なかつ道寺3 

「謝る」は日本の文化

 日本は島国で、自然は厳しい。狭い集落で山にへばりついて、みんなで協力しあって生きている。うやむやにしてでも早く仲直り……という風潮は、集団と協調の日本文化を間違いなく形成している。日本は性善説で「謝る」と言う動作を大切にする文化だそうだ。

 よくテレビで謝罪会見で重役がマイクを置いて神妙に頭をさげている。すいませんでしたとね。“またやってるよ”と思うのは私だけなのか、「謝ってる」のに「涙も流してる」のにいつまでも喧嘩続ける気なのと思う人が多いのも事実だ。

主張し合うことに慣れない日本人は、言い争いを避ける傾向にある。謝ってんだから許してやれよ。

 何時からなのかこんなに素直になって。どの方も横並びで「謝る」。確かに最初から謝っておけばそれ以降追及されないのが事実だ。

謝るの極め付きは「土下座」らしい。真似しないでね。

言い訳でもしたら、大変、袋叩きだ。

悪いことをした方はすぐ忘れるが、された方はいつまでも忘れない。相手の気持ちが大切だね。

人をダマしても何も思わないのに、ダマされると懸命に起こる人がいる。

 

 

 

 出家=浮浪者

出家とは名ばかりで、浮浪者になることだと思った、浮浪者になることだと考えることが人の世に生きる人は差別をしていることと思った。

銀座で40年間姉と商売をしてきた。この実績がそれがどうしたといわれると考える。

数寄屋通りを段ボールをお尻に敷いて引きずって、どこにいくんだろう、と思うのだがもう初老の女性をよくみかけた。

 大変だな思ったが、余計なことだった。いつも引きずっていると見えない角度の世界が見えるんじゃないかと思った。いつも人の足を見てると、この方はどこか悪いのか? 何を悩んでいるのか? 何をそんなに急いでいるのか? まじめなお人、悪人なお人、金持ちなお人、世の中がみんなチャラになればいいのにと? いろんなお方の足が見える。たまに顔を上げてみるといろんな顔の景色が見えるという。

 世の中も景気がパッとしないだろうか、私から見て年上の方がごみ箱に宝物でもあるんだろうか探していた。ポケットに小銭があったので、牛丼の温かい弁当に紅生姜をたっぷりのせてビニールの袋にいれて有楽町の方に歩いて行った。どうするんだい? この温かい弁当どうするんだい? と自分に問いかけたがそんな度胸もなく街を歩いていた。誰かに差し上げたいのだがそのタイミングがわからない。

 これ余ったのだけど、パッとビニール袋が手元からきえた。よかった

どうしょうかと思っていたがきえた。はやい!

 一時でも温かい白いごはんを食ってもらおうとした行為は正しかったの自問自答した。もしかしたら、おごりかもしれない。

 初めての体験だったが、また小銭が溜まったらやることにした。段ボールを引きずっているかた、街には、出家びとがいる。

 車を日比谷公園の近くに留めていたので、途中ビルの片隅に若いと思うのだが女性が昼間どこかのオフィスでも働いているのだろうか上品なお嬢さんに、いつもお世話になっている運転手の妻と深夜、話しながら歩いていたが、パッタリ姿が見えなくなった。もう出世してマンションでも暮らしているのかと思って安堵した。ところが半年は過ぎただろうかそこに居た。また安堵した。

 人は、健康な時はまさか大病するとは思わないし、たばこも酒もひかえなさいと言われても聞かないし、若いと思っていると人は老いることを忘れる。

老いて死ぬことを知る。

 人は情に流されることだってある。時の大波に流されることだって警戒してても流された。もうどうだっていいや、流されよう。

 それが若さだと思えばなっとくする。出家して山に籠らなくても街で悟る機会がある。

 誰かが言ってたな、大海原に100人の人が溺れているんだって、あなたなら誰を一番に助けますか? だとよ。

 それを35歳の若い青年に聞いたら、一番かわいい女から助けます。

だけど、溺れているからわからないだろうと言ったら、本能で助けますとこきやがった。想像もしてなかった答えに笑ってしまった。

 一番近くの人から助けますというのがお答えらしいがそのとうりだよね。

善人から、悪人から、子供女性から、溺れているし一刻も早く助けなければ考えている時もないだろう。結果的に悪人から助けている場合もあるし善人から助けている場合だってある。

 悪人も善人も立場の違いとは言え区別される。善人も悪人も見る目ははやい区別も差別も生む。

 人間も生き物の一種だ。異性に対する本能も本能で動いている。これは理由付けできん。

 最初に、出家とか仏のようにかきはじめたが、一番下の方から世の中を人間の表情を見た方が景色がいいようなきがした。世の中すべて便利にできて住みよくなっているが、それだけ幸せであればこしたことはない。「おいしいものを食べる」と「おいしく食べる」。 私はおいしく食べるの方がいいかな。