連載

65さい若人のこんさーと   (連載―39)   次の連載お楽しみ!

数寄屋通で店をやっていた頃、看板を見て「また、古いことやっている」と捨て台詞のように消えていった人がいた。その時の思いを持ち続けて今夢実現できる。したい。

 ニューオーリンズのとある馬小屋のような裸電球の下で色黒な方たちが6,7人で奏でていた。80さい+3歳だろうか日本の女性がドラムを叩く破目になった。丸くなった背筋がシャキッと伸び、酒もタバコもイケるのにそんな女性にみえた。私もドラマーだが、その女性のとりこになっていた。音楽は人を変える。今夜も外泊だ。

 私の息子は、35年ローンで一軒家をかった。65さいからのスタートになるようだ。よかったよかった。

 

東洋の神秘の国  (連載ー38)    

 鷹が大きな羽根ひろげた、竜は横たわっているような日本列島。北海の海から沖縄の南国の海まで。

 東の黄金の国ジパングは金がとれた。佐渡の金山も行った。塩尻、塩原、とか海でもあったのだろうか、火山や温泉の湧くところに金が取れるらしい。

 海原に出るにも、関所もあり、お代官様の機嫌を損ねては神経を使う。

神の国、神風とか、生まれも育ちも日本人の私でさえも神秘な国である。他の国は一神教であったり、パワステでは長続きもしない。人は元気な時は病を忘れ、若い時は老いることを忘れる、老いて死を知る。生きることは辛い。とおりすがりの若い人に紙に書いた紙飛行機になんて書こうかね。

 

 一枚の写真、見方を変えると日本列島が姿をかわる。東洋の神秘な国のようだ。

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カレーライス  (連載ー37)  

 カレーライスは子供会のクリスマス時や時あるときは、いつも婦人会のお母さんたちが作ってくれた。一番の人気ものである。お腹が空いていたのでおかわりを一番にした。おふくろに10円だったか貰って、長方形の小さなケーキがあれば舞い上がった。

一度だっけ、おふくろいの誕生日にカレーライスと10円のケーキと戸棚にあった日本酒を添えて押入れに入れておふくろを祝った。これが私のおふくろへの最初で最後の祝い事だった。

カレーライスもカレーの素も3切れ入れた薄いらしいが玉ねぎとじゃがいもをいっぱい入れた。カレーは私の調理師の始まりだった。

いつの世も、おふくろの親父の思いはかわらない。言葉にならないが後ろ姿に書いてあった。

 

よかった!  (連載ー36)   

 このいい匂いうちでよかった。帰るなり子供たちがカレーを食べていた。すまない、私の話は賞味期限の切れた話かもしれない。

 今日は朝から、涙がでてくる。3人の子らは家から出て行き、その中の女の子一人がこんな筈はなかったのに、結婚をして、タイにいった。娘は20年程、都会の真ん中で親にも面倒をかけずに生きてきた。泣いて家に電話もあった。妻には世界でただ一人の愚痴の言える母だから、たとへ愚痴であろうと辛抱強く聞いてやってほしいとお願いした。

 3人とも所帯を持ち、私たち夫婦には2人の孫ができた。孫の成人まで見届けそうもないが、よかった!と言ってもらえる世であればいいが、若い方々には便利な世になっていようが、「この匂いうちでよかった」と言っていただける世になればいいと思っている。よけいなお世話かもしれないね。

 1300年前の奈良時代から人間は変わっていないように思う。スマホが便利さに私も来月からお世話になるが、ガラケーからの切り替えらしいが電話機能と娘と話すラインだけ利用しょうと思う。いろんな便利なアプリは、私の目と口と鼻と耳で情報をゲットするつもりだ。

 

 

はじまり:作詞  (連載ー35)     

1,    もし、会えるなら、あなたに会いたい。

暗いくらい深い海にいるなら、一人きりにさせるものか、今にでもとんでいきたい。

バカだなあ、信じられないがあなたに会えると思い、お墓に避難していた時もあった。今となっては、人生のほとんどが過去になってしまった。

過去は私とあなたが生きたあかし。もう過去には戻れないにしても、過去は二人の思い出に変わる

夜が明け、あさひに照らされ思い出はあなたとはじまる

 

2、 時として、海は私とあなたに嫉妬する。

普段は地平線のように波静かに装っていても、海の中は音も立てずに流れている。

  たわいもなく、打ち寄せる波があなたの甘いささやきのように私の心を揺さぶる、夜の海はすべてを覆い隠すのかあなたの面影も消していった。

過去は私とあなたが生きたあかし。もう過去には戻れないにしても、過去は二人の思い出に変わる

夜が明け、あさひに照らされ思い出はあなたとはじまる

 

 

過去は私とあなたが生きたあかし。もう過去には戻れないにしても、過去は二人の思い出に変わる

夜が明け、あさひに照らされ思い出はあなたとはじまる

 

道徳って (連載―34)  

「道徳」を広辞林で引くと、人間のふみ行うべき正しい道。またそれにかなう行為。とある。

 長年、優しくない上司のもとで暮らしてきたので、損得を考えれば即、手を引くのであるがその上司は時々垣間見せる中に優しさを見せ、あえて無用なことを言う。だから権力者は孤独だなあ。と思った。

 「初心忘るべからず」と言う言葉あるように、ふとこの言葉を思い出したおかげで孤独を知った。ず~と、初心忘るべからずは私の道徳になっている。私はこの初心に戻すバネを鍛えている。

どんなに世の中が変わっても、時代が変わっても私の初心の心は変ってはいなかった。何事にも謙虚にみることができればよりいい道、悲しみも、怒りも見えてくる。初心の耐用年数は永遠でもなく私の命とおなじかもしれない。

 

道徳って (連載ー33)       

 年少のころ、道徳の授業あったよ覚えている。あまり勉強をする時間がなかったので、算数とか理科とか意見が違うので嫌いだった。

 次は道徳の時間だやれやれ休めると思った。親の言うことを聞きなさいとかこんなことをしてはいけません。とか当たり前のことの復習だ。

当たり前の道徳は、今の時代でも通用するものもほとんどあるが、身近に、くわえたばこで歩いている方はいないし、ポイ捨てする人もいない、町にはゴミ、吸い殻も落ちていない。ゴミ箱がないのにみんな持ち帰っているのか。

居酒屋でも、たばこを吸われる方も見ない。ある方が海外で買ってきた大切な灰皿を店に預けていた。葉巻を吸われ、匂いを楽しまれていた。そこの店長はたばこは吸われない。今日から店内も禁煙にするという。お客様は、灰皿と二度と来ないと捨て台詞で出て行かれた。

商売は難しい、喜んで頂きなんぼの世界、我慢だね。どこで折り合いをつけるか。仁徳も多分にある。

まあ! いいか。

 

こどもって  (連載―32)   

 もう55年前にもなるんだろうか、私の成績は、ビリから数えた方が早い、エーイめんどくさい、ビリから3番目のほぼビリである。ある日、ビリから2番目の奴と畳の間のある家庭科の部屋で取っ組み合いのじゃれごとをしていた。

 そのうち、本気になってきた。私が投げても投げても這いあがってきて、私に投げられる。懸命にかかってくるそいつの顔が忘れられない。2歳年上の兄に蹴られても蹴られても泣きながら、かかっていった。

兄は、その当時の私の根性を知ってか、大人になっても頑張れ根性とは言わない。

 こどもは大人が見て残酷と思ってもそうは思っていないのかもしれない。投げても蹴られても人を知る、自分を知ることかもしれない。残念だが。

 私より出来の悪い2番目の奴が、どういうわけか漢字だけは何でも読めるし書ける。クラスの誰もが漢字に関して彼の右に出るものがいない。彼の自信に満ちた態度は忘れ様がない。

 嫉妬、浮気は大人の世界のように思うが、こどもは大人の顔色には敏感だ。大人よりも繊細かもしれない。生きるための手段をこどもなりに学んでいる。

 教育にしても、先生の本心などはすぐ読まれる。にわか学問すら察知される。こどもは評価が大切だから目先のことに標準を合わせてくる。

 何だか、ひにくれたこどもでありえない考え過ぎのようだ。

 

次の4つのテーマ(連載―31) 

2020年

 今年は、オリンピックの年だ。昭和39年の時、アジアで初めての開催に感激した。規則正しくメインスタジアムの前に来たら紅白のユニホームを着た日本選手団が右手を上げ、堂々と行進していた姿は目に焼き付いている。

 田舎で布切れに灯油を湿らせ、にわか聖火台をつくって点火した。なぜか嬉しかったし、こころが踊った。三宅(お父さん)選手の重量挙げ、アベベの素足で走ったマラソン。村では山の上にテレビアンテナ塔をつくってくれたので東京のオリンピックを見ることができた。東京、大阪間、超特急新幹線も開通した。何もかも生活も変わった。ローラーの手動しぼり機のついた洗濯機、電気釜、テレビなどが入った。文明開化のはじまりだ。

 まさか、2度目のオリンピックが東京で見られるとは夢のようだ。

 

成人式

 田舎の役場の会議室で、成人式をやっていただいた。確か雨が降っていた。先輩から異性の裸の写真をいただいた。いやらしい! その当時は免疫がないので処分に困った。おふくろに見つかり、言い訳にあたふたした。しばらく、おふくろの顔を見られなかった。

 選挙権もいただけるので世間は今日から俺を大人と見てくるにちがいない。酒、たばこは大丈夫だ。急に大人の仲間に入れられちまって、村の下刈にも日当をくれる。日当をくれるんじゃ大人の働きをしなきゃならないだろう。

 最初の選挙に行ったが、みんなの目線が違っていた。頭で考えているのと実際投票所に来て投票するのと責任感とかそんな立派なものでもないが

違っていた。大人になったんだ

 

受験

 みんな賢そうだ。完全に負けた。昭和45年頃は東京によく雪が降った。大学の広い教室には秀才ばかりいるではないか、試験が終わり雪も大げさに降って来た。駅までの道、ぞろぞろ歩く私の足は重く暗かった。

 明日もこの近くの大学だ。無駄な抵抗はやめて引き上げた方がいいのに

せっかく自力で1年間わらばん紙と向き合って手の指にタコができるほど繰り返しの暗記をした。これも試練のひとつに違いないと思った。最期までやるしかなんねえだろう。今さらジタバタしてもしかたない。

 鹹いうどんの立ち食いをたべよう。腹ごしらえも出来ションベンくさい部屋に帰って寝た。寒かったがすぐ眠った。落選発表も見届け鈍行列車で田舎に帰った。布団をかぶってふてくされていたが、おふくろが電報らしき紙を持ってきた。合格らしき一通のカタカナ文字を読んだ。

 滑り止めに受けた大学が受かったらしい。どこでもいいか東京に行く機会をくれたようだ。これがあったおかげで東京に出る機会が出来たが田舎のおばあちゃん、おふくろを死なせることはなかってのに。天は選択の出来ない運命を私にくれた。

 

いちご

 孫はいちごが大好きのようだ。ハウスの中のいちご狩りの体験をさせてくれた。真っ赤にぷりぷりのいちごを口からがぶっと食べていた、もう少しで、土も食べそうだ。手も使わず豪快に食べていた。

 ご飯もしゃもじで口にするくらいだから、お上品にくらうと思っていたがとてもかわいいもうすぐ2歳になる女の子である。ハウスで大きないちごをいただいた。

 今日も、そこの嫁は早朝から取ったいちごを大きさをそろえて箱づめしていた。一日何千箱も出荷するという。私はスーパーで綺麗に箱づめされたいちごを食べる方があっているようだ。いちごジャムにしてもおいしいよね。赤くて甘―い大きないちごいかが~。

 

「孤独」って  (連載ー30)       

 孤独と言えば、シャンソン歌手のジュルジュ・ムスターキーの「私の孤独」とういう曲を思い出す。知らない方が多いと思う。

 私に孤独と言うもう一人の孤独と言う人がいつも傍にいるから、いつも私は一人ではないんだと解釈していた。 

マザー・テレサは晩年、最も恐ろしい病と言っていたのは孤独です。先進国と呼ばれる国々には、ゆたかさの陰で競争について行けず、社会からはじき出された、人から要らないと思われている人々が大勢いるそうです。勉強はできるんだけどちょっと違うんだよね・・・とね。

私など山奥の田舎から出てきたもので、高校の時に勉強に気づいて一からやろうと思ったのがもう遅いだろう。さあ!都会に出てきて、周りがみんな賢く見えて劣等感だらけのうぬぼれのようだった。

今さら田舎にも帰れないし、食っていくためには、唯一人に好かれることが私の財産であったようで、真面目そうにみえるから、信用をたかめていった。苦学もしたと言いたいが基礎からの独学ではじめた。

アルバイトは、引っ越し、スーパーのウルトラマンの悪役で寝転がっていたら子供たちに棒でつつかれたり、測量で柏の山に行ったり、同姓に迫られたり、レントゲン車に同乗してて事故にあったり、それはそれは、22歳までは生きられた。就職も雇っていただける一社が偶然あった。寮母さんのありがたい弁当を持って安全靴を履き、こんな筈じゃなかったのに真面目に現場で働いた。偶然、寮に来られた先輩との出会いで、勤めがかわった。それから私の人生いいか悪いか徐々に変わっていった。

汚い枕一つ持って、今の嫁さんとも結婚できた。炊飯器がなかったので先に買ってもらった。こんな筈じゃなかったといまだに嫁は言っておられる。

母が死んだとき、ムスターキーの「孤独」を聞いたとき涙が止まらなかった。かすかな音でさえも母の気持ちが読み取れた。同じ昭和うまれだったから。父親も手枕で寝ている後ろ姿で親の気持ちを読み取れた。

最近生まれた方、昔に生まれた方を一つにして理解することはできないだろうし今昔の分かり合える材料も持ち合わせていない。

孤独ってもう一人の孤独がいるから孤独ではないと言われても寂しいよね。誰が産んでくれと!と言われても本心ではないにしろ、こんな言葉をかけられる親がいてよかった。かけられる親はどんな気持ちだろうね。

 

私のお天とう様  (連載ー29)    

お天とう様が見てるよ。よく死んだ、おばあちゃんに言われた。

どんなに人が見ていなくても、天は見ているから悪いことしてはダメだよってね。

 他人をダマすことができても、自分をダマすことはできないと思っていた。高校の時、校長先生が私にトイレの裏の草取りを言われた時も、裏だから誰も見ていないし、汚いし、くさいし適当にやればいいのだが、お天とう様が見ているからの言葉を思い出してか綺麗に済ませた。

 「天」とか「神」とかの区別もわからず、軽々しく使っていた。君の宗教は?仏教・仏教、インド・インド、・・・幼い頃からおばあちゃんの傍で木魚を叩き自然と耳から覚えた般若心経の意味さえ分からず、もし幽霊でも出たら呪文のように唱えればいいと、そのくらいの認識だ。

 田舎には飯盛山と呼ぶ、富士山のような先が尖ったような山があった。朝は、村人誰もが必ず手を合せていた。そこには、幼い頃には神社があって土俵があった。年に何回か忘れたが相撲の大会があった。私は、ふんどしを巻いて相撲を取っていた。私より小柄で足腰のしつこい奴が嫌でよく負けていた記憶がある。小学校の校歌に山の名前が入っていた。

田舎にそびえる山で、いつも高いところから村人を見ている、見られている象徴の山だった。私には天であり、神のようだった。

 

女性のホームレス (連載ー28)  

 車を近くの駐車場に留めていたので、途中ビルの片隅に若いと思うのだが女性が昼間どこかのオフィスでも働いているのだろうか上品なお嬢さんがダンボール箱を組み立てて寝床をつくっていた。またなんであの女性があそこにいるのか不思議だった。外は寒いだろうに、我が子のように心配だった。今夜も、車をとりに駐車場に行った。決まったところで彼女を探したが、パッタリ姿が見えなくなった。もう出世してマンションでも暮らしているのかと思って安堵した。

ところが半年は過ぎただろうかそこに彼女が居た。どういうわけかまた安堵した。外は暖かい、よかった。

 

フランスの開国要求と薩摩藩家老調所広郷(連載ー27) 

浦賀のペリー来航の9年前に琉球にフランス艦隊が来ていた。琉球王国は清の属国で、薩摩藩が実効支配していた。

 薩摩藩も幕府に逆らえないように莫大な借金をさせられていて、なんと

今の金にして約2500億の借金を抱えていた。

 産業革命以来、イギリス、フランス、ロシア、ドイツなども大航海の時代にアジアの植民地を早いもの勝ちのように植民地支配をしていた。イギリスはフランスと戦ってインドを手に入れたり、アヘン戦争で中国の一部を手に入れたり、フランスも負けていられない。1846年、フランス海軍は琉球王国に開国通商を迫った。

 薩摩藩は家老、調所広郷の力による商売で薩摩藩の借金を返したばかりか莫大な金を残した。調所広郷は清国と幕府と異国の琉球との板挟みとなり、結局、江戸城で亡くなった。

 調所広郷は奄美大島の黒砂糖の独占権とか圧倒的なフランスの脅威に幕府が兵を出すように命じたが、フランス軍を刺激しないように留めたようだ。

幕府は鎖国で調所は通商を願っていたんだろうと推察される。

 薩摩藩、西郷隆盛の倒幕資金源にもなったのだろう。

 歴史には隠された事実が埋もれている。西郷どん、調所どん、を知ることで見える景色もちがった。

 

目黒のさんま(連載ー26)    

もう50年前だろうか、中目黒に10年間、それはそれは小さな部屋だった。目黒川の氾濫もよく見た。川の底の土を削り深くした。それから、桜の木を植えなおした。川は溢れることもなく、今はサンマや桜並木で外国人の方もおおくなった。

この目黒川でサンマも取れると信じていたが、私の完全なバカのようであった。

 

落語で、目黒のサンマが有名だとか。

 殿様が目黒に遠出に来た、家来が弁当を忘れたのに気付いた。

ぷ―ンといい臭い。

昼時にお腹が空き何処からか魚の焼く臭いがしてきた

これこれ、この臭いはなんじゃ

これは下々が食べるさんまと言う下衆魚で殿様の口には決して会わない美味しくはないものです。

それにしてもいい臭いがいたすのう。

これこれ、腹も空いた、さっそくさんまとやらを持って参れ。

 

うーン! これは美味じゃ。

そんなこともあって、ある時、殿様がさんまを所望したいといわれた。周りにはさんまなどあるわけはなく急ぎ日本橋の魚河岸から取り寄せたがあまりに脂があるので殿の身体によくないと脂を抜き、骨は喉に刺したらと骨を一本一本抜き殿様にお出しした。

 

殿様がこのさんまは何処から取り寄せたか聞いた。

家来は日本橋の魚河岸から取り寄せたと答えた。

 

殿は「やはり、さんまは目黒のさんまに限る」と答えた。

それで目黒のさんまが有名になったとさ。

 

ここのところさんまも取れなくなり、私も昨年は小さい痩せたさんま一匹食べた。いつも大根おろしで秋になるとよく食べていた。

目黒に海などあるわけもなく、まさか殿様は目黒に海でもあると思っているのだろうか。

 

おふくろは水の中  (連載ー25)      

おふくろは、水の中に消えた。

雨が降り、山にはこんなに水を抱えているのか、お墓の中は川のようだ。お棺を土でかぶせた。残りは村人がやってくれた。心残りは、おふくろを、水の中に残してきた。もう遥か昔のこと、まだ、土葬だった。

いつか、私も灰になってどこかの土の肥やしになればいいのだが。仕方がない自然の摂理だもんな。もがいても、もがいても永遠の命なんかない。

母、危篤すぐ連絡いれよ。病院の集中治療室に入り、母の手を握った。握り返してくれたので気づいてくれたことがわかった。

実家に帰り、神様仏様、山の上にお祭りしている屋敷に一人で登った。辺りはもう薄暗かったが、お線香とロウソクをつけ、木魚を叩き、耳から覚えた般若心経を呪文のように唱えた。母は、医者から聞かされていたが苦しまないように神様にお願いした。ロウソクの火が、時たま燃え盛り、何かを私に訴えているかのように話していた。

そこには、1時間ほどお参りして家に帰ったら、親父から母が亡くなったことを聞かされた。

兄が病院から母を連れて帰った。すでに、母の鼻と口に綿が詰められいて、アレーいつもの母のやさしい顔と違っていた。母じゃないと思ったが、これは母のやさしさに違いない、涙もでる時もなくした。

田舎の葬式はくらくて嫌だった。死んだことは本当だが、本当に死んだことを思い知らせれるから、長い列でつくって、お一人お一人役目があり御葬式を行う。幼い頃はこの儀式が好きでよくお墓に参った。

 大事なおふくろが水の中に葬るとは思わなかった。せめて、先に逝った桜の木の下のおばあちゃんに手を合せた。

 

マザー・テレサ知ってる  (連載―24)    

マザー・テレサはインドのカルカッタの貧しい人たちのために、たった一人から活動されてきた、宗教の枠を度外視した献身的な活動が全世界の人々に高く評価された。1979年のノーベル平和賞など受賞された。

テレサの生い立ちはインドと聞いていたが、彼女の宗教とか出身は気にさせないのだろう。

何処に行くのも、サリー(インドの民族服)とゾウリであった。

 マザーは行き先々で貧しさをみてきました。そんな彼女が晩年、最も恐ろしい病と言っていたのは孤独です。先進国と呼ばれる国々には、ゆたかさの陰で競争について行けず、社会からはじき出された人が大勢います。そんな孤独な人々の心の上に手を差し伸べるため行くのです。マザーは言います、ハンセン病や結核を直す薬は発明されました。でも人から要らないと思われている人々の為には、進んで使える手と愛する心しかないのです。

 ある女の子がテレサにお金頂戴と言う。テレサはお金がなく、その子の家に行くと目だけ輝くやせ細った家族がいたテレサはお米が少しあったので母親にだしたら、母親は半分は飢えた別の家族にもっていった。それを見たテレサは、逆に教えられたと。

テレサのように話題になれば政治を変えればと言うアドバイスあるだろうがそういう力のある人がやればいいし、私にかわるもう一人、いればいいのにと天はお望みだ。

 宗教、貧しさ、世の中にはいろんな立つ位置もあるだろうが「孤独」ほど厄介な現在病はない。孤独は一番大切な人にうつる。薬があればいいが、テレサが言っておられた愛する心しかないのか。

 

山の上の一軒家 (連載―23)     

どこの山の上かも知らないがこんな寂しいお化けでも出そうな山の中。私は山奥で生まれたから寂しくもないし、開けっ放しの一軒家でサンショやヨモギの天ぷら、五右衛門風呂にでも入れるこんな天国はないだろう。

 前から思っているが、狭い部屋にひきこもっている方々に天国のようなところに住んでもらいたいと思っていたが、条件があるらしい。3食付でないとダメなようらしい。こんないい条件はないにしろ全国に空き家がいっぱいあるようだ。

 山の上の一軒家に住もう!と知らせたい。昔、田舎で一人暮らししていた親父を町の私と住もうといったが断わられた。田舎暮らしって気楽のようだが器用でないと工夫のできる人でないと大変だ。慣れもあるし、なんとかなるさ。山の上の一軒家に住みたい。

この世は芝居のよう     (連載―22)     

生まれて、あばよ! 

お隣の奥様のアドバイス。「夜遅く行かないほうがいいわよ。あの方、夜はかつらと入れ歯を取るから。」そういうお隣の奥様も入れ歯と本人が言う。嫌だね、その会話。他人事でない気がする。

 あれから、まだ生きているんだものな私も意外と丈夫だ。

勉強を教えてくれた先生、泳ぎを教えてくれた人、川魚の取り方、天使のような美少女、いじめさせてくれた人、だましに来た人、人の後ろ姿を知った日、酔っぱらい、異性を好きになったこと、試験に失敗したこと、あやまちをおかしたこと、自殺した人、・・・・。

まあ! 私を取り巻く役者たちは数えきれない。この方たちに出演料を払ったら、とっくに私も自己破産だろう。私も一役者と思えば、はまる役者も大根役者にもなった。まだまだ私の人生劇場は続きますよ。

喜劇にしたいのか悲劇にしたいのか、悲劇だったのが途中から喜劇に変わるケースもあり、演出しだいのようだ。

人生の演出をしたいのだが、予期せぬことも考えておかなくてはならないだろう。参考に歴史上の表に出てくる人物の観察と表に出ない歴史上の裏方さんを知ることで本質がみえてくる。子役は大人より緻密さと繊細だ。だから惨いことを平気でやる、生きる知恵なのか、子役は世の中をみている。

道には、邪魔する役者もいる。邪魔されないと他の道も探すこともできない。道草するもよし。道案内人に騙されるのもよし、天があなたを何度も試してくるだろう。道に迷ったとしても引き返らず道があれば進めばいい、道はどこかに続いている。

 

自由と不自由  (連載―21)        

自由は不自由、不自由は自由という言葉が耳に入ってきた。

自由に書きなさいと言われても何を書いていいかもわからないし、不自由だ。

 また、課題を与えられ、それについて書きなさいと言われたら自由に書かせてよ。と言いたいだろうし。人って勝手な生きものですね。

 80歳はまだまだ「ひよこ」と言われるから考えよう。巷では、人生百歳と

言われている。そうすると百歳はまだまだ成人だ。

 私が68歳。80歳までは頑張ろうと思っていたが「ひよこ」と言わ

れるんじゃ考え直した。自分って勝手なもんじゃあーりません。

 人それぞれ自由に生きたらいい、生き方なんて決まってないようだ。

若い若い娘に教わった。後は頼むよ。

 私は死んだことはないから、何が自由で、何が不自由か閻魔様にでも聞かないとわからん。何が幸せなのか、これは各自の選択かも知れない。人を殴ったり、ゲームのように殺したりする世の中にはしたくはない。おいしいものがあれば誰かに食べさせてあげたい。誰かが何かをしてくれるというのは期待しないほうがいい、もし期待してないことが起きたら幸せの一つのようだ。

 

東の国に来た   (連載ー20)        

 幼いころ、ニワトリを200羽ほど飼っていた。

ニワトリは鶏肉といって、から揚げでも美味しいよね。

 田舎では、カシワの肉って言っていた。ニワトリのひよこを電燈で暖めた部屋に入れて育てた。

 寝床の隣の納屋から、グワグワ・・鶏のめだましで起きた。朝飯やろ、わかった、わかった、ニワトリに朝食をやることから、引き換えに生たまごをいただいた。あったかーいたまご。

東京に来るまでSukiyakiが牛肉とは知らず、あれは、カシワの水炊きのようで、すき焼きではなかったのだ。くやしーーい

 鉄板を熱くしてタレをいれ牛肉と糸コンと白いネギとを鉄板で焼く、それを生たまごと絡めて白いごはんと食べると、これぞすき焼きか。実に、うまい。

 店長、これ腐っているいんだけど、この豆,変えてくれない。

ある食堂でクレームをいったら、あんたこれ知らないの納豆だよ。そんなことは知らないけど、これは腐っている、においかいでご覧とまた、クレームをいった。納豆を初めて見た。

 ネギはあおい葉っぱを、食べていた。白いところばかりのネギ、食べるところがなかった。田舎の土は硬くてそれにくらべ、東の国は土が柔らかい。ネギの首まで土をかぶせたら色白のネギができるそうだ。反対だ。

 友人がおぜんを食べに連れて行ってくれた。醤油を食べている味付けで辛い。有名店で歴史のある、おやじが仁王様のように腰かけていた。おらの国は、昆布出汁でおぜんは薄味だ。これじゃ、血圧に悪い。

 田舎から東の国に来ると面白い。違いを楽しめる。今じゃ東京駅で全国の味を楽しめる。

 

もういくつ寝るとお正月 (連載―19)   次回も連載をお楽しみに!

年末と言えばその前にクリスマス、イチゴのショートケーキ、マッチ売りの少女、いっぱい夢の世界。それが終わるとうすとキネを出して家族みんなで餅つき、紅白歌合戦、除夜の鐘、

「もういくつ寝るとお正月、お正月には凧揚げて、駒を回して遊びましょう、はーやーくうコイコイお正月」

大人も忙しいが子供も忙しい。正月にお餅入りのお雑煮を親父がどういうわけかつくってくれた田舎、お餅をつかないで里芋や赤飯を食べるところもあって楽しみだった。

重箱にミカンとお餅、それにお米をいれて神社に初詣。火が燃やされ古いしめ飾りなどをお納めた。甘酒もいただきました。

肝心なお年玉も一番の楽しみだ。子供心に年末年始はわくわくした。大人になって今年の正月って箱根駅伝も楽しみだ。

 

死んだのね! (連載ー18)   

 あれ“!入院してんじゃないの。

病院を抜け出して来てくれたのはうれしいが、Don’t Go to the SKY(そら行けません)

外にタクシーを待たせているのだろう。出してはいけない水割りをだした。コップを片手に吉永小百合さんの誕生日と阪神タイガーズの初優勝の昭和ナン年なん月ナン日とキマリもんくを言って、さっさと出て行った。

東京でよかった。これ大阪だと、どうなっていたかね? 

今度、入院する時は私はこの世から去る日が決まる日だから、昭和なん年ナン月ナン日と言われていた、閻魔様もそれを聞いていたのかスケジュールを押さえていた。その方がおっしゃった日程で事は進んだ。

御葬式の前日は、東京も大雪で、私も都内のホテルを何とか押さえた。当日は、大雪で電車も動かなく諦めた。

後日、ご自宅に伺い仏壇にお線香をたむけた。

 それから、誰のお葬式に伺ってもご本人のお顔を拝顔することを避けた。故人の顔を拝顔すると、生前の笑顔や言葉のイントネーションが消しゴムで消されそうで、いつまでも、その方の生き様を心に残しておきたかった。

宗教上、差し支えないように事あるごとに喪主におことわりしている。

 こんなこともあった。ある方が急死され、お葬式にも行かれなかったのでご自宅に伺った。奥様はしっかりした方で、生前、ご主人の帰りが遅かったもので、その原因を突き止めるべく、私を検察の取調室のように遺影を横に置かれ、スタンドを充てられ尋問を受けた。まだ、お骨壺は温かそうだった。 

晴れて、故人も私も無罪となり、お線香をたむけ合掌させていただいた。

 今年、姉を亡くし御葬式に出た。今は家族葬が多いらしく身内だけのこじんまりとしたものだった。拝顔することはなく帰った。

帰って、思い出したかのように姉の歌をインターネットにアップした。幼い頃から歌も踊りも芸事が好きな姉だった。

 今年も、亡くなる筈のない方が何人か亡くなられた。ショックだった。

 

外から、こんな見方もされてたんだ (連載ー17) 

「アメリカの公使:タウンゼント・ハリスが、日本人の容姿と態度は甚だ満足した。日本人は喜望峰以東のいかなる民族より優秀である。私は時として、この国を開国して外国の影響をうけさせることが果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか疑わしくなる。これまでに見たどの国よりも簡素さと正直さがある。柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが住民の身なりはさっぱりとして態度も丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏に何時も附き物になっている。不潔さというものが少しも見られない。」 

平気でウソをつき他人のせいにしなければ生きていけない国もあるだろう。約束、契約は相手に守らせるために結ぶのであって自分とは関係ないといった国もあったみたいだ。日本は島国だからの原因でもなさそうだ。

人手不足のために日本もより開放していくのだろうが、ハリスが外国の影響をうけさせることが果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか疑わしくなる。同じ船に乗り、外からの人を大切にしたいものだ。                                                   テレビでの情報だが、外国人が日本の宝石を爆買をしているという。バブルの当時かった宝石が市場にでてきた。カットの技術がしっかりしている日本に買い付けに来るようだ。日本の業者が情報を流しているのだろうが外国人が大金で買われている。日本人もバブルの時も同じことをしていたのだろう。

ハリスの考えた日本人は消えてはいないんだろうが、ますますこれから、外からの観光客も増えるし、人材も頼りにしなければやっていけなし、オリンピックもある。

 

出家びとは街中にいた   (連載ー16)    

銀座で40年間姉と商売をしてきた。この実績、それがどうしたといわれると考える。

数寄屋通りを段ボールをお尻に敷いて引きずって、どこにいくんだろう、と思うのだが初老の女性をよくみかけた。

 大変だな思ったが、余計なことだった。いつも引きずっていると見えない角度の世界が見えるるんじゃないかと思った。いつも人の足を見てると、この方はどこか胃腸でも悪いのか? 何を悩んでいるのか? 何をそんなに急いでいるのか? まじめなお人、悪人なお人、金持ちなお人、 いろんなお方の足が見える。たまに顔を上げてみるといろんな顔の景色が見えるという。

 世の中も景気がパッとしないだろうか、私から見て年上の方がごみ箱に宝物でもあるんだろうか探していた。ポケットに小銭があったので、牛丼の温かい弁当に紅生姜をたっぷりのせてビニールの袋にいれて有楽町の方に歩いて行った。どうするんだい? この温かい弁当どうするんだい? と自分に問いかけたがそんな度胸もなく街を歩いていた。誰かに差し上げたいのだがそのタイミングがわからない。

 これ余ったのだけど、パッとビニール袋が手元からきえた。よかった

どうしょうかと思っていたがきえた。はやい!

 一時でも温かい白いごはんを食ってもらおうとした行為は正しかったの自問自答した。もしかしたら、おごりかもしれない。

 初めての体験だったが、また小銭が溜まったらやることにした。段ボールを引きずっているかた、街にも、出家びとがいる。

 

あ~そうか。これでわかった。  (連載ー15) 

 火事と喧嘩は江戸の華よ!

火消男がまとい、とびぐち、ハシゴ、を持ってどうして火を消すんのだろうと昔から思っていた。

 屋根に上ってまといを振ったら余計に風が吹いて火のまわりが早くなるのに、なんで?

 江戸の町は防火の為に作られたのか、屋根の向きがすべて同じ方向に建てられ、柱ごとにかすがいのような金具が取り付けられていてそれを,とびぐちで外せば建物が同じ方向で倒れるようになっていて、江戸の町の道幅が広く、とにかく延焼を防ぐようになっていた。

 め組の・・・・これでわかった。

 

私も、二宮尊徳(愛称:金次郎) 

 学校が終わると、山に上って芝刈りによく行った。

手初めに、わらを編んで綱を作ることから、山に上って枯れた枝を均等に鉈で折るなりして綱で束ねた。それを山の上から下まで転がして背負って持ち帰り窯で火をおこし飯を炊いた。

 あの恰好は二宮尊徳と変わりはないが、ただ手に書物を持っていないだけの違いだ。二宮尊徳はスマホで各自調べていただくとして、背中に背負うと重くてもバランスがとれて両手が空くことはわかるが勉学とは気づかなかったこの私。

 そういえば、いつの間に二宮尊徳の白い造像がなくなっている。もう、江戸時代の人のようだ。誰も知らないだろう。人物を説明する人もいないのに造像だけ飾りに置いても仕方ないようだ。

 そんな二宮尊徳のような村から小旗でも振ってもらって都会に出てきた青年も高齢者になったとさ。

 

 

ご縁と出会い  (連載―14)  
昔は、と言うと私も古い人間になったようだ。40年程前に結婚していただきましたが、結婚=大人になることだと考えていた。大人って何なのよ。と大人は近頃流行りの「忖度」のみ目立ってしまっているが、立派な大人に成長すること、成人になることと心得ていた。
 幸い、婿さんもご両親も御親戚も勿体ないほどいいご縁だ。早朝、エイコさんが仏壇にお茶を供えてくれて合掌していた。
 今日はすべてに感謝の気持ちで、このご縁を大切にしたいと祈っています。昔はどうであれ、近頃はどうであれ、幸せは二人でうみだすもので、孔子が言われた「仁」も「天」も人が二人と書く。
何事も一人ではできない。すべて感謝の気持ちを持つことからはじめたい。

 

2019年振り返り (連載ー13)  

私も昭和、平成、令和の3時代を生きようとしている。

2019年、令和元年で私は令和維新になることを祈っている。ラグビーの年だったね。ラグビーはなんで後ろにボールを投げるんだい?

なんでボールがいびつなの? なんで平行に棒が二本立っているの? 

髭ずらの大男がボールの取っこして陣地に運んでなんでうれしいのか、とにかく迫力と男の汗を見た。

 2019、令和元年にふさわしいスタートだった。2019令和のスタート年。ONE TEAME で日本の人づくり元年としたい。

人間が壊れていく年の始まりなのか,イや! ラグビーによって気づかされた。

 

娘の結婚 (連載ー12)     

今日は我が家の年末恒例のスモークハムつくりのお肉を買いに行く日だ。お日柄もよく市場に出かける日。

 早朝、栄子さんとドアを開けたら、誰かが入って来た。あら!おはよう、娘だ。

 早くから何なの?壁紙の張りの最終日だそうだ。夜は用事があるからと言う。背中と腰に白い物が張ってあった。どうしたの?私のせいらしい、頼むね。

 市場に着いた、娘に1000円のまぐろのブツ切れを食べさせようとその場所に行ったが早朝から業者で賑わっていた。

 今度は、目当ての肉屋に行った。肉屋は特別寒い、おじさんも白いほっかぶりをして、腰をかがめ働いていた。すき焼きに美味しそうな肉が目の前にある。意外と安かったので栄子さんに頼んで娘に買った。

 自宅に帰り、娘は黙々とやっていた。まぐろを食べさせたら評判がよかったので、今度はすき焼きにして栄子さんのタレで3人で食べた。それはそれは、すき焼きは2年ぶりでうまかった。

 食べたら眠くなったので寝た。起きたら、まだ娘はハシゴに乗って天上を拭いていた。傍にいるとウザイだろうからまた寝ることにした。

 お父さん、もう帰るね。

帰っちまった。私は現場監督に早変わり。チェック・チェック。

 器用だ、大したものだ立派なものだ。私が不自由をしているもので、娘も何かを示したかったのだろう。期待はしていなかったが、30年程違う娘に教えられた。

娘の輝きをここにあるとしたら、ここにあった。

明日は娘の結婚式、花婿がいなくても美味しい料理食べよな。

 

気づく (連載―11)    

 ある目の不自由なピアニストが、日本が自然災害にあった時、世界の人が、日本大丈夫なのかと心配していただいた。

災害に遭われ、大変な思いをして、まだまだご苦労で大変な思いをされていらっしゃいますが、音楽の力を信じ少しでも諦めないでいただきたい思いや祈りの気持を込めて演奏させていただきました。

の言葉に私には祈りの気持ちがかけていることに気づいた。

ベートーベンが28歳にして耳が不自由になり、自殺も考えたと知ると致命的な境遇でも曲作りを諦めなかった。

 あるピアニストは、おそらく、彼の生き方に影響されたのだろう。

ガラケーも、すべてスマホに変わるのだろう。スマホは悪の根源だと思っていたが、使い方によって、ある目の不自由な方の目の代わりをしてくれると聞く。目的地を設定するともう少し先まで歩いてください、そしたら右折です、とか案内してくれるらしい。その目のご不自由な方は世界が広がったろう。

 こんなこともあった。もう前から入りたかったレストラン、誰かがスマホで簡単に見つけた。私の近くで、そのレストランの情報を良いの悪いのと話していた。私が入ってみたいレストラン、私が遠くから抱いていたレストランの夢を簡単に壊さないで。後日、夢を抱いて行ってみた。夢のとおりだった。

 古い話だ。小学校の正門に白い二宮金次郎の造像が立っていた。牧を背負って片手に本を持って、働きながら勉強したのか立派な方がおられた。今だとスマホゲームってところだろう。誰も知らない古い話は止めた。

 人のしぐさで気づく、人の言葉で気づく、人の体温で気づく、人っていいなあ。

 

まあ いいか!  (連載―10

都会に一旗揚げるために山奥から出てきた。都会は頭のいいかたばかり、中国の孔子と言う人は15歳で学に志。それに引き換え私は、50歳で学に目覚めた。

誰も期待はしてくれなかったが、小学校の正門に白い、二宮金次郎の小さな像があり、立派な方なんだろう背中に牧を背負って本を読んでいた。今だったらスマホでゲームだろうか。

その隣に私の近い先祖の造像が建っていた。仕方ない私も成功しなくては二度と田舎には帰れないだろう。と思って田舎を後にした。

親父とおふくろはいつまでもホームで見送っていた。

なんだか都会に押し潰されそうだったが押しつぶされた。

まあ いいか! しぶとく50歳まで生きた。

50にして学を志。だが遅いと思うけど。まあ いいか!

苦手だった歴史からやってみた。もう私にはテストもないし、一人ひとり人物から学んだ。そしたら、いつの間にか世界の日本の流れもつながるではないか、苦手だった歴史が好きになった。

使わない脳を使ったから脳溢血になり死んだ。筈がしぶとく生きている。

 68歳になるが、もう一度この世に挑戦できるチァンスをいただければやってみたい。まあ いいか!

 

知恵のかなしみ  (連載ー9)

開口健氏がいう。いろんなものをいろんなところで食って、どうも近頃あまり美味しくない。 知らんでもいいことを知ったおかけで、世の中がつまらなくなる。これを「知恵のかなしみ」という。どうもかなしみが舌に先に出て来て困る。

 昔、聞いた開口健氏のおっしゃったお言葉だ。

ある信者に質問した。何を信じどういった宗教?と聞いたが、質問に答えずひたすら入信を勧められた。それ以上の質問はしなかった。

なぜか、「知恵のかなしみ」を思い出した。

知ってなければいけないのに、知りすぎると信じたことが半減するってことないですか、知らんでもいいことを知ったおかけで、世の中がつまらなくなってしまった。

 ペットボトルの水を高いとわめく人がいた。普通200円で買えるのに5万円も払わされたらしい。

 溺れている人は近くのわらをも掴むという言葉があるように、困っている方は単なる水にしてもありがたい水であれば5万円でも買ってしまう。もし、同じ水が200円であれ喉が渇けば安い水を買うだろう。もしその時、何かに苦慮していたら、同じ水だと証明できてもありがたい水をとるだろう。人間だもの。

その人間の弱わみに入ってくるのも、また、人間だもの。

 

Resetの小さな穴にびっくり  (連載―8)   

 長年使っていたウォークマンが、ウントモスントモ言わなくなった。新しく買わなければいけない。ちょっと遠くに買いに行くのかそんなお金はないし、迷っていたら。ウォークマンの裏に小さな穴を見つけた。Resetと書いてあった、楊枝で押したら、動き出した。

 バカじゃないの“あたりまえでしょう。

 

「広辞林」で調べたら、Recession もどる  と書いてあった。

パソコンでは、すべてを元に戻すこと。最初からやり直すこと。

状況を切り替えるため、いったん、すべてを断ち切ること。

 

50年前、好きだった、おばあちゃんが足の骨を折って20日程入院した。

 家に帰り寝かしたんだ、そしたら、帰ると言い出した。ここは家でしょう、仏壇も見えるでしょう。違う家に帰ると一点張り。

今だったら“帰ろうね、もう家に帰るの遅いから、明日、早く帰ろうね”と声もかけてあげられるのに。

 そしてまもなくして、亡くなった。最期まで手の脈を診るようにいわれていた。脈の鼓動がなくなってくる、脈がきえてまたポツンと、この繰り返しが暫く続いた。今度は30秒かな間隔が長くなる。

きえた。私も真空の世界に入った感覚で、おばあちゃんは亡くなった。おばあちゃんの死をみとどけた。おばあちゃんの命と生きた一生を思った。おばあちゃんは、明治生まれの厳しい人でよくケンカもした。苦労の連続だったと思う。

 

 親が子供を、子供が親に手をかけるニュースも度々聞くが。

人間にも背中にResetボタンがあればいいのにと思う。

バカじゃないの“人間は機械じゃないよ”

機械だったらいいのになあ。面倒な生き物だ。

人生は一度しかない、この瞬間ももう二度と来ない。誰が産んでくれたといってわめいても現実にいる。

親も子供も周囲も人もわかっているんだけど素直にResetできないと

頑張っていらっしゃる。別に変化も望まないしこのままでいいのだろうけど、今この時は二度と来ない、背中のResetボタン自分で押せるようにしたいよね。

おばあちゃんの死が私にResetをおしえてくれた。

 

私とあなた  (連載ー1-あ)    

私が山奥の田舎もん、あなたは田んぼの田舎もん、二人あわせて合掌だん。

私は、長女を入れ5人兄姉の4男です。あなたは弟が一人、3人弟姉妹の次女だ。

私とあなたは、両親も揃ってて、兄弟姉妹もいたが、まともな家庭に生まれた。

比較は嫌いだが、今から250年程前、運命を作曲したドイツ人のベートーベンの父親は宮廷の歌手で飲んだくれて稼ぎもなく、ベートーベンにスパルタでピアノを習わせ7歳でデビューさせ稼がせた。

18歳で母親を亡くし、父親は酒にのまれ、28歳で致命的な難聴になった。

私もあなたもまともな両親だったから、天才に生まれてこなかったのか、私もあなたも二度とない人生を家庭環境が時代がどうであれ、逝きぬかなければならない。

天才と天災を比較にはならないが、振り返れば同じなのかね。

私とあなたは1秒の絡みで、一生を背負っている。

もう何年かしたら土の肥やしになるんだろうが、私とあなたは

共に生きていくこれからも。

 

わたし  (連載―1-い)

孔子は、十有五にして学に志す。としたが、私は孔子より30年ほど遅く学に志した。

数学は苦手だったが簿記は好きだった。自分を活かして社会に通用できるのは税理士になることだと気づいた。都会に出て一旗あげることが目的だったがどこかで狂っちまった。

あなたも詐欺師ね。あなたが税理士になるというから結婚したのに私が詐欺師でなかったらあなたは結婚できなかったでしょう。

 

関所  (連載―1-う)

幼い頃は、街に出るのも関所があった。そんな古い話をしてもわからないでしょう。関所は古いが、村ごとに子供たちの縄張りのようなものがあった。隣の村を超すには、村の親分に見つからないように黙って素通りするか手土産を持参するかだ。

私は素通りを選択した。親に自転車を買ってもらって、嬉しさで海を見るため喧嘩の強い友達を連れ旅に出た。なんだこれは道は砂利道で石ころが余計な音を出す。見つかったよう! 逃げろー

やっと街に着き舗装された道をまるで雲にでも乗ってるようでスイスイ快適だ。潮のみおいもしてきた。大きな船を始めてみた。

海は広いーな、大きいーな、行ってみたいーなよその国・・・

画用紙にヨットを浮かんでいる絵が忘れられない。

 町のお好み焼きが食べたい。メリケン粉にキャベツ、ソース味がうまい。

 ところで、帰りの心配だ。関所があるから、今度は逃げられないだろうから太鼓饅頭を買ってお土産にしょう。友達も賛成してくれた。

 案の定、関所には奉行と家来が待ち構えていた。ご挨拶をしてお土産を出したら無事関所越えができた。

怖かったー。

 

親鸞の「歎異抄」  (連載―7)  

 鎌倉時代書かれた仏教の本だという。

悪人も善人も分け隔てなく救われるというから、私も納得はいかなかった。

ちょうど、中村久子さんのことを聞いていたのできずかされた。これも善人づらしている私が言うのだから信用しない方がいいと意外と自信がない。

 中村久子さんは病気で手と足を途中から無くし、久子さんだから、重度の身体障碍者であるのに、手縫いもできるように親は一人前に育て食っていける見世物小屋のダルマ娘として売られた。

 昭和12年1月17日、目と耳が不自由だった、ヘレン・ケラーが来日した。おなじ舞台で、彼女が久子さんの身体を手探りで触れた「私より不幸な人、私より偉大な人」と言いのけた、これもヘレン・ケラーも立派だ。

 それから、久子さんは見世物小屋を辞め、全国を講演に回った。久子さんは自分の苦労と障害をたかびしゃになって話している自分に耐えかねて見世物小屋に戻ったらしい。

 久子さんはこれまで育ててくれた見世物小屋があったから生かされたと感じたのだろう。

 久子さんも親鸞の「歎異抄」と出会ったおかげで気づいたのだろう。楽に生きたければ、ギャラもいい講演を取ったろう。

 この世に善と悪があるなら、人間が勝手に決めて言うので、悪も善もないのだろう、久子さんに気づかされたことが、私の歎異抄になっている。

 

お金のない世界  (連載-6)   

オイとかエイコとか呼んだことないので、私の妻とも言ったことがないので、お名前で栄子さんとよばせていただきます。

たまに生き仏様にお茶を私の机まで持ってきていただく。「生き仏様」とね。

幼いころ、葬式が好きだった。お坊さんのお経とシンバルと漆塗りのお坊さんの赤いイスと厳粛な緊張感が好きで、その頃は、まだ田舎では土葬だった。おばあちゃん、おふくろ、までは土葬だった。

田舎では、火葬にしたいと、一番言い出しっぺが、最初に火葬されるという迷信みたいなのがあったのだろう。ようやく親父の時は火葬になった。

お墓の石塔の下に遺骨を入れるスペースもなく造り直していた。

親父以降、葬式が苦手で知人などのお葬式では出来るだけ死顏は見ないことにしている。まして、お箸で遺骨を・・・とんでもない出来事だった。

なぜ、こんな話になったかと言えば、喪中はがきが原因だった。え!彼が亡くなった、彼女が亡くなった。というお知らせをはがきで知った。なぜ・・何故・・亡くなったの、お亡くなりになる筈のない方が亡くなられた。兄、姉のようにして心配していただき可愛がっていただいた方でした。宗教的にはどうであれ喪主に毎回、了解を取っている。

あるお金持ちの方にどんな世界を描いていますかという問いに、「お金のない世界」をと言っておられた。ちなみに、何百憶も持っておられる方のようだ。お金のないなどと一度は言って見たいが千円のお金に四苦八苦しているのに、確かにいいことかもしれない。

お金で人の幸せが買えますか?お金で不治の病を治せますか?お金で愛が買えますか?

 もちろん買えますとも!決まっているさ。お金の使い方でどうだってできるさ。ポケットにお金があったので、あたたかい牛丼と紅生姜をたっぷり白いごはんの上にのっけてもらって、もう暮れも近いし街ではクリスマスソングが流れていた。マッチ売りのおじさんが牛丼を手にぶら下げて街をさまよっていた。暖かい白いごはんを誰かに食べさせてあげたいのだが、どうしていいのかわからない。

並行して歩いていた、これ余ったんだ。あっという間に手から離れた。

 タイミングはわかった。またお金があったら、牛丼買おう“!

 お金はあった方がいいと思うが、捨てるわけにもいかない。どこかに寄付したら、売名行為とか言われちゃってやりにくい。

 お金はか弱いが人の心も権力も買える。お金は何千年の歴史の積み重ねだもんな。もしなかったら、自殺者もでてくるかもね。人聞きの悪いが人は欲がある限りお金が恋人だ。

 お金がない世界って栄子さんに聞いた。まず、何百億も持っていたら0になってから考えようと白菜の浅漬けのような答えだ。

ある時、中国のオレオレ詐欺集団が何と6百何名か捕まっている映像をみた。若者みんな下を向いていた。我が子を思い出し、下を向かなくてはならない生き方に悲しみをおぼえた。

日本人もタイで何人か捕らえられている。この子たちを上を向ける生き方が出来ればいいのだが彼らにはオレオレ詐欺も仕事だろうが、これは長年人間が築き上げてきた信頼を根こそぎ崩す行為であり。単に楽して金を手に入れる行為とは違うことを知っていただきたい。

「金は天下のまわりもの」と天のセイにしたいのだろうが高齢者が大金を貯めておかなければならない世相であり、若者が下を向かなくてはならない世相を選択しなければならないのであれば人間世界は崩されていくだろうし見過ごせない。

 

 

要らんこと書きます。(連載―5)   

文明は河によって栄えてきた。黄河、長江、ガンジス河、チグリスユーフラテス河、ナイル河ってね。

 人々を統治するには中国は英雄、人で。インドはヒンドウ教でその前はバラモン教もあった。つまりあのエリアはカーストとか階級制度による制度で、中東はイスラム、宗教で、統治してきた。人なの、宗教なのと両方なのと統治してきたのがヨーロッパ。

 私は男の立場で、話さしていただきます。

英雄、色を好む。古いなあ!

力で統治する時代もあるし、お金持ちになれば高級車を買ったり、女性に溺れる時代もあり。強・弱の時代も繰り返される。

昔、中国の西の端に奏の始皇帝と言う人物がいた。始皇帝というなも初めて呼ばれるようになった。王様の王様だった。この始皇帝は儒教ではなかったので、儒教を信じるものを穴に埋めたらしい。 

ところで、日本はどうなんだろうか、日本は自由過ぎて、主張すると怖い部分もある。何かのせいにしたいところだが、若者から堂々と意見のいえる忖度しなくていいから、そんな方は出るしかないようだ。冷静に話せばわかってくれる筈だ。忖度は日本人のいいとこのように思うがもう今はそんなこと言っている忖度はない。 

 

孔子を知る。(連載ー4)          

夜中と言うかもう朝方に孔子にであった。

孔子は、今から2520年程前、中国の春秋時代の魯国に生まれた。

3歳ですでに父を亡くし、母は30歳で亡くし、父方の親戚に引き取られ「孔」という性を名のった。

孔子というば、年功序列で先人を敬いなさいよ。といった儒教の教えを唱えた方のようだ。父も亡くしただけでも大変なのに、母も亡くし一人孤独で生きることも大変だったろう。孔子と言えば、日本では専制君子のように思われてきた。実際、私も知らなかった。

 弟子たちが孔子の教えを「論語」にまとめたものを残している。有名な言葉に

「十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲するところに従えども、矩(のり)をこえず」

この言葉を残しているのは恐れおおくも、孔子は幼い頃から人にもまれているように察する。今でいうなら負け組のようだ。

釈迦も8年先輩で仏教を生み、孔子は論語で人様の生き方をしめしてきた。私のおばあちゃんの傍で、もく魚を叩いてきたので耳から「般若心経」を自然と口ずさんできたが、色即是空の教えを知った。

形あるものは、すべて空だといっていた。

 

孔子は、「仁」を示しているようだ。仁の字には、人が二人ということだから、例えば、優しくしてもらうためには、先に人にやさしくすること、出世したかったら、先に人を出世していただくこと、自分が嫌なことは人におしつけるないこと。とか生き方の指針を示された。

誰かが言っていた。人を愛しなさいといわれても。愛する範囲は、自分の子供、自分の所有物や私の意見に同調するものは愛するが、敵対すれば、憎しみとなる。そんなエゴな愛ではなく、相手のためになる思いやりが必要となる。日本人の物差しが一本になっている。それが損得かの尺度になっている。 

金持ちになることが幸せじゃなく、例えば、「おいしいものをたべる」と

「おいしくたべる。」とは違うと思う。

おいしいものを食べるには、金持ちになる必要がある。仕方ないか、

戦後のまずしい体験から日本人は豊かになりたかったから物に執着したので誰よりも金持ちになることが目的だった。金を貯めることが目的で損得勘定がうまれた。成功して、高級車を買い、綺麗な女性とも恋でもしたい、これは余計なことだが、田舎に錦を飾ることが成功者であったのだろう。金持ちになればなるほど金を出したがらない。

 戦争体験のない私でさえこんな考えなのにわかるような気がする。

 これも、孔子の教えだとも思うが、「天」と言う字も人が二人と書く。

私が高速道路で追突された交通事故の時、「天はまた私をお試しになられるのかと」と思った言葉だ。試されよ。

 

壁紙事件(連載ー3)

私も幼いころから大工が好きで屋根にペンキを塗ったり、レンガで門を作ったり日曜大工の経験も技術もあると思っている。

 一日目、5時間かけてこれだけと妻は文句が言いたげだが、妻に話した。私はこ の家なんてどうでもいい、この子供に一つの自信というものが育てばいいだろうってね、かっこよくいったものの。

 二日目、壁が布でできてて、ペンキを吸ってしまうからペンキののりがわるいしペンキの量もかかる。今夜、妻にお願いして、軽く下地のつもりで一度塗りをしておいた。

 三日目、子供が来るなりここからやるからねと昨夜下地の塗った壁の別を場所の壁を始めようとした。妻に先手を撃たれた。喧嘩はやめなさいよ!

じっくり子供と話したら、昨夜一度塗りした壁からはじめてくれた。

私は暖かいところでお茶でも飲んでいた。夜遅くまでやっていた。なかなか!

明日は、用事があるから来れないという。

 今、壁紙を調べているから任せろというので、口出しはしない。

この壁紙事件で責任をもってくれればいいが最後まで私が口出しないでいられるか試されそうだ。

 

人を怒らせる方法って考えればきりがない。反対に笑わせる方法って難しい。

「あなたの奥さんとてもぶさいくだよね。ほんとぶさいくだよね。

 信じられないくらいぶさいくだよね」

「私イケメンがいいわ、それにひきかえあなたメンくらうほどイケてないのね」

これだけ言われて怒らない人はいないだろう。こんなこと面と向かって言う人がいなかったから笑ってしまった。怒りは笑いに変えられる。短い人生、人になんて言われようが笑いの人生を選びたい。

 壁紙は子供にお願いするとして、ひとつひとつのことが子供への遺言のようだ。私には、まだ屋根のペンキも残っている。

 

 

 

 

損得勘定
損得勘定(連載ー2)

「損得勘定」は車の両車輪のようにバランスをとっていないと真っすぐには進めない。

簿記って知ってる。聞いたことあるけど、それじゃ話してみるか? 

損得勘定=損益勘定  金=現金勘定 と思ってね。

現金勘定があるとする。この現金が増えれば、必ず相手勘定が増加する。例えば売り上げが増えれば、現金も増える。現金が減れば費用が増える

まさしく、損得勘定は、得したと思ったら、何かが損をしている。まして利益がいつも出るとは限らない。

会社の経理課に勤めていたころ、出納の窓口にいたころ、この損得が貸借(左右)合わないと帰してはくれない。

最近、はやっている「あおり運転」を見てみると。

アオリ運転していると気持ちがすっきり得した気分、だけどアオリ運転された人は恐怖が増す。車上カメラで撮られて、罰金やらで出費が増える。人間の世界も損得勘定で成り立っている。

最近は、テレビでも映し出されるが、まさか、こんな方がと警察に護送されていくのをみる。私の幼い頃はラッパズボンをはいてボタンを外してそれらしき恰好でよたっていた。大体、偏見だけど悪い奴のタイプが読めたが、今は世間でいう普通の方が悪びれもなく犯罪を犯している。だから、防犯カメラもいたるところに設置されているのだろう。車上カメラの売れゆきもよくなり世間は得をする。世間は世知辛くなって損をする。

「この何かが損をしている」のが気づかない。

今、若い私の子供に教わっている。家も築30年もなり、壁紙を張り替えることになり、子供がはりかえてくれるようだ。今はやりのスマホで調べているようだ。

 

通じない(連載ー1)

道を挟んで言葉が通じない。と聞いていたが、時を挟んで言葉が通じないのかも知れない。

 山奥から都会に出てきて来て、どうすりゃいいのか西も東もわからず、周りはみんな頭が良さそうだ。忘れはしない、日比谷のある図書館に勉強というなのことをしんにいった。こう言いながら、方言を使うわいがいた。

 2階の自主室にのぼったら、誰かの葬式でも来たように静まりかえっている。なんだこれは、厚い本を左手で添え、眼鏡をかけた大男が隣席で黙々と本を読んでいる。私も負けじとふろしきから厚い本を出して読むふりをした。

 数分して腹が減った、確か地階に食堂があったのでうどんを食べた。食べたら眠くなったのでしょんべん臭いアパートに帰ることにした。

 これがワイが知った、初日の都会人の印象だった。みんな賢そうに見えるんだもの。新宿に行ったら、今日は祭りなのか大勢の人が神輿でも見ようとするのか人混みを足早に歩いていた。

 私もこの先を急いだ。暫く、歩いても神輿などない。これが都会と知った、まったく山猿ってことだ。

 ヘルメットを持たされ、手を組まされ、歩道橋から写真を撮られ、道路を早足であるいていた。これがデモというものらしい。

 税理士で一旗あげて、たっぷり金を稼いで田舎に錦をと思って都会に出てきた。がそんなに甘いもんやあれへん。

 生きる道などというものは、コロコロ変わっていったわ。スーパーマーケットで月光仮面の切られ役をやったり、切られて寝ていると子供たちが棒で叩きにくる。運送会社で引っ越しのバイト、喫茶店でわからぬケーキのオーダーをされ面食らったこと、夕食もでたので助かった。

 悪いことはするなよと、おふくろ、おばあちゃんの顔が浮かんだ。

結局、サラリーマンも経験させていただいた、経理課だった。

 姉が銀座に店をだすので手伝っていたら、どっぷり入ってしまった。銀座は、コーヒーとアダモの歌が流れ、異国の雰囲気だ。

銀座は日本のど真ん中、人間も真摯で知識人だ。そんな中いつの間にか時が過ぎた。知ったかぶりから始まった銀座の街。それはそれは一言でははなせない。

 若いときは老いることも病むことも忘れ、老いて突然、死を知る。

私に子供3人授かった。妻にいわせりゃ私が4人目の子供らしい。それは認める。

 車からディズニーの音楽が流れた。これは、マイウェイの曲だ。口ずさんでいると子供がお父さんこの歌知ってるのとまじに尋ねられた。子供の車で聞いた。子供は長男の39歳だ。子供にかかわらずこんなことが度々ある。若い人たちと話していると私が当たり前のことが知っていると思って話していると話が進まない。最近は、この方知っていると尋ねて話をすることにしている。そうでないと、時代が違うのか通じない。

 よくご年配の口から、若い子の愚痴を聞かされるが、若い子を理解したと思うとまた、違う。違うと思ったらまた違う。違うと思ったらまた戻される。何だかわからなくなった。辛抱辛抱、諦めたら負けよ。だって、スマホもあり便利な知識の先生がいつも傍にいるんだもの若い人も、私よりはるかに知識人のようだもの。

時が挟んで言葉が通じないのであって、若い子が私を理解してないのと私が若い子を理解してないのと絡まれば言葉が通じないのは当たり前。

若い子は、自分の考えを主張しないのは、大人もそうであるように、忖度するのだろう。主張すると実績もなく、偉そうに皆から,「なにさま」と言われたり、抹殺されるのだろう。目立たない目立たない、「別に」と言っとけば安心だ。

 

「忖度」ソンタク

 他人の心情を推し量ること、また、推し量って相手に配慮することであるが、特に、立身出世や自己保身等の心理から、上司等、立場が上の人間の心情を汲み取り、ここに本人が自己の行為に「公正さ」を欠いていることを自覚して行動すること、の意味で使用される 。「忖」「度」いずれの文字も「はかる」の意味を含む