼い頃、おばあちゃんの傍で木魚を叩いていて自然に覚えた般若心経とは違うらしい。難しいことは知らないから死んだおばあちゃんに聞いてもらいたい。

  ・・  ・・・・・     ・・・・・・

空虚涅槃 三世諸仏依 般若波羅蜜多

くうきょうねはん さんぜしょうぶつえ はんにゃはらみた

 

日は東に出、日は西に没む。何万年も昔から同じことの繰り返し。

左の胸に、手を添えれば鼓動を感じる。気が付けば同じ鼓動、誰も命令も

してないのに心臓が動いている。もう一人誰かがいるようで気持ちが悪い。

 

新コロナは密接・密集・密閉の3密を禁止されている。本来、人間に必要

なことなのにあえて禁じられている。和歌山県の高野山を開いた空海さん

も身密・口密・意密の3密を理想としたがなかなか生きながらえて仏になれ

って言われてもなれるわけない。私みたいな凡人は長い修行して教わらな

いと仏になれないし、それもわからん。空虚だ。

 

空虚を知って、新密を知る。(空虚)

 

Go ahead  どうぞお先に   (連載―137)

なんで2,3番じゃいけないの

今年も計算能力に関して日本のコンピュータが世界のトップにかがやいたようである。

日本が食べ続けるためには世界のトップであり続けなければならないし、これが

幸せの源泉のようだと思っていた。

 夢の新幹線、夢のリニア―でこれからもすべてが光速化される。50年前東京、大阪間を3時間になって、友とゆっくり酒でもかわそうと思っていたが、夢を見る余裕もなくひたすら経済の部品の一部として、家庭を振り返ることすらなくお父さんは頑張って来た。クタビレ果て今度は忖度でもしょう。夫婦は共稼ぎでないと暮らしていけないし、何百億稼いでいる人もそれだけのようだ。どこかでベロ出して生きているだろうと思う私もそれだけのようだ。

 昔、ウィルスが人間を滅ぼす映画もあったようだが、そんなばがなと思っていたが、もろくもうすっぺらな幸せに、私は人間は新しい生活感を作り上げていかないともたないだろうと危機感だ。

 人間は難題を解決していくだろうが、日本にも「お先にどうぞ」。英語のも「Go ahead」という言葉があるように自分より他人を思いやる心を思い出していただきたい。

ひいては自分に跳ね返ってくるだろうと忖度はしないことだ。

 都会は刺激的だし人間は集まりたくなる。田舎暮らしは生活に器用じゃないと

こんな筈じゃなかったと思われるだろう。私も東京に憧れて50年前に和歌山から

稼ぎに来ましたが、68歳のどうでもいい年になって、「どうぞお先に」などと言ってみたい。

 

一度、深呼吸しよう。  (連載―136)

私の親父は3男で、親父の兄が宗教界で偉い人とは知らず、田舎のお寺のお坊さんが緊張気味でお経を唱えていてわかった。

 福井の永平寺に行った時、若い修行僧が下方僧に手厳しいことを言っていた。その目付きには愛情を感じなかった。

 68歳になっている私は、もう一度、弘法大師空海を知ろうと試みた。和歌山県出身で高野山にも3回行けた。奥の院に空海さんがいらっしゃるとのこと、今も、お坊さんが毎日お食事をお供えなさっているようだ。香川県善通寺市の出身で地方豪族の家に生まれた。宗教は金持ち貴族のもので中央貴族の出世のためのさきに幸せはないと彼は思っていた。私もそう思った。真言宗の開祖、空海は3密を理想とした。

真言宗では身密(しんみつ)・意密(いみつ)・口密(くみつ)の3密のかだら・いしき・くちをほとけ様と同じに揃えることによって生きたまま仏になれるという即身成仏できるとされた。それまでは長い修行して悟りの境地になることで成仏できた。のだが3密については私から説明できんからYoutubuで真言宗で検索してほしい。

皆様に質問でーす。

 即身成仏なのに、49日の法要、13回忌とか、なぜ法要をしなければならないの?

関係ないか。新コロナのワクチンも来春には間に合いそうという情報だがそれまでご苦労ですが生き抜いてください。宇宙の時間からは一瞬だ。問題はその後でも考えよう立場が違えどもみんな困っている。一度深呼吸しよう。

 

私の三途の川(さんずのかわ)  (連載ー135)

 あくまでも私だけの物語。

死んだらこの川を渡ってあの世に行くらしい。橋を渡る途と深い急流を渡る途と浅瀬を渡る途があるようだ。こんな情報を得ていた。

車窓から見えるみどりの木々が綺麗だ、もしかしてこの車は救急車なのか私が横たわっていた。しばらく走ったのか随分郊外に来たようだ。着いたのか大きな建物が見えた。段差を感じ乍ら建物の裏手にまわったようだ。横たわったまま車から降ろされ地下のようであった。まっすぐな通路の左側にはガスボンベが大量に保管されていた。左に曲がる寸前、右の小部屋に白い馬が横たわっていた、たぶん死んでいるに違いない。今度は2階に上る階段が右手に見えた。下から見上げると大勢の人が大部屋らしきところに待っている様子だった。

やばい、焼き殺される。携帯電話を取って妻に電話した。俺を焼き殺すつもりなのかと、じっさい電話したらしい。ずいぶんひどい話だ。

向こう岸までずいぶんあった。中洲まで、深くて乳首までの浅瀬だ。中洲からは深くなっていた。小石が先の見えない灰色の深さにまで敷き占められ、足を取られるとズズズーと引き込まれる感じだ。

よし、愛犬のジョン君のリード引っ張るがびくとも動かない。(ラブラドール、レッドリバー体重43キロ)急に愛犬の登場に訳などないが一緒に川を渡ろうとした。いくら引っ張っても動かないので川を引き返した。以上が三途の川の物語でした。

目を覚ましたら、病院のベットの上だった。お隣のベット方に話したら、私も兄が向こう岸でこっちに来るじゃないとすごい剣幕で怒るもので引き返したと話されていた。

冷静に見て、川の中を覗いた光景は幼い頃の体験。大きな建物はテネシー州のナッシュビル病院かもしれない。不思議な体験でもないようだ。

後日談、お医者から水泳を奨められたので、近くのスイミング倶楽部に見学に行った。プールの脇で見てると、みんなが歩いて迫ってきた。怖くて帰った。

 

(インターネットで)

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徳川5代将軍綱吉が「生類みの令」出した。

           そんな綱吉が身近にいた。  (連載ー134)

 子供が授からなかったので、占いだと、殺生はしないようにと釘をさされ、どんな生きものをも大切にしなければならない。と言われ、そこで綱吉は「生類みの令」を出したらしい。

 戌年だったので犬将軍とも言われた。人間にもお年寄りや子供を捨てないように言っていた。つまり生きものすべてを可愛がるように法律をだしたのだが天下の悪法だったのか?

 大地震も富士山の噴火、京都の大火と世間は荒廃していた。武士による切り捨て御免もこの当時に起こった。動物を過剰に保護して20年にわたり100回以上も発令された。

病気の息子の為にすずめの肝を食べさすのに、吹き矢でですずめを殺した父親は子供と一緒に処刑されたらしいがだんだんとエスカレートしていってのだろうか、させられたのか。

私も綱吉に似た身近な人に仕えていたが、よーく似ていた。糞真面目で世間知らずで信じるものには素直なところもあった。

機嫌のいい時を見て話さないとブチ切れる。苛立ちがわかると引かなければならない。そんな側用人の私がいた。

どんな方も人は亡くなられて、すぐ忘れられる。世は、はかないものだ。綱吉はバカ将軍だったのだろうか。50,60,70、は守りなんだろうと言われるが私には守るものさえない。

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ニューオーリンズ   (連載―133)

 今夜どこで食べよう

ニューオーリンズは3回目で、ミシシッピーの船着場近くの空き地で地図を広げて今夜どこで食べようかと思案中だった。こんなこと添乗員に任せておきたいのだがそうもいかない。

初老の夫婦が話しかけてきた、地元の方らしい。私もジェスチャー交じりの英語で何とか意思疎通ができた。

それだったら、あのレストランがいいと教えてくれた。人のよさそうなご夫婦のご紹介の店に向かった。外から見る限りでは客層も良さそうだし、雰囲気も良さそうだ。店内に入っても空気が良さそうだし予約した。

 皆も気に入ってくれたようだし酒もほどよく楽しくやっていた。

ところが、私の後ろに背後霊を感じた。恐ろしいから前のお客様に聞いたら女性が立っているという。

恐る恐る後ろを振り向くと品のいいご年配の女性が立っていた。

 日本人がこんなに話に興じ楽しく食事をしているのを初めてみる。と感激なさったようだ。私はてっきり叱られることと覚悟してたが女性の笑顔に酒もおいしくいただいた。

 

聖者の行進

 こんな風通しの馬小屋に寝泊まりしろと言われたら1時間で

死ぬだろう。かつて人が住んでいたところに見物に行った。

御葬式の時にレキシ―の明るい音楽が幸せの絶頂の曲をみんなで演奏しながら行進したとは私には信じられない。

みんないい人だった

 路面電車おり、みんなでお茶でも飲もうとあるレストランに入った。ドアをあけ、店内は薄暗かった。突然・突然、人が4,5人現れた。晴れていたので外にテーブルをセットしてくれた。美味しいコーヒーだった。

 プリザベイションホール

 Bourbon・stから少し路地を入ったところに鉄格子の窓に内は裸電球に長椅子と地べたにシートのようなものが敷いてあった馬小屋の雰囲気だ。

 私は、足を延ばして、5,6人の演奏を聴いた。バンジョープレイヤーが飴を食べていたので私にもくれた。

 演奏者の前にはチップの籠があった。演奏中だよ、それも演奏中だよ、リーダーとおぼしき人がチップを数えはじめて

今日のメンバー数に均等に分けている。こんなことってある。

私は、素晴らしい演奏と光景に魅せられた。

 

 

日劇ウエスタンカーニバル   (連載―132)

 何がウエスタンだよ! と思っていた。ロカビリーばかりでカントリーはやらないじゃないかよと思った。日本の音楽は西部劇のウエスタンからはじまり、カントリーといえば「ライフルと愛馬」のような曲だと思われていたのだろう。当初は、寺本圭一なども人気だったらしい。

カントリー、ジャズ、ロカビリー、特に新人の平尾昌晃、ミッキーカーチス、山下敬二郎らのロカビリー3人男は人気絶大だったらしい。エルビス・プレスリーも人気で、日本人の溜まりたまったアメリカンミュージックのオンパレードだったようだ。ロカビリーはのりがよくエネルギッシュで当時の女性に受けたのにちがいない。今のマリオンのところに日劇があった。一度中に入ったが狭い感じだった。

  アメリカに戦争に負けたのに憧れだったのだろう。私も銀座で38年間カントリーの店をやらしていただきました。一度、通リすがりの誰かに、また古いことやっていると聞こえた。

 カントリーは絶滅危惧種とまでは言わないが、どんなジャンヌにしろあぐらをかいていては消えていく。

スターをつくることだろう。昔、歌手から聞いたことが耳にのこっている。コピーだったら本物を聞けばいい。レコードでもいいといってのけた。どう思います?

 これは、カントリーじゃない。プレスリーも言われた。

何がカントリーかどう思います?

 また古いことやっていると言われた方がまだ生きておられたら、ぜひ聞いていただきたい私の人生を。

 

カントリーってゴルフ   (連載ー131)

 忘れもしない、銀座泰明小学校前のジローと言う喫茶店で原田実さんと宮城久彌さんとお会いした。

 カントリーをやりましょうって言うけど、ゴルフはそんなに上手くはないし運動神経も飛びぬけていい方じゃないし・・・

 そのカントリーじゃないらしい。アメリカの南部の白人の音楽らしい。そんな話からの始まりだった。私は和歌山の田舎村からパスポートもなく、今から50年前、大阪梅田から12時間も夜行列車にゆられて東京に来た。

 サラリーマンをやってた頃、姉の誘いで銀座に店をだした。話せば長くなるからやめよ。

 お二人のお名前は知らないが有名人のようだ。よし、アメリカに行ってみたくてはじめたようなものミュージックも耳ざわりもよかった。

 本場のテネシー州ナッシュビルに行くことにした。ベースマンの竹中祐史さんを誘った。グランドオールオプリに行ったが何が嬉しいのか竹中さんは、はしゃいでいた。

 その後、10回ほど行ったが竹さんの気持ちがわかった。随分、街も綺麗になったけど俺は怪しい街が好きだ。

 

 

人生楽ありゃ、苦もあるさ  (連載ー130)

私の小さな時、目をこすりながら、ハンコもらいたくて行った。ラジオから元気な声と音楽にのせてみんなでラジオ体操をした。夏休みの最後にノートやえんぴつをくれる。それが楽しみだった。

もう明るいひざしがさしていた。6時30分だ。ふと、ラジオのスイッチをひねったら♪あたらしい朝が来た、希望の朝がよろこびに胸をひらけ

大空あおげ・・・・とか懐かしい曲が流れてきた。

3年前、倒れて40年程姉と銀座で店をやっていた。止める時も店内をきれいに元のままの状態で家主に返さなければならない。なん百万もかけられないから深夜店が終わって自分で解体した。

人生楽ありゃ苦もあるさ、涙の後には虹も出る、歩いてゆくんだ しっかりと自分の道をふみしめて。どこかで聞いたある。

40前「もし私が外出していなかったら、母の話を聞き、自殺を思いとどまらせたかった」と悔やんでいた。遠い遠い田舎の母のことだった。

店をやっていると、天は私を試してくるのか、脳溢血や交通事故と何かと忙しい。今ごろ天国だと思うが天国でも楽はさせてくれないようだ。今回の新型コロナも読めない、みんな困っている。やせ我慢でもいいからみんなで喚こうよ。

悩んでもしょうがないみんな同じなんだから、いい格好しないでケセラセラなるようになるさ。こんな時面白いこと馬鹿げたことあったらメールして頂戴。聞くだけだケンドね

 

伊勢白石曳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深夜の我が家   (連載ー129)

 深夜トイレに行った、すると妻も下階のトイレに入る音がした。妻は胃の調子が良くないと薬を飲んでいた。そのままソファーをベット代わりに毛布をかけて寝ていた。テレビのスイッチを押すと山と雲と光の世界に引き込まれ、いつの間にか画面も変わり、モンゴルの世界一のレースに子供たちも参加するのだろう、馬の調教とかを広い広い草原でやつていた。

馬は力づくでやると走らない。馬と会話しながら共に走ってくれるようだ。大人は何も教えない。

モンゴルと言えば今から1500程前に2回に渡り、日本に襲撃に来たことを思い出した。鎌倉時代、元・高麗軍が対馬・壱岐を襲撃し、九州に上陸する。(文永の役)約4万

7年後、元・高麗軍に江南軍を加え再度襲来した。(弘安の役)約15万。

元は帆掛け船で来たので風をとらえる必要がある。日本では神風が吹いたと言われているが台風だろう。日本も平家と源氏の戦いでも、武士の力もつけてきたのだろう。幸い2回の襲撃にも打ち勝ち元を諦めさせた。今でも漁民の網に元の物と思わせるものがかかると言う。

ふと後ろから見る若いお嬢さんに気になり、昼間、らっきょうづくりに精を出していたのだろう部屋中、らっきょうのにおいだ。

足のふくらはぎをもんであげると寝たようだ。

 馬も人間も力づくでいうことをきかせても動いてはくれない。

そのことを言葉で言ってもわからない。

可愛い可愛い孫の嫁に、出来るだけ手をかけずに、目をはなすな。可愛い子には旅をさせろ。と言っている。親の愛情かもな。

 

(インターネットの画像)

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あうん  (連載―128) 

 もしもし、おはようーれわかつた? うんそうじゃないらしいよ。

なにあれなどと言うならボケっと生きているんじゃないよ!とね。よく死んだ姉に叱られた。

 「おはようございます。これからの子供たちが幸せな未来になるように、力を合わせて守っていきたいと思います。あと30年100歳目指して2050年までいきましょう! 子供が大きくなった姿を私たちと一緒に見届けていただけると嬉しいです。

 新型コロナが一日も早く終息してくれることを心から願います。。。」

これは、嫁からのメールです。

 来週から8ヶ月の我が子をあずけるというから、可愛い子には旅をさせなさい。私は68歳で成人するまで生きられないだろうがきっと大きく成長するだろう。と生意気にメールをしてあった。

 あうん」とは本当はこっちの方の意味なんだろう。若い嫁に教わった。

 

 

これは妻の手づくりです。(六地蔵)

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にわかジャーナリスト  (にわかシリーズ)  (連載―127)

 わーきれい! わー牛乳だ! わーイチゴだ!

私の2歳になる孫の言葉だ。イチゴ買ってこようというのだが、我が子に

甘いもの食べさせないように言われるのだが、わーイチゴだ!の言葉に感激してその気持ちを育ててやりたくてイチゴを買いたいのだが、孫の責任者に言われると従うしかない。

 孫が可愛いいのだが目に入れてもかわいがることはしていない。我が子にも嫁にも孫への愛情を注いでいることを言葉で表現している。長男と次男の夫婦にも孫にもそれぞれ愛情の言葉を意識的に変えている。愛情はすべて違いがあるから。これは差別でもない。

 ちょっと話が長くなるが、「宮武外骨」というお名前の方いた。これは本名です。と言うハンコも合ったらしい。私も「相台万朗」、これなんとお読みするんですかと聞かれる。

 「宮武外骨」は後に改名されたそうですが、89歳でお亡くなりになったようです。江戸時代から昭和とジャーナリストでトンチを売りに活躍した。何があったのか一人娘の死でぱったり世界から姿を消えた。奥様は早くに亡くされた。世の中は珍しい時はちやほやかまってくれるが、引きも早い。どう思います。

ある議員がある組織が発言力が強いから、その組織の応援の基盤をつぶした方がいいかなの一言で弱体化した。あとでその議員がちょっとやりすぎたな、笑って漏らしていた。どう思います。

 アメリカ人のチャップリンが昔、日本に来て帝国ホテルに宿泊した。時間差で免れた。どう思います。

ある知人の息子は難関のマスコミに入った。飲んでいてもどんな深夜でもでかけなければならない。これからもみにもまれて書くんだろう。どう思います。

ある新聞社の記者のOBが嘆く。現役の記者に記事の裏を取るようにと。 どう思います。

 

鳥濱トメ     (連載ー126)

昔々、鹿児島に知覧というところに、日本軍最大の特攻出撃基地があった。その知覧にトメさんの食堂があった。トメさんは436人の特攻隊員を見送られた。

終戦となり、まだ出撃されない残った隊員に掛けた言葉に「なぜ、生き残ったのか考えなさい。何かあなたに、しなければならないことがあって生かされたのだから。」  鳥濱トメ

私も、脳溢血になり意識不明にもなった。また交通事故で地球が爆発したかと思った。とっさに、神は、まだ私をお試しになられるのかと思った。

銀座で姉と40年程、店をやらせていただき姉は2年程前に死んだ。68歳になる私は生きる何かを見つけていた。

トメさんの言葉にズシン。生かされているんだろうとかっこよく生きたいがいろいろ後遺症もあるし、みんなに助けてもらって生きている。

 戦後、トメさんの食堂にアメリカ兵を預けられた。アメリカはあの子らの敵なのに、勝って誇りもしないまさしく特攻青年と同じだった。トメさんはお母さんだったのだろう。

知覧には親族などから送られてきたお金で石灯ろうがここかしこ立っているそうだが不足分はトメさんが負担したとか、こんな話もあったとさ。

(インターネットの画像)

 

トメ1トメ2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

にわか戦争体験者? (にわかシリーズ)     (連載―125)

  こんなものに閉じ込められるのは嫌だ! 私の感想。

コロナで家にいらっしゃる方に知って頂ければ幸いです。

亡くなられた前田武彦さんがもう少し戦争が延びていたら人間魚雷にのっていた。当時16歳だった彼が言っていた。もう覚悟は決めていたとも話しておられた。

潜水艦は海の中を深くもぐり、敵艦を見つけたら浅く浮上して、遠くから望遠鏡で距離とか敵艦の速さを計算して海の中から魚雷という爆発物を発射して敵の船を沈める。

小型特殊潜航艇・回天(天を回らし戦局を逆転させる)。私は人間魚雷と言っていた。潜水艦の甲板などに乗せ確実な方法で敵艦に爆弾を抱えて人間が一人か二人小型潜航艇に乗り、敵艦に体当たりをした。

私は戦後生まれの子供だったから話は聞いていた。何だって、中に入ったら外から鍵を閉められ中から開けられないだとそれじゃ死ぬしかないよね。恐ろしい、誰が考案したのかね?山口県、大分県、高知、和歌山と全国に基地があったようだ。

神風特攻隊もあった。飛行機に片道の燃料を入れて敵艦に体当たりできればいいか途中で大体撃ち落とされてしまう。

戦争が終わっていたが、鉄ものは高く売れた。こずかい稼ぎに集めて売った。日本も戦争体験者も私を含めほとんどいなくなっているが、世の中、戦争は黙って忍び寄って来るかもなあ。

(人間魚雷ってどんなものか写真がインターネットで見つけたから参考に)

回天2

 

 

 

 

にわか道路 (にわかシリーズ)  (連載―124)

1年じゅう厚化粧させられて、夏など熱くてたまらないし、冬は温いと思ったらひんやり冷たい。深呼吸したいのだが重くて腹呼吸もできやしない。

いつも靴やタイヤに踏みつけられ、たまにいいこともある。

 昔、銀座にいた頃、道路に段ボールを敷いて引きずって通り過ぎる初老の女性がいた。足の動きで胃陽が悪いだの性格までもわかると言っていた。ぱったりある足がみえなくなったと私に消息を聞く、どんなハイヒールで

何色のストッキング・・・? その方ね、亡くなられたみたいだよ。

 いらっしゃいませ!・・・・・・・ありがとうございました。

この人とはもうこの世で逢うのは最後かもしれない。「さようなら」と言うのも

おかしいし、初めて逢って、さようなら。と、じっと見つめることだってある。

 あーそうだ。「一期一会」 イチゴイチエと読むんだって。詳しくはわからないけど、井伊直弼が最初に使ったらしい。

 道路は私の和歌山の田舎へもつながっている。なんかあったら道路に聞く。ローラスケートでアスファルトで化粧した道を滑った時は感激した。

今は、水たまりの道は見ないけど、やっぱり、温もりのわかる薄化粧の道路がいいかな。

 

にわかコロナ革命  (にわかシリーズ) (連載―123)

運転できないし、明るい話題ないんだわ。ごめん!

革命とか言うと今どき、はやらないよね。何なの革命って遥か昔の出来事のようだ。

私も少し長く生きていると古さを感じさせられている。ゆるやかな革命と言えば明治維新だったと思う。知っているかな長州に(今の山口県)高杉晋作と言う人物がいた。彼は29歳で亡くなられて、薩長同盟も結ばれこれからと言う時にこの世を去られた。欧米がアジア各所を植民地支配の中に、ならば長州一国論も唱え未来を見据えておられた。

コロナ革命とか物騒な響きだが、起きていることは革命のようだ。懸命に難局を乗り越えようと知恵をしぼり、応援していらっしゃる人達に感謝したい。私も銀座から3年程前に去った。その当時のお客様からよかったねえ!とのメールをいただくがもし今もやっていたらと思うとあと一ケ月が限度だろう。それも多額の借金を抱えていただろう。

私は68歳の高齢者らしいが、パソコン、スマホをいかに使いこなせるか年齢に関係なく格差が広がっている。革命は人の犠牲でもあったが、コロナ革命も人の犠牲を背負っている。

人間の英知でコロナも終息されることだろうが、もう時代は変わっているに違いない。テレワークもやってみる価値がある。会社は高い家賃を払わなくても通勤費を払わなくてもその分社員に還元したほうが、やる気が出るかも。

コロナ革命は人間への優しさの警鐘であったり、孤独への警鐘かもしれない。家族ってなんだろう。

今、吉報がはいった、子供たちが私にランニングマシーンを買ってくれたようだ。

 

にわか宗教家  (連載ー122)  

どなたかこの子を助けてください。死んだ我が子を生まれかわらしてくださいと死んだ子を抱いて町中を歩いていた。

わかりました、私がなおしてあげましょう。ケシをもらっておいで、ただし、一度も死人を出したことのない家のものでなくてはならない。とある人がいった。女は,一軒一軒、町中探しても一度も死人を出したことのない家など何処にも見つかりません。わが子だけは死なないと思っていたが私の過ちでした。

ある人が言いました。生きてる子も尊いし、死んだ子も尊いものなんだと死は、生きるものの定めと、切々と説いた。

若いと元気よく病気など関係ないし、私だけは大丈夫と思いがちだが、若いと老いることはないと思うし、老いてみて死を知る。当たり前のことだがそれがわかれば私も苦労はしなかった。 中学の頃、近視の友人があんな大きい字が見えないなんてバカにしてたが、実際、自分が近視になったとき友人を理解できた。

手を合せただけで成仏できたらと思ったが、苦行して生死の境を見ないと己を見出せないと思っていたが、ギターの弦をきつく締めると切れてしまう。緩いと音がボケていい音に聞こえない。コロナは天がくれた試練だが、あっという間に 人間をも経済をも、もろくも変えようとしている。いづれこんな世界がくることはわかっていた。まさか!

3密はコロナの世界だけで終わって欲しい。早くの収束をねがっている。

 

にわか歴史学者  (連載―121)  

人類の誕生は400万年前と聞かされてきたが、何も変わっていない気がする。歴史は繰り返されるとも言われているから、60歳になって初めて旧石器時代から縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安・・・令和。と年号は勘弁してしてもらって、流れを見させていただいた。

 受験には関係ないから、研究者の主張と年表が合致しないことや、GHQ の影響で書き直されたりされた箇所があると言われればそうかなと自分を納得する部分もあった。こんなことを言える時代でよかった。

 一番苦手な歴史を学ぶのは一苦労だ。素直な頭は、なんの疑いもなく学んだ。68歳にもなって、恥ずかしながら、中学生の歴史の初歩から学んでいる。浮気心があるのか一つのものに集中しないこともあったが何とかわかって来た。

 日本の、世界の流れもわかってきたら面白くなってきた。ルーズベルト、スターリン、チャーチル、第二次大戦あと、世界は3人によって決められたらしい。今回のコロナウイルスは人間世界を根本的にかえていくだろう。歴史は繰り返されると言われてきたが、まったく新しい歴史がつくられるかもしれない。ウイルスによって人間が滅ぼされる想像もしなかった出来事のように、にわか歴史学者は思っている。

 

あんたはえらい   (連載ー120) 

  私の通っている病院のリハビリの先生に上沼さんとおっしゃるお人が要る。コロナで今は休んでいる私だが、ある知事が上沼恵美子さんから多額の御寄付を頂きましたと発表した。あの上沼さんだとは思わなかったが、最近、お料理番組でちょこっと太り気味だが、とっさに「あんたはえらい」とおもった。

 日本では、寄付の習慣がないから何言われるか反応を見たかったが、その後、何もおこらなかった。日本には金持ちはいないんだろうと思っていたが、私の金持ちの意味はこんな時に世の助けになれることができることだと思っている。私も脳溢血でコロナは怖い、身近に迫っているが予感がする。

早い収束を願っているが、晴れたあかつきには新しい人に出会えるから希望を持っている。

 出世しようが別荘を持とうが何の自慢にもならない。

何言われようが上沼恵美子さん「あんたはえらい」と感じた。

 

平 将門は平家なの?  (連載―119)    

1年前から、思っていて怠け者だから面倒だった。

平安時代も400年も長き時代、天皇と貴族と武士が入り乱れてややこしんだわ。鎌倉幕府を作った源頼朝が平家との戦いで参加してると思ったら、弟の義経が戦いの天才で頼朝が政治の天才とも知らず、弟を東北の平泉まで追って殺した。兄は平家との戦いに参加してなかった。このことを知ると弟に感謝してもいいのだが権力はそれさえも呑んでしまう。

後に、本人は落馬で亡くなる。妻の政子は北条家から来た。2回の蒙古の襲来に神風が吹いて追い払ったと言われるが、武士の力もついてきたからだろう。

 平安時代は東北が日本じゃなかった時代、平将門はどの位置にいたのか京の都からはあまりにも遠過ぎる。

平家源家のルーツ

 

 

  ケセラセラ  (連載―118)   

3年程前に銀座で店をやっていて、大病してやむなく閉店したのがよかったのか、その当時のお客様からメールを頂く。今となって閉店したのがタイミングがよかったのだろうがその当時涙も流した。

人の幸せはもろいものだ。世界は電化でIT化され便利にできている。人間の知恵もごくわずかな人に握られ幸せそうだ。

68歳の私に、まさか子供に言われたくないが昨年、海外に行った娘から呑気だと。外から日本を見ることが出来てわかったのだろう。

今回のコロナウイルスで今さら密接に人と向き合うのは良くないと言われなくても以前から実行しているのに。

私も店をやっていたら、すぐ何千万の借金だろう。ワクチンを待つまでもない。生きていたら、なんとかなるケセラセラだ。私は2回死にかけたがそのころの嫌な気持ちが今、生きる支えになっている。

 妻がいれば妻の為に生きるんだよ。ストレスとか口にだすもんじゃない。

守られるものは何倍も貴方を守ろうとしている。口には出さないけどね。

 

 

忖度と損得  (連載ー117)  

ソンタクとソントクの読み方が似ていることが気がかりで夜も寝られなかった。両者に「勘定」をつけても不自然ではない。

忖度の意味をインターネットで調べたら、すでに中国の古典『詩経』に使用されており、平安時代の『菅家後集』などにも存在が確認されている。明治期にも使用例があるが、しかし、この頃には、単に人の心を推測するという程度の意味しかなく、相手の気を配って何か行動するという意味合いはなかったという。

 いっぽう、損得の意味は、自分にとって損であるか得であるかを打算的判断するさま。利害指標として物事考えること。 と書いてあった。

 私も簿記を習ってきたので、両者に「勘定」をつけてみると忖度勘定、損得勘定とつけてみても内容はかわらないようだ。商売もそうだけど売上があれば現金が増える、仕入れがあれば現金が減る。貸借、車の両輪のごとく一致する。その売上と仕入の差額が利益だ。 この利益を生むために人は苦労する。

テレビショッピングでも5万円の物が3万になり、そこから更に1万円値引きした。私の見方は1万円で売ってもテレビ局への手数料や人件費払っても、まだ儲かっている。薄利多売なんだろうが、じゃー原価はいくらなんだろう。

 余計なお世話じゃー、ほっといて。

忖度の意味合いが明治期と違ってくるのは何故なのか考えてみたい。 

ソンタクとソントクの読み方が似ていることが気がかりで夜も寝られなかった。両者に「勘定」をつけても不自然ではない。

忖度の意味をインターネットで調べたら、すでに中国の古典『詩経』に使用されており、平安時代の『菅家後集』などにも存在が確認されている。明治期にも使用例があるが、しかし、この頃には、単に人の心を推測するという程度の意味しかなく、相手の気を配って何か行動するという意味合いはなかったという。

 いっぽう、損得の意味は、自分にとって損であるか得であるかを打算的判断するさま。利害指標として物事考えること。 と書いてあった。

 私も簿記を習ってきたので、両者に「勘定」をつけてみると忖度勘定、損得勘定とつけてみても内容はかわらないようだ。商売もそうだけど売上があれば現金が増える、仕入れがあれば現金が減る。貸借、車の両輪のごとく一致する。その売上と仕入の差額が利益だ。 この利益を生むために人は苦労する。

テレビショッピングでも5万円の物が3万になり、そこから更に1万円値引きした。私の見方は1万円で売ってもテレビ局への手数料や人件費払っても、まだ儲かっている。薄利多売なんだろうが、じゃー原価はいくらなんだろう。

 余計なお世話じゃー、ほっといて。

忖度の意味合いが明治期と違ってくるのは何故なのか考えてみたい。 

 

損得勘定

 

おうち時間  (連載―116)    

妻と二人だけの我が家、私はいつもStay home の時間だ。

コロナの影響で病院のリハビリは休みだ。

朝、4時に目を覚まして約30分ほどYoutubuで英会話の時間だ。

30分ほどパソコンの画面を見乍ら、流し英会話でやっています。

 その後、またYoutubuで一時間ほど歴史を見ています。何だか朝の時間をすごしています。

 脳溢血をやりまして、まったく歩けなかったのがルームランナーを買って歩く練習をしていたら、急に杖を突いて歩けるようになりました。ある時、車椅子で施設に行った時、帰り際に「お大事に」と言われた。のを機に車椅子を止めて、一人で歩けるようにリハビリをした。

英会話も歴史も同じことだと思っている。いまだに、後遺症がでることは、直る可能性があるということだ。症状が固まっていない証拠だ。先日、市のバスで駅まで一人で行ってみた。近くのバス停まで行くのに、二回も転びながらたどり着いた。自分でも不安だったがバスに乗れた。帰り、駅のバス停で待っていたら、初老の女性に声をかけられた。どうしたんですか?大丈夫。

脳溢血ね、あなたは良い方よ寝たきりの方が多いのよ。そんなこと言われるもんだからシャキッとバスに乗った。

 街に出るといろんなことを感じる。私のおうち時間はフリータイムに出来るのだが一時間単位で計画している。私の住む地域の人を集い寄合に貢献したい。コロナで計画も狂った。将来現役で地域の人に夢を見せたい。2,3日前から生き方も変えたし、おうち時間も変るだろう。

 

ぷんぷん・・・カレ-うどん (連載ー115)  

無駄な仕事してると、2階にある私の引き篭もりの部屋に階下からいい匂いがぷんぷん上ってくる。この匂いはおそらく我が家だ。

トントン・・・生き仏様にお供えです。

よかった、我が家で。カレーうどんダ。3人の子供が幼い頃、下校途中にぷんぷんいい匂いがしたらしい。帰るなりよかったこの匂いうちで、その気持ちもわかるような気がした。

おふくろの匂って大事だね。私の場合、家庭の匂い。仏様はお線香が匂い、いやカレーの匂いだろう。

脳溢血を心配してか、お茶がたっぷり付いてくる。ご馳走さまでした。

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「とまと」ハクショ  ん  (連載―114)  

我が家のちっぽけな花壇にトマトの苗植えたんだ。

プチトマトの苗と土を買ってきて、去年の土を入れ替えて、今年も孫とトマト狩りだ。わ―綺麗!って言ってもらいたい。それが聴きたくて妻と恒例のイベントだ。

 ふつう、手で取るのだが孫は口から先に食べる。手を使わない変わっている。茂みの中に頭を突っ込んで食べている。時には血を流している、どう思います?

 大人になって結婚式の時、うちの孫はかわってますので気ながく、みてやってくださいと言わなくてはならないかも。ワイワイガヤガヤそんな式がいいとも、ところで今から結婚式の心配している私だが、今年のトマト狩りも楽しみだよーん! 近くで見ている紫陽花の花が咲き誇ってからだ。

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「あうん」の呼吸  (連載―113)   

気の合ってる者同士が長年やっていると察してか次に何をしたいかわかるものだ。最近の忖度とは違う。

「あ」イウエオ、(いっさいの始まりを表す)   

ワ「うん」(いっさいの終わりを意味する)

 

つーカーとにている。昔、小津安二郎映画監督の作品に「あうん」の呼吸の映画を確かみた覚えがある。世の中,生活のための忖度は幅をきかせているが、「あうん」の呼吸を感じるコンビが出てきてほしい。

  仏様も、昔は、穏やかな目つきをしていたと思ったが、目をひんむいて鋭いまなだしで怖い。これは今昔かわっていない。人の世もかわっていないのだろう。

[a]unn

注:写真はYOUTUBUから

花  (連載―112〉  
じっと見てると花って綺麗だし、素直だ。こんな気分になったのは50年ぶりのような気がする。68歳になり、スマホを首にかけ早朝,はいながらふら付く身体を整えて、シャッターを切った。スマホってお利口さんなんだね、名前も知らなかった花も教えてくれる。
 けがれた心も清められる。朝から美人に会い恋をした。顔を真近によると花は無理して好きと赤ら顔だ。早起きは一文の得ってこのことか。
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一枚の少女の写真から  (連載ー111)  

不思議なめぐりあわせもあるもんだ。

頭の中の時代は、今の時代と少し前の時代とを分けて考えていた。今の時代は現代人に、少し前の時代からさかのぼる時代は私の冥途のみやげに持ってこいだ。

 突然、少女が弟を背負ったセピア色の写真をみた。古い写真と無視すればいいのに少女の笑顔が私のスケベ心に火をつけた。長崎原爆投下後にアメリカのカメラマンが撮った一枚の写真だ。少女のその後を知りたかった。一枚の写真といえば、少女が死んだ弟を背負った写真も気にかかる。

 へー!B29が鹿児島上空で味方と合流する筈が1時間待っても来ないから小倉に向かった。小倉の上空は雲がかかっていたので長崎に向かったようだ。これも一枚の写真からの情報だ。

よかった。少女はご健在でもう70歳後半らしい。ある若いレポーターと、ある教会であった。

腰は曲り、まだ少女の面影には期待していなかったがそこかしこ残っていた。よく生きていらしたレポーターも涙につつまれ膝を折り手を握っていた。

人に歴史あり、波乱万丈の人生を知らないと涙も出やしない。私も古代から近代史を学んで、ようやくからだが繋がった気がする。この世に知らないことが無数にある。せっかくこの世に生まれたのだから冥途のみやげに勧めたい。時代時代の人の考えを知ることで今の人を知ることができる。面倒だろうね興味がなければスルーしよう。

別れは幸せであればいい   (連載―110)  

私がこの世に生まれ、あなたとはそんなに時代が違わないと思うのだが私が油であなたが水をつくってしまったようだ。「仰げば尊し我が師の恩」今は教室に教壇もなく、師の意味さえもわからない。昔は、と来ると油の出番だ。つい比較するんだよな。と水は言う。

文部省が何年か前に意味をなさないものを整理したという。今は平等で先生と生徒の区別もないと言う。あのさ先生さ。昔だとぶん殴られていただろう。

子供は純粋だ.師の言うことを聞く。だから先生になられる方はいい先生であって欲しい。私の希望だ。今はいろいろあって先生方も大変だ。

時代はかわった。変わらないと生きていけないのだろう。マスコミは一部を取り上げて問題にしているが大衆もおもしろおかしく楽しんでいる。

 時代は油と水のように境がはっきりわかるものと気づいた。

私が小3の時、友人と騒いで机を壊してしまった。それを先生が刻々と机の生い立ちを話していただいた。今から村中一軒一軒まわって謝ってきなさいと言われた。いくら村だと言っても、今からだと明日一日はかかるだろうと思った。先生に何とか許していただこうと反省した。結局、廊下に立たされた。女性の先生だったが、今でもお名前を憶えているし、その時、先生の「机の生い立ち」のお話はしっかと覚えている。

今の世は、誰も悪くもないし便利にできている。スマホは私の未来のものと思っていたが、子供らに教えられ便利を楽しんでいる。

私がこの世を去る時、みんな夢があるか、みんな未来があるか、みんな幸せであって欲しい。

いつの世も誰もが耐えて生きている。

 

令和維新(連載―109)  

誰もが変化を嫌がる。今がどおってなく幸せなら、変化を起こす必要もない。あえて、無駄なことは避けようとするのが常のようだしごもっともだ。

平和難民、平和ボケ、日本人はどこへいってしまった。とよく聞いたが考えても仕方ないし明治維新のように坂本龍馬のような人物が出てきたら受けるだろうが長続きはしないだろう。

坂本龍馬は土佐藩を脱藩し、坂本家はとりつぶし、姉は責任をとる形で自決した。そんな危険をおかしてこの平和な世の中に誰がいるものか。

そんな世を見てか天は今回のように新型コロナウイルスで人を試される。人の命と経済、どちらが優先されるのか。いづれを選択しても人の命に係わってくるだろう。タイムラグはあるようだ。

コロナウイルスの薬もワクチンも開発されるだろうが、様々な人の心の変化や働き方の変化を短い時間だが生んでいる。2040年までは人は生きられるだろうがその後はないだろうと、もちろん私などこの世にはいない。心配していたが人は考えるだろうと思っていたが天が先にしかけてこられた。

難題だらけ、はやく、2021の世を見たいものだ。

 

人間ドラマと「武士道」  (連載ー108)  

私は戦後26年生まれの世間で言われている高齢者になっている。お亡くなりになった野村勝也さんの、昔、広島が優勝した江夏豊投手の21球のDVDを拝見し解説などを拝聴していると一球一球に意味があることを知った。

最近、プロ野球をみていないのだが野村勝也さんのデータ野球はあくまでもデータはデータにすぎないと思っていた私が甘かった。あの体の開き具合の見逃し方に次の球を予想をしていた。

そうだよな、プロの球の速さは信じられない。昔、草野球をやっていた頃、プロ野球の無名のテスト生だった方が遊びに来た。私が監督だったから、偉そうに彼に投げさせたら、球がのけぞって

バックネットに突き刺した。捕手が危ないので一球で交代した。

 プロの投手の球をよまないと打てないだろう。と身をもって実感した。みんな役者じゃ、江夏が投げているのにブルペンでは次の投手の投球練習

をベンチが見せつける。投手のプライドが傷つく、それを知ってか一塁手の衣笠が投手に駆け寄る。まさしく、人間ドラマだ。

 今回の、コロナは人命に係わり多くの方々が犠牲のなられている。他人事でないない。私が銀座で店をやっていたら。子供が1ヵ月結婚式が遅れていたら。私の人生が大きく変わっていたし子供らも変わっていたろう。

子供に言っている。家族(おまえ・妻・子供)を守るのはお前の責任。大きくなって(妻・子供たち)を守るのはもちろんお前の役割だ。ストレスなどと甘いこと言っていないで短い人生の肥やしと考えなさいともちろん己にも言い聞かせている。

 もう、みんなお亡くなりになったが大林宜彦監督が言われていた現在人は平和難民とか司馬遼太郎さんは日本人はどうしてこんな風になってしまったとかいっておられたが、ご高齢な方々も近頃の若いものは。とよく聞くがあまり聞いていてきもちいいものでもない。

 自分たちがそういう世界を結果的に作って来たのであるから、わかる言葉でわかり易く話すことかもしれない。

 例えば、よくつかわれ「武士道」なる言葉に。

武士さえも知らない人に、私も合ったことないが、武士が二本差しで長い刀と短い刀が2本脇に差しているが長い刀で人を切ると、その責任をとるために短い刀で自分の腹を切るように武士は2本差しをしているという。

 武士の始まりは、弥生時代に人が米をつくり定住し出して、いくつかの集落ができた。集落をおおきくするには他の集落と争って分捕らねばならない。自分の集落を守ることと戦うことに武士が出来た。

 平安時代の終わりごろ天皇家の平清盛と源頼朝らの骨肉の争いで武士が台頭してきて諸大名の国盗り合戦がおき戦国時代が長く武士の役目も江戸時代まで続いた。

 武士は働きによって領地を広めていった。鎌倉幕府は武士にてがらとしての領地がなかったから滅びたともいわれている。

 それが嫌で、織田信長、豊臣秀吉は、千利休をつかって茶の会などを開いて領地に変わるものを見出したと聞く。

 

ながれやま

コロナウイルスの一刻も早い

収束されることを願っています。  (連載―107)

 

                       

いい時も、悪い時もうまくいかないね。私も商売やっていましたから、家賃払わないと追い出されるし、従業員も家族だし、売り上げがストップするとすべてストップだ。

 商売ってするもんじゃない、休まる時などない。だけど、いい時もあるでしょう。と言われるがいつも心との葛藤で初心に戻すバネを鍛えておかなくてはならない。人を待つだけだと、今回のコロナの問題は直撃される。

 人の命に係わることだけに重大だ。私も10年前に脳溢血や交通事故で2度死にましたが妻の助けで商売を諦めずきりもりしてきましたが、今振り返れば諦めなかったことかもしれません。リハビリしていると私より若くてひどい方がおられた。上には上ときりがない。なるようになるさ。ケセラセラと言う気持ちも重要だ。悪かったわね俺はB型だよ。

 

時には昔の話をしよう。  (連載ー106)    

加藤登紀子さんの曲に「時には昔の話を」って聞いた。

私は、戦後26年生まれ。子供が40歳になる。ある時、子供の車からMy Wayが流れた。しかもディズニーの映像に挿入されていた。

 私は何気なく口ずさんでいると、お父さんこの曲知っているのすごい!

突然、褒められてもこの曲は小さい時からフランク・シナトラで聞いて、日本では布施明もよく歌っていた。

最近、私は歴史にハマってしまって面白い。歴史は暗記するものだと思って興味がなかった。飛鳥時代の聖徳太子から昭和の時代まで、人を見てきたが昔の人の方が興味がわく。なぜなんだろう。

「昔の話をしようよ」って言ってもどこまで坂上ればいいのだろう。さかのぼり過ぎて相手が頭をかしげていることだってある。

古い人はもういいから、新しい者にまかせてほしい。売り言葉に買い言葉のようだが、確かに私もそう思う時がある。昔のしがらみをしらなかったら、今すぐにでも何のわだかまりもなく握手できるのに、もう古い人は見ててほしいという叫びも理解できる。

 深夜、ラジオのスイッチをひねったら、4月10日に亡くなられた映画監督、大林宜彦さんのお声がしたので聞かせて頂いた。昨日は月に一度の診察の日で疲れて10時前には床に就いた。ラジオをつけっぱなしで寝たらしく、11時の時報を聞いた。まだこんな時間だとラジオのスイッチを消した。トイレに行こうと思って目をさましたのが深夜2時だつた。

 私は戦後26年生まれだ。自分では若いつもりが、巷ではオジジらしい。人間大林監督、ふところの深い方のように思われるが現代人は平和難民だ。

そんなこと言うもんだから現代人の私は目を覚ました。司馬遼太郎さんも日本人は消えた。ようなことを言われていたが本当に難民かなと言われたら夜も寝られない。

 私は、戦争は知らないのに新型コロナは戦争のような気がする。戦争は戦う目標の相手がいるが見えない。私の一人娘が、去年まで難民で日本に居たが、今はタイに行っている。お父さん甘いねだと私を説教をする。

 ある国の大統領がコロナで言うこと聞かない連中は射殺する。と豪語していたがこれも怖い気がする。

歴史を見ているとこんな時戦争が起きる。招集令状、昔は赤紙が夜静かに届けられるかもしれない。まさかだろうね。

人は今、即席につくられるものでもないし、過去の積み重ねから成り立っている。面倒だけど仕方がない。人類が2000年のあゆみだとすれば2000年の時の重みをおのおのが背負っている。古いも、新しいも、境は互いを事を知らないからだろう。

ステイと言う簡単だと思う英語が、日本人なんだからわかる言葉で話してほしいと怒る方もいる。

 

奈良公園の鹿  (連載ー105)  

 小学校の修学旅行で奈良に行った。猿沢の池、東大寺、春日大社には行ったがほとんど覚えていない。宿の布団とまくら、めし、窓から見える猿沢の池のような景色を微かに浮かぶ。

 大阪、奈良、京都をバス旅行だ。あ!奈良公園には鹿に餌をやったなあ。7年後、山猿が東京に来て、毎日がお祭り騒ぎで人混みの中で暮らして来た。東京に来て8年後に使い慣れた枕一つで妻と結婚してくれた。3人の子供たちと車で奈良経由で和歌山の田舎に向かった。

 猿沢の池に修学旅行の痕跡を見つけ出そうとしたが思い出せなかった。

おとうさん助けて―!あたりを見渡したら、子供たちが鹿に囲まれて、手には餌をもっていた。

 68歳の私は奈良の鹿はなぜ大事にされるのか?大うつけ者が知った。

春日大社の神様が、茨城県にある鹿島神宮の祭神が鹿に乗って来たと伝えられる。つまり、鹿は神の使い、それゆえ古くから手厚く保護されてきた。

 広島の厳島神社にも鹿がいるが関係ないという、鹿と神についての面白い話だ。68歳にして知った常識にまた一つ賢くなった。

 

死んだ兄からマスクの配達 (連載―104)  

ピンポーン! ハイ、どなたですか?

ゆうパックです。

 2ケースに、マスク100枚入っていた。宛名を見ると確かに私宛であり、死んだ兄からである。昨年、兄が死んだのに、兄が心配して天国から送ってくれたのだろうと喜んだ。みんな空色で綺麗だ。

 なんの疑問もなく収めた。夜になり妻にみせたら、妻も大事に兄からの贈り物と喜んで慎重に宛名のラベルをはずしていた。兄の名前を破かないようにである。昨日、姉が遠くまでマスクを買いに行くのだけどマスクが必要かどうか問い合わせがあったらしい。それで注文したのね。

 お姉さまがご主人の名前で送ってくれたらしい。死んだお兄さんもコロナウイルスが心配で天国でもいてもたってもいられない思いなんだろう。

兄の方角に手を合せた。

 テレビでも密接を避けるため、テレビ電話で対処しいたがどこかお葬式のようだ。外出できそうもないのでPCでも工夫して人と人との結びつきを取ろうとしている。AIがすべて人間をコントロールされる前に人間が自ら考える蘆でありたい。これが本来の人間の姿のような気がする。

 産業革命でAIでウイルスで異常気象で人間は試されている。ほとぼりが冷めれば経済優先で人間が試される。一刻も早く収束してもらいたいが人間が人間を必要としている。人間が人間を思いやる世界ってすばらしい。

 不自然だね。夜も寝ないで命がけで奮闘している方々のことを思うと何も言えない。

 

がん告知-余命は今月末だって。  (連載ー103)  

彼と週に一度は逢っていた。それも好きな歌手の追っかけである。

その歌手が歌う前には必ず~ちゃーんと掛け声をかける。

もう初老なのに追っかけらしい。冗談のつもりで見ていた。

 ある日、彼から打ち明けられた、実は大腸がんで余命がないという。

その余命は何時と医者から言われたと聞きなおしたら、今月と聞いた。

それにしても、彼には悲壮感を感じられなかった。

 彼は最初、便に血が混ぜったので、てっきりいつもの痔のせいと判断したらしい。

 もうあなたも余命がないのだから、好きな彼女のピアノ演奏で歌でも唄ってみるか?と持ち掛けたらのるきだ。私は前々から彼の声をかっていた。どうせ死ぬんだから私と命の契約を交そう。来年1年後に生きていたら契約の更新しよう。2,3、日後に実印を持ってくるように。

 なんと、彼の歌声は思いのほか素晴らしかった。この何年は何だったの、人の歌を聞くばかりだった。1年が経ち、更新も済ませた。2年も過ぎまだ生きていた。私の方がおかしくなってきたようだ。

 お見舞にも行ったが古い病院で病室も暗かった。本当に彼は彼女が好きそうだ。誰かが言っていた、人も好き好きだと。失礼なことを言われる方もいる。これも人も好き好きなんだろう。

 25年程前からのおっかけの実績がある。どういうわけか彼女の本心を彼が知った。彼も顔には出さないが落胆しているようにみえた。

 心配で病院に連絡したが彼は留守だった。個人情報の壁もあり、義理の弟ですがと話したら多少は話してくれた。癌の方も思わしくなく、今日から外出禁止だそうだ。

 彼は病院を黙って抜け出し、住いのビルの最上階から鳥になったらしい。義理のお姉さまからご連絡を頂きご遺体を引き取るらしい。

余計なことだが、兄ィ、兄ィ・・・といってくれていたので自分の事のように捉えていた。彼の余命を気にすることなく歌は奇跡を呼び起してくれた。

 

 彼がよく歌われていた曲だ。

朝日のあたる家(アニマルズ)

 

 

人生100年時代って   (連載ー102)  

 目がうつろで、こんにちわ!と言っても無反応。あれここは地球だよね。と思うほどの空間だった。ある施設に行った時のこと、「ここから出してください」と言われても。 ある時、車椅子だった私にお大事に、この一言が私を歩けるようにしてくれたこともあった。

「90歳何がめでたい」という本もある作家が書いておられたが、100歳の人が、かぞえるほどいなかったのに今は何万人もいるという。退職して、いい施設に入ることが目標なのか、この人たちから世間の愚痴をよく聞く。愚痴は愚痴で終わる。この方たちにも幼稚園の時もあったのだろう老人で産まれてくる筈もないが頭を整理しなおす時もある。そんなことほざいてる老人が私です。

最近、あの人がと思う方が何人かお亡くなりになった。「はかない」実に、はかない。たかが生きて100年、何を残せるか何をするのかと哲学的に考えた末、流山に住んで32年目、偶然でもなかろう私の故郷になっている。 お近くの奥様が倒れられたと聞いた時、好きだった歌を引き継ぎこの地域に広げようと思った。人生持ちつ持たれず、お互い手を取り合って流山・歌の森を6月から始める予定です。

脳溢血の後遺症だろうか指が自由に動かないのでリハビリしています。

人生100年って来ても気がつかないからいいのか。

カラオケって人間をダメにするのか、音程とリズムはさすが機械だから優秀だ。テレビ番組でも予算もあるだろうからカラオケですませたい。

 判定も機械がやってくれる。昨夜、気づいたのだが舞台美術とかセットとか照明に力点を置かれているから,音楽に肝心の演奏者がいない。

 だから、生の醍醐味が伝わってこない。譜面も揃えないといけないし大変だ。何万人の中から選ばれてもデビューさせたら下手くそなうたいてだったり、ガッカリだ。カラオケは素人でいい。歌もおしゃべりも人に歴史ありで生き様のようだ。

 

弱肉強食    (連載ー101)   

アフリカのジャングルの映像を見てると、弱肉強食が当たり前の世界でその日の食べ物にあえ付けないとお腹が空いてたまらない。肉食の動物は誰かを殺してその肉を生きるために食べている。

その日の肉にあえつけないことを考えて食いだめもする。子供がいれば子供の肉も確保しなくてならない。

 馬が出産したら、すぐ、仔馬を立たせて歩かせ走らせる。そうしないと敵に食べられてしまう。

人間も動物の一種だったのだろう。(反対!

子供は残酷だ、平気な顔をして残酷なことをいう。今でいう「いじめ」のようだ。同じ仲間の友達に会っていれば楽しいし安心する。ワルは、縄張りをひろげるために仲間を一人でも入れようとする。グループができれば親分ができる。また、親分同士が争う。

「人の不幸は蜜の味」と私も思うことがあるが、他人の成功話を聞いたって興味がない。私も野生動物なのかね。

 弱肉強食は今に始まったことでもない。生きとし生き物はすべて、生きるための、生活のためなんだろうと思ったところだ。

 世の中は、何かが具体的に発生しないと動かないし追及もしない。いじめは動物の世界では必要なんだろう。生きていくために親の先生の同じ集団のメンツもあり、自分への証明なんだろうか、成長していく上で必要なんだろう。いつまで経ってもなくならない。少年期には「いじめ」といい、大人になると、パワハラ、セクハラ、とか変わってくる。

 人間も動物である以上弱肉強食なんだろう。

 

母の死   (連載ー100)  

なんだか昔の話をしたってすいません。少しでも話のネタになればいいのだが余計なお世話かもしれないけど時代遅れだね。

スマホ、スマホっていうから、私もガラケーから今年変えたんだ。

なんと便利なこと、妻はその都度聞きに来るが、お互い目も悪くなり字を拡大しても見えない。スマホも人との交流のネタにしている。

40年前、自宅の電話が鳴った。田舎の親父からだ。母危篤の電話。

急ぎ母の居る病院に飛び込んだ。集中治療室で母に会った。意識は殆どなかった。かろうじて私の叫びは聞きとれたらしく手を握り返してくれた。

おふくろが病院で生死の境をさまよっていた時、よしお袋が生きる力があるなら助けていただこう。

昼でも木々で薄暗い小高い山の上のお薬師様、その薬師堂の裏手には昔のお墓があった。お化けでも出てきそうな怖い場所だ。

私の肩を背後からトントンと叩かれたような気がする。お線香に火をつけた。お線香の焚くことによって煙、香りを仏様が食べるのだ。とおばあちゃんが話していた。おばあちゃんの傍で耳から覚えた般若心経だけを頼りに手を合わせた。人って覚悟を決めれば、ひとり暗闇でもいられる。

その場に1時間はいたか。山を下り田舎の実家に帰ったら、親父からおふくろが死んだと聞かされた。成仏したことを悟った。

追伸

人は別れの時、手を振るのは、相手の魂を袖に引き寄せる。と聞いた。

 

「銀座」って   (連載ー99)   

もう銀座から引き揚げてきて4年になるか姉と40年程店をやらしていただきました。姉が2度目の脳梗塞を私が脳溢血になり仕方なく閉店しました。2店舗をたたむにあたり姉とは葛藤もありましたがけじめをつけました。

家康が、当時は未開の地で貧しい漁村だった所を自分の領地の首府たるに相応しい都市にしょうと大改造をした。太田道灌が作った江戸城の北側の小高い山(駿河台)を切り崩して海だった銀座を埋め立てた。

1612年徳川家の本拠地・駿府(静岡市)に置かれていた幕府の銀貨鋳造所を銀座に移した。「銀座」の誕生である。銀座は京都をモデルに網の目のように街なみをつくられた。

歴史が物語る、再三の大火、戦後の進駐軍の進行など、銀座は文明開化の象徴として街づくりをしていった。

 喧嘩と火事は江戸の華と言われたが火事が多かったようだ。あ! それで煉瓦造りの建物が多かったのか。耐震化のため煉瓦造りも壊され銀座の街の建物も変わった。

品格ある銀座人の心、立ち振る舞いは即席では出来ない。日本人の心や文化を培うところでもあり、決して失ってはならない心の街だ。柳と屋台が懐かしい。今は、見守るしかないようだ。

 

左利きは正しいか?  (連載ー98)   

ハンタイ! 

お茶碗は左手、箸は右手。

今、こんなこと言ったら笑われるのか。

♪私の私の彼は~左利き   (昭和のアイドル歌手が唄っていた)

 

最近テレビを見ててもう若者でもないレポーターがお茶碗を持つ手が右手。お箸を左手で持ち食べている。当初、不自然に感じた。今でも気になる。

あえて、左利きのタレントを指名しているみたいで、私の体のバランスが狂っているのかしっくりこない。今は、親もうるさく、ハンタイ箸は右手と厳しく言わないようだ。

 ほっといて頂戴と言いたいが反抗はできない親が怖かったし世の中が右利きが便利になっていた。いつから親がうるさく言わなくなったのだろう。

 別に、車を運転する時もスマホをコントロールするにも不自由はない。

字を書く時もスタンドは使う必要もなく部屋は明るい。

 てなことで右利きも左利きも両利きの選択も自由だ。なぜだか左利きの人の方が頭が良さそうだ。私の主観だ。

 

下り坂   (連載ー97)  

 富士山に7回も登山している友が、私を1年後に山頂に連れて行って、朝日を見せてやるといきがっていた。私も富士山には行きたくてその気になっていた。

 脳溢血で左半身不自由な身だったが歩いてみたかった。足も鍛えようと近くの公園のアップダウンを見つけて鍛えた。

 ところが、下り坂になるとバランスを崩して転びそうになった。もっと急な下り坂になると全体重が片足にかかり、支えきれなくなった。10メートル歩くのに四苦八苦した。1年後とはいえ無理と判断した。

 友人に下り坂の大変さを訴えて理解してくれた。10年前、立つことさえできなかった私が富士山に登りたいと思うほど回復した。

 普通、下り坂は楽のようだが、昔、中学の頃、駅伝マラソンで走っていた頃、最初は下り坂で快調に走っていたが、今度は平たんな道に変わった時、急に足に鉛の靴を履いたように一歩一歩走るのが重くなり、幸い沿道の声援でカバーされタスキを次の走者に渡せた。

 ルームランナーで毎日歩いていると急に歩けるようになった。後ろに転ばないように上り坂をイメージして歩く角度をかえた。杖の突く位置も考えた。下り坂は、今、苦労している。下り坂は楽なようだが上り坂の反対だもんな

 

「楢山節孝」(ならやまぶしこう)  (連載ー96) 

深沢七郎の短編小説。

幼いころ、村人の老人から姥捨て山の話を聞かされた。ここが「姥捨山」だと具体的に示された。

 え! 息子が年老いた70歳の母を背負い、母は息子の帰る道を迷わないように、枝を折って我が子の帰路の無事を祈ったと。

 

深沢の処女作とも知らず、日本全国の貧しい村の因習と思った。

山深い貧しい村の因習に従い、息子が70歳の年老いた母を背負い真冬の楢山に捨てにゆく物語らしい。

 「おっかあ、雪が降ってきたよう」

 

幼い頃、私は親父の代わりに大人たちにまざって山の樹の下刈りにいっていた。途中、老人からここが姥捨て山だよと場所を具体的に示された。本当だと思い山の入り口を恐る恐る覗いてみた。今に、その現場を知っている。

昔は、口減らしに貧しい村もあったんだと怖くもなった。

 

「楢山節孝」って深沢七郎の短編小説らしいが、これはおらが村の因習だと信じていた。

 こんなことが今の世には皆無だろうが母を思う心は何時の世もかわりはない。

 

我が家の千利休     (連載―95)    

 千利休ってもともと大阪・堺で魚屋をやっていたんだって、お名前も別名があるらしい。とと(魚)、懐かしい方言だ。とと食べなさい。

昨日リサイクル店に入った。湯のみがあったので950円で買った。

妻は折角だからまっ茶を入れてくれるらしい。袴に着変え二畳の茶室で入口をかがんで入った。坐禅を組むがごとく静かにすわった。茶室などあるわけない。これも妻の友人から高価な茶センをいただいたのを機に、にわか茶の会の世界にはいった。ようかんと一緒だと一段とお茶が泡が美味しかった。

 コップの持ち方からお茶のあじわい方を妻から教わった。床屋のひげそりに使うものみたいなものを使って、これまた、泡が美味しい。最後に泡をすすってもいいらしい。これで飲み終わったという合図らしい。

 樹木希林さんが部屋に入る時は左足から、畳のシリは絶対踏まないようにと厳しい顔で若い女優に教えていたのが印象的だった。

 「結構なお手前で」

我が家のちょっとした千利休であった。

 

内視鏡ゴッド・ハンド   (連載ー94)  

スマホで片手で器用に操っている。ハイ!提案です。

内視鏡を片手で大きなつまみと小さなつまみを巧みに操ることが出来れば

医学的なことは医者に任せて内視鏡で医学処理をする時、内視鏡技師の専門技師に任せればいいと思いますが。

 そうですねそれは良い考えだと思います。君はなぜそんなバカげた考えを考えたの? ある時、大腸の内視鏡検査をした時、私は大腸で有名な先生を指名した。痛い!内視鏡が腸の壁にあたったらしい。この先生は不器用なのかな? 痛い!やっぱり最初に内視鏡に慣れた先生を選べばよかった

 スマホで器用に操っている若者にお願いしたかったがもう遅い。

ゴット・ハンドの予備軍は多くなりそうだ。内視鏡の大会があれば世界中から内視鏡の達人が集まるだろう。

 

春   (連載ー93)   

舞姫が桜の花のように踊りだすのか東京では桜の開花宣言がなされた。さくらっていいよな、青いシートをひいてコンビニで買った焼き鳥やおにぎりや菓子類もひろげてワイワイ楽しい。疲れたらさくらの木の下で空を見上げれば、花びらの間から光がさしている。今日もお彼岸で車も混んでいるようだ。お彼岸って何?と聞く方もいる。私の子供じゃ、リリリ―ンお墓如何ですか?ガチャン、お墓を買うのは辞めよう、誰も来てくれないようだ。

 春を待ち構えていたのか、花が咲き、甘いかおりのいぶきを放ち、恋の花も咲き、幼いつぼみも開く季節なんだね。透き通った雪解け水は冬から春に変わる知らせなんだろう。♪春よこい、♪早くこい、歩き始めたみいちゃんが・・・・・

 暗い話題は明るくなるためのきざしだ。もう春がそこに来ているよ。今年もさくらの花が咲いている。

 

いじめ、いじめられ、どこまで生き延びられるか   

      (連載ー92)                        

無責任じゃのう。

まず、弱虫で、生い立ちが複雑で、いじめられて一人前になった人が世に多いと感じた。

 なぜなら、いじめられて、いじめている最中にふと相手の顔がやさしくみえる時がある。また、自分の今に気づく時もある。いじめられて、いじめて、もう死にたいと思う時も自分はどこまで生き延びられるかわかる。

 当たり前だが、若いと友達関係の範囲しか見えない。もう少し生き延びられたらといいのにと思う。

 いじめる役者の人、いじめられる役者の人、世の中に必要だとしたら、時間があれば役者をかわってみれば、そんな余裕があれば生き延びられるのになあ。

 中二の頃、家庭室の畳の間で、柔道を習っていた私は、私と同じ出来の悪い同級生を投げ続けていたが、投げても投げても起き上がって無邪気な顔をして泣くでもなくかかってきた。

 兄と喧嘩した時、私は泣いてかかっていたと兄はよく言う。

今も、同級生だった友人の顔は忘れない。

 和歌山から東京に来たが同窓会もでたことがない。卒業以来、友人とは会っていない。私の心はあの時の友人のままだ。

 

赤十字を作ったのは?   (連載ー91)  

 ハイ! ナイチンゲールです。

ブブー、違います。アンリ・リュナンだそうです。

 スイス生まれで。彼は32歳の青年実業家であった。1863年ジュネーブ当時ヨーロッパは戦争に明け暮れていた。彼は戦場に立ち敵味方の隔たりなく負傷しているものを、みな救護すべきだと呼びかけた。それまでになかった中立という概念も主張した。彼の提案にヨーロッパ各国の首脳たちは賛成があって、1863年、見事にジュネーブ会議にて赤十字を承認された。 

アンリ・リュナンはアフリカ・アルジェリアで事業を起こした26歳の青年実業家の誕生だったが、後に事業に失敗した。当時、経済第一主義で失敗は罪人扱いだ。赤十字は彼が作ったが彼の名前も調印式の写真にも彼は写っていなかった。その後、20年間の彼の思いは大きな種をまいた。

彼が発見されノーベル平和賞を授けた。

 学業の成績は良くなかったが、貧しい人の恵まれない戦争の悲惨さを感じたのだろう。親は子供にこれを食べさせたらいいのかと大事に育てているのに戦場では親の思いは届かない。

中立は敵と味方の間に立って、なにもかかわりたくないとかのことだろうが戦わざるして何か方法がないかと模索することだろうかね。

個人は微弱だね。みんな兄弟、兄弟なんだと我に送る。

 

私の妻は陽気妃  (連載ー90)  

私の妻は楊貴妃だ。

死ぬとき,心の残りをしたくないと思う今日この頃。いちどでいいから世界の三大美女とお願いしたい。これはあくまでも願望でおさめている。

おんなという言葉は差別用語らしい。文句言われる前に修正したい。世間では不倫は許されない。ひと昔、文化だとおっしゃる方もいたがどうしたのだろう。私なんぞ、その辺で無造作に散らばっているおんなであれば許されるのか

いいおんなはゆるされないと相場は決まっている。

私の妻は楊貴妃だなんて二字が違っているようだが陽気な女で楽しませてくれる。

少女に綺麗だね可愛いねなどと言ったらぶん殴られそうだが、わたしより綺麗な人いっぱいいるよと返された。

私の言っている綺麗は心の綺麗さを言っているんだよ。少女は笑顔を見せてくれた。

長く生きているとあんなに綺麗な人が歳を重ねているとみんな同じに見える。楊貴妃が陽気妃に変わっていれば綺麗さも際立ち花も咲く

 

こんなこと知らない方がいいのか?  (連載ー89)       

モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・カンは戦わずして征服していったが日本に2度軍勢を送った。1度目は3万人。2度めは13万人ほどの軍勢できたが、2度とも神風が吹いて海に沈んだがこれも台風が偶然だったと思うのだがチンギス・カンは日本侵略を断念した。

 日露戦争は英国に多額の資金を借りて、そしてアメリカの仲裁でポーツマス条約を結んでもらいこれ以上戦たかえなかったが何とか勝ったとされるが当時ロシアはロシア革命の最中だった。

 作家、司馬遼太郎さんの奥様が言っておられたが「俺、ノモウハン事件の事を書いたら命がないだろう」と言っておられたが、もう司馬遼太郎先生がお亡くなりになっている今、馬鹿な私が述べるのは卑怯かもしれない。

 坂の上の雲、坂本龍馬、西郷隆盛、の著者:司馬遼太郎先生がご存命中、私は「ノモウハン事件」のことを書いたら命がないだろう」っと奥様が言っておられたが、しっかと私の記憶にのこった。ノモウハンって何だか知らなかった。そしてなんで事件なのか聞きたかった。日本がロシアに勝ったとことで世界を震撼させた。日比谷公園で日本人もそこに集まった大衆もロシアに戦争に勝ったのだから領地や賠償金を取るべきだと主張したが大衆はホントのことは知らされていない。  

 日本の戦国時代はかつて領地を奪い、そして手柄をあげた家来に分け与えていた。

守りの戦争では相手の領地は手に入らず家来に褒美を与えることはできない。武士の不満も積み重なった。

 織田信長、豊臣秀吉は堺のとと屋(魚屋)であった。千利休を使って茶会などを開くなどしてお茶や湯のみなどに法外な価値をつりあげることに味を占め領土の以上の価値を持たせ家来たちに分け与えていた。。

 織田信長は本能寺で大量のものを焼き払ったらしい。秀吉も千利休には一目置いていたので、将来の危機意識なのか、石田三成に千利休の切腹を言い渡したらしい。

 私は脳溢血のお陰で字が書けなく物が二重に見えるもので耳から脳の本棚に納めなければならなくなった。これが私の普通だから普通にしている。

 戦争もやってみなくちゃわからないと決断されたふしもあったとしたら時代は仕方なく従うしかなかったろう。私は昭和26年の戦後生まれだが警察も米兵も親父も怖かった。

 

 

コロナと外骨(がいこつ)   (連載ー88)    

 本名なの、宮武外骨って初めて聞いた。

次の空欄に漢字二文字で埋めよ?

 我に財産なし

 我に子孫なし

 我に学識なし

 我に余年なし

 我に墳墓なし

 我に  なし                  

コロナで世の中はストップ状態になっている。他人事ではない。

デマでトイレットペーパーも店頭からなくなり、妻はどこにも売っていないと嘆く。昔、オイルショックの時も、ある店のトイレに山積されていたことを思い出す。大衆心理と言うか仕方ない、買っておかないと不安だ。

 東北大地震の時、学校の和式トイレに古い新聞紙が散乱していた。それをテレビでみて簡易トイレを買った。何事も普段から困らない程度の在庫を揃えていないとこれからも予想外のことが起こるかもね。(答:頭髪)

 「宮武外骨」ってスマホで検索したら参考になると思った。

 大衆心理で思い出した。昔、戦争をしない日本に、いくじなし、臆病者と投げ掛けた様なことがあって戦争に踏み切ったと聞いた大衆心理は時として牙をむくのか。

 

レイチェル・カーソンの「沈黙の春」  (連載ー87)  

1962年に、私が小学4年生の頃、よく白い粉を頭や服にふり掛けられていたのはDDTと聞いていたがノミ、ダニの駆除につかわれていた。

「それは奇妙な静けさだった、鳥たちはどこに行ってしまったのだろう、人々はいぶかしがり不安にかられた。裏庭のエサ箱は空っぽだった。やっと見つけた鳥も死にかけている。ブルブル震え飛ぶこともできない。春だと言うのにさえずりひとつ聞こえない。春の夜は鳥たちの鳴き声とともに明けていた。こまつぐみ、ねこまねどり、鳩、カケス、ほかの鳥たちも負けずに響きあっていた。だが今は何も聞こえない。あるのはあたりを覆う静けさだけ沈黙が流れる。」

後に、アメリカではDDTの農薬は使用禁止となった。

SILENT SPRING (RACHEL CARSON著)は農薬の化学物質の危険性を世に訴えた。

人間には危険を及ばないとわからずに白い粉をふり掛けられたがいつの世も専門家も有識者も上手く利用され、歴史も勝者の都合のよいものにつくりかえられることを念頭に置かなくてはならないだろう。

DDTの発明者もノーベル賞を受賞された。企業も莫大な開発費もかかっている。それを覆すのも大変だ。CARSONも医学的に証明するのも時間と費用が掛かるだろうし、人間の生命の尊厳にかかって来る。最期には人間にかかってくる。CARSDONは世界的な生物作家らしいが初めて聞いた名前だ。私には知らないことが多すぎる。だから一から知ることから始めよおっと。

 

花魁(おいらん)  (連載ー86)  

生まれた直後から老いははじまっている。

若いと老いを忘れている、老いて死を知る。

 豪邸、高級車、別荘、地位の高い人、有名人になるとなんでせせこましくなるのだろう。おだてられ祭り上げられるとなかなか下には降りてこれない。

江戸時代、吉原の遊女たちは貧しい農村から買われ全国から集められ27歳の年期が終わるまでもちろん性病もあるだろう。ごく一部の花魁は旦那に買われるだろうが大半は年期が終わってボロボロになって解放される運命のようだ。3回目から花魁に相手してくれるらしいが、例えば1回目を百万として、もうこの辺で高いと言っている方は花魁遊びはできない。

 だれもが好き好んで連れてこれたのではないのだろうが中には自分が頑張ったのだからとあぐらをかいている花魁もいるだろう。金があれば女にだけ仕送りでもできるような金でも渡せる余裕のある人物になりたい。遊女も人でアリンす。男も女も喜んで遊べればダメとはいえない。お金は人の心をはかる尺度のような気がする。

 

注:花魁(おいらん)

花魁が高げた履いて、少女に赤い着物を着せて花魁の行列はいっぽいっぽ旦那様をおむかいに行く。一度でいいから、男冥利を味わいたいものだ。

 

遊べやあそべ人が喜ぶ幸せな顔が見れるのなら。

 

ありがとう  (連載―85)   

ありがとう、いい響きだね! 3月11日は何の日だと聞いたら複雑だ。病院から退院してガソリンスタンドでガソリンを入れていた時,車内で感じたゆれが奥様のイタズラと勘違いしたあの地震だ。忘れもしない私たち夫婦の結婚記念日でもある。

今日は疲れたからすこし横になってインターネットでも聞いていたら、

鳥濱トメさんを知った。遥か57年ほど前、若い人たちにはもう戦争の話をしても私もわからないのに話だけでも聞いていただこう。もう敗戦も近い時、鹿児島の知覧に特攻隊の基地があった。トメさんは近くで食堂をしながら特攻隊員の母として多くを見送った。明日、極楽に旅立つ若者に貴重な卵丼をご馳走したり、トメさんのきものも、タンスもなくなり彼らの母として見送った。お母さん、「ありがとう」と最期の言葉を残して、トメさんを知って散っていった人たちに「ありがとう」の言葉を送りたい。いつの世も「ありがとう」の気持ちでいたいものだ。

追伸

飛行機の燃料がなくなってきたので、人間魚雷にかわった。

一度は入ったら、外から鍵がかけられ,内から開けられないと聞いて、ぞっとした。

飛行機も片道燃料で250キロ爆弾を抱えて、味方の援護もなくほとんど途中で墜落していったようだ。

鉄もなく木製の羽の飛行機だったと聞いた。韓国の方も志願させられたとか。

 

私の妻は楊貴妃  (連載ー84)

そんなばかな

楊貴妃に会ったこともないし床を一つにしたこともない。

そもそも楊貴妃って誰といわれるがここだけの話だが私の妻である。

 世に言われる絶世の美女で才女である。失礼、女性のお年をいうのはお許しいただいて、奈良時代に生まれた。

10歳の時に両親を無くし、叔父に引き取られ育てられた。

父は亡くなる前に一族の再興を願って死んで逝った。中国の玄宗皇帝に愛され、皇后は子供もなく追いやられ楊はただ一人皇帝に愛され独占した。楊は彼女の名前で貴妃は皇后の次にくる位でその下にはなん万人も女官がいた。長安と言えば日本からも遣唐使も訪れ模範とした大都だ。

 世界で一番大きいダイヤが欲しいとか言わないところが才女のところじゃ。皇帝の心をとらえた楊貴妃は一族の再興を願っていた。打算的な顔をみせたり可愛い顔を見せたり

女心はわからない。

皇帝は楊貴妃に気を取られる間に国も荒廃し、二人は長安から追いやられた。それを悲劇とみるかは二人しかわからない。

 玄宗皇帝と私は、俗にいう月とスッポンだが世界で一人あいした女性にかわりはない。私の妻は楊貴妃だ。肉まんという方もいる。ああー勘違い私の妻は肉まんであった。

楊貴妃はあまりの美しさに唐を破滅させたとして、いやいや玄宗皇帝の命令で首つりの刑にされた。

 

もう一度頑張りたい  (連載ー83)     

 私の人生には、二度あるような気がする。ただ、もう一度頑張りたいのだが同じことはないだろう。

 遥か昔、少女は天使のように旅立った。少女には一度もなかった人生だが、私は彼女の分までもう一度頑張りたい。

 それはスマートすぎると疑ってみた。宇宙の一部になった少女の顔は忘れない。

 皆は一度の人生に大切な「自分らしさ」を残そうと懸命だ。私の余命は考えたことはないが後百年はなさそうだ。

 過去、地球が爆発したような交通事故に遭遇し、脳溢血にもなり医者から命の恩を頂き2度の人生も頂いた。

 67歳の高齢者の私は一度の人生を使ったばかりだ。もう一度ある筈、困ったことに後遺症が残っているが、そんなこと言い出したらきりがない。青年のようにもう一度頑張りたい。

 

不便な生き方、便利な生き方。 (連載ー82)   

 不便になれていないから生きられない。

生きるために便利な生き方しか知らない。

不便を知らない。

 

 これです!と便利アイテムのご紹介される。アイディアはいいが怠け者が考え出した商品といいたいが産業になっている。私も一儲けしようと考えた商品はすでに商品化されている。細部に綿密に便利な商品が出回っている。不便を不便と感じなければ便利な商品は生まない。

 確かに、これがあればいちいち栗の皮をむかなくて済む。みかんの皮をむくのが面倒な人が増えてきてみかんの売れ行きが鈍っているとか聞く。

 ♪♫ 母さんが夜なべをして手袋編んでくれた・・・・と遠い国の歌のようだ。

母さんが包丁で一つ一つ栗の皮をむく姿を見て美味しい栗ご飯が出来上がる。アー!この香り家でよかった。

 遠足にマックのハンバーガーを持たせる親もいる。共稼ぎで忙しいのだろう。

 不便な生き方もいいもんだ。と古い人間のつぶやき。

  

学問の神様(1)  (連載ー81)   

京都市上京区にある菅原院天満宮、平安時代菅原家の屋敷があった場所という。道真はこの地に生まれ、菅原家は天から授かった子として育てられた。真面目で勉学に励んだ。

試験という試験はすべて一発でパスし、今でいう東大の学長の難解試験もパスした。道真は学者の道を突き進んだ。

学問の神様として京都の北野天満宮にお祭りされている。

若い受験生が道真にすがって手を合わせている姿に感銘を受ける。菅原道真のように真面目に勉学に励んでいただけるように願っている。

 

道真は次の有名な詩も残している。

「東風吹かば にほひおこせよ さくらの花 主なしとて 春を忘るな」

 

たとへ私がいなくても、さくらよ春になったら忘れないで咲いておくれよ。

 

学問の神様(2)  (連載ー80)  

私の学生時代、友人と3人で伊豆の堂ヶ島にナンパ旅行にいった。17歳の男子学生さんと隣り合わせた民宿で、討論となった。私たちは私立の大学で彼らは東大が唯一の大学であったのだろう。完全に馬鹿にされていた。

こんな人が役人になって日本をリードされてはたまったものじゃない。と我を忘れて思った。今にいう「忖度」という言葉もその頃は知らなかった。

 菅原道真も学者から、役人に政治の世界に入る必然的な運命だったのだろう。四国の讃岐(今の香川県)に左遷されて、初めて民の苦しい生活に触れ、人間になられたのだろう。また、道真は知りえないことにも触れ。上に立つ者は足元を知って国を治めることを感じ取ったのだろう。

宇多天皇との出会いでとんとん拍子で出世をし、行政改革を行ったがいつの世も出る釘は打たれるのか藤原時平によって九州の太宰府に再び左遷された。京都に残した家族との

永遠の別れとも知らず。

結局、藤原時平は差し迫った行政改革は道真が残した政策をそっくり引き継いだ。そのころ唐も国が乱れ、道真は遣唐使の廃止を提唱していた。これから日本独自の施策となった。

大宰府天満宮の飛さくらは有名らしいが道真が京都から大宰府に来た時に桜も道真のあとを追って舞い降りてきたという伝説もある。

あの時、伊豆であった若者に会いたいものだ。東大にいったと思うが、もう還暦も過ぎ孫もいるのだろうか。

 

余命半年目が今月だって   (連載ー79)  

 ところで、半年目はいつ来るんでしょう?

えー!それじゃ今月ですか。あなたが痔だとは前から聞かされていたがまさかガンとは知らなかった。それにしても悲壮感を感じなかった。

 歌が病にいいと聞いていたので試してみるといったら、のるきのようだ。保証はしないが余命半年と言われたのだからやってみるか。

 さっそく、命の契約書を作った。後日、自筆と実印で契約成立となった。1年後、来年9月末にあなたが生きていれば、契約更新としましょう。

 私の小さな音楽教室に入って頂いた。わだわだ、入って頂いたので授業料は無料だ。声はどすのきいた高音部がきれいだ。よく今まで歌わずに、いられたもんじゃと感心するほど美声だった。「あさひのあたる家」の歌がよかった。

 もう死ぬ筈が1年目の契約更新をして2年目の更新をすませた。あれ!

血色もよく、むしろ私の方が体調がよくないほうだ。彼は誰かに恋心を打ち明けたいようだ。人も好き好きと言うか好きらしい。本当に好きだったのに失恋した。

 病院に籍があったのでお見舞にいった。暗い部屋に彼がいた。後日、彼は鳥になったようにビルの上から空に舞った。

 彼は無宗教で身内もほとんどいなくひっそり葬儀をすませてようだ。

よく頑張りました。彼が横たわる上の雲の流れも変わりなく、車も人の動きも普段と変わりなく動いていた。

 

今から3百年前  (連載ー78)  

今の時代を300年後の人に、どう伝えるのだろうか、どう書かれるのだろうか。

日本人はさくらの花が好きなようだ。人生をさくらの花にたとえようとしているのか、日本人とさくらは合っている。

 私は67歳。古い人間の部に入るようだ。古い人間は黙っていてほしい、新しい人間にまかしてほしい。とよく聞く話だ。ごもっともと思うこともある。

過去を知ってるばかりにシガラミにとらわれ白紙に戻れなく、過去を知らない方が先に進めることだってある。もうやめてくれよ、過去のシガラミはわかったから、今、新しい者同士が先に進んでいるから口出しをしないでおくれ、そんなハガユイことだってあるよね。

 時代の曲がり角、飽和感の時で過去の歴史は・・・の人物の登場があったり、時代の変化に即応した出来事があった。

 コロナの出来事も時代の表れなのか始まったばかりの令和の時代の節目になるのだろう。

 世の中のことを思えば仕方なくて踊らされているように見えるが自分自身の生き方も定まらない。

過去の世であれば私も出家人になったのだろうがそう差し迫ってはいない。

良寛の詩に「冬夜長」を知った。いい詩だなあ。病院から退院して部屋にあった義父が屏風に書いてあった詩であった。

詩は煩悩であり、出家とは相反するものらしい。だから言ったでしょう、古い人間は・・・・。

 今の時代を、300年後の人にどう伝えればいいのだろう。そんな時代遅れの吞気なことを考えている奴です。

 

この世界に   (連載ー77) 

 この世界に来て67年になる。この世に、まだ学ぶことがあるみたいだ。長年使った枕一つ持って結婚した。今、3人の子供に新しい世界を教わっている。

 私のまわりの空間には目に見えない、いろんなものが飛び交っているようだ。そのものたちと心を交わしたいがその方法も教わっている。幸せになることに関して彼らは懸命だ。

 遅ればせながら、スマホという私にとって新しい物との出会いに、新しい者と古い者とを結びつけた。私にも孫も出来た。スマホに動画を送ってくれる。孫たち、海外に行った子供のしぐさに、遠い世界を思い出した。

感傷的にもなり、先の見えない未来に彼らはよく頑張っている。共稼ぎでね。

 LINEを使ってテレビ電話も使えるようになった。写真も動画も子供とタイミングを見てコミュニケーションをとっている。

私が生まれて日本は戦争もなく平和な時代を謳歌している。とても素晴らしいことだ。騙されないようにというテレビ番組も当たり前に放映されている。いやだなあ。と思っていつもチァンネルを変える。

高齢者も、若者の区別なく、もちろん日本人もいっこの地球人として扱われる時がもう来ていると思う。海の向こうの人に、海の向こうの人が教えている。こんなことが急速に進みつつある。日本人が消えるのかなあって思うこともある。私だけのようだね。

中国の漢が滅び、三国志の曹操と孔明の人物を思い出す。新型コロナの問題も地球は一つの感もする。

 

スマホと室町時代   (連載ー76)   

今、はやりのスマホにしたんだ。

そしたら、なれるまで大変だった。何が大変だって指が太いから「あ行」をタッチしているのに「か行」がでる。

 ガラケーを使い慣れたのかスマホは私には評判がよくない。

 へー! 室町時代ってあったんだ。足利尊氏から足利義昭まで15代の将軍もいた。京都に室町幕府を開いたのか金閣寺も銀閣寺も足利が建てた。みんな名前に義・・・がついて身内だ。時には、くじ引きで将軍を決めた時代もあった。

足利は栃木の足利学校に行ったことがあるが、私はそれだけの大うつけ(バカ者)ものだ。

 スマホに出会わなかったら室町時代のあの辺の140年は知らなかった。室町時代は3代将軍義満が京都の花の御所と呼ばれる邸宅で政治をおこなったことで室町と呼ばれるようになったとさ。金閣寺は足利義満が建てたようだ。

室町時代を知ったついでに鎌倉時代の北条政子さんの女の一生も知った。

 何かが変わることで、私に生き方を示してくれた。

布団の中で初めて聞いた志ん朝の落語が妙に残っている。

 

Boys be ambitious!  青年よ、大志を抱け!

Adults be ambitious!  大人よ、大志を抱け!     (連載ー75) 

明治政府は農業の専門の学校を作りたかった。1876年札幌に札幌農学校(現:北海道大学)の教頭として50歳のクラーク博士を招いた。アメリカの学校と兼務してたので、わずか在任期間は8ヶ月だった。

戊辰戦争、西南戦争と内乱の末、明治維新と時代も変わり日本の近代化へと、クラーク博士Boys be ambitious! の言葉と宗教的理想に燃えた教えに青年は影響された。当時、荒くれ青年に「紳士たれ」というのが言葉も残している。内村鑑三、新渡戸稲造などにも大きく影響している。

青年も大人も「大志」は自分がみつけるもの。

楽して大志を生まない。悩みがあるから大志が見える。

 

 

クラーク博士

 

つまらないものですが  (連載ー74)  

 「これ、つまらないものですが」お納めください。

日本人だけが通用する言葉である。ひかえめで奥ゆかしい日本語だ。

 つまらないものだったら持ってくるなと言われそうだ。日本人を表現するにはこの言葉があっている。一昔どころか私が生まれた当時から使っている。

何かを頂いた器にマッチを入れお返ししたり、ちょっとしたありがとうの気持ちを添える。。

言わなきゃ損損、お金を取らなきゃ損損、取れるところからとらなきゃ損損、と世の中がせち辛くなっているが日本人の奥ゆかしさを忘れない。世界にひろめたいことだ。

これ、できますか? 彼だったらできると思うよ。

絶対、自分のことは、こっちに置いといてほかの人のことを推薦することが多いと思うけど。自分が出来ても自分から出来ると言わない。ってことないですか。

 近ごろ、これが日本人の欠点だと指摘されるが、これを亡くしたら日本人の良さもないだろう。

言わなくてもわかるだろうと「あうん」の呼吸は夫婦間でさえも、まして他人がわからない。

アレさー!わかった? 人のアンテナを張っていれば、急に言われても対処できる。

 

うるう年  (連載ー73)  

 やったね! 1日得した気分だが2月29日、この日は妻の吊るし雛の展示を見に行く日だ。流山市の小林一茶の記念館で毎年開催されている。

 吊るし雛は江戸時代後期から伝わる伊豆稲取地方の風習のようだがみんな手作りで本当の着物や帯の生地を使っている。妻は3年生、これが好きなようだ。私はひたすら褒め役である。うるう年は私の目がうるう日でこの1日は子供たち、嫁、孫たちと、妻と手巻き寿しで1日のメインだ。

 今年もオリンピックの年でこの一日をうるうで暮らせそうだ。

 

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古い人間でしょうか。  (連載ー72)  

 あ!指が腐ってくる。隣にいた友達に、包丁にみだてた手で、私の指を切ってもらう。こんなことが誰に教わったのか幼い頃の習慣だった。大人になって人を、指さすんじゃないと注意された。

 指切りゲンマン、嘘ついたら針千本飲―ます。こんな歌もあった。

 約束と言えば、どこからどこまでと領域を考えたことがない。約束は文字に表されている部分のみが約束なのか。約束は相手に守らすためだけのほうべんなのか。

 世界には「約束」一つとっても環境によって違っている。日本人も外へ、外の人が内に入って来る。「味」も和洋ミックスすれば素敵な味になる。

 日本人は和を尊ぶあまり主張が苦手だ。個性がないと言われるがそこがいいとこだ。古い人間でしょうか。

 こんなことがあった。若い経営者が有名な経営者と握手を交わした。若い経営者は相手の手を空かさず、自分の肩に回された。

肩を組んだ形になった、絵柄は仲間だ。

「ありがとう」をつくるマシーンをかんがえよ

 

おばあちゃんの「般若心経」  (連載ー71)   

50年程前、おばあちゃんの手を握り脈を取っていたら徐々に遅くなり最期にポツンと消えそうで消えた。私も真空の世界にひきこまれたような一瞬を感じた。おばあちゃんとの別れだった。

夫を早くから亡くし女でひとりで子供を育てよく頑張った。

私に残してくれたことがあった。「般若心経」だったと今に思う。

よくお傍で木魚を叩いていたので般若心経は耳から覚えていた。

40年前、母が危篤であったとき、母の回復を願って、私は夜、ひとり山の上のお社に参った。すべて暗闇でお化けでもと一度覚悟をきめたら、怖くもなくなった。

 お社に着きローソクとお線香に火をつけ心経を何回も唱えた。おばあちゃんが言っていた。ローソクの火が会話をするって教えられた。ほんとだ、神様は般若心経を唱えている私とローソクが消えそうで再起したり、パチパチと音を立てたり話しかけてきた。そこには1時間ほどお参りして帰宅した。親父から母が死んだことを聞いた。

 あんなに死んだつもりで神様にお願いしたのに聞きとどけてくれないとは疑ったが苦しまないであの世にいったよ。と親父から聞くと安心した。

 おばあちゃんから教わった般若心経は私を救ってくれた。おばあちゃんに感謝したい。

 東北大地震の時、被災者がお墓に避難する。何をいってるんだ。お墓は亡くなった方が行く場所なのに避難場所とはならないだろう。後で知ったがお墓まで借金とりは追っかけて来ないだろう。

 おばあちゃんの般若心経の意味も知らないが、呪文のようであった。

 

私の愛称もジョン・マンジロー

 って言われていた。  (連載ー70)  

私の名前が万朗だったので友人から万次郎と言われたんだ。昔、高知の漁村の青年、本名:中濱満次郎、愛称:ジョン・マンジローらが遭難して満次郎含め4人がアメリカの捕鯨船に助けられ、その時代は日本は鎖国だったのでアメリカにむかった。他3人はハワイで降り,マンジローはアメリカに向かった。マンジローは船長に気に入られ養子としてアメリカの大学にも行かせてもらいとても頭もよかったようだ。

日本に帰る決断をしたのだがその費用もカリフォルニア州のゴールドラッシュで金鉱山を掘り当て大金を手にした。航海技術もあり、船を手に入れた。

ハワイの仲間3人は、お一人は死亡していて、お一人は結婚していた。残り一人を連れて日本に帰った。

日本は、以前、鎖国なので琉球に上陸して、薩摩藩、土佐藩と長崎では踏み絵も踏まされたようだ。

満次郎はその後、英語の通訳したり、ペリー浦賀に来た時に江戸城の重責の肩書で交渉にあたったようだ。日本人の外国語の弱さをカバーしたようだ。

 

陰陽師:安部晴明  (連載ー69)    

星占い、方角、呪い,けがれ、怨霊、藁人形、とかいわれたら怖い世界だ。

 もう亡くなられた人のことだ。昔、ある場所に行ったらその方がいた。

信じていないことに拒否反応が優先した。

 右の耳から左の耳にかけて何かが抜けるから、その時に若干の痛みを感じるから、すぐそれは消えるから気にしないように。と言われた。

 せっかく、この場所に来たんだから邪念を振りほどき真っ白い自分をためしてみた。

 右の耳が痛くなって来た、何かが左の耳に抜けた。ほんとだ抜けた。

バカな、にわかに信じられなかったが催眠術でもと思ったがすべて見えて冷静だ。一緒に来た友人は何も感じなかったらしい。

 わら人形も通信販売されている。気持ち悪い。今の世だから人気があるのか否定は出来ない。陰陽師:安部晴明は実在の人物のようだ。

 

他人の人生を体験することが

自分の人生を豊かにするのか、わかった。  (連載ー68)    

 室町幕府の第15代将軍、足利義昭はなんで世の中を流れを

見てるんだけど、みえなかったのだろう。

 将軍ともなれば、人を引き付けるものがある筈、権威で人を動かしたのか、権威はやさしいと人は動かないし権威とはならない。宇治から河内、堺、紀州の湯浅と都落ちする義昭は山賊にも襲われ将軍家としての大切なものも奪わた。

 かつて二条城でのきらびやかな生活を思い出したのだろう。あくまでも将軍、足利義昭を忘れなかった。15代といえば室町幕府が滅亡の最後の将軍となったのだがどこかで再興を狙っていたのに違いない。

 家来の明智光秀も秀吉にやられ、関白になった秀吉、関白と言えば将軍より上のくらい。山猿秀吉への将軍の権威を守ったのだろう。

 同じことが私の実姉と義昭がだぶった。歴史は年号を覚えるのも大切だけどその方の生き方なりその方の人生をも知ると涙さえこみあげてくる。

 

カラスの親子  (連載ー67)   

カ―カ―鳴くからカラスと呼ばれるのか知らないが、自宅の前の空き地の小さな森からガ―ガ―鳴き声が聞こえる。

カラスの子供が足を滑らせて木から落っこったらしい。

近くの家の屋根に真っ黒いものが覗いていた。あの子の親かもしれない、きっとそうだ。すくなくとも私も人の親をやっていたので、あのしぐさは親に間違いない。

 へー! 鳥だって木から落ちるんだ。下手に人間の手で触ったら、人間の匂いがついて、親は見放すかもしれない。昔、ウサギを飼っていた頃、親が子供を4匹産んだ。可愛くて手で触ったら、親は子供を踏みつけて見放した。その時の嫌な体験を思い出したので見守ることにした。

 翌朝、隣の家の庭にいた。幸い、ここのところ猫も見当たらない。3日ほど様子を妻と見ていた。ガ―ガ―鳴く声も聞こえなくなり、どうしたんだろうとあたりを探していたら、家の前の道を暢気に、ひょこヒョコ親子で歩いていた。よかった。

 

骨が伸びてくるって知らんかった   (連載ー66)   

私には、賞味期限切れの話が多い。皆様には馴染めないことだらけですいません。ジジィの話だと辛抱してください。

40年ほど前ですかね、今の帝国ホテルに隣接している宝塚のビルの8階だったか東宝演芸場によく落語を一人で聞きに行った。7階がスカラ座の映画館だった。

 SKD(松竹歌劇団)みんな足が綺麗だし見たかった。足と言えば、両足ひざ下がない水泳のアスリートだ。少女の頃ひざ下を切ったのだが骨が伸びてくるからもう20何回も切ったと話す。 へー! 骨が伸びてくるって1回切ればいいと思っていたのに。彼女は少女の頃から当り前に世の中を乗り越えて来て今も当り前に生きている。これが彼女の個性だと言われていた。彼女のご両親にも乾杯だね!

私も脳溢血で倒れて10年、集中しないと左手で持てないお茶碗、それをきずかせないようにまた集中。そんなことより、世の中には私よりハンディを抱えて生きていらっしゃる方が多いことに気づかされた。交通事故にも会い二度、三途の川とかにも行く事ができた。あれはいい不思議な経験だった。

妻は私のことを閻魔様と言う。私の部屋に妻がつくった6地蔵が置いてある。閻魔様は厳しいお顔をしていたが、6地蔵のお顔はおやさしい顔つきだった。

 

あそび   (連載ー65)  

車のハンドルにもあそびがあるから事故も起きない。

車のハンドルにあそびがないと角ばって進むまた直そうとハンドルを切り替えたら角ばりが大きくなり、もしかしたら事故でも起こるかもしれない。

 人の生き方も、考え方も適度なあそびが必要だ。

こんな小噺があったことを思い出した。

 

初代、林家三平の昔の小噺

父:「試験問題はどうだった? 

子:問題は易しかったけど、答えは難しかったよ。だから賢そうな 隣の人のを全部写したんだ。

父:よかったね。

子:良くはないんだよ、その人の名前まで写しちゃったんだ。

父:ところで、お前の受験番号? 

子: 35番。

合格掲示板には:1,3,34, 36,41・・・・

子:掲示板には35番はなかったんだよ

父:心配するんじゃない、まだ前後賞がある

 

何で左利きなの、なんでサウスポーじゃいけないの。 (連載ー64)

今ごろこんなこと言ったら、バカにされるだろう。

私の、私の彼は左利き♫っとアイドルが昔、歌っていた。

テレビの宣伝でも、箸を持つ手が左手が目立つ。いつも私の身体がよじれるほど不自然で見ていた。箸は右手、お茶碗は左手と母の声が聞こえる。おまけに箸の持ち方まで教わった。

 こんなこと言ったら誰からもシカトされるのに決まっている。スマホ持つ手もタッチする手もどっちでもかまわない。

 いつの日か、時代もかわり歳もかわり私のように不自然に感じる人もいないのだろう。

 何でこんなこと言わなくなったのだろうと寝る前にでも考えると時代の移り変わりもみえてくる。何でこんなこともわからなかったら想像するしかない。考えること想像することがいいんだよ。っとジジィがいっていた。

日本では車が左通行だ。道路を歩くとき、男は右側、女性は左。僕は右側、君は左側。これは決まっていない。

右目は左側が良く見える。

運転席が右の時は左通行の方の歩行者が良く見える。

 

釣り   (連載ー63)   

釣りと言えば私も幼い頃、田舎の日高川でよく釣りをした。初めに米ぬかを練って寄せをして、ハイを釣った。竹の笹に刺して持ち帰り天ぷらにして夕食のおかずにして食べた。

 今じゃ笑い話にすませられるが、昔、千葉に来て、子供たちと釣りに行くことにした。とりあえず竿も何も無いので釣具店に買いに行った。

店主が:バスですか? いや車で行く  バスですね? 車だよ。

しつこいね何回言っても聞きなおされた。車で行くのに決まっているのにすると、子供がお父さんバスって魚のことだよ。と教えてくれた。

川釣りはお父さんに任せろと思ったが、釣り堀ということらしい。釣り堀

は初めてだ。知らんが子供の方が詳しい。

朝から懸命に釣ったのにリリースしなくてはならないとは知らなかった。晩のおかずにと思ったのに一日の苦労が水の泡だ。がっかりした覚えがあった。釣りは狩と同じで生活がかかっている。レジャーじゃないことと思っていた。

 

東京山の手と下町  (連載ー62)   

ある山の手の娘さんの口から伺ったことに。その娘さんは、父親から「秋葉原から向こうに行かないように」と言われていたらしい。私は西の国だから、なんでそんな事を言うのか当初首をかしげた。

 おそらく、山の手と下町の区分を言っているのだろう。江戸は徳川家康がつくった町だ。江戸城から東側はカヤの生えた浅瀬の海だったようだ。こんなところに秀吉に追いやられた家康だったが江戸に大きな町を築いた。

西側に武家屋敷をつくり、東側は駿河の山の土を埋立て商人などの町をつくった。

 西側を山の手、東側を下町と言われた。銀座も下町だった。駿河台も昔は山だったのか。

 後に、標準語も山の手の武家の言葉を参考に作られたようだ。

「泣かぬなら、泣くまで待とうホトトギス」家康の言葉だが今の世にも通じるのかなあ。

 

新型コロナウイルス   (連載ー61) 

実際現場で対処いただいている方々に感謝とお疲れ様と言うほかご協力できなくてすいません。

 ウイルスが人類を滅ぼすという。という言葉が私の未開発の脳裏に浮かんだ。ごめんなさい、まったくのしろうおとが勝手なことを想像してしまいました。

 ウイルスは土を被せれば、海に浸せばいいだろう。ゼンセン病として扱えば事が済むんだろう。わからん世界に誰もの目が泳いでいるように見え意図的にも見えた。私の考え過ぎだろうか?

 まるで、猛毒でもまかれたように完全防備で顔さえ見えない。病院内でも映像でも見たが異様に見えた。

 旅先でも閑古鳥。経済も停滞。ウイルスの生存期間も定かでもなく変化もしている。このウイルスの生存期間が過ぎれば収束するとお考えなのか

 隔離を拒んだ方もいらしたが、現状を見た方の生身のお考えも伺いたい。かつても、戦争を知らない子供たちも意見を言ったら非国民とバッシングされるだろう。

 「一個の命は、地球よりも重い」と聞いたが、経済ファーストの世界には一個の意見も軽く扱われるし、考えることも失くされる。

 何事にも無関心、今日だけ無事に過ごせば満足、もう世界はそんな世であるみたいだ。

 嫌だなあ!文句だけ言っている自分。

 

つわものたちの夢のあと   (連載ー60)  

真言密教の聖地と言えば、1200年前に開いた空海の高野山は私の田舎の日高川の上流、日本三大美人の湯で知られている龍神温泉を経由して、紀州山の天辺を通るスカイラインを1時間で聖地に着く。途中には、平家の落人の村の標識もあった。

 かつて3度ほど来たことがある。その一度は宿坊に泊まり、朝早くお祈りと精進料理を頂いた。

 奥の院に通じる山道には、有名な武将の石碑が何万碑が立ちならぶ、新しきは松下幸之助(松下電器産業)の石碑もある。

 参道に、ひっそり明智光秀の石碑も可愛そうなほどひかえに建っていたが、今は立派に囲いのある石碑が建てられているようだ。

 秀吉に追われ、竹やぶにひそんでおられるところを農民の竹やりで死没なさったらしい。

光秀は、竹やりで刺され痛さの悲鳴が山道を通る度に聞こえそうだ。

 つわものたちは仲良くともいかないだろうが今も大いなる夢をみているにちがいない。

 宗派は問わないというから、亡き両親に会いに行くか。

 

らしい   (連載ー59)  

だいたい、アメリカの東三分の一はイギリスから。中心部はフランスのナポレオンから買った。西三分の一はメキシコとの戦争でテキサスとカリフォルニアを手にいれ。アラスカはロシアから買った。

カナダも手に入れたかったがイギリスの後ろ盾もあり戦争にまけた。

 ホワイトハウスは米英の戦争で外壁を残し焼けただれた。そこで白いペンキで外壁を塗ったことからホワイトハウスと呼ばれた。

 メキシコとの戦いでテキサスとカリフォルニアを手に入れたあと金を発見され風前のゴールドラッシュとなった。

 アメリカはさらに西へと進出して、ハワイ、ガァム、サイパン、フィリピンを手に入れた。

 

西のことば、東のことば   (連載ー58)   

 西の国に生まれた私は、西の言葉になじめなかったので、東の国に来た。そうじゃなくて、大阪に身内がいなかっただけ。

 友のほとんどが近畿地方にながれた。今、あらためて、西の国の言葉の深さに驚いている。アホ、ボケ、スカタンと機関銃のごとく繰り出される言葉と悪気のない皮肉たっぷりの言葉を生みだしたのは猿で有名な方かもしれない。西の国の言葉には東の国の人には絶対わからないニアンスの言葉が隠されている。

 アホ、ボケ、スカタンを教えてくれた、あるご夫婦が昨年お亡くなりになった。意外と素直に逝かれた。

 普段は東の国に馴染むように生きていたようだが、西の国に生まれた私だけに通用する夫婦であったようだ。西の国の人には絶対真似のできない武家の言葉がある。

西の国、東の国は商人と武士なんだろう。

 

5センチの事件  (載―57)  

いつか遥か遠い昔のこと。私が歌手だった実姉のマネージャーをしていた頃。伊豆高原でディナー・ショーを終え、さあ!皆様と二次会にとあるレストランに集まり、ほどよくのところで、あるお一人を送ろうと妻と車でお送りした。

もうお酒もだいぶ飲まれたのか、車の中は酒臭かった。その紳士は東京のある会社の会長らしく、この近くにご自宅を構えていらした。

昼間一度、行かしていただきましたが、確か、玄関の近くにりっぱなお庭が、玄関つづきで階段が十段程の階下にあった。

車を下り私と妻は、その方の両脇から抱えるように玄関に向かった。ずっしりと体格のいい方で重かった。

その方が足を踏み外されたのか状況判断がつかないが、空を飛ぶように飛んだ。

あ! 確か階下にりっぱな大石がいくつか禅とあったことを思い出した。

一瞬の事であった。私は覚悟をした。

大丈夫ですか? 大丈夫。

頭から血は流れてはいない。今話されたよなあ! 自問自答した。 

よかった。大石と大石の隙間の芝生に頭が落ちたらしい。5センチの隙間だ。大事をとって、救急車を呼んだ。もうこんな時間に診てくれる医者もいないだろう、ましてこんな田舎だ。

あきらめていたが、幸い、ある病院にお医者様がいらした。

 後日、その方も何事もなくご退院なさった。その時点で、実の姉に話

した。

今に思えば、あの方が、大石に頭でもぶつけられたら、と思うと生きた心地はしない。

 

まちがい電話  (連載ー56)    

 間違いました。とは言えずお元気ですか?

いや、妻が3年前に亡くなりまして。最期は、2日に一度の透析でした。

それはそれは、ご本人も大変でしたがあなたもよく看取られました。知らぬとはいえ大変失礼いたしました。

 私も家内もお二人のことは知っていました。奥様のぐあいが悪いことは知っていましたが、まさか、お亡くなりになったとはしらなかった。同姓同名の方がいらして、スマホに変えたばかりだった。昨夜も深夜風呂上がりで息子に電話を入れたらしい。間違ってテレビ電話だったらしい。

 奥様は私に知らせたかったのかねと言っていましたが、優しいご主人だからお迎えに来ることはないと思うよとこたえておいた。

 最近、私も午前中は体調悪いので、リハビリの後は床についている。まちがい電話をしないように、慣れないスマホの使い方のテキストを見ては息子に電話をしている。

 妻の、まちがい電話で知った大事な友と奥様の命を知った。

 

おかいさんとこんこ   (連載ー55)  

 お釜にいっぱいの水を入れ、番茶を茶袋にいれてお湯が沸騰したら茶袋をお釜の中に入れその後、米壱合を入れる。これは8人家族で食べていた分量だ。

最初は強火で米が上下に回転するほど煮炊かないと上手いサラサラのおかいさんは炊けない。とろとろ火になったら、さあーっと出来上がり。お米の芯が多少残して火をきる。あまり煮つめるとサラサラおかいさんは出来ない。  

この「おかいさん」は最初どこで生まれたというのか三重県の南部の漁業の町に生まれたとか言うけど我村には私の小さい頃からあった。

昔、おかいさんは和歌山の常食なっていた。奈良、大阪泉州地域、京都の一部地域では郷土食として食べられていたらしい。兵庫の一部地域でも「おかいさん」というそうだ。

平らな土地が無く山ばっかり、少しでも平らな土地があればみかんの樹を植えていた。有田みかんが有名だが山の天辺までだんだん畑があった

♪みかんの花が咲いてる。思い出の道丘の上。遥かに見える青い海、お舟がそっと浮かんでる♪ 山の上は日当たりがよくぽかぽか暖かい。

私の家ではちっぽけな田んぼがあった。御米も取れてて蔵にはたくさんのお米が貯蔵していたのにおばあちゃんが厳しく白いごはんを食べさせてくれなかった。そうだよね8人家族が3食食べていたら蔵の蓄えもあっという間になくなる。おばあちゃんが正しい。

お茶をすすっていた。この茶粥には酸っぱいコンコが合う。コンコってなんだと聞かれれば「たくわん」のことだ。酸っぱい大根のつけもののこと。紀州茶粥は「おかいさん」と呼んだ。さんと呼んだのだからお米が貴重だった。すぐお腹が空いた。コンコの言葉にふるさとを思い浮かべた。

おかいさんとコンコはおいしいいべスト3に入る私の故郷食だ。

 

会社も通勤も会議も仕事も何もかも変わる (連載ー54)  

AIのところでも書いたが、今やっている仕事が2年後に、あるかどうかもわからない。

 朝早く起きて満員電車に揺られ、通勤なんてごめんだね。怠け者の私が経営者だと即刻、通勤を止めさせ、交通費を社員に還元する。

 会議会議と忙しそうだが、自宅でも出来そうだ。本社の会議に出席できない人は、どこからでもアイディアがあれば匿名でも本社に送ればAIが会議の報告をしてくれる。東京本社の建物が社の象徴とか信用を表すのであれば、代替えも会議で考えればいろんなアイディアも出てくると思う。会社を訪ねるお客様の相手はどうすれば? それもテレビ電話に変わるだろう。わだわだ訪問する時間も惜しい。まとめに一度あえばじゅうぶんだ。

 地代も高い家賃も高い。その分社員に還元できれば、余裕も出来、アイディアも泉のごとく湧いてくるだろう。社員と言ったが社員という呼び名を変えよう。会社はアイディアとドリームを売る集団であり上下をつくる組織ではないことを経営者は腹を割って話す時だ。日本人は主張するのが苦手と言われているが、テレビドラマの相棒のように二人一組でチームを考えたらどうだろう。一番効率の良い攻め口は得られる。

もう会社も仕事も人も社会も急激に流動している。人間やめますか?

昔、こんな言葉があったことを思い出した。家庭を大事にする社会を目出したい。

 

街は変わる  (連載ー53)  

 「歌がうまいとアイドルじゃないと」と言う言葉が聞こえてきた。

衝撃的な言葉だ。

 テレビでも、若い子たちが私にしたら学芸会のようなことで盛り上がっている。すぐチャンネルを変える。今度はプロが歌を歌っていた。またチャンネルを変えた。

 近くの昔ながらの商店街が、ほんの300メートル先に新しい少し広い通りができたと思ったら、昔ながらの商店街が活気がなくなった。

 いやー商売って難しいと思った。新しい通リに車も何台か止められるスペースの店舗が建ちならんだ。

 その場所に店舗を出すのに、人が何時に何人通り、性別年齢とかの調査をしその地域が何を必要としているのか、一店舗の役割と他の店舗と競合しないか、調べ上げて店を出すのだろう。

 新しい通りはにぎわった。あれーおかしい。人通リが少なくなって来たと思ったら,一店、二店と閉店する店舗でてきた。

四,五日前子供と孫と三つ先の駅で待ち合わせた。私と妻は車で行くことにした、道がわからんのでカーナビに入れた。ところがすぐ着いた。こんなところに何千台も停められるパーキングもあり、便利で多種選択の出来る音楽もかかり明るいお店があった。それから孫たちとの待ち合わせはそこに決めた。

人ってすぐ裏切ると人聞き悪いがそんなものだね。

 新しい通リには、また新しい店舗が出来た。ここはダメかも? だけど

わからない、街は急激に変化する。新しいビルだと思っても古くなれば人は遠ざかる。

 

私の信仰  (連載ー52)   

これは、もしかして日本ではタブーの話かもしれない。

結婚式にはイエス様に誓いをたて。ハロウィンには仮装して楽しんでいる。クリスマスが終わると、さっと門松。元旦には明治神宮や成田山新勝寺などの神社や寺に初詣。合格祈願に学問の神様にお参りしたり。神社やお寺も駅の名前にもあるように全国に何万とあり、時あるごとにお参りしている。外国の方から見ると理解できないだろう。

 これらをみても日本の方々は、その時々に何かを信じ、幸せを呼んでいらっしゃる。私は、それでいいと思う。

お葬式には、お坊さんが来て、お経を唱えてくださる。

ある時、無宗教の方のお葬式に出たことがあったが、お坊さんもいなくお経もなく、何もなく短時間ですんだ。

 ある宗教のお葬式に出た時、唄で終わり重々しい雰囲気はなく、本当に亡くなられたのか疑った。

 ニューオーリンズに行った時、楽団付きで軽快なリズムで故人を見送っておられた。

宗教は、その国の支配者によって、いいように変えられた歴史もあり、人々の心をもてあそんだ怖さも感じる。日本には宗教というより信仰と言う言葉が合いそうだ。聖書が古事記なのかもしれない。

おばあちゃんから知った、神様仏様「おてんとう様」が私の信仰かもね。

 

捜索願  (連載ー51)  

車が、私の目の前に止まった。人が降りてきたと思ったら突然、私の似顔絵らしきコピーをみせられた。もしもし、この方は貴方ですね? ハイ、そうですが。

本部本部この方を確保しました。なにごとともしらずに事情がつかめないでいた。続いてパトカーが急行して来た。そうか! 1台目が覆面パトカーだ。

  駅から妻の運転で家まで帰るのが、いじっぱりな私は歩いて帰ることにした。普通なら10分で帰れるのが不自由な私の足で45分はかかる。途中、疲れて道すがりのベンチに座っていたら妻はなかなか帰ってこない私を探しまわったようだが仕方なく警察に捜索願いを出したようだ。

  もうしばらくして、みつからなかったら捜索範囲を拡大されそうだったらしい。全国指名手配にもなると大変、立派な有名人になるところだ。

 悪いことしないほうがいいよみんなフットワークいいから。

 

冬の夜長  (連載ー50)  

誰かが傍にいないとダメな人間のようだ。

誰? 私です。いち早く結婚することが生きる道と思い大事な妻と40年前に結婚した。3人の子供と2人目の孫もできた。一人娘も妻と相手のお母さんと結託して最近、結婚させた。

そこで一句:福がある、残りものには、訳がある

 野郎は、外国に赴任した。娘からは毎日のように妻に連絡がくるようだが、何とかやっているようだ。

 義理のお父さんの直筆の「冬の夜長」の詩の掛け軸がかかっていた。

冬は夜が長い。もう随分眠ったのか炭も消え、枕もとの灯も消え、外は冷たい雨が降っている、早く夜が明けないかな冬の夜が長いのはつらいものだ。

65歳から一から始めようと思って3年が過ぎ夜が長すぎる。死んだら飽きるほど寝てられるのに特に冬の夜が長すぎるのはつらい。

 

賞味期限切れ  (連載ー49)  

お湯が出てありがたいね。後ろから声がした。私はルームランナーで歩いていた。何気なく、聞き流して歩いていたら、冷たい水を知らなかったら、お湯のありがたさを感じないだろう。うるさいな。賞味期限切れの話をしてもうるさいよね。

 私は、賞味期限切れの食べ物は、目で見て、鼻で臭いをかぎ、舌で判断して食べられるかをきめる。

 賞味期限を設定した人は賢い。人間を信じていないのか、世間をよーく知ってるのだろう。

子供らは日付で判断している。冷蔵庫の中には賞味期限切のまだ食べられる物をかるく捨てている。もったいない。

そんなこと言ってると私が賞味期限切なのかもな。

 

日本人の手を合わす姿に心うたれる   (連載ー48)     

 あなたの宗派はと聞かれたら65歳にして、やっとわかった。それも兄が亡くなつてしかもお葬式の時にお坊さんに尋ねてわかった。おばあちゃんが木魚(もくぎょう)を叩いていてお経を唱えていたので仏様とわかっていたが宗派まではわかっていなかった。

 田舎には神棚も仏壇も隣り合わせでお祭りしていた。お社もお寺さんも高台にあった。昔はその地区のお役人様の給料はお米で支払われていた。災害とか、まさかのために高床のお社、お寺にお米を蓄えていたらしい。

 おばあちゃんには、何かにつけ、おてんとう様が見ているからといわれていた。あなたの宗教? 私はおてんとう様という。手を合せる姿に老若男女問わず、善人もたまたま悪人の差別なく日本人の心に沁み込んでいる。

 結婚式にはイエス様に誓いをたて。クリスマスが終わると、さっと門松。元旦には明治神宮や成田山新勝寺に初詣。受験の神様にお参りしたり。宗教とか哲学の観点からみると一環性がなく不思議だが、生まれも育ちも日本人の私の血には、おてんとう様と言う血が何千年もかけてからだじゅうに沁みていると思われる。

 ユダヤ教、キリスト教、には旧約聖書、新約聖書があるが、日本人には

古事記なのかもしれない。

 幼い頃から大人にかかわらず、様々な角度から人が合掌する姿には日本人ならではの歴史がある。それはお辞儀する姿にも、誰もが真似できない日本人の姿がある。

 あくまでも、私だけの信じるおてんとう様です。

 

大小  (連載ー47)    

 地球って、大きくなっているのか小さくなっているのか。大人って、おおきくなっているのか小さくなっているのかどっちなんだろう。

 世界一周って不可能なくらい地球は大きく感じた。大人は怪獣のように大きくそびえていた。だんだん大きさがちじこまってきた。

 私が大きくなり目線が違って見えるからちじこまってみえるのだろう。それにしても地球はちじこまる筈はない。

 アメリカに行けるなんて考えもしなかったのに行けた。最初にテネシーに着いた時はこれが最後の、みおさめだろうと思った。だんだん大人になるたびに地球もちじこまった。これも子供の頃と見える視野が広まったのに違いない。

 お近くの子供が可愛く小さく見えたのに、つい最近、親子で歩いているところに出くわした、あの可愛かった子供が親をはるかに追い越して大きくなっていた。

 あの子も見える景色もちがってみえるのだろうが親はいつまで経っても子供に見えるのだろう。

 地球の目、大人の目、子供の目の見える景色のちがいがあるんだ。

 

AI (Artificial Intelligence) 人工知能  (連載ー46)

人工知能に使われる未来がくる。もしかして、戦争の名を借りて抹殺されるかもと恐ろしい未来を感じている。

 遅れましたが、ついに私もスマホに変えました。と思ったら、スマホも時代遅れになりつつある。

両手で重い携帯無線機が出た時は驚いたが、今度は片手で持てる携帯電話が出てきた。しかもポケットに入る小さくて軽い。へーすごい! と思っていたらスマホが出てきた。

 世間では、スマホは害悪のように言われてきたが、今そんな声もどこえやら静まりかえり一人一台の必需品だ。まいったか! まいりました。テレビ電話もLINE 使えば海外にいる娘と顔色を見ながら会話ができるという。夢のテレビ電話だよ。

 Technologyの進歩は止められない。 Technologyは俺には私には関係ないし調べるの面倒だしまかせるわ。だってスマホとインターネットと繋がっているし情報は世界中から手元にある。指で軽く触れるだけでいいんだし、そういうけど、字が小さくて読めない。字を特大に変えた。

 AIというのは1950頃から第1次、第2次、第3次と、頭のいい人が考えているらしい。AIに

仕事を取られるとかお悩みの方が多い。AIの出来る仕事一覧と言う本も出たらしい。

隙間産業じゃないけど人間も一人ひとり生き残ることを考えねばなんねえ。

 運転手、医療従事者、銀行員・証券マン、コンビニの従事者、スポーツマン、テレビなどのプロジューサー、受付、・・・・あるわ、あるわ。

いたるところに、カメラが設置され浮気もできやしない。俺は無実だ。

 AIがAIを作ることだってできる。スマホの次は両手を使わなくてもいいものがでてくるだろう。もう頭のいい人間が国をあげて考えているのだし近い未来に頭を使わなくて済む時代がくるだろう。Technologyの進歩は止められない。今使えるうちに人間は考える蘆でありたい。

 

未来は、知ることかもしれん  (2)地動説   (連載ー45)  

地球はまるい。と聞いてるし人工衛星から見てもまるい。

コロンブスの当時は、北アメリカも南アメリカも地図上にはなかったのだから、ヨーロッパからインドにいくのだったら、アフリカ回りよりも反対まわりの方がいいと思うが、地球がまるいという説だが確証がない。もし反対まわりで落ちる恐れもある。コロンブスもよく冒険をした。着いたところがインドだと信じ込んだ。ところが、キューバに着いていた。

 アメリカ大陸はコロンブスが発見したのだが、間違ってインドだと思ったらしい。それで彼は尋ねた。あんた誰――インディアン。

 「アメリカ」の由来はイタリア人の探検家、アメリコ・ヴェスプッチさんだということだそうだ。

 

未来は、知ることかもしれん。(1)東南アジアの宗教  (連載ー44) 

ベトナム

ラオス

カンボジア    インドシナ半島(インドと中国)

タイ

ミャンマー

フィリピン

ブルネイ

マレーシア

シンガポール   

インドネシア      人口:2億5000万人」,島の数:1万3500島

東ティモール  インドネシアの右端の比較的新しい国

       

宗教:仏教・イスラム教・キリスト教

仏教:タイ・ミャンマー

イスラム教:インドネシア・マレーシア

キリスト教:フィリピン・東ティモール

インドから陸続きで仏教が伝わった。

中東から海を介してイスラム教が伝わった。(イスラム教の信者が一番多い国はインドネシアで人口の9割がイスラム教らしい。

大航海時代にキリスト教が伝わった。

私も最近知ったことばかりでえらそうに言えないが、そうらしい。

別に、今まで生きてきて不自由を感じなかったのでどうってことないようだ。

 娘がタイに行った。今まで私の目はアメリカにむいていたが、同じアジア人としてアジアを知ることだと気づいた。そして、娘のおかげで東南アジアを知ることができた。

 グローバルに考える前に足元を知ることだと気づかされた。

 

節分   (連載ー43)

「鬼は外、福は内」と節分は親父の役割だったが、婿養子の親父は無口だったので大きな声で言えなかった。

 「福は内」が先に言うのか「鬼は外」が先に言うのか、いずれにしても鬼は、寒いのに豆をぶつけられて外に追い出されるのは、たまったもんじゃない。正月には鬼も福の神もこたつでみかんでも一緒に食べながら仲良く過ごしたいものだ。鬼がいて福の神のありがたさも、福の神は鬼がいるから福のありがたさを知る。

 節分は、厄をはらって新年を迎える日本の風習の儀式となっている。

恵方巻を食べるのもよし恵方は鬼門を示すようだが福の神も鬼も一つ屋根の下で仲良く恵方巻を食べたいよね。

                                                   

ああ!かんちがい。  (連載ー42)   

 すいません、よろしいですか。

わたしですか、こまります。

 カメラをかかえた方が突然話しかけてきた。田舎から面接で原宿にきたばっかり、改札をでたばかりのことである。若いし多少容姿には自信をもっていた。

 すいません、ちょっと右に寄ってもらえますか。先にはモデルのような綺麗な女性がポーズを決めていた。ってことは私がじゃま。そうだよあなたがじゃま、ジャマ・ジャマ、ジャマ。大笑いに涙もでやしないが食べた物を出してしまった。このかんちがいのおんなは私の妻である。私は東の国の山の田舎者、あなたは西の国の田んぼの田舎者。朝から馬鹿笑いの我が家だった。

 

臨時ニュースを発表します。  (連載ー41)   

 今年の新着といえば、ガラケーがスマホに変わりました。長年お世話になった携帯電話を今流行りのスマホに2020年1月24日から変更になりました。

 私にとっては一大事です。説明に来た人も忙しそうだったので、早く帰らしたんだ。子供もお風呂に入れているらしく、気持ちがわかったので帰ってもらいました。ところが残された私は説明書から読まなければならない始末。「あ行」を指で軽く触れたのに、表示は「か行」とでる。おかしい、もう一度触れてみた、おかしい、そうか分かった。指を小指に変えて触れてみた。あ行が正しくでる。

 原因を述べよ“! 指が太いからだと判明した。今日から、あなたがかんだ小指の思い出よ。

 頭の回転が悪いから、なかなかうまくこなせない。ワイワイとか言ってもチンプンカンプン。

 なんだか無口になっていく自分が言われなければ分からない。あえて、周りに話題をつくって話しかけている。いろんな便利なアプリもあり、これを使いこなしたら周りは要らない、むしろ邪魔だろう。

 新幹線ひかりが出来た時、文明は人を幸せに変えてくれると喜び、大阪、東京間12時間もかかったそれが、3時間に短縮された。余裕が出来たのに人は幸せになっているかもわからない。AIがすべて機械のように人間をコントロールする世を選択するのであればそれでよし。

ある夫婦が急に会話をなくし、ひたすらスマホに向かっていた。しばらくして、旦那が亡くなり、奥様も1年後に亡くなられた。しぶとい夫婦だと思ったのに亡くなられた。

 夫婦には、私にはわからないものがあるんだろうが突然、会話が無くなったのに驚いた。スマホはテレビ電話もできるそうだ、子供に教わろう。

 

みずかけジジィ    (連載ー40)   

みずかけ地蔵って聞いたことあるけど「みずかけジジィ」は初めて聞く。晴れているのに、急に雨が降って来た。この状態をキツネの嫁入りと聞いていた。若い方は、キツネの嫁入りって聞いたことないよね。

 愛犬と散歩していたら、急に大粒な雨が降って来た。傘は持っていなかったがすぐ止むだろう。ところが、空を見上げると人がしゃくしを持って水をまいている。まるで花さか爺さんが花を咲かすように水をまいているではないか、何やってんの! 信じられないが私に向かって水をかけている。大声で怒りたいが、犬は水恋しさにしっぽを振っていた。夏だったからいいものの、冬だったらアオリ運転だね。

 あまりの振る舞いに笑うしかなかった。すごい剣幕で爺さんは犬と散歩する人を見ては腹を立てているようだ。救いはお婆さんが出てきて申し訳そうに謝っていた。

 先日、ジイさんの家をとうり過ぎた時、みずかけジィさんを思い出した。

 

65さい若人のこんさーと   (連載―39)

 数寄屋通で店をやっていた頃、看板を見て「また、古いことやっている」と捨て台詞のように消えていった人がいた。その時の思いを持ち続けて今夢実現できる。したい。

 ニューオーリンズのとある馬小屋のような裸電球の下で色黒な方たちが6,7人で奏でていた。80さい+3歳だろうか日本の女性がドラムを叩く破目になった。丸くなった背筋がシャキッと伸び、酒もタバコもイケるのにそんな女性にみえた。私もドラマーだが、その女性のとりこになっていた。音楽は人を変える。今夜も外泊だ。

 私の息子は、35年ローンで一軒家をかった。65さいからのスタートになるようだ。よかったよかった。

 

東洋の神秘の国  (連載ー38)    

 鷹が大きな羽根ひろげた、竜は横たわっているような日本列島。北海の海から沖縄の南国の海まで。

 東の黄金の国ジパングは金がとれた。佐渡の金山も行った。塩尻、塩原、とか海でもあったのだろうか、火山や温泉の湧くところに金が取れるらしい。

 海原に出るにも、関所もあり、お代官様の機嫌を損ねては神経を使う。

神の国、神風とか、生まれも育ちも日本人の私でさえも神秘な国である。他の国は一神教であったり、パワステでは長続きもしない。人は元気な時は病を忘れ、若い時は老いることを忘れる、老いて死を知る。生きることは辛い。とおりすがりの若い人に紙に書いた紙飛行機になんて書こうかね。

 

 一枚の写真、見方を変えると日本列島が姿をかわる。東洋の神秘な国のようだ。

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カレーライス  (連載ー37)  

 カレーライスは子供会のクリスマス時や時あるときは、いつも婦人会のお母さんたちが作ってくれた。一番の人気ものである。お腹が空いていたのでおかわりを一番にした。おふくろに10円だったか貰って、長方形の小さなケーキがあれば舞い上がった。

一度だっけ、おふくろいの誕生日にカレーライスと10円のケーキと戸棚にあった日本酒を添えて押入れに入れておふくろを祝った。これが私のおふくろへの最初で最後の祝い事だった。

カレーライスもカレーの素も3切れ入れた薄いらしいが玉ねぎとじゃがいもをいっぱい入れた。カレーは私の調理師の始まりだった。

いつの世も、おふくろの親父の思いはかわらない。言葉にならないが後ろ姿に書いてあった。

 

よかった!  (連載ー36)   

 このいい匂いうちでよかった。帰るなり子供たちがカレーを食べていた。すまない、私の話は賞味期限の切れた話かもしれない。

 今日は朝から、涙がでてくる。3人の子らは家から出て行き、その中の女の子一人がこんな筈はなかったのに、結婚をして、タイにいった。娘は20年程、都会の真ん中で親にも面倒をかけずに生きてきた。泣いて家に電話もあった。妻には世界でただ一人の愚痴の言える母だから、たとへ愚痴であろうと辛抱強く聞いてやってほしいとお願いした。

 3人とも所帯を持ち、私たち夫婦には2人の孫ができた。孫の成人まで見届けそうもないが、よかった!と言ってもらえる世であればいいが、若い方々には便利な世になっていようが、「この匂いうちでよかった」と言っていただける世になればいいと思っている。よけいなお世話かもしれないね。

 1300年前の奈良時代から人間は変わっていないように思う。スマホが便利さに私も来月からお世話になるが、ガラケーからの切り替えらしいが電話機能と娘と話すラインだけ利用しょうと思う。いろんな便利なアプリは、私の目と口と鼻と耳で情報をゲットするつもりだ。

 

 

はじまり:作詞  (連載ー35)     

1,    もし、会えるなら、あなたに会いたい。

暗いくらい深い海にいるなら、一人きりにさせるものか、今にでもとんでいきたい。

バカだなあ、信じられないがあなたに会えると思い、お墓に避難していた時もあった。今となっては、人生のほとんどが過去になってしまった。

過去は私とあなたが生きたあかし。もう過去には戻れないにしても、過去は二人の思い出に変わる

夜が明け、あさひに照らされ思い出はあなたとはじまる

 

2、 時として、海は私とあなたに嫉妬する。

普段は地平線のように波静かに装っていても、海の中は音も立てずに流れている。

  たわいもなく、打ち寄せる波があなたの甘いささやきのように私の心を揺さぶる、夜の海はすべてを覆い隠すのかあなたの面影も消していった。

過去は私とあなたが生きたあかし。もう過去には戻れないにしても、過去は二人の思い出に変わる

夜が明け、あさひに照らされ思い出はあなたとはじまる

 

 

過去は私とあなたが生きたあかし。もう過去には戻れないにしても、過去は二人の思い出に変わる

夜が明け、あさひに照らされ思い出はあなたとはじまる

 

道徳って (連載―34)  

「道徳」を広辞林で引くと、人間のふみ行うべき正しい道。またそれにかなう行為。とある。

 長年、優しくない上司のもとで暮らしてきたので、損得を考えれば即、手を引くのであるがその上司は時々垣間見せる中に優しさを見せ、あえて無用なことを言う。だから権力者は孤独だなあ。と思った。

 「初心忘るべからず」と言う言葉あるように、ふとこの言葉を思い出したおかげで孤独を知った。ず~と、初心忘るべからずは私の道徳になっている。私はこの初心に戻すバネを鍛えている。

どんなに世の中が変わっても、時代が変わっても私の初心の心は変ってはいなかった。何事にも謙虚にみることができればよりいい道、悲しみも、怒りも見えてくる。初心の耐用年数は永遠でもなく私の命とおなじかもしれない。

 

道徳って (連載ー33)       

 年少のころ、道徳の授業あったよ覚えている。あまり勉強をする時間がなかったので、算数とか理科とか意見が違うので嫌いだった。

 次は道徳の時間だやれやれ休めると思った。親の言うことを聞きなさいとかこんなことをしてはいけません。とか当たり前のことの復習だ。

当たり前の道徳は、今の時代でも通用するものもほとんどあるが、身近に、くわえたばこで歩いている方はいないし、ポイ捨てする人もいない、町にはゴミ、吸い殻も落ちていない。ゴミ箱がないのにみんな持ち帰っているのか。

居酒屋でも、たばこを吸われる方も見ない。ある方が海外で買ってきた大切な灰皿を店に預けていた。葉巻を吸われ、匂いを楽しまれていた。そこの店長はたばこは吸われない。今日から店内も禁煙にするという。お客様は、灰皿と二度と来ないと捨て台詞で出て行かれた。

商売は難しい、喜んで頂きなんぼの世界、我慢だね。どこで折り合いをつけるか。仁徳も多分にある。

まあ! いいか。

 

こどもって  (連載―32)   

 もう55年前にもなるんだろうか、私の成績は、ビリから数えた方が早い、エーイめんどくさい、ビリから3番目のほぼビリである。ある日、ビリから2番目の奴と畳の間のある家庭科の部屋で取っ組み合いのじゃれごとをしていた。

 そのうち、本気になってきた。私が投げても投げても這いあがってきて、私に投げられる。懸命にかかってくるそいつの顔が忘れられない。2歳年上の兄に蹴られても蹴られても泣きながら、かかっていった。

兄は、その当時の私の根性を知ってか、大人になっても頑張れ根性とは言わない。

 こどもは大人が見て残酷と思ってもそうは思っていないのかもしれない。投げても蹴られても人を知る、自分を知ることかもしれない。残念だが。

 私より出来の悪い2番目の奴が、どういうわけか漢字だけは何でも読めるし書ける。クラスの誰もが漢字に関して彼の右に出るものがいない。彼の自信に満ちた態度は忘れ様がない。

 嫉妬、浮気は大人の世界のように思うが、こどもは大人の顔色には敏感だ。大人よりも繊細かもしれない。生きるための手段をこどもなりに学んでいる。

 教育にしても、先生の本心などはすぐ読まれる。にわか学問すら察知される。こどもは評価が大切だから目先のことに標準を合わせてくる。

 何だか、ひにくれたこどもでありえない考え過ぎのようだ。

 

次の4つのテーマ(連載―31) 

2020年

 今年は、オリンピックの年だ。昭和39年の時、アジアで初めての開催に感激した。規則正しくメインスタジアムの前に来たら紅白のユニホームを着た日本選手団が右手を上げ、堂々と行進していた姿は目に焼き付いている。

 田舎で布切れに灯油を湿らせ、にわか聖火台をつくって点火した。なぜか嬉しかったし、こころが踊った。三宅(お父さん)選手の重量挙げ、アベベの素足で走ったマラソン。村では山の上にテレビアンテナ塔をつくってくれたので東京のオリンピックを見ることができた。東京、大阪間、超特急新幹線も開通した。何もかも生活も変わった。ローラーの手動しぼり機のついた洗濯機、電気釜、テレビなどが入った。文明開化のはじまりだ。

 まさか、2度目のオリンピックが東京で見られるとは夢のようだ。

 

成人式

 田舎の役場の会議室で、成人式をやっていただいた。確か雨が降っていた。先輩から異性の裸の写真をいただいた。いやらしい! その当時は免疫がないので処分に困った。おふくろに見つかり、言い訳にあたふたした。しばらく、おふくろの顔を見られなかった。

 選挙権もいただけるので世間は今日から俺を大人と見てくるにちがいない。酒、たばこは大丈夫だ。急に大人の仲間に入れられちまって、村の下刈にも日当をくれる。日当をくれるんじゃ大人の働きをしなきゃならないだろう。

 最初の選挙に行ったが、みんなの目線が違っていた。頭で考えているのと実際投票所に来て投票するのと責任感とかそんな立派なものでもないが

違っていた。大人になったんだ

 

受験

 みんな賢そうだ。完全に負けた。昭和45年頃は東京によく雪が降った。大学の広い教室には秀才ばかりいるではないか、試験が終わり雪も大げさに降って来た。駅までの道、ぞろぞろ歩く私の足は重く暗かった。

 明日もこの近くの大学だ。無駄な抵抗はやめて引き上げた方がいいのに

せっかく自力で1年間わらばん紙と向き合って手の指にタコができるほど繰り返しの暗記をした。これも試練のひとつに違いないと思った。最期までやるしかなんねえだろう。今さらジタバタしてもしかたない。

 鹹いうどんの立ち食いをたべよう。腹ごしらえも出来ションベンくさい部屋に帰って寝た。寒かったがすぐ眠った。落選発表も見届け鈍行列車で田舎に帰った。布団をかぶってふてくされていたが、おふくろが電報らしき紙を持ってきた。合格らしき一通のカタカナ文字を読んだ。

 滑り止めに受けた大学が受かったらしい。どこでもいいか東京に行く機会をくれたようだ。これがあったおかげで東京に出る機会が出来たが田舎のおばあちゃん、おふくろを死なせることはなかってのに。天は選択の出来ない運命を私にくれた。

 

いちご

 孫はいちごが大好きのようだ。ハウスの中のいちご狩りの体験をさせてくれた。真っ赤にぷりぷりのいちごを口からがぶっと食べていた、もう少しで、土も食べそうだ。手も使わず豪快に食べていた。

 ご飯もしゃもじで口にするくらいだから、お上品にくらうと思っていたがとてもかわいいもうすぐ2歳になる女の子である。ハウスで大きないちごをいただいた。

 今日も、そこの嫁は早朝から取ったいちごを大きさをそろえて箱づめしていた。一日何千箱も出荷するという。私はスーパーで綺麗に箱づめされたいちごを食べる方があっているようだ。いちごジャムにしてもおいしいよね。赤くて甘―い大きないちごいかが~。

 

「孤独」って  (連載ー30)       

 孤独と言えば、シャンソン歌手のジュルジュ・ムスターキーの「私の孤独」とういう曲を思い出す。知らない方が多いと思う。

 私に孤独と言うもう一人の孤独と言う人がいつも傍にいるから、いつも私は一人ではないんだと解釈していた。 

マザー・テレサは晩年、最も恐ろしい病と言っていたのは孤独です。先進国と呼ばれる国々には、ゆたかさの陰で競争について行けず、社会からはじき出された、人から要らないと思われている人々が大勢いるそうです。勉強はできるんだけどちょっと違うんだよね・・・とね。

私など山奥の田舎から出てきたもので、高校の時に勉強に気づいて一からやろうと思ったのがもう遅いだろう。さあ!都会に出てきて、周りがみんな賢く見えて劣等感だらけのうぬぼれのようだった。

今さら田舎にも帰れないし、食っていくためには、唯一人に好かれることが私の財産であったようで、真面目そうにみえるから、信用をたかめていった。苦学もしたと言いたいが基礎からの独学ではじめた。

アルバイトは、引っ越し、スーパーのウルトラマンの悪役で寝転がっていたら子供たちに棒でつつかれたり、測量で柏の山に行ったり、同姓に迫られたり、レントゲン車に同乗してて事故にあったり、それはそれは、22歳までは生きられた。就職も雇っていただける一社が偶然あった。寮母さんのありがたい弁当を持って安全靴を履き、こんな筈じゃなかったのに真面目に現場で働いた。偶然、寮に来られた先輩との出会いで、勤めがかわった。それから私の人生いいか悪いか徐々に変わっていった。

汚い枕一つ持って、今の嫁さんとも結婚できた。炊飯器がなかったので先に買ってもらった。こんな筈じゃなかったといまだに嫁は言っておられる。

母が死んだとき、ムスターキーの「孤独」を聞いたとき涙が止まらなかった。かすかな音でさえも母の気持ちが読み取れた。同じ昭和うまれだったから。父親も手枕で寝ている後ろ姿で親の気持ちを読み取れた。

最近生まれた方、昔に生まれた方を一つにして理解することはできないだろうし今昔の分かり合える材料も持ち合わせていない。

孤独ってもう一人の孤独がいるから孤独ではないと言われても寂しいよね。誰が産んでくれと!と言われても本心ではないにしろ、こんな言葉をかけられる親がいてよかった。かけられる親はどんな気持ちだろうね。

 

私のお天とう様  (連載ー29)    

お天とう様が見てるよ。よく死んだ、おばあちゃんに言われた。

どんなに人が見ていなくても、天は見ているから悪いことしてはダメだよってね。

 他人をダマすことができても、自分をダマすことはできないと思っていた。高校の時、校長先生が私にトイレの裏の草取りを言われた時も、裏だから誰も見ていないし、汚いし、くさいし適当にやればいいのだが、お天とう様が見ているからの言葉を思い出してか綺麗に済ませた。

 「天」とか「神」とかの区別もわからず、軽々しく使っていた。君の宗教は?仏教・仏教、インド・インド、・・・幼い頃からおばあちゃんの傍で木魚を叩き自然と耳から覚えた般若心経の意味さえ分からず、もし幽霊でも出たら呪文のように唱えればいいと、そのくらいの認識だ。

 田舎には飯盛山と呼ぶ、富士山のような先が尖ったような山があった。朝は、村人誰もが必ず手を合せていた。そこには、幼い頃には神社があって土俵があった。年に何回か忘れたが相撲の大会があった。私は、ふんどしを巻いて相撲を取っていた。私より小柄で足腰のしつこい奴が嫌でよく負けていた記憶がある。小学校の校歌に山の名前が入っていた。

田舎にそびえる山で、いつも高いところから村人を見ている、見られている象徴の山だった。私には天であり、神のようだった。

 

女性のホームレス (連載ー28)  

 車を近くの駐車場に留めていたので、途中ビルの片隅に若いと思うのだが女性が昼間どこかのオフィスでも働いているのだろうか上品なお嬢さんがダンボール箱を組み立てて寝床をつくっていた。またなんであの女性があそこにいるのか不思議だった。外は寒いだろうに、我が子のように心配だった。今夜も、車をとりに駐車場に行った。決まったところで彼女を探したが、パッタリ姿が見えなくなった。もう出世してマンションでも暮らしているのかと思って安堵した。

ところが半年は過ぎただろうかそこに彼女が居た。どういうわけかまた安堵した。外は暖かい、よかった。

 

フランスの開国要求と薩摩藩家老調所広郷(連載ー27) 

浦賀のペリー来航の9年前に琉球にフランス艦隊が来ていた。琉球王国は清の属国で、薩摩藩が実効支配していた。

 薩摩藩も幕府に逆らえないように莫大な借金をさせられていて、なんと

今の金にして約2500億の借金を抱えていた。

 産業革命以来、イギリス、フランス、ロシア、ドイツなども大航海の時代にアジアの植民地を早いもの勝ちのように植民地支配をしていた。イギリスはフランスと戦ってインドを手に入れたり、アヘン戦争で中国の一部を手に入れたり、フランスも負けていられない。1846年、フランス海軍は琉球王国に開国通商を迫った。

 薩摩藩は家老、調所広郷の力による商売で薩摩藩の借金を返したばかりか莫大な金を残した。調所広郷は清国と幕府と異国の琉球との板挟みとなり、結局、江戸城で亡くなった。

 調所広郷は奄美大島の黒砂糖の独占権とか圧倒的なフランスの脅威に幕府が兵を出すように命じたが、フランス軍を刺激しないように留めたようだ。

幕府は鎖国で調所は通商を願っていたんだろうと推察される。

 薩摩藩、西郷隆盛の倒幕資金源にもなったのだろう。

 歴史には隠された事実が埋もれている。西郷どん、調所どん、を知ることで見える景色もちがった。

 

目黒のさんま(連載ー26)    

もう50年前だろうか、中目黒に10年間、それはそれは小さな部屋だった。目黒川の氾濫もよく見た。川の底の土を削り深くした。それから、桜の木を植えなおした。川は溢れることもなく、今はサンマや桜並木で外国人の方もおおくなった。

この目黒川でサンマも取れると信じていたが、私の完全なバカのようであった。

 

落語で、目黒のサンマが有名だとか。

 殿様が目黒に遠出に来た、家来が弁当を忘れたのに気付いた。

ぷ―ンといい臭い。

昼時にお腹が空き何処からか魚の焼く臭いがしてきた

これこれ、この臭いはなんじゃ

これは下々が食べるさんまと言う下衆魚で殿様の口には決して会わない美味しくはないものです。

それにしてもいい臭いがいたすのう。

これこれ、腹も空いた、さっそくさんまとやらを持って参れ。

 

うーン! これは美味じゃ。

そんなこともあって、ある時、殿様がさんまを所望したいといわれた。周りにはさんまなどあるわけはなく急ぎ日本橋の魚河岸から取り寄せたがあまりに脂があるので殿の身体によくないと脂を抜き、骨は喉に刺したらと骨を一本一本抜き殿様にお出しした。

 

殿様がこのさんまは何処から取り寄せたか聞いた。

家来は日本橋の魚河岸から取り寄せたと答えた。

 

殿は「やはり、さんまは目黒のさんまに限る」と答えた。

それで目黒のさんまが有名になったとさ。

 

ここのところさんまも取れなくなり、私も昨年は小さい痩せたさんま一匹食べた。いつも大根おろしで秋になるとよく食べていた。

目黒に海などあるわけもなく、まさか殿様は目黒に海でもあると思っているのだろうか。

 

おふくろは水の中  (連載ー25)      

おふくろは、水の中に消えた。

雨が降り、山にはこんなに水を抱えているのか、お墓の中は川のようだ。お棺を土でかぶせた。残りは村人がやってくれた。心残りは、おふくろを、水の中に残してきた。もう遥か昔のこと、まだ、土葬だった。

いつか、私も灰になってどこかの土の肥やしになればいいのだが。仕方がない自然の摂理だもんな。もがいても、もがいても永遠の命なんかない。

母、危篤すぐ連絡いれよ。病院の集中治療室に入り、母の手を握った。握り返してくれたので気づいてくれたことがわかった。

実家に帰り、神様仏様、山の上にお祭りしている屋敷に一人で登った。辺りはもう薄暗かったが、お線香とロウソクをつけ、木魚を叩き、耳から覚えた般若心経を呪文のように唱えた。母は、医者から聞かされていたが苦しまないように神様にお願いした。ロウソクの火が、時たま燃え盛り、何かを私に訴えているかのように話していた。

そこには、1時間ほどお参りして家に帰ったら、親父から母が亡くなったことを聞かされた。

兄が病院から母を連れて帰った。すでに、母の鼻と口に綿が詰められいて、アレーいつもの母のやさしい顔と違っていた。母じゃないと思ったが、これは母のやさしさに違いない、涙もでる時もなくした。

田舎の葬式はくらくて嫌だった。死んだことは本当だが、本当に死んだことを思い知らせれるから、長い列でつくって、お一人お一人役目があり御葬式を行う。幼い頃はこの儀式が好きでよくお墓に参った。

 大事なおふくろが水の中に葬るとは思わなかった。せめて、先に逝った桜の木の下のおばあちゃんに手を合せた。

 

マザー・テレサ知ってる  (連載―24)    

マザー・テレサはインドのカルカッタの貧しい人たちのために、たった一人から活動されてきた、宗教の枠を度外視した献身的な活動が全世界の人々に高く評価された。1979年のノーベル平和賞など受賞された。

テレサの生い立ちはインドと聞いていたが、彼女の宗教とか出身は気にさせないのだろう。

何処に行くのも、サリー(インドの民族服)とゾウリであった。

 マザーは行き先々で貧しさをみてきました。そんな彼女が晩年、最も恐ろしい病と言っていたのは孤独です。先進国と呼ばれる国々には、ゆたかさの陰で競争について行けず、社会からはじき出された人が大勢います。そんな孤独な人々の心の上に手を差し伸べるため行くのです。マザーは言います、ハンセン病や結核を直す薬は発明されました。でも人から要らないと思われている人々の為には、進んで使える手と愛する心しかないのです。

 ある女の子がテレサにお金頂戴と言う。テレサはお金がなく、その子の家に行くと目だけ輝くやせ細った家族がいたテレサはお米が少しあったので母親にだしたら、母親は半分は飢えた別の家族にもっていった。それを見たテレサは、逆に教えられたと。

テレサのように話題になれば政治を変えればと言うアドバイスあるだろうがそういう力のある人がやればいいし、私にかわるもう一人、いればいいのにと天はお望みだ。

 宗教、貧しさ、世の中にはいろんな立つ位置もあるだろうが「孤独」ほど厄介な現在病はない。孤独は一番大切な人にうつる。薬があればいいが、テレサが言っておられた愛する心しかないのか。

 

山の上の一軒家 (連載―23)     

どこの山の上かも知らないがこんな寂しいお化けでも出そうな山の中。私は山奥で生まれたから寂しくもないし、開けっ放しの一軒家でサンショやヨモギの天ぷら、五右衛門風呂にでも入れるこんな天国はないだろう。

 前から思っているが、狭い部屋にひきこもっている方々に天国のようなところに住んでもらいたいと思っていたが、条件があるらしい。3食付でないとダメなようらしい。こんないい条件はないにしろ全国に空き家がいっぱいあるようだ。

 山の上の一軒家に住もう!と知らせたい。昔、田舎で一人暮らししていた親父を町の私と住もうといったが断わられた。田舎暮らしって気楽のようだが器用でないと工夫のできる人でないと大変だ。慣れもあるし、なんとかなるさ。山の上の一軒家に住みたい。

この世は芝居のよう     (連載―22)     

生まれて、あばよ! 

お隣の奥様のアドバイス。「夜遅く行かないほうがいいわよ。あの方、夜はかつらと入れ歯を取るから。」そういうお隣の奥様も入れ歯と本人が言う。嫌だね、その会話。他人事でない気がする。

 あれから、まだ生きているんだものな私も意外と丈夫だ。

勉強を教えてくれた先生、泳ぎを教えてくれた人、川魚の取り方、天使のような美少女、いじめさせてくれた人、だましに来た人、人の後ろ姿を知った日、酔っぱらい、異性を好きになったこと、試験に失敗したこと、あやまちをおかしたこと、自殺した人、・・・・。

まあ! 私を取り巻く役者たちは数えきれない。この方たちに出演料を払ったら、とっくに私も自己破産だろう。私も一役者と思えば、はまる役者も大根役者にもなった。まだまだ私の人生劇場は続きますよ。

喜劇にしたいのか悲劇にしたいのか、悲劇だったのが途中から喜劇に変わるケースもあり、演出しだいのようだ。

人生の演出をしたいのだが、予期せぬことも考えておかなくてはならないだろう。参考に歴史上の表に出てくる人物の観察と表に出ない歴史上の裏方さんを知ることで本質がみえてくる。子役は大人より緻密さと繊細だ。だから惨いことを平気でやる、生きる知恵なのか、子役は世の中をみている。

道には、邪魔する役者もいる。邪魔されないと他の道も探すこともできない。道草するもよし。道案内人に騙されるのもよし、天があなたを何度も試してくるだろう。道に迷ったとしても引き返らず道があれば進めばいい、道はどこかに続いている。

 

自由と不自由  (連載―21)        

自由は不自由、不自由は自由という言葉が耳に入ってきた。

自由に書きなさいと言われても何を書いていいかもわからないし、不自由だ。

 また、課題を与えられ、それについて書きなさいと言われたら自由に書かせてよ。と言いたいだろうし。人って勝手な生きものですね。

 80歳はまだまだ「ひよこ」と言われるから考えよう。巷では、人生百歳と

言われている。そうすると百歳はまだまだ成人だ。

 私が68歳。80歳までは頑張ろうと思っていたが「ひよこ」と言わ

れるんじゃ考え直した。自分って勝手なもんじゃあーりません。

 人それぞれ自由に生きたらいい、生き方なんて決まってないようだ。

若い若い娘に教わった。後は頼むよ。

 私は死んだことはないから、何が自由で、何が不自由か閻魔様にでも聞かないとわからん。何が幸せなのか、これは各自の選択かも知れない。人を殴ったり、ゲームのように殺したりする世の中にはしたくはない。おいしいものがあれば誰かに食べさせてあげたい。誰かが何かをしてくれるというのは期待しないほうがいい、もし期待してないことが起きたら幸せの一つのようだ。

 

東の国に来た   (連載ー20)        

 幼いころ、ニワトリを200羽ほど飼っていた。

ニワトリは鶏肉といって、から揚げでも美味しいよね。

 田舎では、カシワの肉って言っていた。ニワトリのひよこを電燈で暖めた部屋に入れて育てた。

 寝床の隣の納屋から、グワグワ・・鶏のめだましで起きた。朝飯やろ、わかった、わかった、ニワトリに朝食をやることから、引き換えに生たまごをいただいた。あったかーいたまご。

東京に来るまでSukiyakiが牛肉とは知らず、あれは、カシワの水炊きのようで、すき焼きではなかったのだ。くやしーーい

 鉄板を熱くしてタレをいれ牛肉と糸コンと白いネギとを鉄板で焼く、それを生たまごと絡めて白いごはんと食べると、これぞすき焼きか。実に、うまい。

 店長、これ腐っているいんだけど、この豆,変えてくれない。

ある食堂でクレームをいったら、あんたこれ知らないの納豆だよ。そんなことは知らないけど、これは腐っている、においかいでご覧とまた、クレームをいった。納豆を初めて見た。

 ネギはあおい葉っぱを、食べていた。白いところばかりのネギ、食べるところがなかった。田舎の土は硬くてそれにくらべ、東の国は土が柔らかい。ネギの首まで土をかぶせたら色白のネギができるそうだ。反対だ。

 友人がおぜんを食べに連れて行ってくれた。醤油を食べている味付けで辛い。有名店で歴史のある、おやじが仁王様のように腰かけていた。おらの国は、昆布出汁でおぜんは薄味だ。これじゃ、血圧に悪い。

 田舎から東の国に来ると面白い。違いを楽しめる。今じゃ東京駅で全国の味を楽しめる。

 

もういくつ寝るとお正月 (連載―19)   次回も連載をお楽しみに!

年末と言えばその前にクリスマス、イチゴのショートケーキ、マッチ売りの少女、いっぱい夢の世界。それが終わるとうすとキネを出して家族みんなで餅つき、紅白歌合戦、除夜の鐘、

「もういくつ寝るとお正月、お正月には凧揚げて、駒を回して遊びましょう、はーやーくうコイコイお正月」

大人も忙しいが子供も忙しい。正月にお餅入りのお雑煮を親父がどういうわけかつくってくれた田舎、お餅をつかないで里芋や赤飯を食べるところもあって楽しみだった。

重箱にミカンとお餅、それにお米をいれて神社に初詣。火が燃やされ古いしめ飾りなどをお納めた。甘酒もいただきました。

肝心なお年玉も一番の楽しみだ。子供心に年末年始はわくわくした。大人になって今年の正月って箱根駅伝も楽しみだ。

 

死んだのね! (連載ー18)   

 あれ“!入院してんじゃないの。

病院を抜け出して来てくれたのはうれしいが、Don’t Go to the SKY(そら行けません)

外にタクシーを待たせているのだろう。出してはいけない水割りをだした。コップを片手に吉永小百合さんの誕生日と阪神タイガーズの初優勝の昭和ナン年なん月ナン日とキマリもんくを言って、さっさと出て行った。

東京でよかった。これ大阪だと、どうなっていたかね? 

今度、入院する時は私はこの世から去る日が決まる日だから、昭和なん年ナン月ナン日と言われていた、閻魔様もそれを聞いていたのかスケジュールを押さえていた。その方がおっしゃった日程で事は進んだ。

御葬式の前日は、東京も大雪で、私も都内のホテルを何とか押さえた。当日は、大雪で電車も動かなく諦めた。

後日、ご自宅に伺い仏壇にお線香をたむけた。

 それから、誰のお葬式に伺ってもご本人のお顔を拝顔することを避けた。故人の顔を拝顔すると、生前の笑顔や言葉のイントネーションが消しゴムで消されそうで、いつまでも、その方の生き様を心に残しておきたかった。

宗教上、差し支えないように事あるごとに喪主におことわりしている。

 こんなこともあった。ある方が急死され、お葬式にも行かれなかったのでご自宅に伺った。奥様はしっかりした方で、生前、ご主人の帰りが遅かったもので、その原因を突き止めるべく、私を検察の取調室のように遺影を横に置かれ、スタンドを充てられ尋問を受けた。まだ、お骨壺は温かそうだった。 

晴れて、故人も私も無罪となり、お線香をたむけ合掌させていただいた。

 今年、姉を亡くし御葬式に出た。今は家族葬が多いらしく身内だけのこじんまりとしたものだった。拝顔することはなく帰った。

帰って、思い出したかのように姉の歌をインターネットにアップした。幼い頃から歌も踊りも芸事が好きな姉だった。

 今年も、亡くなる筈のない方が何人か亡くなられた。ショックだった。

 

外から、こんな見方もされてたんだ (連載ー17) 

「アメリカの公使:タウンゼント・ハリスが、日本人の容姿と態度は甚だ満足した。日本人は喜望峰以東のいかなる民族より優秀である。私は時として、この国を開国して外国の影響をうけさせることが果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか疑わしくなる。これまでに見たどの国よりも簡素さと正直さがある。柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが住民の身なりはさっぱりとして態度も丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏に何時も附き物になっている。不潔さというものが少しも見られない。」 

平気でウソをつき他人のせいにしなければ生きていけない国もあるだろう。約束、契約は相手に守らせるために結ぶのであって自分とは関係ないといった国もあったみたいだ。日本は島国だからの原因でもなさそうだ。

人手不足のために日本もより開放していくのだろうが、ハリスが外国の影響をうけさせることが果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか疑わしくなる。同じ船に乗り、外からの人を大切にしたいものだ。                                                   テレビでの情報だが、外国人が日本の宝石を爆買をしているという。バブルの当時かった宝石が市場にでてきた。カットの技術がしっかりしている日本に買い付けに来るようだ。日本の業者が情報を流しているのだろうが外国人が大金で買われている。日本人もバブルの時も同じことをしていたのだろう。

ハリスの考えた日本人は消えてはいないんだろうが、ますますこれから、外からの観光客も増えるし、人材も頼りにしなければやっていけなし、オリンピックもある。

 

出家びとは街中にいた   (連載ー16)    

銀座で40年間姉と商売をしてきた。この実績、それがどうしたといわれると考える。

数寄屋通りを段ボールをお尻に敷いて引きずって、どこにいくんだろう、と思うのだが初老の女性をよくみかけた。

 大変だな思ったが、余計なことだった。いつも引きずっていると見えない角度の世界が見えるるんじゃないかと思った。いつも人の足を見てると、この方はどこか胃腸でも悪いのか? 何を悩んでいるのか? 何をそんなに急いでいるのか? まじめなお人、悪人なお人、金持ちなお人、 いろんなお方の足が見える。たまに顔を上げてみるといろんな顔の景色が見えるという。

 世の中も景気がパッとしないだろうか、私から見て年上の方がごみ箱に宝物でもあるんだろうか探していた。ポケットに小銭があったので、牛丼の温かい弁当に紅生姜をたっぷりのせてビニールの袋にいれて有楽町の方に歩いて行った。どうするんだい? この温かい弁当どうするんだい? と自分に問いかけたがそんな度胸もなく街を歩いていた。誰かに差し上げたいのだがそのタイミングがわからない。

 これ余ったのだけど、パッとビニール袋が手元からきえた。よかった

どうしょうかと思っていたがきえた。はやい!

 一時でも温かい白いごはんを食ってもらおうとした行為は正しかったの自問自答した。もしかしたら、おごりかもしれない。

 初めての体験だったが、また小銭が溜まったらやることにした。段ボールを引きずっているかた、街にも、出家びとがいる。

 

あ~そうか。これでわかった。  (連載ー15) 

 火事と喧嘩は江戸の華よ!

火消男がまとい、とびぐち、ハシゴ、を持ってどうして火を消すんのだろうと昔から思っていた。

 屋根に上ってまといを振ったら余計に風が吹いて火のまわりが早くなるのに、なんで?

 江戸の町は防火の為に作られたのか、屋根の向きがすべて同じ方向に建てられ、柱ごとにかすがいのような金具が取り付けられていてそれを,とびぐちで外せば建物が同じ方向で倒れるようになっていて、江戸の町の道幅が広く、とにかく延焼を防ぐようになっていた。

 め組の・・・・これでわかった。

 

私も、二宮尊徳(愛称:金次郎) 

 学校が終わると、山に上って芝刈りによく行った。

手初めに、わらを編んで綱を作ることから、山に上って枯れた枝を均等に鉈で折るなりして綱で束ねた。それを山の上から下まで転がして背負って持ち帰り窯で火をおこし飯を炊いた。

 あの恰好は二宮尊徳と変わりはないが、ただ手に書物を持っていないだけの違いだ。二宮尊徳はスマホで各自調べていただくとして、背中に背負うと重くてもバランスがとれて両手が空くことはわかるが勉学とは気づかなかったこの私。

 そういえば、いつの間に二宮尊徳の白い造像がなくなっている。もう、江戸時代の人のようだ。誰も知らないだろう。人物を説明する人もいないのに造像だけ飾りに置いても仕方ないようだ。

 そんな二宮尊徳のような村から小旗でも振ってもらって都会に出てきた青年も高齢者になったとさ。

 

 

ご縁と出会い  (連載―14)  
昔は、と言うと私も古い人間になったようだ。40年程前に結婚していただきましたが、結婚=大人になることだと考えていた。大人って何なのよ。と大人は近頃流行りの「忖度」のみ目立ってしまっているが、立派な大人に成長すること、成人になることと心得ていた。
 幸い、婿さんもご両親も御親戚も勿体ないほどいいご縁だ。早朝、エイコさんが仏壇にお茶を供えてくれて合掌していた。
 今日はすべてに感謝の気持ちで、このご縁を大切にしたいと祈っています。昔はどうであれ、近頃はどうであれ、幸せは二人でうみだすもので、孔子が言われた「仁」も「天」も人が二人と書く。
何事も一人ではできない。すべて感謝の気持ちを持つことからはじめたい。

 

2019年振り返り (連載ー13)  

私も昭和、平成、令和の3時代を生きようとしている。

2019年、令和元年で私は令和維新になることを祈っている。ラグビーの年だったね。ラグビーはなんで後ろにボールを投げるんだい?

なんでボールがいびつなの? なんで平行に棒が二本立っているの? 

髭ずらの大男がボールの取っこして陣地に運んでなんでうれしいのか、とにかく迫力と男の汗を見た。

 2019、令和元年にふさわしいスタートだった。2019令和のスタート年。ONE TEAME で日本の人づくり元年としたい。

人間が壊れていく年の始まりなのか,イや! ラグビーによって気づかされた。

 

娘の結婚 (連載ー12)     

今日は我が家の年末恒例のスモークハムつくりのお肉を買いに行く日だ。お日柄もよく市場に出かける日。

 早朝、栄子さんとドアを開けたら、誰かが入って来た。あら!おはよう、娘だ。

 早くから何なの?壁紙の張りの最終日だそうだ。夜は用事があるからと言う。背中と腰に白い物が張ってあった。どうしたの?私のせいらしい、頼むね。

 市場に着いた、娘に1000円のまぐろのブツ切れを食べさせようとその場所に行ったが早朝から業者で賑わっていた。

 今度は、目当ての肉屋に行った。肉屋は特別寒い、おじさんも白いほっかぶりをして、腰をかがめ働いていた。すき焼きに美味しそうな肉が目の前にある。意外と安かったので栄子さんに頼んで娘に買った。

 自宅に帰り、娘は黙々とやっていた。まぐろを食べさせたら評判がよかったので、今度はすき焼きにして栄子さんのタレで3人で食べた。それはそれは、すき焼きは2年ぶりでうまかった。

 食べたら眠くなったので寝た。起きたら、まだ娘はハシゴに乗って天上を拭いていた。傍にいるとウザイだろうからまた寝ることにした。

 お父さん、もう帰るね。

帰っちまった。私は現場監督に早変わり。チェック・チェック。

 器用だ、大したものだ立派なものだ。私が不自由をしているもので、娘も何かを示したかったのだろう。期待はしていなかったが、30年程違う娘に教えられた。

娘の輝きをここにあるとしたら、ここにあった。

明日は娘の結婚式、花婿がいなくても美味しい料理食べよな。

 

気づく (連載―11)    

 ある目の不自由なピアニストが、日本が自然災害にあった時、世界の人が、日本大丈夫なのかと心配していただいた。

災害に遭われ、大変な思いをして、まだまだご苦労で大変な思いをされていらっしゃいますが、音楽の力を信じ少しでも諦めないでいただきたい思いや祈りの気持を込めて演奏させていただきました。

の言葉に私には祈りの気持ちがかけていることに気づいた。

ベートーベンが28歳にして耳が不自由になり、自殺も考えたと知ると致命的な境遇でも曲作りを諦めなかった。

 あるピアニストは、おそらく、彼の生き方に影響されたのだろう。

ガラケーも、すべてスマホに変わるのだろう。スマホは悪の根源だと思っていたが、使い方によって、ある目の不自由な方の目の代わりをしてくれると聞く。目的地を設定するともう少し先まで歩いてください、そしたら右折です、とか案内してくれるらしい。その目のご不自由な方は世界が広がったろう。

 こんなこともあった。もう前から入りたかったレストラン、誰かがスマホで簡単に見つけた。私の近くで、そのレストランの情報を良いの悪いのと話していた。私が入ってみたいレストラン、私が遠くから抱いていたレストランの夢を簡単に壊さないで。後日、夢を抱いて行ってみた。夢のとおりだった。

 古い話だ。小学校の正門に白い二宮金次郎の造像が立っていた。牧を背負って片手に本を持って、働きながら勉強したのか立派な方がおられた。今だとスマホゲームってところだろう。誰も知らない古い話は止めた。

 人のしぐさで気づく、人の言葉で気づく、人の体温で気づく、人っていいなあ。

 

まあ いいか!  (連載―10

都会に一旗揚げるために山奥から出てきた。都会は頭のいいかたばかり、中国の孔子と言う人は15歳で学に志。それに引き換え私は、50歳で学に目覚めた。

誰も期待はしてくれなかったが、小学校の正門に白い、二宮金次郎の小さな像があり、立派な方なんだろう背中に牧を背負って本を読んでいた。今だったらスマホでゲームだろうか。

その隣に私の近い先祖の造像が建っていた。仕方ない私も成功しなくては二度と田舎には帰れないだろう。と思って田舎を後にした。

親父とおふくろはいつまでもホームで見送っていた。

なんだか都会に押し潰されそうだったが押しつぶされた。

まあ いいか! しぶとく50歳まで生きた。

50にして学を志。だが遅いと思うけど。まあ いいか!

苦手だった歴史からやってみた。もう私にはテストもないし、一人ひとり人物から学んだ。そしたら、いつの間にか世界の日本の流れもつながるではないか、苦手だった歴史が好きになった。

使わない脳を使ったから脳溢血になり死んだ。筈がしぶとく生きている。

 68歳になるが、もう一度この世に挑戦できるチァンスをいただければやってみたい。まあ いいか!

 

知恵のかなしみ  (連載ー9)

開口健氏がいう。いろんなものをいろんなところで食って、どうも近頃あまり美味しくない。 知らんでもいいことを知ったおかけで、世の中がつまらなくなる。これを「知恵のかなしみ」という。どうもかなしみが舌に先に出て来て困る。

 昔、聞いた開口健氏のおっしゃったお言葉だ。

ある信者に質問した。何を信じどういった宗教?と聞いたが、質問に答えずひたすら入信を勧められた。それ以上の質問はしなかった。

なぜか、「知恵のかなしみ」を思い出した。

知ってなければいけないのに、知りすぎると信じたことが半減するってことないですか、知らんでもいいことを知ったおかけで、世の中がつまらなくなってしまった。

 ペットボトルの水を高いとわめく人がいた。普通200円で買えるのに5万円も払わされたらしい。

 溺れている人は近くのわらをも掴むという言葉があるように、困っている方は単なる水にしてもありがたい水であれば5万円でも買ってしまう。もし、同じ水が200円であれ喉が渇けば安い水を買うだろう。もしその時、何かに苦慮していたら、同じ水だと証明できてもありがたい水をとるだろう。人間だもの。

その人間の弱わみに入ってくるのも、また、人間だもの。

 

Resetの小さな穴にびっくり  (連載―8)   

 長年使っていたウォークマンが、ウントモスントモ言わなくなった。新しく買わなければいけない。ちょっと遠くに買いに行くのかそんなお金はないし、迷っていたら。ウォークマンの裏に小さな穴を見つけた。Resetと書いてあった、楊枝で押したら、動き出した。

 バカじゃないの“あたりまえでしょう。

 

「広辞林」で調べたら、Recession もどる  と書いてあった。

パソコンでは、すべてを元に戻すこと。最初からやり直すこと。

状況を切り替えるため、いったん、すべてを断ち切ること。

 

50年前、好きだった、おばあちゃんが足の骨を折って20日程入院した。

 家に帰り寝かしたんだ、そしたら、帰ると言い出した。ここは家でしょう、仏壇も見えるでしょう。違う家に帰ると一点張り。

今だったら“帰ろうね、もう家に帰るの遅いから、明日、早く帰ろうね”と声もかけてあげられるのに。

 そしてまもなくして、亡くなった。最期まで手の脈を診るようにいわれていた。脈の鼓動がなくなってくる、脈がきえてまたポツンと、この繰り返しが暫く続いた。今度は30秒かな間隔が長くなる。

きえた。私も真空の世界に入った感覚で、おばあちゃんは亡くなった。おばあちゃんの死をみとどけた。おばあちゃんの命と生きた一生を思った。おばあちゃんは、明治生まれの厳しい人でよくケンカもした。苦労の連続だったと思う。

 

 親が子供を、子供が親に手をかけるニュースも度々聞くが。

人間にも背中にResetボタンがあればいいのにと思う。

バカじゃないの“人間は機械じゃないよ”

機械だったらいいのになあ。面倒な生き物だ。

人生は一度しかない、この瞬間ももう二度と来ない。誰が産んでくれたといってわめいても現実にいる。

親も子供も周囲も人もわかっているんだけど素直にResetできないと

頑張っていらっしゃる。別に変化も望まないしこのままでいいのだろうけど、今この時は二度と来ない、背中のResetボタン自分で押せるようにしたいよね。

おばあちゃんの死が私にResetをおしえてくれた。

 

私とあなた  (連載ー1-あ)    

私が山奥の田舎もん、あなたは田んぼの田舎もん、二人あわせて合掌だん。

私は、長女を入れ5人兄姉の4男です。あなたは弟が一人、3人弟姉妹の次女だ。

私とあなたは、両親も揃ってて、兄弟姉妹もいたが、まともな家庭に生まれた。

比較は嫌いだが、今から250年程前、運命を作曲したドイツ人のベートーベンの父親は宮廷の歌手で飲んだくれて稼ぎもなく、ベートーベンにスパルタでピアノを習わせ7歳でデビューさせ稼がせた。

18歳で母親を亡くし、父親は酒にのまれ、28歳で致命的な難聴になった。

私もあなたもまともな両親だったから、天才に生まれてこなかったのか、私もあなたも二度とない人生を家庭環境が時代がどうであれ、逝きぬかなければならない。

天才と天災を比較にはならないが、振り返れば同じなのかね。

私とあなたは1秒の絡みで、一生を背負っている。

もう何年かしたら土の肥やしになるんだろうが、私とあなたは

共に生きていくこれからも。

 

わたし  (連載―1-い)

孔子は、十有五にして学に志す。としたが、私は孔子より30年ほど遅く学に志した。

数学は苦手だったが簿記は好きだった。自分を活かして社会に通用できるのは税理士になることだと気づいた。都会に出て一旗あげることが目的だったがどこかで狂っちまった。

あなたも詐欺師ね。あなたが税理士になるというから結婚したのに私が詐欺師でなかったらあなたは結婚できなかったでしょう。

 

関所  (連載―1-う)

幼い頃は、街に出るのも関所があった。そんな古い話をしてもわからないでしょう。関所は古いが、村ごとに子供たちの縄張りのようなものがあった。隣の村を超すには、村の親分に見つからないように黙って素通りするか手土産を持参するかだ。

私は素通りを選択した。親に自転車を買ってもらって、嬉しさで海を見るため喧嘩の強い友達を連れ旅に出た。なんだこれは道は砂利道で石ころが余計な音を出す。見つかったよう! 逃げろー

やっと街に着き舗装された道をまるで雲にでも乗ってるようでスイスイ快適だ。潮のみおいもしてきた。大きな船を始めてみた。

海は広いーな、大きいーな、行ってみたいーなよその国・・・

画用紙にヨットを浮かんでいる絵が忘れられない。

 町のお好み焼きが食べたい。メリケン粉にキャベツ、ソース味がうまい。

 ところで、帰りの心配だ。関所があるから、今度は逃げられないだろうから太鼓饅頭を買ってお土産にしょう。友達も賛成してくれた。

 案の定、関所には奉行と家来が待ち構えていた。ご挨拶をしてお土産を出したら無事関所越えができた。

怖かったー。

 

親鸞の「歎異抄」  (連載―7)  

 鎌倉時代書かれた仏教の本だという。

悪人も善人も分け隔てなく救われるというから、私も納得はいかなかった。

ちょうど、中村久子さんのことを聞いていたのできずかされた。これも善人づらしている私が言うのだから信用しない方がいいと意外と自信がない。

 中村久子さんは病気で手と足を途中から無くし、久子さんだから、重度の身体障碍者であるのに、手縫いもできるように親は一人前に育て食っていける見世物小屋のダルマ娘として売られた。

 昭和12年1月17日、目と耳が不自由だった、ヘレン・ケラーが来日した。おなじ舞台で、彼女が久子さんの身体を手探りで触れた「私より不幸な人、私より偉大な人」と言いのけた、これもヘレン・ケラーも立派だ。

 それから、久子さんは見世物小屋を辞め、全国を講演に回った。久子さんは自分の苦労と障害をたかびしゃになって話している自分に耐えかねて見世物小屋に戻ったらしい。

 久子さんはこれまで育ててくれた見世物小屋があったから生かされたと感じたのだろう。

 久子さんも親鸞の「歎異抄」と出会ったおかげで気づいたのだろう。楽に生きたければ、ギャラもいい講演を取ったろう。

 この世に善と悪があるなら、人間が勝手に決めて言うので、悪も善もないのだろう、久子さんに気づかされたことが、私の歎異抄になっている。

 

お金のない世界  (連載-6)   

オイとかエイコとか呼んだことないので、私の妻とも言ったことがないので、お名前で栄子さんとよばせていただきます。

たまに生き仏様にお茶を私の机まで持ってきていただく。「生き仏様」とね。

幼いころ、葬式が好きだった。お坊さんのお経とシンバルと漆塗りのお坊さんの赤いイスと厳粛な緊張感が好きで、その頃は、まだ田舎では土葬だった。おばあちゃん、おふくろ、までは土葬だった。

田舎では、火葬にしたいと、一番言い出しっぺが、最初に火葬されるという迷信みたいなのがあったのだろう。ようやく親父の時は火葬になった。

お墓の石塔の下に遺骨を入れるスペースもなく造り直していた。

親父以降、葬式が苦手で知人などのお葬式では出来るだけ死顏は見ないことにしている。まして、お箸で遺骨を・・・とんでもない出来事だった。

なぜ、こんな話になったかと言えば、喪中はがきが原因だった。え!彼が亡くなった、彼女が亡くなった。というお知らせをはがきで知った。なぜ・・何故・・亡くなったの、お亡くなりになる筈のない方が亡くなられた。兄、姉のようにして心配していただき可愛がっていただいた方でした。宗教的にはどうであれ喪主に毎回、了解を取っている。

あるお金持ちの方にどんな世界を描いていますかという問いに、「お金のない世界」をと言っておられた。ちなみに、何百憶も持っておられる方のようだ。お金のないなどと一度は言って見たいが千円のお金に四苦八苦しているのに、確かにいいことかもしれない。

お金で人の幸せが買えますか?お金で不治の病を治せますか?お金で愛が買えますか?

 もちろん買えますとも!決まっているさ。お金の使い方でどうだってできるさ。ポケットにお金があったので、あたたかい牛丼と紅生姜をたっぷり白いごはんの上にのっけてもらって、もう暮れも近いし街ではクリスマスソングが流れていた。マッチ売りのおじさんが牛丼を手にぶら下げて街をさまよっていた。暖かい白いごはんを誰かに食べさせてあげたいのだが、どうしていいのかわからない。

並行して歩いていた、これ余ったんだ。あっという間に手から離れた。

 タイミングはわかった。またお金があったら、牛丼買おう“!

 お金はあった方がいいと思うが、捨てるわけにもいかない。どこかに寄付したら、売名行為とか言われちゃってやりにくい。

 お金はか弱いが人の心も権力も買える。お金は何千年の歴史の積み重ねだもんな。もしなかったら、自殺者もでてくるかもね。人聞きの悪いが人は欲がある限りお金が恋人だ。

 お金がない世界って栄子さんに聞いた。まず、何百億も持っていたら0になってから考えようと白菜の浅漬けのような答えだ。

ある時、中国のオレオレ詐欺集団が何と6百何名か捕まっている映像をみた。若者みんな下を向いていた。我が子を思い出し、下を向かなくてはならない生き方に悲しみをおぼえた。

日本人もタイで何人か捕らえられている。この子たちを上を向ける生き方が出来ればいいのだが彼らにはオレオレ詐欺も仕事だろうが、これは長年人間が築き上げてきた信頼を根こそぎ崩す行為であり。単に楽して金を手に入れる行為とは違うことを知っていただきたい。

「金は天下のまわりもの」と天のセイにしたいのだろうが高齢者が大金を貯めておかなければならない世相であり、若者が下を向かなくてはならない世相を選択しなければならないのであれば人間世界は崩されていくだろうし見過ごせない。

 

 

要らんこと書きます。(連載―5)   

文明は河によって栄えてきた。黄河、長江、ガンジス河、チグリスユーフラテス河、ナイル河ってね。

 人々を統治するには中国は英雄、人で。インドはヒンドウ教でその前はバラモン教もあった。つまりあのエリアはカーストとか階級制度による制度で、中東はイスラム、宗教で、統治してきた。人なの、宗教なのと両方なのと統治してきたのがヨーロッパ。

 私は男の立場で、話さしていただきます。

英雄、色を好む。古いなあ!

力で統治する時代もあるし、お金持ちになれば高級車を買ったり、女性に溺れる時代もあり。強・弱の時代も繰り返される。

昔、中国の西の端に奏の始皇帝と言う人物がいた。始皇帝というなも初めて呼ばれるようになった。王様の王様だった。この始皇帝は儒教ではなかったので、儒教を信じるものを穴に埋めたらしい。 

ところで、日本はどうなんだろうか、日本は自由過ぎて、主張すると怖い部分もある。何かのせいにしたいところだが、若者から堂々と意見のいえる忖度しなくていいから、そんな方は出るしかないようだ。冷静に話せばわかってくれる筈だ。忖度は日本人のいいとこのように思うがもう今はそんなこと言っている忖度はない。 

 

孔子を知る。(連載ー4)          

夜中と言うかもう朝方に孔子にであった。

孔子は、今から2520年程前、中国の春秋時代の魯国に生まれた。

3歳ですでに父を亡くし、母は30歳で亡くし、父方の親戚に引き取られ「孔」という性を名のった。

孔子というば、年功序列で先人を敬いなさいよ。といった儒教の教えを唱えた方のようだ。父も亡くしただけでも大変なのに、母も亡くし一人孤独で生きることも大変だったろう。孔子と言えば、日本では専制君子のように思われてきた。実際、私も知らなかった。

 弟子たちが孔子の教えを「論語」にまとめたものを残している。有名な言葉に

「十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲するところに従えども、矩(のり)をこえず」

この言葉を残しているのは恐れおおくも、孔子は幼い頃から人にもまれているように察する。今でいうなら負け組のようだ。

釈迦も8年先輩で仏教を生み、孔子は論語で人様の生き方をしめしてきた。私のおばあちゃんの傍で、もく魚を叩いてきたので耳から「般若心経」を自然と口ずさんできたが、色即是空の教えを知った。

形あるものは、すべて空だといっていた。

 

孔子は、「仁」を示しているようだ。仁の字には、人が二人ということだから、例えば、優しくしてもらうためには、先に人にやさしくすること、出世したかったら、先に人を出世していただくこと、自分が嫌なことは人におしつけるないこと。とか生き方の指針を示された。

誰かが言っていた。人を愛しなさいといわれても。愛する範囲は、自分の子供、自分の所有物や私の意見に同調するものは愛するが、敵対すれば、憎しみとなる。そんなエゴな愛ではなく、相手のためになる思いやりが必要となる。日本人の物差しが一本になっている。それが損得かの尺度になっている。 

金持ちになることが幸せじゃなく、例えば、「おいしいものをたべる」と

「おいしくたべる。」とは違うと思う。

おいしいものを食べるには、金持ちになる必要がある。仕方ないか、

戦後のまずしい体験から日本人は豊かになりたかったから物に執着したので誰よりも金持ちになることが目的だった。金を貯めることが目的で損得勘定がうまれた。成功して、高級車を買い、綺麗な女性とも恋でもしたい、これは余計なことだが、田舎に錦を飾ることが成功者であったのだろう。金持ちになればなるほど金を出したがらない。

 戦争体験のない私でさえこんな考えなのにわかるような気がする。

 これも、孔子の教えだとも思うが、「天」と言う字も人が二人と書く。

私が高速道路で追突された交通事故の時、「天はまた私をお試しになられるのかと」と思った言葉だ。試されよ。

 

壁紙事件(連載ー3)

私も幼いころから大工が好きで屋根にペンキを塗ったり、レンガで門を作ったり日曜大工の経験も技術もあると思っている。

 一日目、5時間かけてこれだけと妻は文句が言いたげだが、妻に話した。私はこ の家なんてどうでもいい、この子供に一つの自信というものが育てばいいだろうってね、かっこよくいったものの。

 二日目、壁が布でできてて、ペンキを吸ってしまうからペンキののりがわるいしペンキの量もかかる。今夜、妻にお願いして、軽く下地のつもりで一度塗りをしておいた。

 三日目、子供が来るなりここからやるからねと昨夜下地の塗った壁の別を場所の壁を始めようとした。妻に先手を撃たれた。喧嘩はやめなさいよ!

じっくり子供と話したら、昨夜一度塗りした壁からはじめてくれた。

私は暖かいところでお茶でも飲んでいた。夜遅くまでやっていた。なかなか!

明日は、用事があるから来れないという。

 今、壁紙を調べているから任せろというので、口出しはしない。

この壁紙事件で責任をもってくれればいいが最後まで私が口出しないでいられるか試されそうだ。

 

人を怒らせる方法って考えればきりがない。反対に笑わせる方法って難しい。

「あなたの奥さんとてもぶさいくだよね。ほんとぶさいくだよね。

 信じられないくらいぶさいくだよね」

「私イケメンがいいわ、それにひきかえあなたメンくらうほどイケてないのね」

これだけ言われて怒らない人はいないだろう。こんなこと面と向かって言う人がいなかったから笑ってしまった。怒りは笑いに変えられる。短い人生、人になんて言われようが笑いの人生を選びたい。

 壁紙は子供にお願いするとして、ひとつひとつのことが子供への遺言のようだ。私には、まだ屋根のペンキも残っている。

 

 

 

 

損得勘定
損得勘定(連載ー2)

「損得勘定」は車の両車輪のようにバランスをとっていないと真っすぐには進めない。

簿記って知ってる。聞いたことあるけど、それじゃ話してみるか? 

損得勘定=損益勘定  金=現金勘定 と思ってね。

現金勘定があるとする。この現金が増えれば、必ず相手勘定が増加する。例えば売り上げが増えれば、現金も増える。現金が減れば費用が増える

まさしく、損得勘定は、得したと思ったら、何かが損をしている。まして利益がいつも出るとは限らない。

会社の経理課に勤めていたころ、出納の窓口にいたころ、この損得が貸借(左右)合わないと帰してはくれない。

最近、はやっている「あおり運転」を見てみると。

アオリ運転していると気持ちがすっきり得した気分、だけどアオリ運転された人は恐怖が増す。車上カメラで撮られて、罰金やらで出費が増える。人間の世界も損得勘定で成り立っている。

最近は、テレビでも映し出されるが、まさか、こんな方がと警察に護送されていくのをみる。私の幼い頃はラッパズボンをはいてボタンを外してそれらしき恰好でよたっていた。大体、偏見だけど悪い奴のタイプが読めたが、今は世間でいう普通の方が悪びれもなく犯罪を犯している。だから、防犯カメラもいたるところに設置されているのだろう。車上カメラの売れゆきもよくなり世間は得をする。世間は世知辛くなって損をする。

「この何かが損をしている」のが気づかない。

今、若い私の子供に教わっている。家も築30年もなり、壁紙を張り替えることになり、子供がはりかえてくれるようだ。今はやりのスマホで調べているようだ。

 

通じない(連載ー1)

道を挟んで言葉が通じない。と聞いていたが、時を挟んで言葉が通じないのかも知れない。

 山奥から都会に出てきて来て、どうすりゃいいのか西も東もわからず、周りはみんな頭が良さそうだ。忘れはしない、日比谷のある図書館に勉強というなのことをしんにいった。こう言いながら、方言を使うわいがいた。

 2階の自主室にのぼったら、誰かの葬式でも来たように静まりかえっている。なんだこれは、厚い本を左手で添え、眼鏡をかけた大男が隣席で黙々と本を読んでいる。私も負けじとふろしきから厚い本を出して読むふりをした。

 数分して腹が減った、確か地階に食堂があったのでうどんを食べた。食べたら眠くなったのでしょんべん臭いアパートに帰ることにした。

 これがワイが知った、初日の都会人の印象だった。みんな賢そうに見えるんだもの。新宿に行ったら、今日は祭りなのか大勢の人が神輿でも見ようとするのか人混みを足早に歩いていた。

 私もこの先を急いだ。暫く、歩いても神輿などない。これが都会と知った、まったく山猿ってことだ。

 ヘルメットを持たされ、手を組まされ、歩道橋から写真を撮られ、道路を早足であるいていた。これがデモというものらしい。

 税理士で一旗あげて、たっぷり金を稼いで田舎に錦をと思って都会に出てきた。がそんなに甘いもんやあれへん。

 生きる道などというものは、コロコロ変わっていったわ。スーパーマーケットで月光仮面の切られ役をやったり、切られて寝ていると子供たちが棒で叩きにくる。運送会社で引っ越しのバイト、喫茶店でわからぬケーキのオーダーをされ面食らったこと、夕食もでたので助かった。

 悪いことはするなよと、おふくろ、おばあちゃんの顔が浮かんだ。

結局、サラリーマンも経験させていただいた、経理課だった。

 姉が銀座に店をだすので手伝っていたら、どっぷり入ってしまった。銀座は、コーヒーとアダモの歌が流れ、異国の雰囲気だ。

銀座は日本のど真ん中、人間も真摯で知識人だ。そんな中いつの間にか時が過ぎた。知ったかぶりから始まった銀座の街。それはそれは一言でははなせない。

 若いときは老いることも病むことも忘れ、老いて突然、死を知る。

私に子供3人授かった。妻にいわせりゃ私が4人目の子供らしい。それは認める。

 車からディズニーの音楽が流れた。これは、マイウェイの曲だ。口ずさんでいると子供がお父さんこの歌知ってるのとまじに尋ねられた。子供の車で聞いた。子供は長男の39歳だ。子供にかかわらずこんなことが度々ある。若い人たちと話していると私が当たり前のことが知っていると思って話していると話が進まない。最近は、この方知っていると尋ねて話をすることにしている。そうでないと、時代が違うのか通じない。

 よくご年配の口から、若い子の愚痴を聞かされるが、若い子を理解したと思うとまた、違う。違うと思ったらまた違う。違うと思ったらまた戻される。何だかわからなくなった。辛抱辛抱、諦めたら負けよ。だって、スマホもあり便利な知識の先生がいつも傍にいるんだもの若い人も、私よりはるかに知識人のようだもの。

時が挟んで言葉が通じないのであって、若い子が私を理解してないのと私が若い子を理解してないのと絡まれば言葉が通じないのは当たり前。

若い子は、自分の考えを主張しないのは、大人もそうであるように、忖度するのだろう。主張すると実績もなく、偉そうに皆から,「なにさま」と言われたり、抹殺されるのだろう。目立たない目立たない、「別に」と言っとけば安心だ。

 

「忖度」ソンタク

 他人の心情を推し量ること、また、推し量って相手に配慮することであるが、特に、立身出世や自己保身等の心理から、上司等、立場が上の人間の心情を汲み取り、ここに本人が自己の行為に「公正さ」を欠いていることを自覚して行動すること、の意味で使用される 。「忖」「度」いずれの文字も「はかる」の意味を含む